気仙沼で学生震災ボランティアを受け入れ、交流を続ける民宿の女将、菅野一代さんの10年を見つめた『ただいま、つなかん』風間研一監督インタビュー

 

 東日本大震災で津波の被害を受けた宮城県気仙沼市にある自宅の唐桑御殿を補修し、学生ボランティアの拠点として半年間で延べ500人受け入れてきた菅野和享さん、一代さんご夫妻。2013年、一代さんは学生たちが戻って来ることができる場所にしたいとの想いで、改装後民宿「唐桑御殿 つなかん」をオープンさせた。そんなつなかんを営む菅野一代さんや、若い移住者たちを10年以上見つめ続けたドキュメンタリー『ただいま、つなかん』が、3月3日(金)より京都シネマ、3月4日(土)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。

 監督は、TV番組用に取材を続けてきた風間研一。ナレーションは、震災後気仙沼に足繁く通い、一代さんと交流のある俳優、渡辺謙。震災、海難事故、コロナによる休業と言葉では表せない苦難に見舞われる中、誰よりも明るく、誰よりも働き、そしてコミュニケーションを重ねる一代さんの姿や、つなかんで生まれる絆は、殺伐とした今、心の中にそっと明かりを灯してくれるはずだ。

 唐桑の伝統行事や漁業、牡蠣の養殖など、地域固有の文化にも触れることができる本作の風間研一監督にお話をうかがった。



■震災後初の現地取材で気仙沼へ

―――まずは映像の道に入ったきっかけや、東日本大震災時のことを教えてください。

学生時代から表現する仕事をしたいと思っていましたが、情報番組のADとしてテレビ局に転職したのが転機になりました。東日本大震災の時は、朝の情報番組の担当で各地から入ってくる映像を番組でオンエア用に編集する内勤仕事をしていました。当時は24時間被災状況を報道しており、シフト制でその対応に当たっていたのです。



―――実際に風間監督が現地取材をされるようになったのはいつ頃ですか?

報道現場の人間は、震災後の現地取材をしたい人がほとんどですが、やはり突然カメラを持って取材に行く訳にはいかないので、最初から取材に入っていた人が継続して取材を続けるケースが多かった。震災の半年後ぐらいに、気仙沼の被災した大きな船や、南三陸の赤い鉄骨の庁舎のような震災遺構を取材したのが、僕の初めての現地取材になりました。


―――気仙沼を訪れたとき、感じたことは?

まだ震災の爪痕がくっきり残っており、津波で全てが流されてしまい、海沿いの道は地盤沈下して水浸しになっていたので、車を運転するのも危ない状況でした。本当に街がなくなったことを実感しながら、緊張感をもって取材をした記憶があります。震災の約1年後となる2012年2月に、菅野和享さん、菅野一代さん夫妻が学生の震災ボランティアに宿泊場所として提供したつなかん(当時学生たちが名付けた)を初めて訪れたのですが、3階建ての唐桑御殿の3階部分まで水に浸かったそうです。海が見えない場所だったのに、御殿までの家は全て流されてしまったので、映画でも出てくるような海の眺めを見ることができる場所になってしまった。津波を食い止めた建物とも言えますね。



■つなかん初のテレビ取材を経て、会いに行きたいと思える場所に

―――なぜ、つなかんの取材を決めたのですか?

東北の地方紙「河北新報」で、被災者のご夫婦が学生ボランティアの拠点として自宅を提供し、支えているという記事を読み、一般的なボランティアが被災者を支えるという構図の逆になっていることに、まず興味を抱きました。まず電話をしてみると、一代さんが「新聞社は取材に来たけど、テレビはまだ来ていない」と教えてくれたので、これは取材企画として通ると確信しました。当時は様々な切り口の震災取材が行われ、有名なところは何社も取材が入っていたので、初めで取材し、オンエアできるというのが最初のきっかけでした。でも、いざ取材に行ってみると、一代さんがいらっしゃって、帰るときにはまた行きたくなっていたんです。


―――学生のみなさんとも、本当に距離が近くて、まさに「唐桑の母」ですね。様々な思いを抱えていらっしゃるでしょうが、そのエネルギッシュな姿は、逆に観ていて元気をもらえます。

常に全力でお迎えし、おもてなしをし、そして姿が見えなくなるまで気仙沼の大漁旗を振って見送るんです。そうしてもらえると、やはり帰りたくなります。よく「なぜ10年間も取材を続けたのか」と聞かれますが、根底には一代さんに会いに行きたいという想いがやはりあるんですよ。取材の時間があいたら、「ちょっと会いに行こうかな」と思うので、そういう気持ちにさせてくれる場ですね。


―――ちなみに、つなかんまで、どれぐらい時間がかかるのですか?

