ディズニーからピクサーまで。初の黒人アニメーターの波乱万丈の人生に迫る『伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン』マイケル・フィオーレ監督トーク


南カリフォルニア大学と国務省による「アメリカン フィルム ショーケース プログラム」の一環として、5月に龍谷大学で開催されたインディペンデント映画『EAST SIDE SUSHI』上映会&トークセッションに引き続き、7月11日関西大学にてドキュメンタリー映画『伝説のアニメーター:フロイド・ノーマン』上映会&マイケル・フィオーレ監督×小林剛教授対談が開催された。  


Netflixで現在見ることができる本作は、マイケル・フィオーレ監督とエレック・シャーキー監督が黒人初のアニメーターとしてディズニーに雇われ、ナイン・オールド・マンと呼ばれるディズニー伝説のアニメーター集団に直接教えを受けたフロイド・ノーマンに密着。彼の波乱の人生を通して、アメリカのアニメーションの歴史や、黒人アニメーターの地位の変遷、そして誰からも愛されるパワフルな人柄を浮き彫りにしていく。

カリフォルニア州サンタバーバラで育ったフロイドは、黒人差別が比較的激しくないその地で、芸術に理解のある祖母に進められ、早くから美術学校に通い、その才能を開花させていく。黒人初という採用に特に気負うこともなく、ディズニー入社後順調にキャリアを重ね、60年代には『眠れる森の美女』という傑作にも携わる。しかし、映画が出来上がると大量解雇され、公民権運動や、65年ロサンゼルスで起きたワッツ暴動の頃は、黒人の真実を語る作品づくりも行っていたという。70年代はテレビ番組のストーリーボード、80年代後半にはコミックスのミッキーマウスを何年間も書きながら、映画のアニメーターに復帰するのをじっと待っていた苦労人でもあるのだ。 フロイドと共に仕事をした有名アニメーション監督や、彼の前妻、そして現在も二人三脚でフロイドのアニメーター人生を支えている元会社の同僚の妻と、プライベートでの一面も垣間見せる。アニメーターの映画らしく、若手アニメーターが軽やかなタッチのアニメでフロイドの様々なエピソードを再現しているのも楽しい。そして、それだけのキャリアの持ち主でありながらも、65歳で定年を言い渡され、仕事をしたいのにできなくて、それでも会社に通ってしまうフロイドの姿に、様々な思いがよぎるのだ。  


上映後に行われた対談では、関西大学文学部でアメリカ文化研究、アメリカ美術史を教えている小林剛教授が聞き手となりマイケル・フィオーレ・フィルム、マイケル・フィオーレ・メディアグループのオーナーでもあるマイケル・フィオーレ監督にお話を伺った。その模様をご紹介したい。



 小林:2017年アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門の選考リストにも残った本作ですが、まずは作品制作のきっかけについて教えてください。

フィオーレ監督:2013年、共同監督でクリエイティブを担当したエレック・シャーキーがサンディエゴのコミコンでフロイドに出会ったことが全ての始まりです。エレックはフロイドが他の人と「ウォルト・ディズニーと仕事をしていた」と会話をしているのを偶然耳にし、本当だったのかと質問したそうです。すると、『眠れる森の美女』を始め、ディズニーの古典作品の名前が次々と出てきました。私とエリックは、共通の友人で、映画制作をしている作曲家ライアン・ショワを通じて出会ったのですが、エリックが挙げた4つの案のうちの一つがフロイドで、迷わず映画化するのはこれだと思いました。今まで彼が映画化されていなかったのが不思議なぐらいです。エリックとフロイドの話をしてから1ヶ月後には撮影を始めました。なにせ、フロイドは当時78歳でしたから、映像に収めるチャンスを逃したくなかったのです。先週83歳になられましたが、まだとても若々しいですね。  


小林:フロイドさんのどういう所にインスピレーションを得たのですか? 

フィオーレ監督:60年の長いキャリアを持っている方なので、アニメ界に対するラブレターになるのではないかと思いました。彼はアフリカ系アメリカ人でディズニー社員になった第一号ですが、それだけでなくピクサーでも仕事をしている人物で、映画化する価値がある人だと思っていました。フロイドはアニメーション界の偉人と呼ばれる人たちと仕事をし、65歳でバリバリ仕事をしているにも関わらず解雇されてしまった。皆が年老いるという現実がある中、アメリカでも65歳で定年になっています。それに対して、対話の場を設けたいという思いもありました。  


小林:ドキュメンタリーを撮っている間にストーリーが進化したのですか? 

