「人間はグレーだからこそ面白い」 正義の危うさを突きつける『由宇子の天秤』春本雄二郎監督インタビュー
自分勝手な正義が横行する現代社会に鋭い眼差しを向け、ドキュメンタリーディレクターに迫られた究極の選択とその行方を描く緊迫感溢れるヒューマンドラマ『由宇子の天秤』が、9月17日(金)より渋谷ユーロスペース、10月1日(金)よりテアトル梅田、アップリンク京都、10月15日(金)よりシネ・リーブル神戸他全国順次公開される。
『かぞくへ』で劇映画デビューを果たした春本雄二郎監督の長編第二作。女子高生自殺事件の真相を追うドキュメンタリーディレクター、由宇子(瀧内公美)は、番組の都合の良い内容を求めるテレビプロデューサー陣を尻目に、真実を伝えるため、地道な取材を続けていた。夜は父(光石研)の経営する学習塾で講師としての顔を持つ由宇子は、そこで絵が好きな生徒、萌(河合優実)に出会う。だが取材も進展し、形になる手応えを感じていた由宇子の前に、全てを失うかもしれない大事件が起きるのだった。
自分の足元が崩れ落ちそうな時、あなたは何を選ぶのか?自分にとっての正義とは?様々な問いが観終わってから、何度も何度も繰り返され、とても強い印象を残す。ベルリン国際映画祭、釜山国際映画祭をはじめ、世界の映画祭を震撼させた、今年一番の衝撃作だ。
本作の春本監督にお話を伺った。
■映画工房春組と、表現に向き合う体制づくり
―――本作の製作にあたり、春本監督自ら立ち上げた春組がどのような役割を果たしているのか教えてもらえますか?
春本:『かぞくへ』を公開した時は、ほぼ自主配給だったので13館ぐらいしか上映館が広からなかったんです。作品のクオリティーや、お届けできれば感動していただけるという自信はありましたが、届かない限りそれは自己満足でしかない。もっとマーケティングを考えた上で映画を広めていかないと、観てもらえないことを痛感したのです。とはいえ、自分が納得のいく脚本とキャスティングは映画を作る上で譲れない部分です。
ならば、どうすれば自分たちが作りたい映画を、ちゃんとお客さまに届けられるシステムを作れるのか。そこで全国行脚しながら『かぞくへ』の無料上映会を開催し、観に来てくれたお客さまに、自分たちは2作目を作りたいのでと月会費500円で支援してもらう映画工房春組の紹介をする取り組みを始めたのです。
春組では映画製作状況をできる限り共有し、会員のみなさんとコミュニケーションを取り続けます。一般の方は、普通完成した作品しか観ることができません。もしくはDVDの特典でメイキングを観る程度ですが、春組では脚本の企画段階からロケハン、リハーサル、撮影中の様子などを逐一見ることができる。そういうシステムは当時ほとんどなかったですね。春組の会員の皆さんに「海外版のポスターのフォントの幅、どう思いますか?」と聞いてみたり、映画グッズについての要望をお聞きしたり。みなさん、映画づくりに参加しているという気持ちで、たくさんの意見を寄せてくださいます。
―――ただ応援するだけでなく、映画製作の一員になっている気持ちになれますね。ちなみに現在の会員数は?
春本:現在は270人ぐらいです。『由宇子の天秤』公開後も次の作品に向けて動いていきますので、最終的に1000人ぐらいまでになれば、本当に皆さんからいただく会費だけで次回作の製作費の大部分を担えます。
やはり映画は企画してから脚本書き、製作、映画祭出品、そして劇場公開まできてようやく費用が回収できる。本当に回収するまで時間がかかるので、製作段階から参加していただき、都度回収する方法でなければ僕らは生きられません。公開してからもどれだけ観てもらえるかは未知数でとてもリスキーですが、春組の会員の皆さんは観ていただけるはずですから、お客さまを最初から担保できるという考え方ですね。
―――独立映画を作り続けるために、本当によく考え抜かれている制度だと思います。ただ、春本監督もこまめに情報発信をするのはとてもパワーを使うことだと思いますが。
春本:上映会などで実際にお会いして、こういう想いでやっていると一人ひとりに伝えなければ、相手の気持ちに刺さらない。ですから当時は映画(『かぞくへ』)と、映画づくりのコンセプトの両方をお話しするようにしています。
―――ちなみに映画づくりのコンセプトは、どんなことを話されるのですか?
