「作品を諦めるという選択肢はありませんでした」『なれのはて』粂田剛監督インタビュー


ドキュメンタリー映画『なれのはて』が1月8日(金)より、神戸アートビレッジセンターにて上映(1月8日の12:40の回上映後、監督の舞台挨拶あり)。また、同月22日からは第七藝術劇場で、28日からは出町座でも上映される。

2020年の東京ドキュメンタリー映画祭で長編部門グランプリ・観客賞を受賞した本作は、フィリピンの貧困地区に生きる日本人男性4人の姿を7年間追い続け、劇場公開へと至った力作だ。


今回は、そんな本作の監督・粂田剛さんにインタビューを敢行。作品の着想や撮影時の工夫、フィリピンでのエピソードなど、その裏話について伺った。



■着想について

――――まずは、本作の着想からお聞きしたいです。なぜ、フィリピンに住む日本人を題材にしたのでしょう。

粂田:きっかけは、いくつかあります。約20年前、初めてフィリピンに行き、その後、すぐに1人でカメラを持って取材に行きました。

当時はピナツボ火山が噴火し、山に住んでいた少数民族・アユタ族が焼け出されていた。そんな中、彼らを支援している日本の団体がいるということで、それを撮影しに行きました。


――――最初は全く違う題材だったということですね。

粂田:はい。ただ、マニラで強盗に身包みをはがされまして、その後、オロンガポのアユタ族の方々に助けられることになりました。

結果、1か月程度、滞在することになり、その経験からフィリピン人のホスピタリティに触れました。当時の作品が実現することはなかったのですが、それから数年後、フィリピンでリベンジしたい気持ちもあり、本作の制作に取り掛かりました。


――――そうだったんですね。

開高健ノンフィクション賞を受賞した水谷竹秀さんのルポルタージュ『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』では、フィリピンで極貧生活を送る人たちについて書かれています。この本を参考に、2012年の9月ごろ、当初は『ザ・ノンフィクション』というTV番組の企画として、撮影が始まったんです。



――――テレビの企画から始まり、実際に追い続けていくと面白かったため、広げる形になったということですね。

粂田:一度、TV局に持っていくと「面白そうじゃん」と好感触をいただいたので、最終的には7年ぐらい取材することになりました。


――――監督は『ベイウォーク』というドキュメンタリー映画も撮られていますよね。こちらも本作と何か関係があるのでしょうか。

粂田:実は、本作の撮影時(2012年~2019年)には、7人ほどの人物を追いかけていました。

そのうちの4人で構成した『なれのはて』が映画祭で評価されたので、残りの2人でも作品を完成させようと思い、出来たのが、『ベイウォーク』になります。



――――ある種、地続きという感じなんですね。

粂田:そうですね。姉妹編のような感じです。


■TVと映画

――――TVから映画に変更したのは、どのような理由があったのでしょう。

粂田:テレビでは様々な人の意見を踏まえて映像を完成させます。一方、映画では、よりダイレクトに自分の表現に集中できる。それぞれの表現方法で異なる良さはありますが、今回は映画の方が適している部分が多かったからです。


――――劇中、日本では違法な薬物が登場するなど、きわどい場面もありましたよね。

粂田:そのシーンに関しては使うのか迷いましたね。TVや映画といった枠の意向はもちろんですが、取材対象者に対しては、個人の尊厳という配慮も大切にしないといけない。例えば、今回の撮影中、もし、対象者にお金を払って、そのシーンを撮影していたら、罪悪感もあったとは思います。しかし、今回はカメラを回している時に、ごく自然に使用されていたので、劇中で採用することにしました。



――――編集をする際、カットするかの基準として、取材対象への配慮がやはり大きいということですかね。

粂田:そうですね。そういう部分と作品としての面白さでの相克は、いつも悩む部分です。


――――ドキュメンタリー映画は、面白くしようとすればするほど、誰かを傷つける可能性を孕んでしまいますよね。

粂田:最近では、入国管理センターを題材にした『牛久』という映画が話題になりましたよね。取材対象者への出演許諾に関して議論が起き、のちに映画の公式SNSがステートメントを発表する事態にまで発展した。このようなケースはどんな作品でも起こる可能性があると思っています。


■出演者との繋がり

――――出演者4人が、とても魅力的な作品だったと思ったのですが、オファーはどのような形で行ったのでしょう。

粂田:ケースバイケースですが、現地の方の繋がりは大きかったです。出演者のほとんどは日本人コミュニティから外れている方だったので、一人みつけては数珠つなぎで教えてもらうのを地道に続けていきました。初めにお会いした元警察官の嶋村さんはマニラ新聞の記者からのご紹介で、谷口さんは人伝手に「自転車屋さんで日本人が居候しているらしいよ」と聞いたため、安岡さんは日本人の経営する現地の映像制作会社があり、そこの知人の紹介から、平山さんは安岡さんの知り合いだったという経緯があります。



――――劇中終盤でも、地元の方のつながりによって、事態が動く場面がありました。撮影に関しても、人の繫がりに支えられていたということですね。

粂田:そうですね。また、一つ一つのシーンは、日常生活のディテールの積み重ねだったので、最後までどうなるか分からず、編集も2年ぐらいかかりました。仕事もしているので、夜中に2,3時間こつこつと続けていたのですが、コロナ禍で時間が出来て、完成に漕ぎつきました。


