「よくわからないものにも魅力がある」『あらののはて』長谷川朋史監督インタビュー

    俳優や舞台演出などを手がけるメンバーが結成した自主映画制作ユニット・ルネシネマ。その長編第2作『あらののはて』が12月17日より、京都みなみ会館にて公開されている。

   門真国際映画祭2020では最優秀作品賞を含む三冠に輝き、うえだ城下町映画祭第18回自主映画コンテストでは審査員特別賞(古廐智之賞)を獲得。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020、日本芸術センター第12回映像グランプリでも入選を果たすなど、高い評価を受け、劇場公開へと至った本作。



今回は、そんな本作のメガホンを執った長谷川朋史監督にインタビューを行った。美しい映像表現と共に、一風変わったラブストーリーが描かれる本作について、その着想や映像へのこだわり、演出家ならではの演技論についても伺った。



■着想について

――――鑑賞後にパンフレットを買われる方が多かったと聞き、観た方の満足度は高い作品なんだなと思いました。僕自身も"過去に見たことのないタイプの映画"だと衝撃を受けたのですが、本作の着想について、お聞きしたいです。

長谷川:映画作りは本作で2度目ですが、前作で「これ長谷川じゃなくても撮れるよね」と言われたことが一つの出発点になりました。デビュー作(オムニバス映画『かぞくあわせ』の一編『左腕サイケデリック』)では、これまでに手掛けた演劇作品と異なり、純粋な娯楽SFを目指したのですが、周囲のリアクションは賛否両論。



劇の演出と映画の監督は別次元のため、そもそも同じ事をしようという考えはなく、「エンタメにしてほしい」というメンバーの意向もあったため、自分が請け負う気持ちで作っていた部分もあったのかもしれません。

その経験から映画作りとは「自分らしさを出すこと」だと思うようになり、ちょうど次の作品を作るチャンスが回ってきた形です。

ただ、「自分らしさ」という部分が薄いのも自覚していて、個性的な作品という意見は頂きますが、自分を装っているというか、「個性的な作品にしよう」という作意があったのも事実です。その結果、昔の仲間からは嗜好の強い描写をいじられましたが。(苦)

個性は、自分から滲み出るものと作って出すものがあると思っています。

本作はどちらかというと後者の方で、自分が描く監督像をイメージして撮ったら、こんな感じになりました。


――――嗜好の強い描写という点では、冒頭で「女子高生が噛んだガムをクラスメイトの男子が食べる」というシーンが強烈でした。あのアイデアはどこから生まれてきたのでしょうか。

長谷川:ある程度、衝撃的なシーンを入れたいという思いが念頭にありました。

自分は80~90年代に美術大学で映像を学んでいたので、周囲に過激な描写を好む作家さんが多かった。自主映画ブームで園子温監督がバリバリに8mmカメラを回していたので、その影響も強いのかもしれません。性的な描写に関しては多くの人が実体験として経験し、考えるものだと思っています。ただ、映画になると、事件性を持たせたり、ショッキングな表現で性の内側や傷について描く作品が多く、今回は「青春の思い出としての性」といった普遍的なものを目指しました。近年は数十年前と比べ、少しエッチな映画や不思議な映画というものが減ってきています。そういう映画を見て育ってきた世代としては憧れがあるので、そこは隙間のジャンルとして注目してもらえるかなと思いました。


――――園子温監督の作品になると年齢制限のかかる作品も多いですよね。本作は、視覚的に過激な表現は抑えつつも、性的な部分を含め、かなり、工夫がなされているように感じました。その点はどのように演出しましたか。

長谷川:物語や設定などで、自分が嫌悪感を抱くようなことは避けようと思いました。

そのため、犯罪者を含め、嫌な人が出てこないというのは見てくれた方からもよく言われましたね。


――――確かに、本作の登場人物は変わり者だらけでしたが、そこに人としての魅力があったように思います。さきほど、デビュー作の短編では「自分らしさ」が出ていなかったとおっしゃっていました。周囲の方が持つ監督のイメージとはどのようなものなのでしょうか。

長谷川:面と向かって、それを言ってくれる人はなかなかいないので難しいですが、昔からの演劇仲間であるしゅはまはるみや藤田健彦からは「長谷川のは芝居っぽいよ」と言われることがあります。

