「東出昌大が佐藤泰志に見えた」『草の響き』斎藤久志監督インタビュー
北海道函館市にある映画館・シネマアイリスが企画・プロデュースを務めた佐藤泰志の小説、五度目の映画化。東出昌大・奈緒・大東駿介といった実力派キャストと映画初出演となるKaya・林裕太・三根有葵の三人が共演した映画『草の響き』が、アップリンク京都(11月11日終了予定)、シネリーブル神戸ほか全国で公開中。シアターセブンでは11月13日(土)より、宝塚シネ・ピピアでは11月26日(金)より公開される。
自律神経失調症のリハビリとしてランニングを始めた男・工藤和雄は、友人や妻に支えられながら、故郷・函館で心の平穏を取り戻そうとしていた。偶然、出会った三人の若者たちとの交流を通して、彼に起きた変化とは……。斎藤久志監督にリモートインタビューを行った。
■佐藤泰志さんの作品に対するリスペクト
――――本作の制作では佐藤さんの小説全般に影響を受けたとお聞きしています。彼の作品群に敬意を払いつつ、脚色を行なったということでしょうか。
斎藤: どんな原作をやるにせよ、まずはその作家の他の作品を含めて読むのが通常のアプローチです。特に佐藤泰志だからどう、ということはないですが、佐藤作品は、ほとんどが彼自身の経験がモチーフになっている。言わば主人公が彼の分身と言える作品が多いです。
面白いのはいわゆる私小説とも違うんですね。例えばこの『草の響き』主人公の人称の書き方は、「私」ではなく「彼」なんです。しかし福間健二さん監修の『佐藤泰志―生の輝きを求め続けた作家』の中の佐藤泰志略年譜によると、実際に佐藤さんが自律神経失調症を患い、精神科医から運動療法として走るように言われて走っていた時期があるんです。
――――脚本は監督の奥様(加瀬仁美さん)が担当されていますが、監督が映像に落とし込む中で大切にしたことはありますか。また、監督が佐藤さんの作品から感じた精神性などがあれば、教えていただきたいです。
斎藤:原作は、小説表現だからこそ出来る”主人公の目線から世界を浮かび上がらせる作り”のため、そのまま映画化しようとするとモノローグ(心の声)を使うしかないかな、と思いました。
映画は人の心を描くのが難しいジャンルだと思っています。映像は物理的なもの(形のあるもの)しか映せません。登場人物が台詞で気持ちを喋るという手もあるのですが、人は嘘をつきます。だから言っていることが本当かどうかその他の行動や表情で現さないと観客には分からない。
その意味で言うとモノローグは手っ取り早く本当の気持ちを伝えられはする。でもそれじゃあ、小説表現を超えられない。そのため、人と人との関係性の中から登場人物の気持ちを見せないといけない。まずは主人公を見守る人物を登場させようと。
それと原作は、東京でひとり暮らしをする主人公が精神を病んでいく物語です。プロデューサー・菅原和博さんからの唯一の条件は函館オールロケーションでした。しかしこれをこのまま函館に移すのは難しいと思いました。生まれ育った地方都市で病んでいくことと、地方から都会に出て来て病むのは違うと思ったからです。
加瀬とは、それぐらいは話した上でとりあえずプロットを作ってもらいました。あげてきたプロットは、主人公の妻を登場させて、一度東京に出て心を病んだ為に妻と一緒に地元に帰ってきた主人公が、自律神経失調症と診断されて走るというほぼ今の設定になっていました。
――――原作を変えたのではなく、佐藤さんの人生を反映したということですね。
斎藤:作品が佐藤泰志の人生と考えればそうですね。小説『草の響き』の中で唯一名前がついて登場する「研二」という主人公の友人がいるのですが、福間健二さんとの出会いをエピソードとして使っているらしいので、加瀬に「福間さんに取材する?」と尋ねたことがありますが、ドキュメンタリーではないから必要ない、と言われました。
加瀬が脚本を作るにあたって他の佐藤作品としては『大きなハードルと小さなハードル』という「秀雄もの」と言われる夫婦の話の連作をこの主人公夫婦の関係性を作るのに参考にしています。スケボー少年の彰の背景は『海炭市敘景』の中の一編『一滴のあこがれ』のエピソードを使っています。それに彰たちの関係は『黄金の服』を参考にしています。
