「映画は人間を知り、理解するためのもの」 アヤクチョ先住民にオマージュを捧げた『名もなき歌』 メリーナ・レオン監督インタビュー
80年代前半にペルーで起きた乳児売買組織による乳児誘拐事件をもとに、娘を奪われた女性と新聞記者が真相を追求する姿を描くヒューマンドラマ『名もなき歌』が、7月31日(金)よりユーロスペース、伏見ミリオン座、今夏よりシネマ・ジャック&ベティ、京都シネマ他全国順次公開される。
監督は本作が初長編となるペルー出身のメリーナ・レオン。新聞記者の父が実際に追っていた事件を、社会が危機的状況にあった80年代後半に置き換え、物語を再構築。ペルー山間部に住むアヤクチョ先住民の主人公、ヘオルヒナと夫で踊り手のレオ、新聞記者のペドロと隣人で舞台俳優のイサ。それぞれの人生をが絡み合い、重い時代の中で引き裂かれていく様子を、モノクロスタンダードサイズの映像で捉える。先住民たちの歌や踊りは迫力いっぱいに、ヘオルヒナが坂道を家に向かう姿は徹底的に俯瞰したショットで捉え、題材は重いが、詩情豊かな作品に仕上がっている。世界中が困難に立ち向かっている今、自分ごととして捉えられるシーンも多いのではないだろうか。先住民の文化やペルーの歴史を感じられる作品だ。
本作のメリーナ・レオン監督に、リモートでお話を伺った。
■子どもの痛みと共に子どもを誘拐された母親の痛みを感じた事件を映画化するまで
――――レオン監督は本作が初長編ですが、そこに至るまでどのようにキャリアを積み上げたのですか?
レオン監督: ペルーはまだ映画単体を学ぶ学校がなかったので、リマ大学コミュニケーション学部で映像に関することを学びました。卒業後仕事を始めてから自分で短編を制作し、ニューヨークで修士課程(コロンビア大学MFA映画学科)を取りました。ニューヨークには13年間いたのでペルーとニューヨークで映画を撮ろうとしたのですが、なかなか企画がうまく進まなかったので、ペルーに戻ったのです。ペルーの文化庁はもともと小さな組織だったのですが、経済的な活性化に伴ってどんどんと大きくなり、ニューヨーク滞在時代でも助成金が取れやすくなったことから、本作はペルーの助成金を使って制作しています。
――――一連の乳児誘拐事件について、レオン監督が初めて知ったのは実際に本作を担当していた父親からですか?その時抱いた印象について教えてください。
レオン監督:この映画を初めて観る人と同じように、この事件の話を父親から聞いたときは、驚き、そして子どもの痛みと共に子どもを誘拐された母親の痛みを感じました。今もペルーだけでなく、世界中で乳幼児売買という問題が続いているということも、この映画を作る上で知ったことで、それまでは私も知らなかったのです。
――――初長編でこの乳児誘拐事件をテーマにした理由は?
レオン監督:私は映画というものは人間を知り、理解するためのものであり、人間とは何かを解明していくために必要だと思っています。非常に暗いテーマの物語のなかで、人がどれだけできることがあるのか、何かを成し遂げる能力があるのか。そして、人がどこまで闘うことができるかを表すことによって、少しでも人間とはどういうものかに近づいていけると思いました。
――――物語を事件が起きた80年代前半から80年代後半に置き換えることで、どんな効果があったのですか?また映画では外出禁止令が出ていましたが、社会的状況がどれだけ違っていたでしょうか?
レオン監督:80年代前半はセンデロ・ルミノソ(アヤクチョで哲学を教えていたアビマエル・グスマンが毛沢東主義を掲げ、70年に組織した極左武装組織)の活動が始まった頃でした。当時ももちろん衝突があったのですが、80年代後半はそれが激化してきたので、その状況を描きたかった。また、80年代後半は国全体が危機的状態にあったので、そこを舞台にして描けることがたくさんあると思いました。
■アヤクチョの先住民が犠牲を払いかつ闘ってきたことへのオマージュ
――――数ある被害者の中で、主人公をアヤクチョの先住民女性にした狙いは?
レオン監督:歴史の中で一番犠牲になったのが先住民、特に農民で、とても苦しい思いをしてきました。暴力的な状況下に置かれることが多かったのです。植民地時代からそうですが、アンデスの先住民の人たちは放置され、無政府状態に置かれていた。だから、センデロ・ルミノソが生まれたという背景があります。私は、アヤクチョの人たちが犠牲を払ったのと同時に闘ってきたことへのオマージュを捧げたいという想いで、今回アヤクチョの先住民女性ヘオルヒナを主人公にしました。
――――先住民は有権者番号がなく、警察や裁判所でも取り合ってもらえないという描写がありましたが、これは当時常態化していたことなのでしょうか?