フィオーレ監督:ドキュメンタリーを撮ることはウサギの穴を進んでいくようなもので、撮影を続けるうちに想像もしない人とインタビューをしたり、インタビューをしなくてはいけない人が増えてきたり、いろいろな分岐点が発生します。豊富な経験を持つ人物ですから、撮り始めた時は、アニメ版フォレスト・ガンプ的にフロイドを描いていこうと思っていました。そのうち、ご覧の通り、年齢差別のことも加わりました。逆に、採用されなかったアイデアとして、フロイドとリオ・サリバン(60年代のクリエイティブパートナー)との関係を深掘りしたかったけれど、二人の関係性を描くには材料が足りなかったのです。ドキュメンタリーはアーカイブ映像がどれだけあるかが重要ですから。 


小林:フロイドさんは年齢差別で辞めさせられたという話がある一方で、白人の伝説的アニメーターは90歳まで働いています。これは年齢だけでなく、人種問題も関係しているように思えます。

フィオーレ監督:ジョー・グラントはディズニー創設当初から仕事をしていた人ですし、ファニー・マティソンはフロイドと同時期に仕事をスタートしている人で、亡くなるまでディズニーで仕事をしています。フロイドの場合、65歳の誕生日が一つの口実に使われたのかもしれません。人種差別だとか、ディズニーの幹部に対し政治的なメッセージを込めた絵を描いていたことも影響しているかもしれません。私の中では人種差別、年齢差別の間ぐらいにその答えがあるのではないかと思っています。 


小林:このドキュメンタリーでは若手のアニメーターを採用していますが、その理由は? 

フィオーレ監督:私はこの業界で25年ぐらい仕事をしていますが、最初の第一歩が難しいのです。今回は、若手に機会を与えるのにいい作品になるのではないかと思いました。そしてディズニーの方にも彼らの作品を見てもらえるいい機会になるのではないかと思いました。また、多様性を示すことも大切で、世界中のアニメーターの方に参加していただきました。日本人、オーストラリア、フランス、カナダ、アメリカでもニュージャージーと、とても広範囲です。私自身、アニメーションが入った作品は初めてですし、スカイプでクリエイティブセッションを行ったのも初めての体験でした。 小林:多様性とおっしゃいましたが、今のアメリカの状況をどうお考えですか?またアニメーションはどのように社会を反映していますか? ワシントンDCで様々な問題が多様性に関してはありますが、エンターテイメント業界ではそう言った問題はないと思います。今まで以上に様々な性別の俳優がカメラの前に立つ必要があると思いますし、裏で仕事をしている人も多様性が必要だと思います。


 小林:本作を作り上げる上で、一番大変だったことは? 

フィオーレ監督:脚本を先に撮る映画と、ドキュメンタリーは別物ですが、ドキュメンタリーは最初だいたいのアイデアはありますが、そこから撮影をし、編集をする段階でやっとストーリーが見えてきます。編集作業が一番大変でした。100時間ぐらいの映像やアーカイブ映像、古い写真をまとめる作業が大変でした。50通りぐらい編集方法があると思うのですが、その中から一つに決めなくてはいけないのは大変でした。3時間半のロングバージョンを見てもらうと、「今回にカットされた部分だけでも一本映画ができますね」と言われました。


 Q:アメリカ人の文学や文化を研究している者として、W.E.B.デュボイスの「ダブルコンシャスネス」という観点から、アフリカ系のフロイドが、自らのアイデンティティつまり、アフリカのアイデンティティとアメリカ人のアイデンティティも勝ち取っていかなければならなかったことが読み取れます。映画の中で、人種の文化を描いているのが素晴らしかったです。サンタバーバラで、あまり人種差別の意識がなく育った(カラーブラインドネス)フロイドが、ワッツ暴動では自らカメラを回しました。そこはあまり突っ込んで語られていませんが、フロイド自身の個人的な思いは? 