これらは、基本小説の世界を映画に置き換える作業をやっただけだと思っています。略年譜によると、当然ですが佐藤さんが実際の経験と作品化した時期がズレている。そこから想像を巡らせることで、原作では描かれていない物語の先も描いています。あと菅原さんから「アメリカン・ニューシネマみたいにしたい」と言われたのもありますね。
■主演・東出昌大さんの魅力
――――主演・東出さんについても、お聞きしたいです。彼が出演した『寝ても覚めても』では唯一無二のオーラに圧倒されたのですが、今回のラストシーンも彼にしか出来ない名演で驚かされました。本作の制作を経て、監督自身が彼に感じた驚きや発見があれば、教えていただきたいです。
斎藤:初めて彼の事務所でお会いした時には、そのオーラを消して、背の高さを気にしてか前屈みで、喫煙スペースでタバコを喫っている姿がシルエットで見えました。あのルックスです。とてつもなく美しいです(笑)。佐藤泰志作品の映画は、作者の分身とも言うべき人物が登場していますが、その中でもトップクラスでカッコいいと思います。会うまではそのカッコ良さがどう見えるかと思っていましたが、会った瞬間「(この映画)勝ったな」と不遜にも思いました。これは直感でしかないので、説明は出来ないのですが、東出昌大が佐藤泰志に見えたんです。どうやら佐藤さん本人も、かなりモテた人だったそうなので、まあそうゆうことです(笑)。とは言っても東出さんが演じたのは和雄ですがね。
――――現場ではいかがでしたか。
斎藤:東出さんは周到に準備をされていました。特に自律神経失調症に関しては取材していたようです。パニックになった時の震え方とか、髪の毛の状態が(風呂に入ってなくて)ゴワゴワになっているとか。この作品は時間に軸沿ってほぼ順撮りで撮影しているので、本編後半で入る回想での病気によるパニックのシーンが和雄のクランクインだったのですが、通常の和雄の感じもまだ見えてない状態で、どの程度までパニックを出せばいいのか僕にもわからなかった。最初にテストで東出さんに演ってもらったとき、ちょっとオーバーかなとは思いました。
基本的には「なにもしないで、その場にいてほしい」と思っているのですが、このシーンは感情の芝居だけではどうにもならない部分なので迷いました。最初の顔合わせの時に「今回は監督と俳優というヒエラルキーの関係ではなく、共犯者でいこうや」と東出さんと話していました。
その後若者パートのリハーサルは東京で何度かやったのですが、そこにも顔を出して彼らのまだ拙い芝居を見てアドバイスをくれたり、芝居の相手もやってくれました。それから衣装合わせでも色々意見を交わせたここまでの関係性の積み重ねがあったので、彼の提示をどの程度受け止めるかがこの映画のキーになるな、とは思いました。
その時助けになったのは大東駿介です。最初大東さんは、すごく和雄を心配する風に演じていたのですが、「もっとフラットにして下さい」とお願いしました。その大東さんのリアクションの感じで和雄の塩梅が見えてきた気がします。
大東さんはあまりにも自然体なので気がつかない人もいるのですが相当(芝居が)上手いです。大東さんのクランクアップが、和雄の家で飲んで研二が眠ってしまって、起きて帰るシーンだったのです。「じゃあ、また」と言って帰るんです。テストで演ってくれた芝居が本当に何もせずふらっと帰って行ったんですね。大東さんのクランクアップというのもあったかもしれませんが、見ていて泣きそうになりました。
「また」と言っているけど、その「また」が、このかけがえのない二人に本当に来るのかと思ったんです。それで本番に行くと、仕方がないのですが大東さんの芝居がちょっとのるんですね。それをOKにはしましたが、その場で本人に伝えると悔しそうにしていて。ただ、それでも、もう一回やらせてとは言わなかったんです。それがもう二度と出来ないって分かっているんですね。そうゆう俳優です大東駿介とは。
こうゆう状態になれたのは共有していた時間が大きいのかな、と思います。東出さん、大東さん、それに若者3人(kaya、林裕人、三根有葵)は撮影が終わるまでずっと函館にいてくれました。こちらは大人パート、若者パートと二本立てで撮影しているのですが、俳優は片方が撮っている時は片方は休みになる。その撮影のない時間もずっと一緒にいたようです。カメラの外側で作られた関係性に助けられましたね。それは芝居ではないそれぞれが持っている人としての質感みたいなものが重なり合ったおかげだと思います。
