「映画を自由に感じ、与那国島の空間に浸ってほしい」PFFアワード2021グランプリ作『ばちらぬん』東盛あいか監督インタビュー
第43回ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2021」でグランプリを受賞した、東盛あいか監督の長編デビュー作『ばちらぬん』が、5月13日(金)よりUPLINK 京都、5月14日(土)より第七藝術劇場ほか全国順次公開される。
タイトル『ばちらぬん』は、与那国島の言葉で「忘れない」という意味。与那国島出身の東盛監督が自身の卒業制作として企画をしたものの、コロナ禍が襲い、当初の予定を大きく余儀なくされたという。実際には与那国島だけでなく、京都でも撮影を敢行。与那国島の雄大な風景や島で生きる人々に肉薄するだけでなく、監督自身も出演者として島を駆け巡る。ファンタジックな世界観を醸し出す4人も個性的で、与那国島と幻想的な世界が溶け合うような唯一無二の映画が誕生した。
沖縄本土復帰50周年映画特集映画「国境の島にいきる」作品として、同じく与那国島で撮影されたドキュメンタリー映画『ヨナグニ ~旅立ちの島~』(監督:ヴィットーリオ・モルタロッティ、アヌシュ・ハムゼヒアン)と同時公開される。
かつて島で暮らしていた人たちにも思いを馳せたという東盛あいか監督に、お話をうかがった。
━━━映画を京都の大学に入って撮ろうと思ったきっかけは?
東盛:当時は特にやりたいことがなかったので、親元を離れて石垣島の普通高にスポーツ推薦で入学したのですが、高校2年になり、クラブのことや精神的なことが重なり、学校に行けなくなってしまった時期がありました。映画を観はじめたのはその時期で、映画の世界へ入るにはどうすればいいかと、ようやく自分で考えられるようになったのです。愛知で働きながら高卒認定を取得し、俳優コースと映画制作コースの両方ある京都芸術大学(当時は京都造形芸術大学)のオープンキャンパスを訪れ、すぐにこの大学にしようと決めました。俳優コースでも制作を学ぶことができるのも魅力でしたね。
■島の成人式で宣言「いつかは与那国島で映画を撮りたい」
━━━15歳で離れた故郷、与那国島のことを映画にしたいという想いは、ずっと心のどこかにあったのですか?
東盛:最初は俳優に主軸を置いていたのですが、いつか与那国島で映画を撮れたらと考えていました。大学1回生のときに島に戻って成人式に出席したのですが、20人ぐらいしか新成人がいないので一人ずつ前に出て挨拶をするんです。そのとき「わたしはいつか、与那国島で映画を撮りたいと思います」と宣言していました。当初は卒業制作で作るつもりはなかったのですが、俳優の勉強と並行して制作の勉強や現場体験もしていたので、だんだんと映画の作り方が見えてきた時にはその想定をしていました。
━━━最初の企画とはだいぶん内容が異なるそうですね。
東盛:3回生の時に出した企画は、全員で与那国に行き、オール現地ロケのフィクションで、4回生になる春休みに一人で前準備をしに島に帰ったら、コロナ禍になり、島に閉じ込められた状態になってしまったのです。卒業制作ができるのか不安を抱えながらの日々でした。
■コロナ禍で構想したフィクションとドキュメンタリーの融合
━━━京都に戻る前に撮影を始めたのですか?
東盛:一度、いまの組を解散させようかと思うぐらい、映画が撮れないと思うと気持ちが落ち込んでいたのですが、何もしないと映画は始まらないので、とにかくカメラを持って島の人に話を聞こうと一人で撮影を始めました。そうやって撮りためたものを京都の仲間たちと共有していたのです。今のフィクションとドキュメンタリーを混ぜる新しい『ばちらぬん』の構想を出したのも、その頃でした。とにかくわたしが与那国にいる間は現地で撮れるものを全て撮り、京都に戻ったらみんなで撮影を始めようと。
━━━何度も観ると京都のシーンがどこかわかりますが、最初はそこまでくっきりと分かれることなく、ファンタジーの新鮮さと合間って与那国島のシーンとうまく混ざり合っていました。撮影といえば、馬や牛の目を驚くほど寄りで撮影するカメラワークは迫力満点で、エンドクレジットで監督ご自身が撮影しているのを知り驚いたのですが。
東盛:わたしの持っている一般的なニコンの一眼レフで撮るしかなかったのですが、馬や牛との距離感は子どもの頃から慣れ親しんでいるので、ここまでなら近寄っても大丈夫だとか、ここから近づくと危ないとか。だから、あれほど近づけたのかなと思います。わたしが観ても思うのですが、与那国島のシーンは動物や植物の生命力がすごく強く出ています。与那国を知らない人からすると、観たことのない景色が広がっているので圧倒されるという声も多いのですね。
■島言葉はアイデンティティー
━━━今回与那国島で取材をされたのは、今回はじめて話を聞くような方々ですか?また、劇中ではすべて与那国島の言葉を使っていましたが練習したのですか?
