『未来を花束にして』その闘いは、今も世界のどこかで続いている

目つきはキリリとしたものの、ラベンダ-色を背景色にし、花まであしらって『未来を花束にして』というタイトルだと、何も知らなければ文芸もののようなイメージを受けるかもしれない。イギリス、ロンドンで今から100年以上前に参政権を求めて活動を続けた女性参政権論者たち、そして彼女たちに共感し、全てを捨ててでもその闘いに身を投じた女性たちの物語。原題は『SUFFRAGETTE』(女性参政権論者の過激な活動家)で、50年もの間平和的な活動を行ってきたものの、男性が取り仕切る政府からは一向に顧みられることなく、弾圧を受けるばかりだった彼女たちが、ついに武力行使に踏み切ったあたりから、世界がようやくこの活動に注目する事件が起こるまでの闘いが丁寧に描かれていく。


マリー・キャリガン演じる主人公、モードは最初は投石をして「女性に参政権を!」と叫ぶ同僚の女性を驚きの目で見ている側だった。母親が過労で早死にしてから7歳でアルバイトとして、10代で正社員として働き、工場長に”可愛がられた”屈辱を経て、今も働きながら夫と子どもと3人で暮らしている庶民の女性だ。参政権など考えもしなかった彼女が、体調を崩した同僚の代理で証人となったとき、もし参政権があればと問われて答える。


「別の生き方があるかもしれない」


彼女たちにとって、参政権を得ることは、人生を変えるぐらいの力を得ることであり、政府、警察にとって女性が参政権を持つことは、不適切以外の何物でもなかった。運動を広め、世に知らしめるために、無人の場所を狙って爆破攻撃をしかけるも、新聞は取り上げようとせず、逆に彼女たちの顔写真が掲載され、生活の場で居場所を失っていくばかり。政府の顔色を見ている報道があてにならないのは、今も昔も変わらない。何度投獄されても、そして我が子を失うことになっても、警察側から取引を持ちかけられても、モードはもはや強い信念で勇気ある反逆者となっていく。


「法を破るのではない。法を作るのだ」


メリル・ストリープが女性参政権運動で実在したカリスマ的リーダー、エメリン・バンクハーストを演じ、警察の厳戒態勢を縫って行われた演説シーンでは「言葉よりも行動を」と集まった大勢の女性たちに訴える。この説得力もハンパない。エンドロールでは各国の女性参政権が施行された年が、時系列に映し出される。直近では2015年サウジアラビア。そして、まだ今も女性が参政権を持っていない国があるのだ。当たり前のものを当たり前と思わず、未来に繋げるのが私たちの役目。そして闘ってくれた先人に敬意を示す。本当に襟を正されるような、力強い作品だった。それだけに、日本版のビジュアルとタイトルのアンマッチが残念でならない。