「街頭デモをする若者たちに尊敬の念を抱き、心を寄せていた」 アジアを代表する民主活動家のシンガーに迫る『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』スー・ウィリアムズ監督インタビュー


 香港の表現の自由を訴え、中国政権批判を続けてきた民主派新聞「リンゴ日報」の廃刊、民主派議員の大量離職など、より香港への統制強化が露わになる中、2020年に開催された東京フィルメックスで特別招待作品として上映、大きな話題を呼んだアジアを代表するシンガーと香港の過去、現在を映し出す『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』が、7月23日(金)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマ、7月31日(土)より元町映画館ほか全国順次公開される。

 幼いころから香港の伝説的ポップシンガーで俳優としても活躍したアニタ・ムイに憧れ、歌手として不遇の時代を経て弟子入り、彼女のもとで音楽面、パフォーマンス面だけでなく、社会活動への眼差しに触れたデニス・ホー。ガンのためアニタが逝去したあとは、彼女のパフォーマンスを受け継ぎ中華圏のスターとして大きく羽ばたいていく。本作ではスター街道を歩んでいたデニスが10年代に入り、自身のセクシュアリティや意見を表明し、社会へ影響を与える様子を伝え、14年の雨傘運動に参加して以降、アーティストとしての活動が制限されていく様も映し出す。

 16年にコンサートのスポンサー「ランコム」が中止を発表するランコム事件をはじめ、コンサート会場を借りることすらままならないデニスが少人数スタッフで実現させた海外ツアーの様子や、19年の大規模な街頭デモで警察隊と対峙し、押し切られそうになりながらも必死で話し合おうと訴える様子など、香港の自由を求める一市民として、自身の主義を曲げることなく、自分らしく生きる姿に心を打たれる。デニスと共に社会活動を行っているアンソニー・ウォンやデニスを支える家族らのインタビューを交えながら、デニス自身がその半生をじっくりと語っている。彼女自身がセレクトしたという名曲ぞろいのライブシーンも見どころ。香港とデニス・ホーの軌跡、そして今を知ることができる必見のドキュメンタリーだ。

89年から中国でドキュメンタリーを手掛け、本作では脚本、プロデュースも務めたスー・ウィリアムズ監督にリモートでお話を伺った。




――――中国で長く映画を作ってきたそうですが、中国の中での他自治区に対する圧力や香港に与える影響を実感していたのですか?

ウィリアムズ監督:1988年から中国で映像の仕事をしているので、本当に長い間関わっています。2014年、香港では雨傘革命という大きな変化が起き、中国政府の外国人に対する規制も強化されました。それまでも外国人は行動の自由が制限されていたので、私を受け入れてくれるグループと一緒でなければ仕事をすることは難しかったですが、年々規制が厳しくなり、映像を撮ることすらできなくなってきました。まだ一般人に声をかけて話を聞くぐらいはできていたのですが、今やそれも難しいです。

香港へは学生時代の1981年に来てから中国と香港の行き来を繰り返していました。雨傘運動のときはちょうど、『デス・バイ・デザイン(Death by Design)』を撮影していたため、その現場に居合わせることができなかったのです。


■中国のブラックリストに載った人物がキャリアをどのように再構築するかを追いたかった。

――――今までの作品は人というよりあるテーマに対しリサーチを重ねた作品が多い印象を受けたのですが、2017年にデニス・ホーさんに出会い、一番彼女を撮りたいと思った要因は?

ウィリアムズ監督:私の中国三部作(『チャイナ・イン・レボリューション』『ザ・マオ・イヤーズ』『ボーン・アンダー・ザ・レッド・フラッグ』)は確かに調査に基づく作品でしたが、その後に作った『チャイナ・イン・レッド』『ヤング・アンド・レストレス・イン・チャイナ』は9人の登場人物たちを数年間に渡って定期的に取材した作品だったので、人の変化にフォーカスをした作品ではあります。

デニス・ホーの作品を撮りたいと思ったのは、私自身、音楽が大好きで、彼女のツアーや創作活動を追いかけたかったということと、もう一つは中国がアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどに対し、様々な形でソフトパワーを発揮していく中、デニス・ホーは香港の民主化運動に関わったことで中国のブラックリストに載り、彼女の芸能活動ができなくなってしまった。そういう人物が自分のキャリアをどのように再構築していくのかを追いたいと思ったのです。



■デニス・ホーのワールドツアーに同行して知った現実

――――実際にデニス・ホーさんのツアーに動向したのですか?

ウィリアムズ監督:私がデニス・ホーと出会った後に、彼女は世界ツアーでイギリス、アメリカ、カナダなどをまわりました。取材として同行するのは楽しいことではないかと想像しながら撮影を始めたのですが、マレーシアでコンサートをしようとしても出来なかったり、アメリカでライブをするにも会場を探すのが大変だという現実を目の当たりにしたのです。ツアーを撮影しながら映画を作るつもりで編集作業を進めていたのですが、2019年7月に大きな抗議活動が起こり、当初想定していた計画の変更を余儀なくされてしまいました。


――――民主活動家でもあるデニスさんを題材に映画を撮ることは、監督自身も中国に入国できなくなる可能性が大きいはずですが、そこに対する迷いはなかったかのですか?