レオン監督:先住民の人たちは、今でもなかなか有権者番号を与えられず、選挙に参加できる状況にはなっていません。ペルーの国土は広いですが、政治や経済の中心はリマです。例えばヘオルヒナはケチュア語を話しますが、リマ市民とは言語も違いますし、山岳地帯やジャングルに住んでいる先住民の人々の言語は本当に多様なのです。文化や慣習、そして時代感覚も違うということで、政府にしてみればどうやって先住民をペルー国民として迎え入れるか。対策を立てることができない。もちろん80年代後半と比べれば状況は良くなっていますが、リマに住む50万人もの人たちと同じような待遇を受ける立場にいるのかといえば、そうではないのが現状です。
――――新聞社で唯一、話を聞いてくれたのがもう一人の主人公、ペドロですが、彼がメスティーソ(白人と先住民のダブル)であることも影響しているのですか?また、お父さんがモデルになっている部分はあるのですか?
レオン監督:もちろん色々な要素があります。父親がこの事件を調べていたこともそうですし、ペドロがメスティーソであることや、物語独自の設定として彼がゲイであることで、多様な声に耳を傾けることができると思ったのです。
■本当に辛く大変な中に、喜びや愛を見つけ出すことができる
――――ペドロとイサの交流は愛を感じる美しいシーンであり、少しホッとするシーンでもありますが、この関係を描いた意図は?
レオン監督:私自身もホッとするようなシーンを入れたかったのかもしれません。本作のテーマ自体は悲劇的で重いものですが、それだけではなく社会や当時の人々の生活を絵のように描きたいという狙いがありました。その時、暗い中にも喜びや楽しみ、そして愛がたとえわずかであっても存在し、皆、そうやって生きてきたということを強く描きたいと思ったのです。私自身の経験上でも、本当に辛く大変な中に、喜びや愛を見つけ出すことができると思っていますので、そこから全体像を描いていきました。
――――本作は、家族が助けてくれるわけでもない、ヘオの我が子探しの旅であり、心の旅でもあります。国のトップクラスの関与を匂わせる実在の事件を映画化するにあたって、特に注意を払った点、注力した点は?
レオン監督:88年はペルーにとって、とても重要な時でした。アラン・ガルシア大統領の時代で、就任当時は非常に若く、カリスマ性を感じるリーダーだったのですが、実は精神的にはクレージーな人物であったことが、しばらく経ってからわかってくるのです。今で言えば、トランプ元米大統領みたいな感じで、要するに存在自体が間違っているというぐらい社会に悪影響を及ぼしたリーダーがいた時代でした。彼は一度退いたものの、再び大統領に返り咲いたので、余計に彼の最初の政権の時代に起きた様々なこと、政治的にもどんどんひどい状況に陥っていく状況を、とても強く描きたいと思ったのです。
■ヘオルヒナ役のパメラ・メンドーサさんは「一度否定した自分の過去に向き合い、演じることで掘り下げる」
――――ヘオルヒナ役のパメラ・メンドーサさんは内面の表現が必要な難しい役を熱演していました。メンドーサさんとどのようにヘオを作り上げたのですか?
レオン監督:メンドーサさんの写真を見た時から、内面が豊かな人だと思いました。彼女の目がキラキラ輝いていて、表現が豊かで、とても楽しそうな雰囲気だったのです。キャスティングの過程でメンドーサさんから話を聞くうちに、実は彼女自身にもトラウマがある、つまりヘオルヒナと同じような体験をしてきたことがわかったのです。またメンドーサさんは人類学者でもあるのですが、母や祖母など自分のルーツを辿るにつれて、逆に自身のルーツを否定したり、ケチュア語を話さない時期もあったそうです。一度否定した自分の過去に向き合い、母や祖母の時代、そして自分自身が経験したことを、もう一度ヘオルヒナを演じることで掘り下げ、作り直していく。そういう作業をメンドーサさんと一緒に行いました。だからまさに二人でヘオルヒナの役作りを行った形ですね。
■80年代後半を描く上で重要なセンデロ・ルミノソを、言語化せずに描く試み
――――夫のレオは、あまりヘオの助けになったとは思えない行動が多かったですが、テロ組織にスルッと入ってしまう若者が当時は多かったのですか?
