「私たちは悶え神になるしかない」『水俣曼荼羅』原一男監督インタビュー
前々作の『ニッポン国VS泉南石綿村』で大阪・泉南地域の石綿工場の元労働者とその家族がアスベスト集団訴訟を起こし、国と闘う姿に密着した原一男監督。その最新作は15年に渡り水俣病問題や水俣病訴訟の取材を重ね、5年の編集期間を経て完成させた、水俣病問題の今を描く『水俣曼荼羅』だ(2022年1月2日から第七藝術劇場、1月28日からアップリンク京都にて公開)。
戦後日本の縮図のような水俣問題をときには鋭く、ときには日常を優しくとらえ、そしてときには無念さを滲ませながら描いていく全3部構成の372分は決して長くない。本作の原一男監督に、お話を伺った。
■水俣と泉南の撮影を同時進行することで、気持ちのバランスを取っていた
――――『水俣曼荼羅』は、前々作の『ニッポン国VS泉南石綿村』と並行して撮影していたそうですね。
原:『ニッポン国VS泉南石綿村』の時は、大阪芸術大学で授業を担当していたので、その合間に時間を作って撮影に通っていましたが、『水俣曼荼羅』は夏休みや冬休みなど、まとまった休みがないと撮影に行けない。この2作を同時進行で撮影していましたが、それぞれ行く時期が違うので、両立できました。『ニッポン国〜』は撮影で8年、編集で2年かかりましたが、『水俣〜』は撮影で15年、編集で5年と全体で倍の時間がかかっています。
――――前々作は3時間越え、本作は6時間越えと超長尺の映画を2本完成させたというのは、映画史に残る偉業ですね。
原:撮っているときは、そんなに凄いことをしている実感はなかったけれど、つくづく思うのは2本同時進行で撮影をして良かった。というのも、水俣は約100年間、解決してこなかった問題が混ざり合い、患者同士が分断させられている状況なのです。あちらこちらで、お互いのことを批判する患者の話を聞いているうちに、私も落ち込んでしまい、さあやろうという気持ちが醒めてしまう。いたたまれなくなって泉南に戻ると、あちらは初めての裁判をやるものだから、被害者グループが一丸となっているんです。最初はとにかく陳情に行っていたのだけれど、政府の態度が横柄で全然聞く耳を持たないので、原告たちは怒ることを学習していく。映画はその過程を描いているので、撮影していても気持ちがいいし、こちらが励まされる。水俣と泉南の撮影を同時進行することで、なんとか気持ちのバランスが取れましたね。
――――水俣での撮影は想像以上に難しかったと?
原:どう描けば面白い映画になるのか、悩みました。土本典昭さんが撮影していた頃は、水俣病の患者支援運動がピークを迎えていました。カリスマ性のある患者が何人もおり、その人たちがリーダーとなって、運動を引っ張っていました。でも、私が撮影を始めたのは、水俣病はもう過去のことと大半の人が思っているような時期です。患者たちが裁判をやる中で、水俣病の本質を問う裁判をやり続けるべきだという訴訟派と、あまりにも長く続く裁判をするよりも和解した方がいいと考える和解派の大きく二つに分かれてしまった。それだけではなく、日本の場合はお互いを憎しみ合うのです。私が水俣を撮らないかと言われたのは、もはや運動そのものがエネルギーを失ってしまい、袋小路に入って最大に落ち込んだ時期でしたね。
■第二世代と天草の水俣病患者、新しい展開を迎えた水俣病問題に取り組む
――――土本監督から水俣の記録を受け継いだのは、どんな思いからですか?
