自然とともに生きるアマゾンの先住民、シュアール族の暮らしと伝統を情感豊かに描く『カナルタ 螺旋状の夢』太田光海監督インタビュー


 アマゾンにある先住民、シュアール族の村で、自然と共に自給自足する人々の暮らしやその人生哲学に迫るドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』が、11月19日(金)より出町座、11月20日(土)よりシネ・ヌーヴォ、元町映画館にて公開される。


 監督は、イギリス・マンチェスター大学で映像人類学の博士号を取得した太田光海。卒業制作として1年間アマゾンに滞在し、村で住み込み、現地住民と信頼関係を築きながら、今までにない視点で自然と共生するシュアール族の姿を躍動感あるカメラワークで捉えている。主人公であるセバスティアンの「自然が破壊されるということは、自分が破壊されること」と常に自然の声を聞きながら、現代社会に警鐘を鳴らす姿は胸に手を当てたくなる。自らの感覚を信じて、自然の中で探求を重ねるセバスティアンや、妻で村長のパストーラをはじめ、コミュニティの強いつながりに人間の知恵もにじむ。自然との向き合い方、人生に必要なものについて思考を巡らせたくなる、唯一無二のドキュメンタリーだ。


 アマゾンでの1年で、自分の中の全てが変わったという太田光海監督にお話を伺った。


■劇場公開のきっかけは、元町映画館支配人林さんの「当館で上映させてほしい」

―――初長編の劇場公開おめでとうございます。ちょうど1年前に元町映画館で試写上映をされています。

太田:大学時代の恩師、神戸大学大学院国際文化学研究科の小笠原博毅先生が、せっかく映画ができたのなら上映してはどうかと声がけしてくださり、繋がりのある元町映画館2階のイベントルームで試写会を行いました。言ってしまえば学生映画ですし、全国で劇場公開することなど全く考えていなかったのですが、小笠原先生は多くの方に観ていただけたらいいのではないかとおっしゃってくださっていたんです。


―――映画祭に出品されていたので、劇場公開を最初から目指していたのかと思っていました。

太田:イギリス留学時代に一緒だった映像人類学のクラスメイトも劇場公開を目指せるとは誰も思っていなかった。世界に目を向けると星の数ほどある映画の中で、ミニシアターで上映されるのは本当にごくわずかですし、まず想像していなかったのです。僕の場合、試写会で元町映画館支配人の林さんが作品をすごく気に入ってくれたのが非常に大きかったです。それまで映画業界の人や映画ライターに作品に見せたことはなく、もっぱら人類学者などの研究者の方々ばかりでした。そこでは僕が想定していたのとは違うアマゾンの専門家としての観方をされ、賞賛もありましたが、批判も多かったんです。


―――具体的にどういう指摘を受けたのですか?

太田:長回しが多いとか、シュアール族の社会的な情報が欠如しているなど、一般的な民族誌映画の枠にはまっていないと。経験のある先生方ですから、若造が頑張って作ったけれど、まだ力不足という感触だったのでしょう。でも林さんは人類学など関係なく、ひとつの映画として観たときに、とても面白いと言ってくださった。劇場公開ができるレベルだし、もしするなら当館で上映させてほしいと1年前に言ってくれたことが僕にとって自信になりましたね。



■東日本大震災が新たな探求の旅のきっかけに

―――少し遡りますが、パリ留学中に東日本大震災や福島第一原発事故のことを知ったことが、文化人類学研究の道へ入るきっかけになったそうですが。

太田:自分も含め、人々が自由である社会が望ましいし、根底的にそこを目指しています。最初パリではイスラム系移民やアフリカ系の子どもたちがフランス社会でどう適応していくのか、そこでの差別やそれを乗り越える行為について研究し、それを通して、この世界でより個人個人が自由でいられる方法を考えたいと思っていました。でも東日本大震災でその前提自体が狂う可能性がある。つまり全員が一瞬で死んでしまう可能性があることに気づいたのです。移民の研究以前に、まず自分たちの環境や周りの土地と、どうやって関係を作っていけばいいのかを考えなければ、自由云々の発想などできないと思った。そこからガラリと研究テーマを変えました。


