シネ・ヌーヴォ25周年記念「小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション」特集上映を2/5より開催


 

 2022年1月18日で25周年を迎えた大阪・九条のシネ・ヌーヴォで、現在好評開催中の「生誕百年 映画監督・三隅研次」に引き続き、2月5日より25周年記念第二弾「小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション」を開催する。


 日本を代表するドキュメンタリストであり、山形国際ドキュメンタリー映画祭の発案者である信念の人、小川紳介監督。1992年2月7日に55歳という若さで惜しまれながら死去されてから今年で30年。さらに、シネ・ヌーヴォの前身「千年シアター」で、山形県上山市牧野で田畑を耕して共同生活をしながら13年かけて映画製作を行った生涯の最高傑作『1000年刻みの日時計』を上映してから35年となる。今回は、数多くの作家たちや映画ファンに大きな影響を与え、今も与え続けている小川プロ作品の全貌を一挙上映する。



 さらにシネ・ヌーヴォでは、2月7日、小川監督の命日に最後の小川紳介監督の著作となる『幻の小川紳介ノート〜1990年トリノ映画祭訪問記と最後の小川プロダクション』(A5 並製 / 本文 256 ページ/ 税込2200 円/ 発行シネ・ヌーヴォ)を出版する。1990年11月、亡くなる1年3カ月前、小川紳介監督が参加したトリノ映画祭の訪問記がこの度発見され、その全文掲載と、妻の洋子さん、山根貞男さん、蓮實重彦さん、上野昻志さんら関係者の寄稿よる渾身の書籍だ。2月7日には執筆者の一人、上野昻志さんを招いてのトークショーも同時開催する。

角を曲がった。ドゥオーモ(大聖堂)が見えた。何本もの空に突き出している尖塔がまず目についた。私は思わず小走
りになった。その時の私のはしゃぎぶりは、皆の中で少し度を越して見えたかもしれない。しかし、私の中では恵比寿
の本庄映画館のスクリーンと、どんどん目の前に近付きつつある「大聖堂」が二重写しになり、しかも、映画館で見て

いた時には、まさか 32〜33 年あと、そこに近付くために自分が歩いていようとは、絶対に夢にも思っていなかったのだ。

そして、広場に立った。――

(「トリノの奇蹟〜1990 年トリノ映画祭訪問記」より)


<上映作品>

『青年の海〜四人の通信教育生たち』

1966 年/製作・「大学通信教育生の記録映画」を作る会/小川紳介監督第一作/白黒/56 分

◆通信教育制度改定反対闘争の中で、学ぶこと、働くことを改めて問い直す四人の通教生。その運動の行方と逡巡する心の軌跡を追って、キャメラもついに駆け回りだす。


『圧殺の森〜高崎経済大学闘争の記録』

1967 年/製作・記録映画『圧殺の森』製作実行委員会+自主上映組織の会/白黒/105 分

◆高崎市立経済大学の学園闘争の記録にして、六〇年代後半の全国的な学生叛乱の予兆に満ちた自主製作映画。効果的に使われた“盗み撮り”の手法と、小川はこの後訣別してゆく。


『現認報告書〜羽田闘争の記録』

1967 年/製作・上映実行委員会+岩波映画労働組合+映像芸術の会+グループびじよん/白黒/58 分

◆第一次佐藤首相訪米阻止闘争の中で起こった京大生の死の真相を探る。「権力との激突の際に、(キャメラは)決して警察権力と学生の間に横位置に居るべきではなかった」(小川)


『日本解放戦線・三里塚の夏』

1968 年/製作・小川プロダクション/白黒/108 分

◆「三里塚」シリーズ第一作。「カメラの位置を、はっきりと闘っている農民の側におく、権力が弾圧を加え、機動隊が暴力の一撃を闘う農民に加えるならば、カメラはそれを正面から受けよう。そしてカメラを堂々と正面に出して農民の闘いの現場に参加していく」(小川)


『パルチザン前史』

1969 年/製作・小川プロダクション/白黒/120 分/監督:土本典昭

◆小川の先輩にして盟友である「水俣」の作家・土本典昭が監督し、小川プロがサポートした一本。京大全共闘・パルチザン五人組のリーダー、滝田修の闘争と日常生活に迫る。製作は関西小川プロが担当。


