「しがらみや苦しみはあれど、妊娠や母性など世界共通の悩みを持つ女性を描きたかった」『明日になれば~アフガニスタン、女たちの決断~』サハラ・カリミ監督インタビュー
アフガニスタンでは、2021年8月15日にタリバンが政権を掌握し、イスラム法「シャリア」のもと、女性たちは学ぶ権利をはじめ、それまで徐々に獲得してきた多くの権利が失われたままになっている。タリバン政権掌握前の首都カブールを舞台に、夫や義父に召使いのように扱われる出産間近の主婦ハヴァ、離婚を決意していたときに妊娠が発覚したニュースキャスターのミリアム、親戚と結婚が決まったものの秘密を抱えている18歳のアイーシャの3人の女性の生き様と決断を描くヒューマンドラマ、『明日になれば~アフガニスタン、女たちの決断~』が、5月27日(金)よりシネ・リーブル梅田、アップリンク京都、今夏元町映画館にて公開される。
監督はアフガニスタン出身のサハラ・カリミ。家族とともにイランへ難民として渡り、スロバキアで映画を学び博士号を取得後、2012年よりアフガニスタンで映像製作活動を続けてきた。一貫してアフガニスタン女性のリアルな姿にフォーカスし、ドキュメンタリー作品『運転するアフガンの女たち』では、アフガニスタンでまだ珍しい運転する女性たちと彼女らがどのように見られているかを取材。大きな反響を呼んだ。初長編劇映画となる本作は、第76回ベネチア国際映画祭のオリゾンティ・コンペティション部門に出品され、若いアフガニスタン女性たちの姿や精神性の表現が讃えられている。
現在はローマで活動しているサハラ・カリミ監督に、リモートでお話を伺った。
■イラン難民時代を経て、スロバキアで映画を学ぶまで
――――まずは、映画の道に進んだきっかけを教えてください。
サハラ監督:もともと映画を勉強する気持ちは全くなく、ずっと建築家に憧れて数学や物理を勉強しました。当時、イラン映画に2作品出演する機会がありましたが、それ以外の体験を思い出すと、難民先のイランで生活していくことはあまり幸せではなかったです。イランでは大学に行くことはできますが、政府やイランの市民の中には自分が難民であることを常に感じさせ、ここにいるべきではないと言われることも多かった。他の国の方が、もっと自分にとって良い環境があるのではないか。わたしはもっと尊重されて生活する権利があるのではないかと感じていました。
そんな状況下で、イラン映画の出演作『太陽の娘』が2001年グラチスラワ国際映画祭(現在は終了している)で最優秀賞を受賞し、ゲストとして招待を受けました。アフガニスタン出身者がイラン映画に出演していたのが興味を引いたのではないかと思いますが、1度限りの出国ビザをもらえたのです。それがたった1度のイランから出国するチャンスでした。
当時のわたしは本や父親から聞いた世界に対する好奇心が旺盛で、いつも世界に思いを巡らせていました。この機会を活かすために、そのビザを利用する形で、スロバキアに向かったのです。入管で、スロバキアで何をしたいかを聞かれたとき、もともと目指していたわけではなかったけれど、「映画監督になりたい」と答えました。入管の方からは映画監督を目指すための大学は入るのが難しいと聞かされましたが、わたしはそれでも構わなかった。
そのために言葉や映画史を勉強し、試験の準備をして入試に臨みました。おかげで、6人の合格者のうちのひとりになれたわけです。
――――スロバキアの大学で映画を学ぶ中で、映画の可能性について感じたことは?