東盛:今まで知らなかったことを知ることができたり、大人になってはじめて話を聞くことができた方もいらっしゃり、コロナで島に籠っていた時期があったからこそ撮れたと思います。おばあから雨乞いの儀式の話を聞いているシーンがありますが、70歳以上の祖父母世代は島の言葉を母語として話します。わたしの親世代になると、島の言葉は理解できるけど、話せない、話さない方が多いです。そしてわたしたちの子世代は全くわからない。それは地元の言葉がある地域に共通していると思います。だから自然と祖父母世代がわたしたちに話すときは日本語に切り替わるのです。
島にいた時代は、耳は島言葉に慣れていたし、単語はわかっていたけれど文章としてはわかっていなかった。それが大学で映画を学んで作ろうとすると、自分を振り返らなくてはいけない。わたしの場合は与那国島があり、島言葉はアイデンティティーなので、大人になってから学び始めました。まだネイティブの方と渡り合えるほどではないので、引き続き勉強中です。
■フィクションの世界観の中をふわふわ漂う登場人物たち
━━━京都パートは、セリフは少ないですが、とても詩的でしたね。それぞれのキャラクターも非常に個性的でしたが、どのようにキャラクターを作っていったのですか?
東盛:オールフィクションを想定していたときから4人登場することになっていたので、最低限4つの役を作る必要がありました。クバ笠の男子と藍染のワンピースの女子は少し幼い振る舞いの演出をし、野菜を配る男子と骨を持つ女子は大人の雰囲気をと伝えました。その4人には島の抽象的な雰囲気を持たせたかったので、それぞれ五感を使ってずっと何かを探し求めてフィクションの世界観の中でふわふわと漂っているのですが、そこも名前がある一個人ではなく、人間離れした彼らを観客が自由に想像し、受け取ってほしいと思います。
■物や動物が、自由に人と場所をつなぐ世界観
━━━それぞれの行動にどんな意味があるのだろうと確かに考えたくなりますが、一方でとても原始的な欲求に突き動かされている気もしました。ちなみに監督演じる少女が与那国でかじっていた果実は何ですか?
東盛:グァバです。与那国島ではバンスルと呼ぶのですが、現地で少女がかじると、もう一つの世界でもバンスルが登場するんです。場所にとらわれず、物が自由に人と場所をつなげるような世界観を作りたかったので、与那国島から腐らないようにバンスルを京都に持っていきました。
━━━2つの場所で出てくる動物といえば、映画でも大きな存在感のカメですよね。
東盛:最初からカメを映画に登場させたいと思っていました。ドキュメンタリーと幻想世界では別の亀が登場しています。与那国島のセマルハコガメは外来種なのですが、発見当時教育委員会に保護され、小学校で飼育されているものです。おばあとの共演シーンでは、いいタイミングでおばあの足元に来てくれました。京都のアカミミガメは映画学科で飼っているカメなので、出演者として京都での撮影に連れていきました。
━━━青いポストや青い果実など、風景に映える青もとても印象的でした。
東盛:現実と離れたイメージを作ろうと、まずは野菜の色を変えるところからはじめ、青色トマトをかじってもらっています。美術の先生からアドバイスをもらい、実物のトマトをシリコンで型取りし、青い食紅を混ぜたトマト型の牛乳寒天をたくさん作りました。藍色のワンピースを着た少女は海をイメージし、彼女の出演するシーンでは水の音が聞こえてくる。海が大陸と大陸をつなぐように、青いポストもどこかの世界と与那国島の間にいるような存在なのです。
■沖縄の女性たちが彫っていたハジチを映画に取り入れた想い
━━━青色のワンピースを着た少女の両手には、模様が描かれていましたね。
東盛:あれはかつて沖縄の女性たちが手に入れていたハジチと呼ばれる刺青です。明治政府が入れ墨禁止令を出す前までは、奄美諸島から与那国島にかけてハジチの文化がありました。ハジチを入れる理由には、外地から来た人間に連れて行かれないようにするためであったり、既婚の印であったり、入れた人それぞれ理由があるケースもあり、一つに限定はできませんが、大きな理由としては成女儀礼があげられます。模様も地域によって特徴があり、映画に登場するハジチは与那国島の模様です。
祈りを込めて突いたハジチは、かつては美しいものと捉えられていましたが、入れ墨禁止令が出たことで、ハジチを入れている女性の手は醜いもの、汚いものと見なされるようになってしまった。社会の変化で美から醜へと捉えられ方が変わったハジチは、現代社会ではタブー視する人が多いです。