『日本解放戦線・三里塚』

1970 年/製作・小川プロダクション/カラー/141 分/日本映画監督協会新人賞

◆通称『三里塚の冬』。離脱者が出る中で、空港反対派農民に徐々におとずれる疑問・空虚感。官憲との衝突を繰り返しながらも、闘いは自己自身の内面へと向けられてゆく。小川プロの転回点が鮮やかに刻まれている。


『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』

1970 年/製作・小川プロダクション/白黒/50 分

◆自ら糞尿弾と化して測量を阻止せんとする農民たち。キャメラは文字どおり彼らに徹底的に伴走する。1 週間の測量予定を激しい農民の闘いで 3 日間で切り上げた別名「三日戦争」。闘争が激化し、緊急に撮影・編集・上映されたシネ・トラクト。


『三里塚・第二砦の人々』

1971 年/製作・小川プロダクション/白黒/143 分/マンハイム映画祭スタンバーグ賞

◆破壊されるバリケード小屋。農婦らは自らを鎖で縛りつけて後退を拒む。地下深く掘られた壕の中、ロウソクの灯の下で抵抗が続くシリーズ中の核。「代執行に反対して穴を掘っている農民は、とても科学的だ。人民の科学を映画にしたい」(小川)


『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』

1972 年/製作・小川プロダクション/白黒/85 分

◆反対同盟を中心に計画された滑走路使用不能大作戦。滑走路南端にあたる岩山地区に、みるみる 60 メートルの大鉄塔が築かれていく。


『三里塚・辺田部落』

1973 年/製作・小川プロダクション/白黒/146 分

◆“闘い”から“闘いの中の日常”へ。固い団結を誇る辺田部落に住みついたキャメラは、農民の声を聞き撮りしてゆく。「古屋敷」「牧野」へ移行する分水嶺となったシリーズ第六作。


『どっこい!人間節〜寿・自由労働者の街』

1975 年/製作・小川プロダクション/白黒/121 分/構成・編集:小川紳介

◆小川プロの若手スタッフが、横浜・寿町に住みついた。寄せ場に集まる労働者=土を離れた農民の個人史が浮き上がる。「貧乏じゃ汚くならないね、人間は。貧すれば光るって、ほんとだよ」(小川)


『クリーンセンター訪問記』

1975 年/製作・小川プロダクション/企画・上山市保健課/白黒/57 分

◆山形県へ移り住んだ小川プロから上山市への名刺がわりの一本。新設ゴミ処理場のPR映画の体裁をとっているが、煤煙公害をめぐってキャメラは清掃作業員の視座から追求を始める。


『三里塚・五月の空 里のかよい路』

1977 年/製作・小川プロダクション/カラー/81 分

◆三里塚へ四年ぶりに“里帰り”した小川プロは、依然続く空港反対闘争とともに、農地を荒らす自然現象にもキャメラを向ける。鉄塔は倒され、その上を五月の“赤風”が吹き過ぎる。


『牧野物語・養蚕編』

1977 年/製作・小川プロダクション/カラー/112 分

◆「お蚕さま」を育てる小川プロを、強力なコーチ・木村サトさんが指導する。やがて養蚕作業の中からサトさんの人生の軌跡が浮かび上がる。同録8ミリをブローアップした超文化映画。


『牧野物語・峠』

1977 年/製作・小川プロダクション/白黒/43 分

◆山形在住の詩人・真壁仁の詩碑が蔵王に建った。刻まれた詩は『峠』。長回しのインタビューを通して詩人の昭和史が語られてゆく。小川紳介の真壁仁に対する親愛が伝わってくるような、心温まる小品。


『ニッポン国古屋敷村』

1982 年/製作・小川プロダクション/カラー/210 分

◆稲の凶作の原因を探るサスペンスフルな科学映画の前半から、村の古老たちが自分史を語り「ニッポン国」のフシギな姿が浮上する後半へ。ベルリン映画祭国際映画批評家賞受賞作。


『1000 年刻みの日時計〜牧野村物語』

1986 年/製作・小川プロダクション/カラー/222 分

◆牧野村移住十三年の集大成にして小川紳介映画渡世の総決算。稲の中に宇宙が広がり、さまざまな出土品は村の古層を現前させ、ドキュメンタリーとフィクションはボーダーレスとなる。