サハラ監督:わたしの表現は、まず物語や詩、エッセイを書くことからスタートしました。残念ながらそれらをまだ出版するには至っていませんが、一方でイラン映画に出演する機会を得て、音、言葉、画を全て含んだ芸術形態に触れることができました。映画はとてもユニバーサルなメディアで、人々に語りかける可能性は非常に大きいし、物語を語る上での選択肢もたくさんあります。そして、より多くの人に届けることが可能です。
わたしの母語はペルシャ語ですが、母語話者はそれほど多くはありません。スロバキア語、英語でも書くことはできますが、映画は世界の人に語りかけることができます。また映画を作るときは新しい発見ができますし、さまざまなイノベーションを毎回起こし、新しいものを作りあげることができます。現在において映画を作るのは大変難しいですが、一方で大変興味深い表現手段だと思っています。
■ステレオタイプのアフガン女性像ではなく、妊娠や母性など世界共通の悩みを持った女性を描く
――――2012年にアフガニスタンに戻ったのには、自身が母国のストーリーテラーになりたいという思いがあったからだそうですが、それまでアフガニスタンで生活者や女性の姿を等身大で描くような作品はあまり作られていなかったのでしょうか?
もちろんアフガニスタンの映画はプロ、アマチュアを問わず多く作られています。特にタリバンが去った2001年以降は映画が作られるようになりましたが、その多くはステレオタイプ的なものが多く、女性が犠牲者やヒーローという両極端な形で描かれており、新しい語り口のものは作られていません。西洋諸国が求めるようなストーリーが繰り返されましたし、アフガニスタンの外側の人が、現地で映画を撮る場合も、ステレオタイプ的なものが繰り返される傾向にありました。
――――今までの作品の反面教師的な意味合いも、本作にはありますね。
苦しんでいて貧しく可哀想な女性を描くのではなく、しがらみや苦しみはあるけれど、妊娠や母性など世界共通の悩みを持った女性を描こうと思ったわけです。貧しい家の女性を描くだけではなく、中流階級や都会の女性であっても同じような悩みにぶち当たりますし、例えばアルゼンチンでもアメリカでも起こりうるエピソードを選んでいます。
スロバキアで過ごした期間が長かったので、わたしは自国の現実から離れてしまい、その間にアフガニスタンの歴史が変わり、たくさんのことが起こりました。そのリアルな感覚を取り戻すために、帰国後、わたしは人間観察をするようになりました。いろいろな街や地方を旅して、たくさんの女性たちと話をし、現在の状況を把握するように努めたのです。
■アフガニスタンの現実を反映した独立系自主映画
――――他にも本作の特徴的なことはありますか?
完全にアフガニスタンの国内で作られた映画であるということも、わたしにとっては重要なポイントです。俳優も全てアフガニスタン人ですし、スタジオのセットではなく、すべてリアルな家や場所を使ってロケを行いました。日頃生活をしている家を1ヶ月近く貸していただき、撮影した映画なので、大変アフガニスタンの現実を反映した映画になっていると思います。
――――ハヴァ、ミリアム、アイーシャを演じた俳優のみなさんについて教えてください。
ハヴァ役のアレズー・アリアプーアさんはわたしの友人でフィンランド在住のアフガニスタン人です。学生時代はドキュメンタリー映画を学んでおり、現在もプロダクションに所属してドキュメンタリーの製作準備をしています。ミリアムを演じたフェレシュタ・アフシャーさんは元スポーツ選手です。アイーシャを演じたハシバ・エブラヒミさんだけが、プロの俳優ですね。
――――今回アフガニスタン女性ではじめて現地で、先ほどおっしゃったようにアフガニスタン人キャストを使って映画を撮られたわけですが、一番の障壁だったことは?