ハジチの存在を知った時、うわべだけのことを語るだけではいけない。忘れてはいけないと思い、どうにか『ばちらぬん』にも取り入れようと、フィクションパートの女性二人にハジチを描きました。わたし自身がハジチをつけた女性たちの虐げられた過去を知ったとき、彼女たちの想いも、その歴史も、今に残る様々な印象も、その全てを受け入れたいと思いました。だから、わたしが演じる制服の少女がハジチをつけた二人に出会ったとき、そのハジチを“飲み込み”たかった。かつてハジチを入れた女性たちの思いを自分に受け入れることで、「もうハジチを入れなくても大丈夫な時代になったよ」と彼女たちを抱きしめたい。女性である立場や役割にとらわれずに生きていく時代がくるんだよ、大丈夫だよと伝え、そこに刻むためのシーンにしたのです。
━━━恥ずかしながらハジチのことは初めて知りました。日本政府の同化政策により差別を受けてきた沖縄のハジチを突いた女性たちを、時を超えてその思いと共に抱きしめたいという監督の気持ちが映画のシーンにも凝縮されていたんですね、島の女性たちが布を織って納めていた人頭税のことも語られていますが、元々知っていたのですか?
東盛:映画を作っていると、島のみなさんが、いろいろな資料を持って来てくれ、人頭税に関することもその中で知りました。実際に当時の方が語った音源が教育委員会にあるので交渉をしたのですが、編集しているときに著作権の関係で使用が認められないことがわかったので、再度現地で与那国言葉のネイティブを探して録音することも難しく、最終的には自分で吹き替えました。
■歌を通して与那国島とつながる
━━━編集はとても大変だったと思いますが、最初と最後に与那国島の民謡が力強く演奏され、一つの世界観を出していましたね。
東盛:演奏していただいた與那覇有羽(よなは・ゆうう)さんは、与那国島で民具を作る一方、CDをリリースし、音楽活動も行なっていて、私にとっては歌のうまい民具作りのニーニーみたいな存在です。最初は演奏している音だけを撮りたくて、ゆう兄の庭で撮影させてもらいました。でも、編集の時にやっぱり画も使いたくなったのでゆう兄はいつも家で三線を弾いている格好で、とても自然体だったのです。力強い歌を最初と最後に持ってくることで、作品をぐいっと持ち上げる感じにしました。京都の4人も最後はゆう兄が歌った与那国民謡の歌詞を語ってもらったので、歌でも与那国島ともう一つの世界が場所を超えてつながる感じが作れたのではないでしょうか。
━━━今までに沖縄を題材にした映画は数多く作られてきましたが、それらとは一線を画す新しさがあり、与那国で生きる人々、動物たちの営みが力強く描かれています。
東盛:わたし自身、長編を撮るのも編集するのも初めてだったので、手探りでしたし、正解もわからない。ドキュメンタリーとフィクションを両方入れると決めたけれど、本当に映画になるのか不安でした。編集も終わりのない作業ですから、どこまでも続けられるんです。最初にできた70分バージョンを合評に出したとき、学科の先生から編集でブラッシュアップできるとアドバイスされました。わたしにとっては全てのシーンががっちりとつながっているので切るのはとても難しくて、記憶を一新したいなと思いながら卒展までの2週間で編集しなおし、ようやくできたのが現在の『ばちらぬん』です。
━━━初監督作がいよいよ劇場公開となりますが、最後にメッセージをお願いします。
東盛:学生の自主制作映画である『ばちらぬん』は、最初に大学の卒展で観ていただいてから、まさに追い風に乗る舟のように背中を押してもらい全国公開にたどり着いた映画です。感謝の気持ちでいっぱいですし、与那国島を知るきっかけにしてもらえればうれしいです。一方で、フィクションとドキュメンタリーを掛け合わせたことによる効果で、ご覧になるみなさん自身の故郷を振り返るきっかけになるのではないでしょうか。自由に感じ、与那国島の空間に浸っていただく60分になれればと思います。
(江口由美)
<作品情報>
『ばちらぬん』(2021年 日本 61分)
監督・脚本・撮影・編集:東盛あいか 撮影:温少杰
出演:石田健太 笹木奈美 東盛あいか 三井康大 山本桜
2022年5月13日(金)よりUPLINK 京都、5月14日(土)より第七藝術劇場ほか全国順次公開
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