「よく分からないけど面白かった」という感想をいただくことも多く、そういうところが大きいのかもしれませんね。

僕自身のキャラクターや監督像という点では個性が薄く、特別尖ったことも言っているわけでもないのですが。

ただ、藤田健彦からは、本作の制作中に「1作目の短編みたいな、みんなが喜ぶ作品を作ればいいのに」と何度も言われるし、エンタメを作っていきたいのかどうしたいのか、今後の方向性は、なんとなく、よく分からないです。(笑)


■賛否両論の内容について

――――僕は見終わった後に「何かすごいものを観たぞ」という満足感がありましたが、レビューサイトでは苦手という感想を持っている方も多いようでした。好き嫌いがハッキリ分かれるタイプなんだなというのは、後から知って驚きでした。

長谷川:好き嫌いが分かれるという部分に関しては、本当に言わせてほしい部分があります。笑

というのも、オムニバス映画の一編だったデビュー作の短編は、映画祭に出品したものの、16連敗で。

悔しかったので、たまたま知り合った審査員の方に理由を聞いたのですが「自主映画ってそういうもんじゃないんだよ」と言われたのが心に残っています。

「観客は、まずこれを自分が見つけた。だから他の人にも見てもらいたいという心理で見る。楽しみを共有するものではなく、自分がこれを世に出すんだと使命感を持つような作品じゃないとダメだ。そのためには完成しているよりも、ツッコミどころがあった方が良い」と。

すごく悩んだのですが、自分の道として、人に作品を見てもらうのは映画祭しかないなと思いました。

映画界隈の人と関わるチャンスもないため、自分にとっては、作品をポートフォリオにした営業だなと。

なので、穿った言い方になりますが、少し変な監督を装いながら、個性をマシマシにして、注目させることを念頭に計算して、本作を作ったのは事実です。

なので、観た方に「どうしても監督がこれを作りたくて撮った」と思われると、ちょっと違うかなとは思います。

ただ、根幹にある自分自身の変態性や思想については滲み出ている部分はあると思いますし、服を脱いだような恥ずかしさもあり、複雑な心境ですね。



――――なるほど。今の話を聞くと、デビュー作からの変化に腑に落ちる部分がありました。特に、近年の自主映画・小規模作品は、SNSの盛り上がりが大きいですよね。『カメラを止めるな!』や『ベイビーわるきゅーれ』といった作品は顕著な例ですが、個性的なキャラクターから二次創作が生まれる作品が注目される傾向にあると思います。少し話は逸れましたが、結果的に『あらののはて』は多くの映画祭で評価されることになりました。

長谷川:ただ、僕自身、豆腐のように繊細なメンタルなんですよ。強気な監督は賛否どちらの意見でも受け入れると言いますが、僕は批判コメントを見ると、何日かそれが頭から離れなくなってしまうタイプで。

きついコメントを見ると、必要以上に落ち込んでしまうので、見ないようにはしています。


――――そうですよね。レビューサイトは、結構、残酷ですよね。

長谷川:本当に容赦ないですよ。


――――自主映画はレビュー数も少なく、一人一人の発言の重みが大きいため、他の人の意見に飲み込まれやすいですからね。


■撮影のこだわりや引用について

――――個性という部分では、本作の撮影が印象的でした。画面構成や色合いなど、監督自身が撮影をされているとのことですが、この点に関して、これまでに影響を受けたものはありますか。

長谷川:80~90年代のヨーロッパ映画やアメリカ映画、アメリカンニューシネマやヌーヴェルヴァーグと言われるような作品ですね。特に、ジム・ジャームッシュやレオス・カラックス、80年代後半の監督が好きです。映画の実体験としては、大学時代、田舎から東京に出て初めて接した映画が、表現の最先端みたいなイメージで、おしゃれ文化として紹介されていました。

なので、 懐古主義的に、その頃の映画のイメージが強く残ってるんだと思います。


――――ちょうど、上京した時期がミニシアターブームの真っただ中だったわけですね。

長谷川:フランス映画社が配給を始め、ヨーロッパのインディペンデント映画が国内で上映されるようになった頃です。


――――作り手によっては分かりやすくオマージュされる方もいますが、監督の映像は、過去に観た作品の蓄積が自己表現として生まれ変わっている印象を受けるので、そこが新鮮でした。引用という点では、劇中で映画『カサブランカ』についての言及がありました。藤田健彦さん演じるカサブランカ先生が、英語の授業でセリフを引用していますが、このアイデアはどこから生まれてきたのでしょう。