『京都鬼市場・千年シアター』

1987 年/製作・小川プロダクション/カラー/18 分

◆1987 年夏、土・藁・葦・丸太で出来た『1000 年刻みの日時計』専用の映画館が京都に出現。この劇場を建設し、命を吹き込んだ若者たちを小川紳介が関西のスタッフとともに描く。


『映画の都〜山形国際ドキュメンタリー映画祭 89』

1991 年/製作・小川プロダクション/企画・山形市/カラー/93 分/監督:飯塚俊男

◆一九八九年秋、第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭に世界各地の映画人が集まった。映画祭の顔として駆け回る小川紳介。一方アジアの作家たちは、タヒミック起草の「映画宣言」を採択して意気あがる。


●特別上映作品

『映画作りとむらへの道』1973 年/白黒/54 分/監督:福田克彦

◆元小川プロのスタッフだった故・福田克彦監督による小川プロについての映画。三里塚から山形へという小川プロの重要な時期を捉えている。福田氏はその後も三里塚に残り、98 年死去。


『小川プロ訪問記』1981 年/カラー/61 分/監督:大重潤一郎/出演:大島渚

◆「土」がテーマの日本デザイン会議仙台大会で上映するために、主催者の大島渚監督と大重潤一郎監督が、牧野の小川プロを訪れ、大急ぎで作り上げた作品。一部は『満山紅柿 上山』でも引用されている。


『満山紅柿 上山〜柿と人とのゆきかい』2001 年/カラー/90 分

構成・編集:彭小蓮 第 1 次撮影監督:小川紳介

◆小川紳介監督の未完の映画を中国の女性監督・彭小蓮監督(中国・第五世代)が完成。あの『1000 年刻みの日時計〜牧野村物語』のもうひとつの物語。山形特産のつるし柿を巡って、知恵と工夫に満ちた人々の息づかいの記録。


小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション

小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション三里塚から山形・牧野へ―― スタッフとの合宿生活の中で、 世界映画史に残る傑作ドキュメンタリーの数々を遺した稀有な映画作家。 山形国際ドキュメンタリー映画祭を発案し、 アジア各国のドキュメンタリー映画作家に大きな影響を与えた 偉大なるドキュメンタリスト・小川紳介全作品を一挙上映する!たわわに実った映画が出来た!君は小川紳介を知っているか? 60年代末〜70年代、激動の時代に、安保闘争・学園紛争、そして三里塚闘争と、闘う人々の姿を映画で記録し、「自主製作・自主上映」の方法で映画青年たちに大いなる影響を与え続けた屈指の映画監督。三里塚闘争の原点たる農民の心をフィルムに刻み込むため、スタッフと共に山形で農民となり映画を製作。十三年もの合宿生活の果てに作り出した『1000年刻みの日時計』は、ドキュメンタリーとフィクションを融合した映画史に残る傑作となった。一九九二年に五十五歳の若さで亡くなったが、今なお、アジア、世界から映画を志す若者たちが目標とする稀有な存在・小川紳介。没後三十年の今年、小川紳介を見る!60年代末、“政治の季節”に、自主製作・自主上映で新たな映画情況を切り拓いた 映画製作集団があった。小川紳介と小川プロダクション。 四半世紀にわたる共同生活、対象に迫る独自のスタイルで、 世界映画史上でも類を見ないドキュメンタリー作品を作り続けてきた奇跡の作家集団。 小川紳介監督没後10周年、私たちを鼓舞し勇気づけ、 大きく支えてくれた“志”に満ちた作品群を 今こそ、次の世代に伝えたい。小川プロ全作品一挙上映!!※『牧野物語・養蚕編』は8ミリ、他の小川プロ全作品は16ミリで製作。今回は、特別上映作品も含む全作をデジタルで上映いたします。 ■小川紳介監督略歴 ◆1936年6月25日東京生まれ。学童疎開で実家の岐阜県瑞浪市釡戸に移り、敗戦後東京に戻る。55年国学院大学政経学部に入学、映画研究会をつくり映画製作に励む。映研時代に製作を担当した作品に『小さな幻影』『山に生きる子ら』など。59年卒業。60年に岩波映画製作所と助監督契約。黒木和雄監督の『わが愛北海道』(62年)などにつく。62年ごろより東陽一、岩佐寿弥、大津幸四郎、久保田幸

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