実際、東京からだと仙台まで新幹線、そこから車で2時間半かかるので4時間はかかるのです。気仙沼も宮城の中ではかなり離れていますが、そこからさらに唐桑半島の方に行きますから、本当につなかん以外は何もないようなところです。でも、そこに大勢の人がわざわざ泊まりに来るし、気仙沼の中心部の方が生活は便利なのに、移住者は不便でも唐桑に住むんですよ。




■唐桑で起きている、移住者が新たな移住者を呼ぶ循環

―――つなかんの存在も一役買っていると思いますが、唐桑という土地に何か吸引力があるのでしょうか?

外から入って来る人を、一代さんだけでなく、地元の方々が受け入れる土壌があります。震災の時に唐桑を訪れたボランティアたちを暖かく受け入れ、交流を深めたことで、仕事や生活のことはさておき、まずは唐桑に住みたいと決めて、帰ってくるんです。震災ボランティアが終わったから、つながりを断ち切るのではなく、一代さんや地元のみなさんとのつながりを大事にしたいという想いから、卒業後まず移住をする人たちが結構いて、着いてから仕事を探したり、なければ自分で仕事を作る。今は地域に根付いた移住組の姿を見た次の世代が、「ああいう移住生活をしてみたい」と唐桑に移住してくるという循環が起きています。


―――すごくいい循環ができているんですね。

全国的に見ても、気仙沼や唐桑は移住が多い町として知られています。一代さんのところに移住者が多いわけを聞きに電話をされる他都市の市長さんも少なからずいらっしゃるようで、それぐらい有名なのです。


―――実際にはどれぐらい撮影されたのですか?

調べてみると43日取材に訪れたことになります。2013〜2014年ぐらいはほとんど行っていませんでしたが、つなかんオープン後の取材で、初めて移住者の元学生たちに出会いました。それまで全く意識していなかったけれど、当時10人ぐらいいたので、つなかんを中心にとんでもないことが起き始めていることを実感し、取材者としてもっと見て行くべきだと感じました。2016年に学生ボランティアの同窓会を初めてやることを一代さんに教えてもらい、当時は全く放送することが見えていなかったけれど、撮るべきだと直感して自主取材を行いました。



■撮らなければ後悔すると感じた、学生たちが帰ってきた同窓会

―――つなかんと学生たちの絆を感じる、本当に貴重な映像でした。

民宿つなかんは、一代さんが、学生たちが帰ってこれるようにという想いで作ったので、実際に学生たちが社会人になって帰ってきた現場を撮らなければ絶対に後悔すると思いました。やっさん(和享さん)も日頃は本当に無口で、挨拶してもすっと去って行くのですが、あの日は学生たちが戻ってきた嬉しさや、お酒が入っていたこともあり、本音で話をしてくれました。本当に貴重な時間でした。ですが、その時想像もしなかった事故が半年後に起こってしまうのです。


―――海難事故で、和享さんをはじめ、ご家族3人が帰らぬ人となってしまいました。その後取材を続けることは難しかったのでは?

今でも何が正解だったのか、自問自答することがあります。実際、事故当日は頭が真っ白になりましたが、少し時間が経ち、僕が取材で乗らせてもらった船が転覆したことを映像で知り、これは僕が取材をし続けなくてはいけないという使命感を覚えました。一取材人として、すぐに現地に向かい、一代さんに話を聞くことは本来しなければならないことかもしれませんが、僕の場合は行ったとしても撮影してもいいかと聞くことはできなかったと思うのです。事故から3ヶ月後にFacebookでつなかん再開の投稿をされていたので、一代さんに僕の想いを手紙に書いて送ったら、お電話をいただき、6月末につなかんのプレオープンがあるというので、これも放映は決まっていなかったのですが撮らなければ後悔すると思って駆けつけました。



■映画化に際しての一代さんのつぶやき、「一つの区切りに」

―――映画としてまとめようとされたとき、一代さんはどのような反応をされたのですか?