奈緒さんは連ドラがあって行ったり来たりでしたが、場所が函館なんで日帰りが不可能だったので結果時間を共有することが出来ました。最初は相手の芝居ひとつひとつに芝居で返していたのですが、呪いのように「芝居をするな」と言い続けたせいもあって、ある瞬間から純子になりましたね。それは物理的な距離感が自然になっていったからです。お互いの感情がどこかでぶつかっていても近い距離にいれるのが夫婦だったりします。奈緒さんの居住まいがそうなっていったんですね。それをそう持っていってくれたのは東出さんと大東さんが奈緒さんを巻き込んでくれたおかげもあります。地方での合宿撮影の強みですかね。
■函館という土地の空気感
――――本作は共有する時間があったからこそ、役者同士しっかりとしたコミュニケーションをとることができ、現地の空気感を吸収することで、自然な人物を構成できたということですね。
斎藤:そうですね。登場人物は函館に住んでいる人たちなので、その点は上手くいったかなと思っています。まぁ、実際には、函館に東出昌大はいないんですけどね(笑)。そうゆう意味では奈緒さんの演った純子だけ函館の人じゃないから、奈緒さんの出入りもバランスとしてもよかったのかもしれませんね。
――――東出さんは物語の中に生きているという印象を受けたので、本当に違和感がなかったです。ただ、お話を聞いていると、現地の撮影では地域の方々のリアクションも含め、大変だったのではないかと思いましたが……。
斎藤:ご飯を食べに行くと「握手してください」と声をかけられるぐらいのことはありましたが、撮影がストップすることなどは一切なかったです。函館はこれまでも佐藤泰志作品だけでなく沢山の映画のロケ地になっていますし、撮影そのものに馴れているせいかもしれません。それとロケ地として観光客が集まりそうな場所を選ばなかったことも良かったのかもしれません。
――――そんな土地柄も、キャストが役に入り込む上で適していたのかもしれないですね。
斎藤:地域の方が役者を似た別人だと勘違いして、気さくに話しかけられるということもありました(笑)。
■若手キャスト陣の起用
――――先ほどのお話でも若者パートについての言及がありましたが、彼ら3人は映画初出演だったそうで、どういう経緯でオファーされたのでしょう。
斎藤:基本的にはオーディションです。小泉彰役のKayaは、たまたま加瀬が見ていたAbemaTVのリアリティ恋愛バラエティ『オオカミちゃんには騙されない』に出ていました。スケボーが必須条件だったので、オーディションに他の子たちの中に混ぜてもらいました。高田恵美役の三根有葵も、加瀬が観ていたTV番組『林先生の初耳学』内の企画『アンミカ先生のパリコレ学』に出演していて、「三根がいいよ」と言う彼女の進言がありオーディションに呼んでもらいました。
三根はあのスタイルです。函館で浮いていますよね(笑)。それが圧倒的に切ない。彼女の居場所はここではない。それを存在だけで感じさせられる。二人ともオーディションでは役者に興味がなさそうでしたが、逆にそれが良かったのかもしれません。今は二人とも役者をやっていきたい、と言ってますが(笑)。
林裕太だけ俳優だったのですが、他の候補の俳優たちの中で一番普通でした。言い方を変えれば下手でした。それが決め手ですかね(笑)。あとで分かったことですが、偶然にも林と三根は中学の同級生だったようで、親同士も知り合いという仲でした。これがこの姉弟の独特な関係に活きていると思います。
――――作品を観ている時、演技に違和感がなかったので、驚きです。
■実体験が反映された脚本
――――脚本執筆時、奥様は妊娠されていたそうですね。脚本も具体的に書ける部分もあったと聞いていますが、例えば、どんなところがあったのでしょう。
斎藤:つわりなども含め、細かいディテールは実際に経験している最中だからこそ書けた部分だと思います。それと元々加瀬は自分に引き寄せて書くタイプなので、このタイミングで主人公の妻を出し、妊娠するというアイディアはそこからきているのかもしれません。
女目線で書いた男の話を再度男側から見つめ直すことも出来ました。ナルシストに病んでいく男の主観は外から見たら単なる自分勝手なわがままに見える。その客観性が良かったと思っています。
それと子供に着せる服を最初に洗濯して干すことを「世界一幸せな洗濯」と言うらしいです。それを加瀬がInstagramで見つけてきた。これで後半の流れはいけると思いました。