ウィリアムズ監督:『デス・バイ・デザイン』を作った段階で、私は中国に入国するためのビザが発行停止になってしまったので、中国に入国できないことに対する覚悟はもともと出来ていたし、中国でやるべきことは全てやったという一種の達成感があったと思います。ただ、本作を撮影する上では、なるべく目立たないように気をつけていました。


――――ちなみに、中国へ入国禁止になるきっかけとなった『デス・バイ・デザイン』の内容を教えてください。

ウィリアムズ監督:中国でとても重要な環境保護主義者でジャーナリスト、公共環境研究所(IPE)の馬鈞さんと共に作りました。彼は企業排水による水質汚染の調査もして、環境意識を高めるような映画を作ってほしいと依頼されたのです。Appleに代表される機器メーカーが、元々はアメリカにあった製造工場を中国に移転することで、現地の水や空気を汚染し、有害物質を放出しています。ですからスマホなどのデバイスを使うにあたっても、製造される過程で環境汚染が起きているという意識を持っていただきたいと思いました。アメリカ企業への批判も込められていますし、中国で汚染被害に遭った現地を取材し、映画を作っていったのです。(https://deathbydesignfilm.com/



――――なるほど。ではデニスさんは監督の申し出に対して、どんな反応でしたか?

ウィリアムズ監督:私が映画監督だと知っている共通の友人が、デニス・ホーを通じて香港を描けるのではないかと、紹介してくれました。彼女とは最初会ってから1週間ぐらいかけていろいろな話をし、お互いのことを知って、交流を深めました。映画を撮ることになってから二人の間で決めたのは、編集権は監督の私にあり、全て私の責任で製作しますが、事実確認はデニスがするという役割分担でした。


■普通の人を助け、かつ謙虚な行動をとり続けた師匠、アニタ・ムイから影響を受けて

――――デニスさんにとって本当に大きな存在が師匠のアニタ・ムイさんです。映画でその部分をどのように描こうとしたのですか。また、映画には入らなかったエピソードがあれば教えてください。

ウィリアムズ監督:アニタ・ムイはデニス・ホーにとっては幼いころから憧れたアイドルですし、衣装も含めて影響は大きかったと思います。師匠でしたし、コンサートのときも後でさまざまな指導を受けたそうです。映画では登場しませんが、1989年の天安門事件時に参加した学生が国外に逃げようとしたときに力を貸し、学生たちの支援資金を作るためのチャリティーコンサートを開催していたそうです。アニタさん自身も香港の普通の家庭の出身ですし、スターだからと気取ったりすることなく、普通の人を助け、かつ謙虚な行動をとり続けていた。そういう彼女の姿勢がデニスにも大きな影響を与えていたと思います。



■代表曲に込めた思いとカミングアウトがもたらした政治的インパクト

――――デニスさんはまた、2012年に香港女性芸能人で初めてゲイをカミングアウトしています。そのことが香港社会や中華圏に与えた影響をどう捉えて作品に取り入れたのですか。

ウィリアムズ監督:デニスの人生の中で自身がゲイであることをカミングアウトするのは非常に大きなことだったと思います。でも彼女はプライドを持ち、オープンにそれを行なった。ゲイの方のコミュニティにとってはデニスのような有名人がカミングアウトしたことで勇気を与えられたと思いますし、とても政治的なインパクトがあったと思います。

映画にも冒頭で登場しますが、デニスの代表曲で2005年にリリースした“Louis and Lawrence” (勞斯 萊斯 Lou si, loi si) という同性愛の恋人たちを歌い上げたラブソングがあります。この曲が同性愛のことについて包み隠さず歌い上げていることに驚きました。というのも、元クィーンのフレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンですら、もっと隠喩的な表現で、ここまではっきりとした表現はしていませんでしたから。さらにその曲が香港で人気を博し、多くの人に歌われていることに本当に感銘を受けたのです。


――――ライブや創作シーンは本作の見どころで、特に歌詞が重要だと感じました。英語も流暢に話せる中、デニスさんは広東語の歌詞にこだわっており、それが彼女の香港への思いを表しているようにも見えましたが。

ウィリアムズ監督:デニスは、広東語の歌詞を作るにあたり、香港出身で現在は台湾在住の作詞家、黃偉文(Wyman Wong)さんと共同作業していました。というのも北京語が4つの声調なのに対し、広東語は9つも声調があるので、曲にしっかりと乗せた形で広東語の歌詞を作るのはとても難しいのです。だから彼女が歌詞のアイデアを出し、話し合いながら作っていたと思います。



■若い人たちに対して尊敬の念を抱き、心を寄せる

――――デモ活動でも最前列に立ち、彼女の歌が多くの市民たちの心を勇気づけました。中国から締め出され、今までのような芸能活動ができなくなってもデニスさんは自らの意見を表明し、自由を求める香港市民の支えになっていると感じましたが、彼女の強さはどこから来ているのでしょうか?

ウィリアムズ監督:デニスがCNNやBBCの取材に答えるシーンもありましたが、リーダーとして取材を受けていたのではありません。2019年の市民デモ活動はリーダーのない活動でしたから。そこでデニスはいつも若い人たちに対して尊敬の念を抱き、心を寄せていました。彼らが街頭でデモをすることにとても創造性を感じていたのです。そこから彼女自身もインスピレーションを得ていると語っていました。このような長期にわたる動きは今まで香港のみならず、アジアでも未だかつてなかった新しい動きだと理解していたのだと思います。毎日街頭で100万人もの人々が抗議活動を起こすわけです。そしてデニス自身もその活動に若者たちとともに参加することで、精神的に強くなっていったのだと思います。

(江口由美)



<作品情報>

『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』(2020年 アメリカ 83分)

監督・脚本・プロデュース:スー・ウィリアムズ

出演:デニス・ホー、アンソニー・ウォン

7月23日(金)よりシネ・リーブル梅田、京都シネマ、7月31日(土)より元町映画館ほか全国順次公開

公式サイト:http://deniseho-movie2021.com/

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