原:私自身も水俣病はもう終わったと思っていましたが、現地で案内をしてくださった方が、実は今新たな問題が起きていると教えてくださったのです。一つは、土本さんの時代は劇症型の患者の救済に焦点が当たっていましたが、今はその患者たちは亡くなり、第二世代と呼ばれる胎児性患者が問題になっているのです。彼らは小さい頃から体の不調を抱えていても、水俣病が原因だとはっきり意識することがなかった。その子どもたちが大人になり、今や老人の域に差し掛かったとき、加齢からくる不調も重なる。そんな第二世代が徐々に増えてきているのです。
もう一つは、不知火海全体が汚染されたにも関わらず、今までは水俣湾だけがクローズアップされてきた。対岸の天草は、水俣より地域的に閉鎖的で水俣病と認定されたら後ろ指を指されかねない状況だったので、実際には水俣病と同じ症状を持つ人がたくさんいたにも関わらず、当時は名乗り出る人がいなかった。今になって、ようやく自分たちも水俣病患者だと名乗りをあげる人の数がどんどん増えてきたというのです。
土本さんが既に15本水俣病のドキュメンタリーを製作しているわけですから、二番煎じと捉えられると、映画の作り手としては損な役回りだとさんざん考えました。でも、現地で水俣病が新たな展開を迎えていると知ったことで、やはりやるべきではないか。問題があると気がついた人が取り組むのが自然ではないか。そう考えて取り組むことにしました。
――――映画では、熊本大学医学部の浴野教授の研究や診断の様子にも密着しています。
原:末梢神経説に基づく研究をしている人は国から莫大な助成金が出るのですが、浴野先生は国が認定している末梢神経説ではなく、脳神経への影響が原因とする説を発表しているので助成金が全く出ない。だからコツコツ研究を重ねるしかないんです。
■過去作品の夫婦や男女のあり方にも通じる、恋愛映画の一面
――――この映画は恋愛映画という観方もありますね。
原:『全身小説家』は三角関係の話ですし、『ニッポン国〜』では夫婦の話がいくつも登場するので、夫婦や男女のあり方も一つのテーマだと言えますね。幼い頃から水俣病の症状に苦しんできた生駒さんは、本当に結婚できるのかと不安がっていたそうです。実際に水俣病患者の方が結婚するケースは多くありませんから。結婚当時のことを語ってもらった時は、ドキュメンタリー作家としてより深く突っ込んで描くことで初めて映画を作る意味があると思い、躊躇せずに聞いています。生駒さんは、私たちが水俣に行くと、一番喜んで迎え入れてくれた人で、あちらこちらに連れていってくれ、主人公のひとりにもなりました。何を聞いても答えてくれるという関係が自然に築けていたのです。私は告白衝動と呼んでいますが、人間は本質的に、自分の体験を心から純粋に聞きたいという人が目の前にいれば、むしろ話したいという欲望を持っています。映画のシーンでは、聞いてあげないことの方が、その人の本当の姿を描くことから作り手として逃げているのではないかと思うぐらいでした。どこまで踏み込むか、ギリギリのところでのせめぎ合いです。
■3年悩んで取り入れた、胎児性患者、坂本しのぶさんの恋物語
――――胎児性患者の坂本しのぶさんを、「恋」にフォーカスして描いた理由は?
原:水俣の人は、皆、坂本さんが恋多き女性であることを知っています。そういう坂本さんの生き方を運命共同体のように認めているんですね。ただ映画の中に取り入れるにはどうすればいいか、3年間悩みました。3年目でやっと、坂本さんが詞をつけた歌をミュージシャンが歌う発表会があると聞き、これは画になると思って撮影に出かけたのです。ステージにいる坂本さんの目に涙がキラリと光ったように見えたので、コンサート後に話を聞くと、「目の前に、好きな人がおったの」と。これはいいチャンスだと思い、過去に好きだった人をもう一度訪ね、一緒に楽しい時間を過ごした場所に行き、カメラの前でその当時の話をしてもらうことはできるか打診したところ、坂本さんも「できる」と言ってくれました。映画では立て続けに3人のエピソードが登場しますが、実際の撮影は1年に1人だったんです。
――――なるほど。坂本さんは国際会議にも出席され、水俣病が終わっていないことを訴えておられます。様々な活動や通院で、ご多忙なことは想像できます。
原:坂本さんは集会にも必ず足を運びますし、水俣市の小中学校が水俣病のことを知る授業をするのですが、坂本さんは講師として呼ばれることも多いです。定期的に習い事や病院に通ってもおられます。私たちのタイミングと坂本さんの体調やその日の気分など、様々な要素をクリアするには1年に1人の撮影が精一杯でした。実は、5〜6人は取材をして、坂本さんの話を聞きつつ、相手となる人が抱えている水俣病絡みの問題を同時に引きずり出したいという狙いがあったのですが、4人目以降は坂本さんに拒否されてしまいました。もし撮れていたら、水俣病特有のややこしい問題がもっと描けたかもしれません。
――――原監督は、このシーンを見るといつも切なくなるとおっしゃっていますが。
原:坂本さん自身は外の世界に行きたいけれど、実際は難しい。だから、外の世界を持ってきてくれる人を魅力的に感じる。そして楽しい時期はあっても、最終的にはフラれてしまう。楽しい話の裏側に、悲しい話がベッタリとくっついているので聞きながら切なくなります。恋愛をすることで、この人と一緒と思うというのは、坂本さんにとって、とても貴重なひとときです。面白おかしく語っているように見えても、もっと深刻なことがその背後にあるんですね。
■6時間の作品になることで、「撮れなかった」とわかったことは?