つわりが酷かったのと、家にもニコと言う名の甲斐犬と猫2匹(現在は4匹)がいたので、加瀬はシナリオハンティングに行けなかった。こうゆう話なので、行かずに脚本を書くのは大変だったと思います。クランクインの前日に「映画とお腹の赤ちゃんを一緒に育てる特別な10ヶ月間だった。ありがとう。明日からクランクイン、いい作品にしよう」というメールが来て、ちょっと泣きました。
――――最後に今後ご覧になられる方へのコメントをお願いします。
斎藤:より多くの人たちに伝わる映画にするためには説明過多になってしまう可能性があります。そうなると広く浅くなり、薄まっていく面もあると思っています。全てその瞬間に分かる。登場人物たちの感情がひとつであるということですね。
一方で単館系の映画はマスではありませんが、より深く掘り下げることが出来る。あるいは必要な人たちにとって、とても大事な作品になる可能性があると思います。僕はおそらくずっと後者の方をやってきたのだと思います。
しかし今回はキャパシティを広げることはひとつのテーマでした。こちら側のプロデューサー・鈴木ゆたかがずっと言っていたのは『鬼滅の刃』の客にいかに届くかでした。キャストのネームバリューがこれだけ揃った映画も僕としては初めてです。
その意味では佐藤泰志、函館シネマアイリス制作ということも含めて勝負作だと思っています。ただだからと言って急にコマーシャルにはなれない。自分の中ではそのせめぎ合いでしたね。例えば音楽とかもそうなんですよね。僕は作り手が登場人物たちの心の中に勝手に入り込むのが嫌いなんです。だから気持ちに乗せる音楽をつけたくない。それを『鬼滅の刃』のお客さんたちにはどう受け止めてもらえるか(笑)。
もはや死語かもしれませんが「映画的表現」で作られた映画だと思っています。映画的と言えば『アラビアのロレンス』のトップシーン。ロレンスが砂漠の向こうから近づいてくるのをワンカットで見せる。ゆっくりと豆粒のようなラクダに乗ったロレンスが段々と近づいて来る。それだけで僕らは感動していた。でも、これって70ミリフィルムの撮影を大画面で観ているから成立するもので。テレビ画面やスマホで観るのじゃ伝わらないのかもしれない。
音もそうなんです。5.1chサラウンドを初めて意識してやりました。今回は音場(音が存在する空間)を作りたかった。北海道っていうのもあったと思いますが、効果音も含めて音楽として狙っています。だから劇場で是非観てほしいですね。5.1chサラウンドって配信やDVDじゃ潰れちゃいますから。
それと函館に行って感じたのは菅原さんもそうであるように、上京してもUターンしてくる人が多い街だということ。おそらくそれぐらい住みやすい街でなんだと思います。空港から中心地までが凄く近い。海と山と街が、全てがコンパクトにまとまっている。
あとどこにいても海が凄く近く感じましたね。この海が晴れていると希望に見えるのですが、どんより曇ると死にたくなる。一般的イメージの異国情緒ある函館とは違う函館がここには映っています。佐藤泰志はこれを見て育って、その作品群を産んだんだなと思いました。そして佐藤さんもここから逃げて、最後は『海炭市敘景』という函館を模した架空の街の話を書いている途中で自死した。その意味で言うと函館というのがもう一人の主人公でもあるんだと思います。それも本作の見どころかもしれません。
――――お話を聞いて、また、作品の見え方が変わりそうです。
斎藤:もちろん、それぞれの解釈で楽しんでいただくことが一番です。こういうことを監督が言って、答え合わせになるのも違うとは思うので。この映画を観たお客さんの感想から、僕もこの作品の新たな一面を発見していきたいと思っています。
観たらTwitterでもなんでも発信していただけると嬉しいですね。例えそれが悪口だとしても。
でもこう見えて、結構打たれ弱いのでお手柔らかにお願いします(笑)。
(大矢哲紀)
<作品情報>
『草の響き』
2021年/日本/115分
監督:斎藤久志
脚本:加瀬仁美
原作:佐藤泰志
出演:東出昌大、奈緒、大東駿介、Kaya、林裕太、三根有葵、利重剛、クノ真季子、室井滋
アップリンク京都(11月11日終了予定)、シネリーブル神戸ほか全国で公開中。シアターセブンでは11月13日(土)より、宝塚シネ・ピピアでは11月26日(金)より公開。
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