「避けては通れない問題をきちんと提示し議論するため、自主制作にこだわる」 大阪・西成で伝説の先生と生徒たちの熱い日々を描く『かば』川本貴弘監督インタビュー
1985年、大阪の西成を舞台に、様々な問題を抱えた生徒達に粘り強く接し、在校生、卒業生だけでなく地域の人にも親しまれた蒲先生をモデルに、先生たちや生徒たちがぶつかりながらも成長していく姿を描く青春群像劇『かば』が、8月14日(土)から第七藝術劇場、8月13日(金)からアップリンク京都にて公開ほか全国順次公開される。
本作を7年がかりで完成させた川本貴弘監督は、取材に基づく実話エピソードを脚本に盛り込み、様々な問題を持つ生徒達の家庭事情にも肉薄。物語に厚みを加えている。蒲先生(山中アラタ)の奮闘ぶりと並行して描かれるのは、新任の加藤先生(折目真穂)が、蒲先生の指導のもと、失敗しながらも生徒と向き合い成長していく姿だ。転校早々喧嘩をふっかけられ、登校拒否する生徒や周りからの偏見に悩み苦しむ生徒もいれば、育児放棄やアル中の親のもとで生きづらさを抱え、悩みを誰にも打ち明けられない生徒もいる。今より先生と生徒や家庭、また街の人たちと生徒たちの距離が近かった時代の物語から、つい見過ごしがちになる他人を思いやる心の大事さを改めて感じとるに違いない。
本作の製作総指揮・原作・脚本も務めた川本貴弘監督にお話を伺った。
■蒲先生の映画化を頼まれ、たどり着いた西成
―――まずは本作のモデル、蒲先生との出会いについて教えてください。
川本:蒲先生は西成の学校に赴任する前、京都の大谷高校で臨時講師をしておられたそうで、2014年に前作『傘の下』を京都のバーで自主上映したとき、大谷高校関係者の方が偶然観に来てくださり、上映後に2010年に亡くなった蒲先生の話をされ、「映画化してくれないか」と言われたのです。最初はまずどんな先生だったのかを調べていくうちに、本教員になり、西成の学校で教えていたことがわかりました。僕はそれまで西成に行ったこともなければ、西成の事情も全く知らなかった。そんな中、蒲先生の大学時代の同期の方が、「蒲のことをもっと知りたければ市人教(大阪市人権教育研究協議会)に電話したら」と言われ、大人教から西成の学校の同僚だった先生方を紹介していただいた。それが古川先生や丸山先生らだったのです。
―――同僚の先生方からはどんな話を聞いたのですか?
川本:蒲先生の自伝映画と言われても正直、ピンと来ていなかったのですが、先生方自身のエピソードがとても面白かった。だから蒲先生と不登校児や卒業後に出会った元教え子とのエピソードなどは、同僚の先生方のエピソードを元に再構築しています。一方、折目真穂さんが演じる加藤先生のモデル(実際は男性)はまさに、実際に新任時代、蒲先生に指導してもらった加藤先生で、その二人がやりとりするエピソードは本当にあったことです。野球部の生徒たちと対決するエピソードは蒲先生の同僚の先生の実話と組み合わせています。「これ俺がやったことやん」と先生方から突っ込まれることもありますが、「当時はみんな頑張った。代表かばでええやん」と(笑)
■地域の問題をしっかり勉強し、取材に時間をかけたことで映画に深み
―――映画では西成に住むさまざまなバックグラウンドの親たちも登場しますが、これらはどのようにリサーチしたのですか?
川本:僕の場合は蒲先生の足取りを追ううちに舞台が西成になっただけなので、そもそも西成の問題を描こうと思っていたわけではなかったんです。最初は取材をしていてもよそ者扱いで、現地の人に認めてもらうのに2〜3年はかかりました。ただ同僚の丸山先生から、蒲先生の原点は西成だし、西成を舞台にするなら地域の問題をしっかり勉強してくれと、何十冊も人権問題や部落差別問題の本を渡されたんです。今まで真剣に学んだことはなかった部分だったので、本を読んで勉強し、また取材時も蒲先生のことだけではなく西成の街の話や子どもたちの事情を聞くようになりました。取材に時間はかかりましたが、出来上がった映画を観ると、その分深みが出たと思います。
―――7年かけて作り上げたそうですが、そこまで頑張れた理由は?
川本:パイロット版を作り、この映画の必要性を訴えて全国回り、結構お金を集めてしまったのが現実的に大きかったです。また蒲先生の同僚のみなさんや先生の地元のみなさんの想いを受け止めていたので、僕が生きている限りはやり遂げるつもりでいました。だから7年かかりましたが、自分の中では少し早くできたなと思うぐらい、新たな学びができた時間でした。
―――パイロット版で既に山中アラタさんが参加されていますね。
川本:助監督の紹介で山中さんのプロフィールや過去作を観ると。高槻出身で大阪弁もしゃべれるし、背が高くて、僕のイメージする蒲先生に近かったので、実際にお会いしました。やる気があるとのことだったので、すぐにオファーしましたね。
■差別用語を排除する商業映画に抗う
―――1985年に時代を設定した理由は?