――――原監督は「6時間の作品になったことで、撮れなかったものがわかった」と語っておられますが、具体的にはどんなことでしょうか?
原:坂本さんに対しては、恋愛からさらに先のことをお聞きしたかった。今でも聞かなかったことを後悔する気持ちもありますが、やはりあまりにも残酷な質問になってしまうので、胸の中に留めました。
一方、坂本さんが一人暮らしをしたいという思いを持っていることについては、重度の脳性麻痺患者の方が、生活のサポートをしてくださる方を募り、ローテーションを組んで実際に実現しているケースをよく知っているので、やろうと思えばできるのです。だからそのことを坂本さんの母親にお聞きしたこともありました。でも、母親からすれば、自分が食べた魚を通じてメチル水銀を体内に取り込んでしまったため、胎内の赤ちゃんに送り込まれ、生まれたときから胎児性水俣病を患ってしまったという後ろめたさがある。だから娘が自立するにあたり、苦労をさせるのは忍びないと自分が面倒を見ることができる間は手元に置き、必死で頑張るのです。
母が頑張れば頑張るほど、娘の自立が遠のいてしまう。そのジレンマは、お二人へのインタビューからわかると思います。坂本さんをサポートしている谷さんも水俣なら、やろうと思えば一人暮らしができるとおっしゃっていましたが、坂本さんは東京に行きたいと思っているのです。サポートする方々のおかげで坂本さんは今、生活できているけれど、守ろうという意識が強くなると、本人の気持ちを押さえ込んでしまう面も出てくる。
とても切実な問題だと思うし、私自身はその先を追わなかったけれど、今後坂本さんの自立について時間をかけて支援者の方とも話をし、なんとかアパートを借りて自立を実現するまでをドキュメンタリーにしたいという人が現れれば、映画化が実現するかもしれません。今回はできるだけ多くの人を取り上げ、問題提起を試みたので、ここから先、個別のテーマを掘り下げることは、次の世代に託したいですね。
■撮影で「悶え神」を語ってくれた石牟礼さんの言葉は本当に大きい
――――作品の後半に亡くなる直前の石牟礼道子さんが、病室でインタビューに答えておられました。語られる言葉ひとつひとつが、作品の重しのようにずしりと響きました。
原:「悶え神」という言葉がいいですね。前から様々な人が論じていますが、映画で語られることで、世間に広まればいいなと思っています。水俣病の患者以外の人は、悶え神になるしかないんです。ところが今の私たちは悶え神どころか、個として分断している。日本の共同体や、家族関係すら個別に解体されています。家族が持っていた良さがぶち壊されたという戦後の歴史と対局にあるのが悶え神なんです。悶え神という魂を日本人のほとんどが失くしてしまった時代ですが、ここで語ってくれた石牟礼さんの言葉は本当に大きいです。
(江口由美)
<作品情報>
『水俣曼荼羅』(2020年 日本 372分)
監督:原一男
編集・構成:秦 岳志
2022年1月2日から第七藝術劇場、1月28日からアップリンク京都にて公開。
※1月2日(日)・1月5日(水)11:50の回 上映後、原一男監督の舞台挨拶あり
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