春本:日本映画において、表現者がきちんと表現と向き合える体制づくりが大事です。僕の方でも、元々観る人の絶対的人数が少ない映画は、回収するのに時間がかかることは理解していますが、一方で表現にこだわっているからお客さまが入らなくても仕方がないという考えではいつまでたっても進歩しない。そこに参加する人たちが清貧という名の下でひもじい生活を強いられるのはよくないし、表現の幅も狭まってしまう。僕らはこの課題にきちんと向きあわなくてはいけないということを、よくお話ししますね。そして、いいものを作っていると思うなら、きちんと届ける作業までしなければいけないと。俳優部は、映画に出演して終わりではないんです。まだ俳優としての存在を知られていないのなら、そこは本当に努力してほしいところです。
■広い視野を持った活動で、新たに映画に興味を持つ層を開拓
―――今回は配給がビターズ・エンドですが、春本監督ご自身もお手紙を添えて手売りを続けておられますね。
春本:ビターズ・エンドさんがリーチできる観客層はマスメディアを通してですが、僕らは上映会での出会いを通じてプライベートでのお付き合いができる人たちに届けることができるんです。まさにどんな映画かわからなくても、春本が作っているなら観てみようとか、お前が出演するなら内容は知らんけど観てみようという層を開拓しなくてはならない。つまり、新たに映画に興味を持った層が観続けてくれるように巻き込まなくてはいけないんです。それが結果的には他のクリエイターや俳優にとってもプラスになります。「日本映画ってこんな映画があるんだ」と発見してもらえたら、他の映画も観てもらえるでしょう。そういう広い視野で物を見ることができる作り手や俳優が、まだ少ないのが現状ですね。
―――なるほど、春本監督の新たなファン層づくりは人と人との交流が原動力になっていることがよくわかりました。由宇子を演じた瀧内公美さんも出会いのきっかけは『かぞくへ』だったそうですね。
春本:渋谷のユーロスペースで毎日舞台挨拶をしていたので、映画を鑑賞した俳優のみなさんが、鑑賞後僕にプロフィールを渡されることが日常茶飯事でした。瀧内さんもその一人で、その後主演作『彼女の人生は間違いじゃない』を観て、簡単ではない役を見事に演じていたので、根性のある俳優だなと気に留めていました。
―――そこからすぐにオファーという流れだったのですか?
春本:実は2019年初頭に脚本ができる前、2018年11月に東京フィルメックスで出演候補にと考えていたワークショップ参加俳優たちと映画を鑑賞し、どんな感想や解釈をするかを見ていたんです。深い解釈ができているか、自分なりの解釈ができているかで映画のリテラシーを確認していました。僕の脚本はとても深い部分まで掘り下げているので、普通の読解力ではなかなかテーマを読み切れないですから。瀧内さんにもそこでの反応や好きな映画を探り、僕の作品に合うかどうかを事前に見させてもらった上で脚本を読みたいかを尋ねたんです。
―――瀧内さんの感想は?