―――なるほど。研究の前提となるものを見直し、もっと根源的なところに目を向けるようになったのですね。

太田:パリで大学院を出てから1年間フリーランスになり、研究計画をゼロから組み立て直しました。それと同時にシネマテーク・フランセーズに通うようになったのです。当時僕は日本人コミュニティと距離を置いていたし、パリ在住の他の外国人もそれぞれの国のコミュニティで仲良くやっている状態だったので、本当に孤独でお金もなかった。だから、1ヶ月10ユーロ(約1300円)で映画を1日5〜6本見放題のシネマテーク・フランセーズに入り浸っていました。時代もジャンルも国も全部バラバラだし、1日中時間が潰せる。研究以外そこに入り浸り、自分の中にどんどんイメージが溜まっていきました。


―――それまでに映像への興味は芽生えていたのですか?

太田:20歳ぐらいからフィルムで写真を撮っていたのですが、パリで移民研究のフィールドワークをしながら、1眼レフカメラで動画を撮り始めていました。本当に撮るとなれば資金面、スタッフ面など考えることが山ほどあるけれど、実績がないので助成金を得るのも難しい。なんとかして自分の強みを活かし、お金をもらいながら映像を撮れる道を模索したところ、イギリス・マンチェスター大学の人類学の延長線上にある映像人類学なら、卒業制作としてドキュメンタリー映画を作ることができることがわかった。通っていた大学院は高レベルで、成績も良かったため、奨学金をもらえればそのお金をアマゾンでの撮影に充てられるという目算もありました。映像人類学自体が実験的な映画のジャンルで、ジャン・ルーシュやゴダールもそうですが、あえて手持ちカメラで少人数スタッフ、予算で撮るスタイルですから、独自のやり方で撮れるという気持ちもありました。



■人類学の最前線はアマゾン。「人間と自然が一体となっている世界観の民族から学ぶ」

―――現地入りする前に、どれぐらいアマゾンや先住民のことを調べていたのですか?

太田:どの種族に密着するかは決めていませんでしたが、アマゾン全体の文化的な特徴や、それが今どのように論じられているのかは何十冊か本を読んで調べ、自分はどんな問題提起をするのかについて、40ページぐらいの小論文(研究計画)を1年目に作成しました。

実は5年前、すでにアマゾンは人類学の最前線と言われていたんです。地球環境が危機に瀕しているという前提がある中、単にSDGsのような政府目標を作って達成を促すという話ではないと人類学者が問題提起をしていたのです。人間たちは自然から資源をもらうと考えているけれど、それは自分たちが主役で、自然を絶やさないように使うという意識でしかない。その前提がおかしいという議論が起こっていました。当時僕がいたヨーロッパの人たちとは違う、人間と自然が一体となっている世界観の民族から学び、考え方を根本的に組みなおさなくてはいけないという意識から、アマゾンが注目された訳ですね。


―――なるほど。まさに今やSDGsという言葉だけが一人歩きし、自然環境に対する意識が大きく変わったとは言い難いですが、人類学者の中ではそこに異議を唱える一方、学ぶべきところとしてアマゾンが脚光を浴びていたのですね。

太田:それまでのアマゾン研究では、神話にフォーカスしたものが多かったのですが、僕は食や薬草などの日常的なものから彼らと森との関係を調べたら、より具体的で面白いのではないかと問題提起しました。


―――ほとんど知り合いがいない状態でエクアドルに入り、主人公のセバスティアンやパストーラに出会うまで、時間がかかりましたか?また初対面の印象は?

太田:エクアドルに入って1ヶ月以内には出会えましたね。首都からセバスティアンの住む村まではバスを乗り継いで最寄りの町まで10時間、そこから乗合タクシーを乗り継いで2時間、最後は30分ぐらい歩きました。初対面のセバスティアンは結構思慮深かったです。人を介して僕としゃべる感じで、直接話はできなかったです。



■自然環境が野生かどうかと、そこに住む人たちが持つ知識は別問題

―――どの時点で映画を撮りたいとか、住まわせてほしいと申し出たのですか?