フィオーレ監督:フロイドにとって、育った環境が大きかったのではないでしょうか。サンタバーバラで家族と過ごしたことが、彼が彼らしく成長できた要因ではないかと思います。フロイド自身は人生の目標として黒人最初の・・・という肩書きがついた人になろうとしているわけではありません。ただアニメーターになりたかったのです。映画の中で出てきたように黒人の歴史に関する映像を製作する仕事もしていました。それはアニメーションや映画業界に入る方法としてやっていたのであり、自分が黒人だったからという話はしていません。一方、彼の元妻の方は南部育ちで、ディズニーパブリッシュでも働いていた優秀な方です。黒人差別の激しい場所で育っているので、常に差別を敏感に感じていたのだと思います。  


Q:ディズニー音楽や音楽全般が好きですが、この映画の音楽を聞いてトーマス・ニューマンさんのことを思い出しました。ライアンさんは彼から影響を受けたのでしょうか?  

フィオーレ監督:映画を撮り始めて、フロイドと知り合ってから4年ぐらいになりますが、本当にこの映画はフロイドをうまく描いていて、とても彼らしい作品だと思います。映画の音楽をジャズテイストにしようと思ったのは、映画でドン・ファンさんのコメントに「ストーリーボードを作るのはジャズのようなもの」と言っていたことがきっかけでした。参考にしたのは『レインメーカー』のエルマー・バーンスタインや、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のジョン・ウィリアムズさんで、両方ともジャズの曲を採用しています。特に『レインメーカー』ではオルガンが目立っていますが、俳優のマット・デイモンのキャラクターをうまく描いていたので、それを参考にし、フロイドに合うテーマ曲をジャズ調で作ってもらいました。


 Q:二人の奥さんへのインタビューが、仕事面では見えないフロイドを引き出していました。 初対面での印象や、撮影でのエピソードがあれば教えてください。 

フィオーレ監督:最初はどれだけ深く突っ込んだ質問をすればいいか距離感が掴みにくかったのですが、自己紹介的な質問を終わる頃には、二人ともたくさんのことをシェアしてくださるようになりました。特にエイリアンさんは本当にたくさんのことを共有してくださいましたが、それは映画を撮るにあたり、エリックと私がいろいろなことを共有できるようにという目的であり、実際は映画に使わないでほしいという箇所もたくさんあったのです。被写体となった方からのリクエストはもちろん尊重しましたが、映画のドラマ性を考えると、少し勿体無かったです。夫婦の関係性だけではなく、二人の奥様の関係性にもっと色々な色付けができるような素材が実はたくさんあり、もっと様々なレベルから切り込むことができたと思います。それらを入れていたらフロイドのストーリーはもっと大きなスケールで、もっとパワフルに描けたと思います。 


Q:アニメーション業界における女性アニメーターの位置付けの変遷を教えてください。 

フィオーレ監督:作品中では「インクアンドペイントデパートメント」と呼ばれる裏方でこの業界を支えている女性たちがチラリと映りましたが、実はその女性たちにスポットライトを当て、この映画のフォローアップになるような映画を次作で撮ろうと準備中です。映画でも出てきたジェーン・ベアは、女性最初のアニメーターの一人で、ナイン・オールド・メンの元で仕事をし、長年この業界でキャリアを積んでこられた方です。どうしても女性は裏方に回ることが昔は多く、その過渡期でウォルト・デイズニーが数名の女性を直接選び、要職についた方もいました。ただ、アニメーション業界の歴史の中で女性が注目を浴びるということは少なく、やっと最近になって女性が注目されるようになってきています。ジェーンさんもフロイドと同じように色々なことに耐え、ディズニー退社後は、当時の夫と起業し、『ロジャーラビット』のアニメーションを全て担当しました。80年台ぐらいまでは、女性が働くのに厳しい時代が続いたと思います。  


Q:日米のアニメーションの作り方の違いや、西洋と東洋の視点の違いについて教えてください。 

フィオーレ監督:日本の方が作品に火のような熱さや芸術的な側面を感じます。一方、アメリカはピクサーに代表されるようにシリーズ化主義の傾向が見られます。日本の方がアート重視、アメリカの方がコマーシャルベースのビジネス的側面が強くなっているかと思います。もう一つ、アメリカの方がリスクを回避する傾向にあり、日本の方がアートを大切にしてリスクをとる傾向にあるかと思います。