春本:とても衝撃を受けたようですが、すぐに言語化するのは難しそうでした。でもすぐに「やりたい」と言われたんです。ただ、僕はまだ彼女の芝居を生で見ていなかった。特に主役ですから絶対にプロフィールや過去作では決めません。そこで梅田誠弘さんに来てもらい、僕の考えたエチュードを3〜4時間やってもらいましたが、即決ではなかったですね。
■凛として自分の中に矜持がある由宇子像
―――それだけ由宇子役は難しいということですね。
春本:脚本を書き終わったとき、正直、由宇子を演じることのできる俳優は日本にいないと思ったんです。それでも撮影するためには決めなくてはならない。もし国際的なキャスティングができるなら、キム・セビョクさん(『はちどり』『逃げた女』)か、ペ・ドゥナさん(『私の少女』『空気人形』)に演じてもらいたかったですね。
瀧内さんには、由宇子はたくましく生きているけれど、粗野ではなく品のある人だということを何度も伝えました。ちなみに由宇子が着ているカーキーのコートは、2012年にシリアでの取材中亡くなった山本美香さんが着用していたコートにインスパイアされたものです。山本さんのように凛として、自分の中に矜持がある。それが由宇子像と重なった気がします。
―――由宇子はテレビドキュメンタリーのディレクターですが、テレビと映画とでは同じドキュメンタリーでも置かれている状況や自由度が全然違いますね。
春本:テレビドキュメンタリーのディレクターは最終的にジャッジする権利がないんです。プロデューサーが結局GOサインを出しますから。一方、由宇子自身も自分のこだわりは出すけれど、うまく実現できていない。それだけ自分の意見を通したいなら、テレビ局という枠を出た方がいいのではないかというキャラクターですね。
―――確かに、由宇子はこのままテレビ業界にいたら、ただ疲弊し、何も納得したものが作れぬまま終わってしまいそうな危うさがあります。
春本:由宇子自身も中途半端です。夜は父が経営する学習塾で講師の仕事もしていますが、彼女はそこにいれば生徒たちに先生扱いしてもらえる。そこでの社会的地位は確立されているので、彼女の中ではバランスが取れていたんですね。
■カメラが持つ二面性
―――カメラを向けるということは、とても暴力的な意味も時には含まれます。本作では由宇子が度々取材対象者や、ある事件を起こした父親にカメラを向けますね。
春本:カメラは記録する道具で、そこにあるものをそのまま記録し、残すものです。カメラを回さなければ水掛け論もできますが、カメラを回すとそれは通用しない。そこで発言する側は、よほど慎重にならなければいけない。踏み絵を迫られるようなものです。片や、良い意味で言えば、あなた方が虐げられている状況はきちんとここに残りますと。これをきちんと世に伝えるという方向で使うこともできるわけです。
―――ただそこには必ず編集という作業が入るので、フィクション(作りもの)になってしまいます。
春本:編集する際に作為が入るので、だからこそ届ける側の矜持がないと被写体を傷つけてしまう。ただその矜持も固定されるのではなく、自分自身の矜持を疑う目を持っていなければいけない。由宇子の足りない部分はまさにそこにあります。自分の思いに走りすぎているのです。
―――本作はフィクションですが、リハーサルを重ねることで、本番ではフィクションを超えたリアルな感情が俳優から浮かび上がる瞬間もあるのでは?
春本:本番で大事なのはそれまでやってきたことを覚えているようでいて、全部捨て去ることです。脚本のセリフやト書き、リハーサルでやってきたことをなぞった瞬間、それは単なる再現であり、表現ではなくなってしまいますから。それらは感覚として残してもらい、現場の撮影では役として生き、役として相手に反応する。その瞬間を僕は切り取ろうとしているのです。現場では技術部のために動きを見せて準備をしますが、俳優には何度も本番で演じさせるようなことはしません。
―――本当の表現に向けて、俳優たちはリハーサルや本読みを繰り返しているんですね。
春本:脚本に書かれている芝居の9割をOKのレベルまで固めていく。そこからもう少しいけそうだとか、良くなりそうだという部分は宿題にします。クランクインまで数週間あくので、俳優部の皆さんは考えてくるのです。お互いにリハーサル後に考えたことを再度出し合い、一度やってもらってOKなら採用する場合もあります。高崎でほとんどのシーンを撮影しているのですが、その最終日にラストシーンを、一切リハーサルもテストもせず1日で撮りました。