レオン監督:スルッとという感覚をわかっていただけでうれしいです。当時、共同体の中で友達に誘われ、逃れらないという状況が日常茶飯事であり、あの時代の若者にとっては共通の経験でした。私の中では、80年代後半を描く上で、センデロ・ルミノソを外してしまうと歴史的に忠実に描けなくなってしまうので、そこをどうやって言語化せずに描き、観客にわかってもらうかを考えながらレオのシーンに取り入れていきました。
――――坂道を歩く影のシーンをはじめ映像に対するこだわりが随所に感じられます。タル・ベーラに影響を受けたとのことですが。
レオン監督:そうですね。溝口監督やフェリーニにも大きな影響を受けています。また撮影のインティ・ブリオネスさんが非常に実験的な撮影監督なので、彼のおかげでこれらの印象的なシーンが生まれています。また、音楽で母方が日本人の移民3世、パウチ・ササキさんが参加してくれ、いろいろなスタッフと一緒に仕事をすることで、満足のいく仕事ができました。
――――アヤクチョの先住民の文化についても歌や踊り、祭りが取り入れられており、映画の大きな魅力になっています。どのように撮影したのですか?また、今、それらの文化は継承されているのですか?
レオン監督:踊りや祭りは今でも行われています。昔は男性のみが参加できるものでしたが、今は女性も参加し、踊れるようになりました。撮影の方法について皆で話し合っていると、ブリオネスさんが、自分の子どもの時に見たダンスを思い出して、子ども目線のローアングルで撮りたいと提案し、そこからカメラ位置を決めていきました。踊りの動きが速いので、ゆっくりと綺麗に動きを見せたいと思い、動きがわかるようなスローモーションで撮ったり、色々な方法を駆使しているんです。
――――この作品はペルーで、どのように受け入れられたのですか?
レオン監督:本作は2019年、リマの映画祭で上映され、その時はとても熱い声を送っていただきました。その後2020年にペルーで劇場公開を予定していたのですが、コロナ渦で映画館が休館し、今もまだその状態が続いているため、2021年1月からNetflixで公開しています。ぜひ映画を観たいというメールや手紙をたくさんいただいたのですが、時間が経つにつれ、海賊版がどんどん登場するという実情もあり、Netflixで配信するなら早くしなければというプレッシャーもあったのです。私の中では、本当は映画館で直接お客さまから生の感想をお聞きしたかったのですが、今はネット上で感想を寄せていただいています。みなさん、とても愛情をもってこの映画を受け取ってくださっていると思います。
■女性監督協会を立ち上げ、女性たちの多様な声や、国内の様々な地方の声を届けたい
――――海を越えた日本では劇場公開が叶いましたね。レオン監督にはぜひ劇場の観客と交流していただきたいです。もう一つ、ペルー国内での映画製作状況や女性監督の状況について教えてください。
レオン監督:この10年間はペルーの文化庁の中にある映画チームのスタッフの方がとてもがんばって、どんどん制作への助成を行ってきました。ペルーで制作される映画が多くなってきた矢先に、チームの局長が変わり、そしてコロナ渦に突入してしまった。これから先、どうなるかは何も見えないのが現状です。ペルーでも女性監督が活動していますが、女性に限らず映画監督の9割がリマ在住で、地方で活動する監督にはなかなか目を向けられていません。都市の声、しかもある程度教育を受けた人の声しか届かない。そして地方には女性監督もほとんどいないし、いたとしてもなかなか活躍の場がありません。そこで私たちは今、女性監督協会を立ち上げて活動しようとしています。男性至上主義が根強い中、女性たちの多様な声や、ペルーの国内の様々な地方の声を届けたいと思っています。
――――最後に、本作は歌がとても重要な意味を持つ物語ですが、タイトル『名もなき歌』に込めた思いについて教えてください。
レオン監督:このタイトルは、共同脚本のマイケル・ホワイトさんがつけてくれたものです。
ミステリー要素のある神秘的な雰囲気や、愛と痛み、光と影、黒と白など対比するものを全て包含するタイトルだと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『名もなき歌』“Canción sin nombre”
(2019年 ペルー=スペイン=アメリカ 97分)
監督・脚本・製作・編集:メリーナ・レオン
出演:パメラ・メンドーサ、トミー・パラッガ、ルシオ・ロハス、マイコル・エルナンデス
7月31日(金)よりユーロスペース、伏見ミリオン座、今夏よりシネマ・ジャック&ベティ、京都シネマ他全国順次公開
公式サイト⇒http://namonaki.arc-films.co.jp/
(C) Luxbox-Cancion Sin Nombre
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