――――日本に住む観客の一人としては、日常的な場面の積み重ねとはいえ、フィリピンの生活そのものが非日常的に感じました。

粂田:ありがとうございます。ディテールという部分では、食事などにもフォーカスを当てています。たとえば、現地では手を使って食べるなど。また、高いところにあるものをとるという何気ない様子でさえもあえて残しました。


■1人で成し遂げた取材

―――今回は取材対象を一気に撮影したわけではなく、同時進行で全員分を撮影していたという形ですよね。

粂田:例えば、一度、フィリピンに行くと、全員をローテーションして、面白そうなことがある人には長く密着するという形を繰り返していました。現地では日本人が珍しいのもあって、日本語をしゃべる機会が少ない。また、出演者は基本的に暇な方が多く、ご飯代を出してあげると喜んでくれていたため、友好的に撮影を進めることが出来ました。


――――ある程度の周期でスタッフと一緒に撮影していたということですかね。

粂田:完全に一人で撮影していました。



――――あ、そうなんですね。本当に執念の作品ですね。

粂田:ちなみに、時系列は少しいじっています。本編でも描かれますが、嶋村さんとは取材開始から約2年、とある理由で撮影を続行できなくなりました。本人は「なんでも撮って良い」「日本の皆さんにも知ってほしい」とおっしゃっていため、作品を諦めるという選択肢はありませんでした。


――――日常のディテールを写すという点では、一人での取材が逆に功を奏したのかもしれません。

粂田:なんといっても、場所が狭いんですよね。ただ、一対一だからこそ、気楽な関係性で撮影が行えたようには思います。



――――それも、この作品ならではの良さだと思います。

粂田:プライベートムービー的な面もあるのかもしれません。


――――本作では風景などのカットよりも対象に密着した映像が多く、距離感が近いからこそ刺さるものがありました。

粂田:これからは、TVのドキュメンタリーなどもそうなってくるのかもしれませんね。 以前、撮影した映像作品でも、予算に限りがあり、自分一人で回すことが多かったです。よっぽどの大作でない限りは、そうなっていくのかもしれません。




■撮影時の工夫

――――撮影中、トラブルに見舞われたことはあったんでしょうか。

粂田:基本的にはなかったです。ただ、カメラを出して撮影していると、現地の方からは「こんなところでカメラを出したら危ないよ」と注意されることが多かったです。


――――盗まれるということですか?

粂田:使っているだけで、現地の常習犯に目をつけられてしまい、高級なものをもっているなとマーキングされてしまうんです。悪い人たちは狙えそうな人を観察しているんですね。なので、こちら側が油断していない態度を見せるようにはしていました。また、危険なので、深夜の時間には出歩かないようにしていました。



――――そんな中で完成できたということが奇跡のような作品ですね。撮影は手持ちカメラを回し続けていたんでしょうか。

粂田:そうですね。録音もカメラマイクそのままです。


――――記録媒体も全て現地に持っていかれたということですよね。

粂田:パソコンとハードディスクとSDカードを持って行って、撮ったものをバックアップするという作業は毎日行っていました。


■撮影後の新たな繫がり

――――本作では、大阪のチューバ奏者・高岡大祐さんが音楽を担当しています。これは、どのような繫がりから実現したのでしょう。

粂田:本作が東京ドキュメンタリー映画祭で上映された際、K'sシネマの方からオファーを受けました。そのタイミングで、関係者と音楽をつけたいなと内々で話していたところ、後にチラシのデザインをお願いすることになるデザイナーの千葉健太郎さんが彼を紹介してくれました。作っていただいた時は、本当に感動しましたね。



――――ちなみに、千葉健太郎さんとは、過去のお仕事の繫がりですか。

粂田:自分が矢崎仁司監督の助監督をしていた縁から繋がった飲み友達ですね。映画祭で本作を観てくれて、高く評価してくれていたので、協力していただきました。


――――撮影もそうですが、本当に人の繋がりに支えられた映画だったんですね。過去の経歴などの積み重ねも踏まえて。

粂田:フリーランスは人間関係が大事なのだと思います。


――――映画祭上映時は、音楽もなかったということですか。

粂田:そうですね。編集も少し変えています。当初は126分あったので、2時間に収めました。


■今後の方向性とメッセージ

――――『ベイウォーク』もそうですが、今後も、映画にしたい題材はあるんでしょうか。

粂田:もちろん、現在進行形で、いくつかの企画は進めています。ただ、どの種に芽がでるかは分かりません。今回の上映で次の作品が上映できる流れに繋がればいいなとは思っています。



――――最後にこれからご覧になられる方へメッセージをお願いします。

粂田:言いたいことは特にありません。ただただ、観た人が受け取ったものを大切にしてほしいです。自分の感じたものを大切に、何かを持って帰っていただければ、嬉しいです。


――――本日は貴重なお時間を頂きましてありがとうございました。


(大矢哲紀)



<作品情報>

『なれのはて』

2021年/日本/120分

監督・撮影・編集:粂田剛

出演:嶋村正、安岡一生、谷口俊比古、平山敏春

1月8日(金)より、神戸アートビレッジセンターにて上映。同月22日からは第七藝術劇場で、28日からは出町座でも上映。

https://runecinema.com/aranonohate/

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