■やりたいテーマから入った『由宇子の天秤』、緊張感の演出は「音楽のように」
―――ラストシーンは最たるものですが、映画全般にわたって緊迫感が途切れず、由宇子のギリギリの判断と、タガが外れていく様子を見事に表現していました。
春本:途切れない緊張感というのは演出によるものですね。最小単位のワンカットがワンシーンになり、ワンシークエンスになって映画になるわけですが、映画を曲として捉えると、曲の中すべてに波があり、その波を自分の中で持っておけば、波を持った上で演出することができる。それがすごく大事で、だからこそ「そこの音程違うよ」「そこの間は違うよ」とジャッジができるのです。それを最小単位からやっていくと、完璧な曲が常に弾かれ続け、それが1本の映画になったとき、壮大なハーモニーが奏でられる。
脚本を書いていても、この間隔でセリフをぶつけるとか、沈黙になるなどが僕の感覚の中にあり、それが積み重なって僕の曲調になる。どの映画監督も、アップテンポが好きな人やバラード、ジャズが好きな人など、それぞれの曲調を持っているんですよ。
―――前作の『かぞくへ』は、ボクシングが題材の一つでもあったので、アップテンポで、体温の高い作品でしたが、本作は一転して非常にクールで重低音が響く感じですね。
春本:『かぞくへ』は実話をもとにしていたし、どちらかといえば王道の演出です。脚本の段階で僕自身がそこを意識しながら書いたのですが、ある意味お客さまを意識しすぎていたんです。今回は僕がやりたかったテーマから入っているのが大きな違いですね。主人公の感情表現も振幅を極力少なくして表現をし尽くす。荒涼とした緊張感のある演出にしたいと思っていました。僕はこれをやりたかったし、そこで人間の本質を描きたかったのです。人間はそんなに完璧なものじゃないし、自分のことを棚に上げて人のことを責める人が増えすぎています。でも、人間はグレーだからこそ面白い。いいことも、わるいこともするのが人間ですから。
―――『かぞくへ』に引き続き出演の梅田誠弘さんが、不器用な父親、哲也役を好演し、ある意味一番共感でいるキャラクターでした。
春本:いろいろと不器用な男です。娘ともうまくコミュニケーションできないし。そんな哲也を体の使い方からすべてその人物になりきってくれました。部屋での身のこなしとか、すべて自分の中からの発露でやってくれているし、本当に信頼している俳優です。
―――物語の中で非常に重要な哲也の娘、萌役を演じた河合優実さんは、しんどいシーンの中にも愛らしさがあり、目を奪われました。
春本:河合さんの表現力は素晴らしかったですね。学生時代から自分自身で脚本を書き、一人ミュージカルをやり、小さい頃から表現に親しんでいるので、想像力がすごいです。エチュードで何かお題を出しても、その状況を完全に自分の中に落とし込み、さもそのように表現するので、僕らは一瞬で信じられるし、引き込まれる。脚本の読解力も素晴らしく、もうそこに萌がいました。
―――ありがとうございました。最後にメッセージをお願いします。
春本:映画『由宇子の天秤』は、ドキュメンタリーディレクターの由宇子がある女子高生自殺事件の真相を掴みかけるところで、彼女の父の衝撃的な告白により、真実を明るみにすることが正義だと思っていた主人公自身の信念が大きく揺るがされるような事態になります。みなさんも普段、当事者ではない安全なポジションから、切り取られた情報に正しい/正しくないのジャッジをしていると思いますが、切り取られた情報の外にある世界に思いを巡らす重要性を改めて考えていただくきっかけになる映画だと思います。ぜひご覧ください。
(江口由美)
<作品情報>
『由宇子の天秤』(2020年 日本 152分)
脚本・監督・編集・プロデューサー:春本雄二郎
出演:瀧内公美 河合優実 梅田誠弘 松浦祐也 和田光沙 池田良 木村知貴 川瀬陽太 丘みつ子 光石研
2021年9月17日(金)より渋谷ユーロスペース、10月1日(金)よりテアトル梅田、アップリンク京都、10月15日(金)よりシネ・リーブル神戸他全国順次公開
公式サイト⇒https://bitters.co.jp/tenbin/
(C) 2020 映画工房春組
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