撮影した2018年の社会情勢下では、そんなに困難ではありませんでしたが、やはり独立系の自主映画なので資金を出してくれるプロダクションがなく、資金面での苦労がありました。やはり海外のプロダクションがアフガニスタンを語る上での語り口としてステレオタイプ的なものを求める傾向があるので、それに沿わない本作に対して、サポートをしてもらえなかったのです。また、アフガニスタンには俳優養成機関がないので、出演してくれる俳優をなかなか見つけられませんでした。近くに爆発が起きることもありましたので、安全面でも非常に神経をつかいました。
■今までの努力全てが無に帰した2021年8月15日
――――2021年にタリバンが政権を掌握するまでの過去20年間、アフガニスタン女性の地位が向上しつつあったことも、登場人物のひとりでニュースキャスターのミリアムから伺い知れます。
2021年8月15日のタリバン勝利宣言以降は全く状況が変わってしまいましたが、それ以前の過去20年間は、女性が社会的に見えるようになることに関して、闘うことも可能だったし、メディアや芸術で女性たちの姿が見え、受け入れられるようになりました。反女性的な固定観念は根強くても、この世界をなんとか変えていけるのではないかという夢や希望が、まだそこにはあり、いろいろなプロジェクトも立ち上がっていたのです。
社会的な生活においても、女性たちは様々な面で地位を獲得してきたわけですが、残念ながらタリバン支配下に戻り、今までの努力全てが無に帰すような状況にあります。
■女性が子どもを産むか否か、その時期は自由であるべき
――――本作では望まぬ妊娠に悩む女性たちの決断も描かれます。日本でも本人の意思に反して家族が子どもを産むことを望んだり、女性の母性の描き方について問題提起されていますが、サハラ監督は本作で問題提起したかったことは?
祖父母世代など上の時代の人たちから子作りへの圧力がかかるというのは、日本でもアフガニスタンと少し似たところがあると思います。もちろん母性や妊娠は良いものだと考えていますし、母親になれるのは素晴らしい経験です。ただ残念ながらアフガニスタンでは女性が社会的な立場を得たり、家族の中で立場を得るために条件として捉えられている面が強く、自由な選択ができない状態にあります。アフガニスタンの女性の中で出産したい人もいれば、産みたくない人も当然いますし、産むにしても今すぐではなくていい人もいるわけです。社会的にジャッジされたり、家族からの圧力で、自分の決めたタイミングではない、間違ったタイミングで子どもを産まなければいけない人もたくさんいます。
女性たちは自分たちが母親になりたいと思ったときに、なれるべきだとわたしは考えています。偶発的なものを除けば、子どもを産むか否かは自由であるべきですし、その時期も自由であると思います。
それと同時に、この問題は世界共通のものでもあります。女性たちが結婚するとまず母親になることが優先され、他のことをやれている人がとても少ないです。子どもが生まれれば、自分の人生にかける時間が少なくならざるをえない。ベビーシッターを雇う余裕のある人は別として、多くの女性たちは子どものために家に残る形となり、母親でありながら社会活動をアクティブに行なっている人を、わたしはほとんど知りません。
わたし自身はかなり早い段階で結婚もしたくないし、子どもも欲しくないと思っていました。パートナーと一緒に住んだり、結婚することがあっても、それによって社会的な圧力を受けるべきではない。特に、社会に受け入れられるための条件として母親にならなければいけないという状況は間違っていると思います。
■今持っている自由や権利を尊重し、より思い通りの人生を過ごせるために闘って
――――最後に、初長編劇映画が日本公開となりますが、メッセージをお願いいたします。
特に日本の女性たちに観てほしいと思っていますが、みなさんが持っている自由や権利を当たり前のものと思わずに、尊重していただきたいです。さらに多くの自由を得るために、みなさんがより社会で活躍したり、自らが思い通りの人生を過ごせるために、闘っていくべきだと思います。
アフガニスタンでは、女性の権利が急に失われてしまったので、どこであっても闘い続け、自由や権利を保持していただきたいです。ぜひ、劇場へ来ることのできる方は、本作をご覧いただきたいと思います。
(江口由美)
<作品情報>
『明日になれば~アフガニスタン、女たちの決断~』“HAVA, MARYAM, AYESHA”
(2019年 アフガニスタン=イラン=フランス 83分)
監督・共同脚本・プロデューサー:サハラ・カリミ
出演:アレズー・アリアプーア、フェレシュタ・アフシャー、ハシバ・エブラヒミ
2022年5月27日(金)よりシネ・リーブル梅田、アップリンク京都、今夏元町映画館にて公開
公式サイト→https://afganwomenmovie.com/
(C) 2019 Noori Pictures
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