長谷川:映画の中で映画を扱うのをやってみたいなという思いと、映画のことを熱く語っている人って面白いなという思いがありました。なにより、びっくりするのは、映画には時空が存在しないという事ですよね。

例えば、『カサブランカ』に関しては、1943年に公開された映画にも関わらず、今見ても全く古びていない。

つまり、昨日公開された映画も50年前に公開された映画も、昨日出会ったのであれば、昨日の映画なわけです。



そういう意味で『カサブランカ』はすごく面白い作品と言えます。

戦後の日本で公開された映画ではあるものの、ラブロマンスや不倫、戦争、アクションといった要素が詰め込まれている。

自分自身、それを知って衝撃を受けた経験があったので、本作を見て『カサブランカ』に興味をもってくれる人がいればいいなという思いで、引用しました。

ちなみに、カサブランカ先生役の藤田健彦には、『カサブランカ』の英語の教材テキストを渡して「これで授業してくれ」という風にお願いしたんですよ。なので、英語の授業は全てアドリブです。


――――そうなんですか。では、冒頭の一連のくだりは本人の即興ということですか。

長谷川:そうです。『カサブランカ』を観た彼が嬉々とした表情で作品の素晴らしさを語りだしたので、これはいけるなと思い、アドリブでお願いしました。

このような演出は、本作そのもののアプローチにも通じています。

というのも、本作は、キャストの演技に対し、演じるための目的や大きなオチがないので、その時間、その出来事を生きることを大切にしてもらっています。

実は、演劇時代、俳優の逆算した演技には違和感を覚えていました。

演劇は同じことの繰り返しなので、役者にとって演技は過去の出来事の再現になってしまう。

そして、結末を前提に心情を考えた演技は、全てを予定調和に向けてしまい、作品をつまらなくしてしまう。

なので、それを防ぐためにはどうしたらいいかということを一生懸命考えていました。

例えば、怒っている演技をする時に、その理由を考えないようにしてもらう。

役者は拠り所がないと不安なので、普通は怒っている理由を作りたいと思います。

感情を自己演出して、効果的に見せようとしてしまいますが、それは、すごく嘘っぽいので、もうこれはドキュメンタリーですよと思ってもらう。段取りっぽく見せないとか、ちょっとリアルに見せるためには、それが有効だなということは分かっていたので、今回はその演出論みたいなものを活用しました。


――――なるほど。

長谷川:本作は不思議ちゃんの話ですが、彼らがなぜそうなのかと言うと、行動に裏付けがないんですよね。

理由があって行動するとか、自然な流れがあって感情が発露するとか、そういうものがないから、不思議ちゃんなわけで。

だからこそ、結局、理解できないし、よくわからないし、知りたいと思う。



不思議ちゃんを演じるためには、自分が発言する理由を考えたらだめだし、会話とかも噛み合っちゃいけない。

上手な役者は不条理な会話でも与えると、ちゃんと作って噛み合わせようとしちゃうので、特に主演の二人にはそうならないようにお願いしていました。

ただ、風子役の舞木ひとみさんは、もともと不思議ちゃんな部分がある方なので、そこを演技に活かしてもらいました。


――――現実でも思っていることと行動が相反してしまうことってあるのかもしれません。

長谷川:ただ、近年は、映画の中でも整合性や辻褄について、つつかれる場合が多く、それに対する自分の反抗心もありました。とにかく、「よくわからないものにも魅力がある」ということは声を大にして言いたいですね。よく分からないと言われることが怖いからとサービス過多になって、理解できないところがないように作品を作らないといけない。そんな強迫観念があるからこそ、あえて分からないと言われてもいいという思いで作っています。もちろん、それをすることは、すごく怖いのですが。


――――大多数に伝えるためには分かりやすさを大切にすべきという考えもありますが、そこに寄ると、自身のクリエイティビティや自己表現が制限されてしまう場合もあるかもしれません。

長谷川:二極化してますよね。

本当にやりたい作品がある作家さんは軸が決まっているので良いと思うんです。

ただ、そうじゃない監督さんは、すごく悩んでいると思います。

受け入れてもらいたいという気持ちと「自分らしさ」というものとの間の駆け引きがあり、結局は自主映画でも日和った作品になってしまうというのはすごくよくあること。否定的なコメントを言われると傷つきますからね。笑