川本:取材を進める上で、やはり部落差別などの問題は避けては通れないことがわかってきた中、商業映画では差別用語は排除されてしまいますが、それをしたくなかった。自主制作にこだわったのもコンプライアンスに縛られるのではなく、それらをきちんと提示した上で、議論をすることが大事でした。そういう意味でも、現在とはまた違う状況だった1985年に設定したわけです。85年は阪神タイガースが優勝した年でもありましたから、みなさんの印象にも残っていますよね。僕が取材で「在日朝鮮人としてご苦労があったかと思いますが…」と言うと、すかさず「私、朝鮮ちゃうねん、韓国やねん」と、もっときちんと理解を深めてから話を聞きにくるように叱られたこともありました。僕も間違っていると思ったら素直に謝り、取材をしながら様々なことを吸収していきましたね。結果的にですが、何も知らなかった僕が撮ったことで、客観的に西成を見ることができたのではないでしょうか。
―――音楽も当時聞いたことがある雰囲気のオリジナル曲がふんだんに流れていましたが、結構こだわったのですか?
川本:僕は京都出身で、映画では京都の老舗ライブハウス、拾得での撮影シーンもありますが、ブルースや古い感じのロックを演奏しているミュージシャンが結構多いんです。そういうミュージシャンたちに僕のイメージを伝えたら、みなさんもドンピシャの時代だったので、いい曲たちを出してきてくれ、楽しかったですね。環境音は20代の音楽制作を専門でやっている方にお願いしましたが、才能を感じさせるいい音を作ってくれました。
―――シーンとシーンの間に必ず川のショットが入っているのが印象的でした。大阪は水都でもありますが、それ以上に大きな意味を持つ川ですね。
川本:僕個人の大阪のイメージは川だったんです。木津川の眼鏡橋から工業地帯にある運河を初めて見たとき、すごいなと感動したんです。「川を1本隔てたら差別されへんかったのに」というセリフが象徴するように、西成区と大正区を分けている川でもありますし、川と橋はこの映画のキーワードにしたいと思っていました。
■いい話だけではなく、失敗もきちんと描く
―――近藤里奈さんが演じた元生徒、由貴のように優等生だった子のエピソードが入ったのも、作品に深みを与えていました。
川本:蒲先生の元教え子が経営している飲み屋によく教え子たちや蒲先生の同僚が集まっているので、僕も取材をすることが多かったのですが、大体が元不良だった人たちで、当時のやんちゃ話で盛り上がるんです。そこで先生に真面目な生徒を紹介してもらえないかと聞くと「覚えてないわ…」とおっしゃったんです。手がかかったやんちゃだった子は今でも付き合いがあるけれど、真面目な子は名前も出てこないと言うものだから、僕は「先生、それは一番あかんやつやで。それもしっかり映画に入れるからな」と。いい話ばかりではなく、そういう失敗もきちんと描くからと宣言したら、「それも蒲がやったことにしといて」。先生も人間ですから責められませんが、子どもにとっては重大なことですからね。
―――脚本も手がけておられますが、思い入れのあるシーンは?
川本:台詞については、取材で聞いたエピソードを盛り込んでいるので、そこまで思い入れはないのですが、どうしても入れたいと自分で考えたのがバスのシーンです。今は人間関係が希薄になっているので、先生という肩書きだから子どもたちと向き合ったり、親や先生に子どもの面倒を見るのを押し付けるのではなく、街の人も含めてみんなで、子どもたちを見守ってあげたいと。印象的なハードボイルドちっくに描いてみました。実際にはああいう運転手はいませんが、インパクトのあるシーンになったと思います。リアリティばかりでも面白くありませんから。
■半年かけて85年の学生を演じる準備を進めたキャストたち
―――1985年の学生を現在の同世代が演じたわけですが、どのような演出をしたのですか?
川本:彼らから見れば85年の学生を演じるなんてファンタジーのようにかけ離れたものだったでしょうね。実際には脚本を渡してから半年間、徹底的に演じる準備を重ねたんですよ。まずは自分たちでその時代の人物像を研究してもらうために『仁義なき戦い』『ビー・バップ・ハイスクール』やドラマ『3年B組金八先生』を観て、感想文を書いてきてもらったり、人権や差別に関する問題を自分で勉強したり、自分の両親に取材をしてもらうこともありました。僕が先生方から借りていた本も読んでもらいましたし、たとえわからなくても、そういうことをすることで演技の厚みが出るはずです。ただ与えられた台詞をしゃべっているだけではお客さまの心に入っていかないですから。その結果、上手下手というより、心に伝わる演技をしてくれたと思います。
―――餃子屋の店長役で中山千夏さんが出演されているのも貴重ですね。
川本:取材しはじめた当初は、現地でなかなか認めてもらえなかったのでパイロット版を作ることにしたのですが、そこで西成に関係のある人に関わってもらったらいいのではないかと思い浮かんだのが「じゃりン子チエ」の中山千夏さんでした。ナレーションで出演していただいたパイロット版を観ていただいてからは、応援の声が激増しましたね(笑)中山さんは「じゃりン子チエ」以来となる芸能活動だったので、マスコミが取り上げてくれ、そこから地方から声がかかって講演会にも行かせていただくようになったのです。制作総指揮なので、どれだけ周りを巻き込めるかを常に考えていましたね。
■差別を包み隠さず描いた映画、一緒に議論したい
―――最後に、これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
川本:この映画はしばらくはDVDやネット配信をしませんから、極力劇場で観ていただきたい。映画館のない街には、僕が上映機材を積んで移動上映を10年ぐらいするつもりです。差別の問題を包み隠さず描くために、自主制作にこだわりましたから、映画をご覧いただき、若い人、年配の人、子ども達など、いろいろな人たちと議論をしたいと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『かば』
(2021年 日本 135分)
製作総指揮・原作・脚本・監督:川本貴弘
出演:山中アラタ、折目真穂、近藤里奈、木村知貴、さくら若菜、趙博、中山千夏、四方堂亘ほか
8月14日(土)から第七藝術劇場、8月13日(金)からアップリンク京都にて公開。
©映画「かば」製作委員会
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