太田:その後、村に3泊したのですが、とても興味深く、印象も良かった。撮影への手応えを感じつつ、一旦近くの町に戻り、シュアール族以外の民族にも会いに行きました。その村よりもさらに奥地にも行くと、また違う意味で凄い森だったんです。ずっとサルの鳴き声がしていて、すぐにジャガーなどの猛獣が出てくる可能性がある。そこはキチュア族の村でしたが、それだけ原始的な環境にあってもシャーマンがいないし、アヤワスカはもう飲まないというのです。自然環境が野生かどうかと、そこに住む人たちがどういう知識を持っているのかは全く別の話であることに気づかされました。

 セバスティアンの村は、もう狩りをする動物は多くないけれど、薬草の知識は皆持っているし、みんなアヤワスカを飲んでいて、奥地の人よりある意味伝統的な生活をしているんです。


―――確かに、伝統を継承したいという思いは、特にセバスティアンからヒシヒシと伝わってきました。

太田:その感覚は、村によっても違うし、個人によっても違うことがわかってくると、セバスティアンが特別な人ではないかと思い始め、覚悟を決めて、改めて撮影のお願いをしに行きました。結局1ヶ月ぐらい時間を置いたことになりますが、すぐに快諾してくれました。セバスティアンも映像で残したいことがたくさんあったのだと思います。


■映像に感情が宿るものを求めて、早い時期からカメラを回す

―――1年間滞在をするなかで、撮影するまでに現地の生活に慣れたり、様々なウォーミングアップをどれぐらいしたのですか?

太田:明確にわけてというより、いろいろなことが同時並行で行われるという感じでした。新しいカメラを持って行ったので慣れるためのテストシューティングをと、着いてすぐに、カメラを持ちながらセバスティアンと一緒に森を歩く日を作ったんです。そのとき、急にセバスティアンがシュアール語で訴えかけてきた。僕はまだ言葉がわからなかったけれど、とにかく彼について行き、彼の動きにカメラを合わせながら撮りました。その画が思った以上に良くて、本編にも入れています。

 

―――ファーストショットで、そんなにいい画が撮れていたとは知りませんでした。

太田:僕の基本的な姿勢として、映像に感情が宿るものを求めていました。完璧な画角からというより、多少カメラがブレてもいいから、彼らの感情を映したいし、僕もすごく面白いと思いながら撮る状態を目指していました。それをするためには、彼らに何度も同じことはさせられない。だから、初めての瞬間を捉えていこうと、あえて早めにカメラを回し始めました。それと同時に、カメラを持っているけれど撮らない日も作り、カメラに慣れてもらったり、カメラを置いて彼らと同じ作業を僕もやったり、世間話や個人的な話をしたり、それらを同時並行でやっていきました。研究として来ているので最初から1年間滞在することは決まっていましたね。



■日本の飲み会文化に通じるシュアール族のチチャ

―――そして、映画で度々登場したのが、各家で女性たちが唾を吐き入れながら大鍋で作るチチャという飲み物です。相当大事な飲み物だと感じましたが。

太田:まさに社会生活の根源と言える飲み物で、日本の飲み会文化にちょっと似ているんです。例えばヨーロッパはパブでも自分が飲みたい分だけ注文し、帰りたいときに帰るフラットな関係ですが、日本の飲み会は逃げ場がないというか、密閉した空間で、お互いに注ぎ合ったりします。日本人にとって、結束感や社会的な結びつきを強めるのに重要な文化だと思うのですが、シュアール族にとってはチチャがそれに当たるわけです。ボウルに入ったチチャを回しながら、「お前、もっと飲めよ」みたいな感じで、みんなで飲み、作業をすると楽しいんです。唾液の中のアミラーゼに発酵作用があるので、発酵飲料でありかつアルコール飲料でもありますね。


―――アルコール飲料なのに、昼間から子どもも含め、コミュニティの人たちがみんな集まって飲んでいましたね。その様子が本当に楽しそうでした。

太田:男たちは力仕事をするので、妻たちにとって森でいかに働いてもらうかがすごく大事で、それが生活のクオリティに繋がります。だから彼女たちはチチャで気持ちよく酔って仕事に励んでほしいわけですが、すぐベロベロに酔っぱらってしまうので、いかにいい感じに酔って、飲みすぎないか。その間のラインを狙うわけです。実際、僕も一緒に作業をしたときにチチャを飲みましたが、楽しくて、ただ酔っ払って帰ってきた日も何度かありましたね(笑)



