『5時から7時までのクレオ』@ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語
全編モノクロだと思っていたら、タロット占いでカードが並ぶテーブルを上から映すカラーのシーンから始まり、あっと驚かされる。占いに頼った主人公クレオが、その結果に落胆して外へ出た後、占い師が告げる言葉も衝撃。「癌」という言葉が冒頭から飛び出す。これから見守ることになるクレオは死の不安に怯えている人物なのだ。
検査結果を電話で問い合わせするまでの間、分単位で刻まれるクレオの行動。パリの街をウインドショッピングしたり、気に入った帽子屋に飛び込んで、あれこれ試着してみたり、世話係とカフェでお茶をする様子から、次第にクレオが人気歌手であることも分かってくる。
カフェのお茶シーンでは座席の後ろが鏡に。ウインドウガラスからは外を歩く人々や車の往来も見え、カメラは動いていないのに動きと奥行きが楽しめる。同じように手鏡や、ショーウインドウ越しの描写なども組み合わせ、クレオをどこか客観的に眺めることができるようにもなっているのだ。
街でのショッピングが終わると、クレオたちは歌のレッスンのため自宅へ。このとき乗ったタクシーは女性運転手。さすがはフランス、60年代初頭で既に女性運転手が登場していたとは。セーヌ川を越え、大学生街では学生たちに囲まれながらも、当時の自由な雰囲気のパリを感じさせてくれる。ここで流れてくる音楽がクレオの曲だが、レコードのプレスが悪いと気に入らず、止めてくれと懇願する。先ほどまでは死への怯えが大きかったクレオの、歌手としてのプライドを見ると同時に、ラジオに変えるとアルジェリア戦争の話題も。自国は平和でも、自国の兵士たちは闘っているのが、この時のフランスの置かれている状況だった。
街がライブ感覚溢れるシーンだったのに対し、自宅のしつらえは、白を基調に非常にシンプルな作り。なぜかぶら下がりようの手すりもついていたりする。クレアがガウンを着ながらぶら下がりをするところは、この作品で唯一笑いがこみ上げた。ほんの数分しか滞在できない恋人に病状を告げられず、不満が溜まったところにやってきた、お調子者の作曲家たち。この二人組のうちの一人が、本作の音楽を担当しているミシェル・ルグラン。フランス映画音楽界の大巨匠だ。まだ若かりし頃のミシェル・ルグランが、クレオ演じるコリンヌ・マルシャンと何パターンもの歌を歌うセッションシーンは、音楽面での一番の見どころ。しっとりとしたシャンソンで、sans toi(あなたは来ない)と歌うクレオだけがクローズアップされ、黒い扉を背にスクリーンを通じて、観ているこちら側にその切なさを訴えかけてくる。
歌の切なさに耐えられず、一人で家を飛び出したクレオがカフェの自らの曲を流しながら、客を舐めるように眺めていくところは、私もクレオの目線になりカフェの客のたわいもない話や様子を観察。これも、観察好きにはたまらない。背景にはオルセー美術館に展示されていたマネの絵のポスターも。懐かしいな。
美術学校のアトリエでヌードモデルをしている友人、ドロシーとのオープンカーのドライブ(しかも初心者運転)もなかなかに刺激的。そしてもう一つのお楽しみとしてドロシーの彼氏が見せてくれた短編映画には、ゴダールやアンナ・カリーナらが出演。サイレント喜劇を見せてくれるが、ここでも死が題材になっておりクレオの気が晴れることはない。
モンスリ公園をタクシーで突っ走るクレオが、天文台があると聞き下車して出会った、ちょっとおしゃべりな男。彼こそ、今迄のクレオの行動の中で唯一意外性があり、この話の中で世話係以外で、一番長い時間クレオと一緒にいた登場人物だ。けん制されてもずっと話しかけた男は、自分がアルジェリアに出征し、戻って休暇を過ごしていた兵士であることを打ち明ける。クレオも恋人には打ち明けられなかった事実を、その日初めて会った人だからこそ打ち明けられた。もう二度と会わない人だからかもしれない。でも、そのことがいい意味でクレオの怖れを拭い去っていくのだ。ほどよいシリアス、ほどよい疾走感、そしてガールズムービーの要素を合わせ持ち、ドキュメンタリー的な色合いも濃い。ヌーヴェルヴァーグ、唯一の女性監督と言われたアニエス・ヴァルダは、死を扱いながらも、むしろ生命感溢れる仕上がりで、病気ごときには負けないという女の底力を見せてくれたようにも思えた。とても好きな映画だ。
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