「生きなければ!」生の衝動を感じる手描きアニメーション『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』セバスチャン・ローデンバック監督トークショー
アヌシー国際アニメーション映画祭審査員賞、最優秀フランス作品賞のダブル受賞を果たした、フランス・セバスチャン・ローデンバック監督の初長編作『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』が8月18日よりユーロスペース、8月25日よりシネ・リーブル梅田、名古屋シネマテーク、今秋京都シネマ、元町映画館他全国順次公開される。 全編の作画を一人で、しかも手書きで行うという信じがたいアニメーションだが、一旦その世界に入ると、色のついた水墨画のような感触と、勢いのある動きに魅了される。見たことのないようなアニメーションの世界に浸ることができる作品だ。 劇場公開を前に、本作のセバスチャン・ローデンバック監督が関西での先行上映会に登壇し、本作の配給を手がけているニューディアーの土居伸彰さんとQ&Aを交えたトークショーを行った。その内容をご紹介したい。
■初長編でグリム童話の「手なしむすめ」を題材にした理由
ほぼ全ての童話がそうですが、「手なしむすめ」はグリム童話に収められているだけではなく、ほかのいろいろな国に違ったバージョンで存在しています。もちろん、日本にもあります。この童話を翻案しようとしたきっかけは2001年にとあるプロデューサーが演劇の戯曲を翻案しないかと提案してくれたのです。それが「手なしむすめ」が原作のものだったのですが、今日皆さんにご覧いただいた作品の前に、実は別バージョンがあったのです。残念ながら十分な資金を集めることができず、元々の企画は実現しませんでしたが、「手なしむすめ」の物語がずっと心に残り、アニメ化したいと思い続けていたのです。結局4年後に新たに映画化するきっかけができ、今度は自分一人で作り直すことに決めたのです。
■一度頓挫しながら、「手なしむすめ」に再チャレンジするほど魅力を感じた訳
この物語はとても普遍的だと思ったのです。最初のバージョンで映画化しようとしていたとき、グリム童話を読みながら、主人公の少女に自分自身を見出しました。自分の物語だと感じたのです。少女が辿る道のりに、自分が辿っているものと同じものがあると感じたのです。若い頃、私も手を切られたこともあれば、森で迷ったこともあります。私自身、ある王女と出会い、絶対に幸せになれると思っていたけれど、実際は違うということもありました。私自身もう一度手が生えるまでに時間が必要でした。そして自分の庭を作るのに時間が必要でした。だから私には今、“手”があります。皆さんは自分の“手”がありますか?
■一人で作画。寓話性や余白が生まれる独特の技法について
非常にシンプルで、1秒に12枚のデッサンで出来上がっている作品です。全てのアニメーションと同じようにできていますが、独特な点をあげるなら、たった一人で作画していることでしょう。個人で再スタートした以上、大勢のスタッフと作るようなやり方ではアニメーション映画は作れません。自分の人生を全て費やし、たった一人で何十年も費やすわけにはいきませんから、技術的選択をしなければなりませんでした。具体的に言えば、1枚1枚の絵は未完成のデッサンですが、それが積み重なって完成したアニメーションになっていきます。この作品には未完成であるという要素がとても多いのです。未完成の絵が積み重なり、動きとなってアニメーションが完成するのです。もう一つの技術的選択は、登場人物の体の部位によって色分けをしない。ある登場人物はたった一色で色付けをしているのです。二つの選択をしたことで、通常よりも早く、製作時間を稼ぐことができました。時間的、経済的問題だけではなく、新しい視覚的言語が作られたと思います。
■独特の手法で、観客に勇気と信頼を与える作品に
この作品を作り始めたとき、私自身はとても変わった状況にいました(妻で映画監督のキアラ・マルタがフランスのアーティスト・イン・レジデンスに採択され、1年間イタリアに家族て滞在)。プロデューサーがおらず、家族だけが一緒でした。元々やろうとしていた企画は実現できなかったけれど、どうしてもこの企画に必然性を感じていました。たった一人だったので、この作品を必ず作らなければいけないという外側からのプレッシャーはありませんでした。ただ作品が完成する前は、どういう作品になるのか、とても怖かったです。観客は10分もすれば出て行ってしまうのではないかと感じていました。要するに自分の作品が観客と会話ができると思わなかった。信頼していなかったのです。今日皆さんが最後まで見ていらっしゃるということは、この作品と皆さんの間に何かが生まれている。そういう位置に観客と作家がいることは素晴らしいと思います。
■文学的なセリフに呼応するサウンドデザイン
音に関しては自然主義的な作り方をしたと思います。サウンドデザインや効果音に関しては、プロのスタッフとやりました。登場人物たちのセリフは自然主義的ではなく、非常に文学的です。演劇的と言って差し支えないぐらいのものでした。描かれている絵が現実から距離を置いているような描き方なので、セリフも同じように現実と距離を保ったのです。3つ目の要素である音楽は、全く抽象的なものにしたいと思い、ギター奏者のオリバー・メラノ(Olivier Mellano)さんにお願いしました。彼とは何度も仕事をしたことがあ流のですが、たった一人で、エレキギターだけで音楽を作ってしまうのです。彼と仕事をしたかったし、自然を描いているので、ある種のエレキ的な要素が本作の音楽には必要でした。
■グリム童話と違うように見えて、実は共通点を持つラストの描写
グリム兄弟による「手なしむすめ」のラストは、他の国のバージョンと比べると、本作のラストが近いと感じています。グリム兄弟のバージョンでは、少女の手は時間をかけてゆっくりと伸びていきます。王子が少女と再開した時、王子は少女と分からなかった。なぜなら切り落とされたはずの手が伸びているからです。最終的には少女が王女とわかり、二人は城に帰って2回目の結婚をします。2度目の結婚をするということは、同じ人間であっても、戦争で別れていた期間に別の人間になっていたということ。だから再度結婚の約束をする必要があった訳で、非常に興味深いと思います。私は物語の最後を現代的にしました。二人はは城には帰りたくない。そして自分たちの家を自分でみつけようとします。場所は違いますが、1度目の結婚から時を経てもう一度自分たちで決断を下すという意味では、グリム兄弟と同じ考えなのではないでしょうか。
■少女が手を取り戻すことの意味することは?
「手なしむすめ」は守護神が少女を守る役割として登場したり、悪魔が出てくるなど宗教的な要素がありますが、グリム兄弟が収集したのではない他のバージョンを見ると、全く宗教的な要素が全くないものもたくさんあります。どのようにあの瞬間に手が再び生えるシーンを発想したかといえば、宗教色要素が全くないバージョンを読んだからです。そのバージョンでは、少女が子を抱えながら川を渡ろうとして、子を落としそうになる。そこで生きなければいけないという必要性を感じたときに、手が生えていたのです。そのシーンを参考に、この作品で手が生えるシーンを考えました。私による「手なしむすめ」の手が生えることに関する解釈は、彼女は手がなくても生きていけるようになっていたということです。彼女が生きなければならないという生の衝動を感じた時に、手が伸びる。そのように解釈しています。
<作品情報>
『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』“Le Jeune fille sans mains”
(2016年 フランス 80分)
<監督>セバスチャン・ローデンバック
<声の出演>アナイス・ドゥムースティエ、ジェレミー・エルカイム、フィリップ・ローデンバック、サッシャ・ブルド、オリヴィエ・ブローチェ、フランソワーズ・ルブラン
2018年8月18日(土)〜ユーロスペース、8月25日(土)〜シネ・リーブル梅田、名古屋シネマテーク、今秋京都シネマ、元町映画館他全国順次公開
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