■音楽の魅力について

――――今回の作品は、音楽も印象的でした。どういう経緯で選ばれたのでしょう。

長谷川:全て、実際に存在するアーティストさんのアルバムから使用権を利用する形なので、サイトで楽曲を探しました。

今回のIan Postさんは、現代音楽の作曲家・プレイヤーで、日本人の情緒にすごく近い作家さんだなと曲を聞いていて気付きました。物寂しさ、もの悲しさといった部分は久石譲さんにも似ているのかもしれません。

特に、今回はシナリオの段階から彼の曲だけを使おうと考えていたので、冒頭で流れるブラジル国歌も彼の編曲になっています。

ちなみに、その場面ではブラジル国歌から推し広げて、ブラジル映画を上映しているという設定にしており、このように曲ありきのシーンもありました。


――――オムニバスの短編『左腕サイケデリック』の音楽はハリウッドの大作映画風でした。音楽だけでも作品のカラーは変わるんだなと実感しました。

長谷川:自主映画の監督さん含め、皆さんは、どのように曲を選んでるんですかね。

ただ、音楽は映画の個性を作る大部分を占めていると思うので、今回、Ian Postさんの曲と出会えたのは大きかったなと思います。



――――自主映画という枠組みではありますが、壮大な音楽や素晴らしい役者陣、美しい空の映像などのこだわりに衝撃を受けました。

長谷川:撮影に関しては、普段映画を見ていても不満があったので、自分だったらこうするみたいなビジョンはありました。

画に関しては褒めていただくことが多く、自分が考える画作りはあながち受け入れられるものなんだなと思いました。


■今後の映画作りについて

――――これから公開が予定されているルネシネマの作品(『とおいらいめい』『みちかけ』)では、監督だけでなく、撮影や原作を担当されています。撮影を務めた『とおいらいめい』の予告編では、海辺のシーンが美しく、そのシーンだけでも印象に残るように感じました。ルネシネマでは、役者仲間と集まって映画制作をしているんですよね。



長谷川:そうですね。収益はまだ挙げてないので、お仕事ではなく、役者とのサークル活動に近いのかもしれません。

野望も夢もありますが、やってて楽しいからというのは大きいです。

しゅはまも藤田も年齢を重ね、自分たちの創作活動として、映画を作りたいという思いがありました。

色んな作品を経験し、自分のために自分が楽しむ作品を作ってこなかったからこそ、4,5年前に、これまでの創作活動は何だったのかと不安になった時期があって。

形として残すには映画が一番いいかなという話で、その仲間に僕も加えてもらいました。

正直、彼らにとって、役者で食べていくのが難しいのは事実です。

今後、将来が約束されてるわけでもないし、TVやドラマで色々活躍はしているけれど、それでも、やっぱり、すごく不安な職業。

役者として続けていくためにも、やっぱり自分が主体となって、作品を作るっていう母体がないと厳しいのかなという思いがあるようです。自分にとっては丁度良い具合に作品を作ることが出来る場所という感じですね。


――――それこそ、お互いのことについて、ある程度、知り合ったメンバーだからこそ撮れるものというのはあるかもしれないですね。先程、夢や野望があるとおっしゃっていましたが、最後に、そこについても、お聞きしてよろしいですか。

長谷川:俳優さんはもちろん、僕自身も承認欲求は強いので、自分の作品をより多くの人たちに見てもらいたいという気持ちはあります。全員じゃなくても、「次も見たい」とか「この作品が好きだ」とか、誰かの表現活動や人生に影響を与える作品になればいいなと思っているので。そのための作品を作っていくためにも、今後、いかにルネシネマで映画制作を続けていくかということを試行錯誤しています。



――――『あらののはて』も、誰かの心に届く作品になっていたのではないかと思います。監督業のみならず、撮影も含め、今後の作品も期待しております。本日は、ありがとうございました。

長谷川:ありがとうございました。

(大矢哲紀)



<作品情報>

『あらののはて』

2020年/日本/69分

監督・脚本・撮影・編集:長谷川朋史

出演:舞木ひと美、髙橋雄祐、眞嶋優、しゅはまはるみ、藤田健彦、成瀬美希

12月17日(金)より、京都みなみ会館にて上映中。

https://runecinema.com/aranonohate/

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