最初、一代さんは「つなかんが映画になるの?」と驚かれましたが、最後に小声でぼそっと「これが一つの区切りになるかな」と呟かれたのが、すごく印象に残っています。色々なことが起きてきた中で、映像記録として残ることをそういう風に思われたのなら、深くまでは聞けませんでしたが、映画化して構わないと思っていただけたのかなと。


―――事故後も取材を続けることで、何か一代さんの変化を感じましたか?

以前はこちらが心配になるぐらいガムシャラに走っている印象がありましたが、事故後は肩の力が抜け、自然な姿になられたのではないでしょうか。ご本人は全く意識されていないと思いますが。



■特色ある移住者たちと、彼らが町に溶け込んでいることがわかる名シーン

―――つなかんを取材するのと同時並行で、移住者の人たちの取材も重ねておられますね。

まさにつなかんを取材する中で、みんなと出会っているので、初対面が全て映像で記録されているんです。たまたま出会った若者たちを引き続き、継続して取材をしていったわけですが、それぞれ特色があります。加藤拓馬さんは唐桑の移住者のパイオニアですし、根岸えまさんは移住者チームの広報担当的立ち位置で様々なメディアに登場していますし、明るく元気で漁師が大好きという気仙沼を代表するような人です。佐々木美穂さんは気仙沼でなぜか林業の仕事をしていて、特色あるみんなを興味深く追い続けていった感じですね。


―――町の祭りのシーンでは、移住組のえまさんたちが祭りで町の人たちと踊りを披露し、溶け込んでいるのが印象的でした。

祭りのシーンはテレビでもオンエアしていない初出しシーンです。何も言わなくても、移住者が町に溶け込んでいることがわかる映像ですし、地域文化が後継者不足で消えていく中、よそ者である移住者を地元の人が受け入れ、ノウハウを引き継いで後世に残していく姿を映し出しています。だから、映画化するにあたり、絶対に入れようと思っていました。


―――今、つなかんはサウナカーがあることで人気を博しているそうですね。

あの移動式サウナは日本で一つしかないんです。糸井重里さんが事故の後に、少しでも一代さんに元気になってほしいと、移動式サウナのオーナーと交渉してつなかんに置かせてもらっているそうです。映画では後半、一見突然糸井さんが登場するように見えますが、実際は震災以降ずっと一代さんと繋がりを持っていらっしゃるし、糸井さんは毎年3月11日の14時46分にはつなかんで黙祷される。それが糸井さんの想いなのです。



―――一代さんはこの作品をご覧になって、何か感想を話されていましたか?

過去は振り返らない人なので、今まで僕が取材し、オンエアされたテレビ放送は全く観てなかったそうですが、この作品はみんなで観てくださり、号泣して、笑って「孫たちに、こういうおじいちゃん、おばあちゃんがいることを知ってもらえるといいな」と言ってくださいました。


―――ありがとうございました。最後にこれからご覧になるみなさんに、メッセージをお願いします。

映画ではコロナ下の状況も描いていますが、人付き合いがなくなり、いろいろな閉塞感を覚える中、この作品は一代さんがつなかんを通して学生や移住者、そしてお客さんとのつながる姿を撮ってきました。ご覧いただき、改めて人と人とのつながりや絆を考えるきっかけになればと思います。

(江口由美)



<作品情報>

『ただいま、つなかん』(2023年 日本 115分)

監督:風間研一

ナレーション:渡辺謙

出演:菅野一代、菅野和享、内田祐生、根岸えま、佐々木美穂、加藤拓馬、糸井重里、伊達みきお

2023年3月3日(金)より京都シネマ、3月4日(土)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開。※各劇場、3月4日上映後に風間研一監督の舞台挨拶あり

公式サイト⇒https://tuna-kan.com/

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