■執着しない、束縛しない考え方

―――さじ加減どころか、仕事中に飲むな!と言いたくなりますが(笑)家族よりも大きいコミュニティという単位で暮らしているんだなと実感しました。

太田:自分の子どもが誰という概念すら薄いですね。たとえばシュアール族の親は、子どもに何も告げず、突然数日いなくなることもよくあるんです。その間、子どもたちは別の家に行くし、親を探すことにもならない。ただ子どもたちにご飯を食べさせ、寝床を与えるんです。執着しないということに関して言えば、タンスもないので、物をしまうという概念がない。だから持ち物はとても少ないし、いつ誰が持っていってもおかしくない。全てがいつどこにいってもおかしくないし、それはしょうがないという考え方なんですね。


―――セバスティアンは自ら薬草を研究し、実際にそれを使って治療するシーンも度々登場します。科学的ではないけれど、自らの体を使って見極めていく姿が印象的でした。

太田:僕は、科学の本当のはじまりの姿だと思っています。人類の誰かがまずは試すわけで、食べるというレベルから始めるしかない。セバスティアンの基本的なロジックの組み立て方は結構科学的で、いろいろな植物と比較しながら見極めています。彼は「とにかく分析をするんだ」とよく言っていたのですが、論文にはなっていないけれど、自分の身ひとつで様々なことを実証しています。



■『万引き家族』からインスピレーションを得て、ラストを変更

―――撮影後の編集は、大学のメンバーにも見せ、意見をもらったそうですが、その経緯について教えてもらえますか?

太田:まずは35時間の素材を全て観て、ノートにそれぞれのカットのテーマや写っているもの、行けるかどうかをメモしていきました。映画はシークエンスの連続なので、入れたいシーンをシーンごとにいくつか並べ、そこで何を語ろうとする映画なのかが浮き上がってきたときに、それを肉付けするいろいろな要素を細かく組み込んでいきます。途中で怪我するシーンを入れるかどうかも迷いました。そういうショッキングなシーンはこの映画に必要なのかを真剣に考え、結果的には入れましたし、あのシーンにつながる伏線として、子どもが鉈を持って切っているところは、刃物の危なさが見え隠れしています。

 また夢を語るシーンはパストーラとセバスティアンそれぞれが語る対の構造になっているのですが、僕はこの映画全体的に対の構造を取り入れて編集しています。見開き構造のような形にし、螺旋的な動きに見せられたと思っています。

 ラストシーンについてもいろいろな意見が出ました。終わりそうだと思ってから、フェイドアウトするまでが長いという意見もあったのですが、これは是枝監督の『万引き家族』からインスピレーションを得ているんです。マンチェスターで編集中に観たのですが、終わったと思ったら、別次元の話に変わっていく。こんな持って行き方があるのかと思い、すっきり短めで終わらせるバージョンではなく、現在の形に変えました。


―――最後に、これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いいたします。

太田:この映画は学術的なバックグラウンドや、映画としての表現のチャレンジもありますし、東日本大震災以降の僕自身のパーソナルな探求の結果でもあります。ご覧になる方々、それぞれの感性、考え方、生き方によって受け取り方が変わるので、皆さんが持っている感覚を浮き彫りにしていただければと思います。

 そして、自分たちを取り囲んでいる周りの環境がどのようにできてきて、それとどのように関わってきたのか。これから関わりを持ちうるのかという距離感をもう一度問い直すきっかけになればと嬉しいです。

(江口由美)




『カナルタ 螺旋状の夢』(2020年 イギリス=日本 121分)

監督・撮影・録音・編集・制作:太田光海

出演:セバスティアン・ツァマライン、パストーラ・タンチーマ

公式サイト⇒https://akimiota.net/Kanarta-1 

※11月19日(金)に出町座、11月20日(土)にシネ・ヌーヴォ、元町映画館にて太田監督舞台挨拶、11月27日(土)に元町映画館にて太田監督と小笠原博毅さん(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)のトークショーあり

 (C) Akimi Ota