冤罪の被害者とその姉ではなく、等身大のふたりの人生を知ってほしい 『拳と祈り —袴田巖の生涯—』笠井千晶監督インタビュー


 死刑囚として47年7か月を拘置所で過ごした後に釈放され、2024年10月9日に無罪が確定した袴田巖さんの人生とその闘い、姉秀子さんとの生活を見つめたドキュメンタリー映画『拳と祈り —袴田巖の生涯—』が、10月25日(金)より京都シネマ、10月26日(土)より第七藝術劇場、11月8日(金)より洲本オリオン、11月9日(土)元町映画館他全国順次公開される。

22年間取材を続け、釈放後の袴田巖さんに密着取材を重ねた笠井千晶監督に、お話を伺った。



■取材のきっかけは、獄中から巖さんが家族に送った手紙

―――笠井さんは22年間袴田さんを取材し続けてこられましたが、9月26日に静岡地方裁判所が袴田さんの無罪を言い渡したとき、どんなお気持ちでしたか?

笠井:言葉の上では〝無罪〟と聞いていましたし、それが当然だと思い取材をしてきましたが、実際に「無罪」と旗が掲げられたとき、今までのことを思うと、信じられないという驚きと喜びが大きかったです。


―――袴田さんを2002年に取材しようと思われたきっかけは?

笠井:獄中から届いた袴田さんの手紙の実物を見たいと思い、姉の秀子さんに連絡を取り、お会いしに行きました。番組を作るためというより、純粋に実物を生で見たいという気持ちでした。初期の手紙で、死刑判決が出る前のものもあり、家族を見舞う思いやりが感じられる内容でした。凶悪な殺人犯で死刑囚というイメージとはほど遠かったので、そのギャップにすごく興味を惹かれたのだと思います。今でこそこんなに有名になった事件ですが、当時はほとんど報道されておらず、話題にする人も非常に少ない事件でした。当事者の袴田さんが明日死刑にされるかもしれない中で、家族に送った手紙があることを知ったことが事件のことを知るきっかけだったのです。


―――秀子さんとの最初の出会いはどのような感じだったのでしょうか?

笠井:当時は秀子さんもまだ取材に慣れておられなかったので、袴田さんの支援者の方が秀子さんに付き添われ、3人でお会いしたのが最初です。2014年に巖さんが釈放されるまでは、秀子さんと個人的に仲良くなっていましたので、お顔を見に行って、近況についてのお話をしていました。当時はテレビ局の記者だったので、取材となるとカメラマンも来て大掛かりになるのですが、そういうことは滅多になかったです。



■死刑判決を書いた熊本典道裁判官、冤罪が認められたルービン・カーターさんとの逸話

―――映画を拝見していると、笠井さんが袴田さん姉弟に家族のように受け入られていることが伝わり、こちらも親戚のような気持ちで巖さんと秀子さんの日常を見つめることができました。この作品では巖さんより何十年も早く、死刑判決が冤罪であると認められたルービン・カーターさんや、1968年、巖さんに死刑判決を書いた熊本典道裁判官とのくだりが非常に印象的でした。

笠井:熊本さん側からすれば、死ぬまでにとにかく巖さんに会いたいとお話されていたみたいなので、巖さんと最後に会えたというのは想いが叶った瞬間だったと思います。実際に熊本さんに会っているとき、巖さんはそのことをわかっていないとそこにいる全員は思っていたんです。それが会った2日後に、巖さんが「熊本さんは一審の裁判官」とわかっていたのには驚きました。秀子さんからすれば、最初から熊本さんの名前を出すことで、巖さんが行きたくないと拒否することを懸念し、気を利かせてあまり細かい説明をしなかったのですが、実は巖さんはわかっていたのです。


―――巖さんが獄中から、同じくボクサーで終身刑の判決を受け、1988年に無罪を勝ち取ったルービン・カーターさんへ手紙を書いておられたことにも驚きました。

笠井:1989年に書かれたもので、巖さんの東京の支援団体の方々が巖さんの獄中書簡をまとめた本を出されており、そこでも手紙の一つとして紹介されています。ただカーターさんは釈放後も大変な思いをされ、支援団体側でもコンタクトを取ろうとされていたけれど消息が掴めなかったそうです。ボクシング協会の方から、巖さんへの応援ビデオメッセージをカーターさんに寄せてもらいたいということで、関係者伝いで連絡を取ることができ、当時ニューヨークにいたわたしがその撮影をさせていただきました。


―――無罪を勝ち取ったご本人なので、本当に一言一言の重みが違いますね。

笠井:あの言葉の強さと重さと説得力は、カーターさんご自身が壮絶な体験をされているところに起因していると思います。巖さんと同じぐらい過酷な体験をされたので、通じ合うものがあると感じました。


■会社の財産にするのではなく、個人で作った巖さんの映画を遺していく

―――笠井さんは2014年に袴田さんが釈放されたときから、移動する車でカメラを回しておられましたね。

笠井:袴田さんは当時死刑囚だったので、わたしは面会することができず、釈放の日に初めてお会いしました。ただ周りが混乱する中で突然出てこられたので、とにかく安全な場所に早く行かなければと必死。やっとお会いできたという感傷的な気持ちは全然なかったのですが、その日の夜、巖さんと秀子さんがともにホテルに落ち着き、その場でカメラを回していたとき、あれだけ会いたくても会えなかった巖さんが目の前にいらっしゃることが、夢のような気持ちになりました。また、夜中はお二人が隣り合わせのベッドで寝ておられたのですが、トイレに立たれたら秀子さんも起きて付き添ったりと、ご姉弟を長年隔ててきた壁が本当になくなったことを目の当たりにしました。どんなに願っても叶えられなかった瞬間を、わたしがその場で記録をしていたのですから、これは絶対に何か形にしなくてはと思いました。そして、良かったという気持ちより、なぜそんなに長い時間がかかってしまったのかという気持ちの方が強かったですね。


―――その場にカメラを持って記録していたというところから、映画にするのはご自身の使命と考えられたのでしょうか?

笠井:最初は会社に所属しながらドキュメンタリー番組を作っていましたが、それはあくまでも会社のものになります。ただ、袴田巖さん、秀子さんのお二人の姿を見ていると、これは一会社の財産になるようなものではなく、もっと開かれたものになるべきで、そのためにわたし個人で作った映画を遺していこうという思いがありました。巖さんが釈放され、秀子さんと自宅に帰ってきたときに、これは独立して、映画を作るための時間を取って、向き合っていこうと決意したのです。


―――巖さんが釈放されてからもう10年になりますが、秀子さんと暮らす中でどのような変化がありましたか?

笠井:最初、他人への不信感や猜疑心が非常に強く、「面会謝絶」とお客さんを追い返したり、部屋から出てこないこともあったのですが、秀子さんが引きこもっていてはいけないと巖さんを買い物などに連れ出すようになりました。そうすると秀子さんとの信頼感から、一度一緒に行ったことのある場所は、ひとりでも行けるようになり、だんだんと外に関心が向くようになってきました。やはり秀子さんと一緒に暮らし始めたことで、姉への信頼関係が揺るがなくなり、日々のコミュニケーションにも支障はなくなりましたし、ちょっとした表情にも現れてきました。例えば、秀子さんがあるとき、巖さんがあくびをするようになったとおっしゃったんです。警戒心が強いときは決してしなかったけれど、戻ってきてしばらくたってからするようになったそうです。だんだん気持ちがほぐれてきて、表情も豊かになってきた一方、自分自身の世界は変わらず強固に持っているという状態に、5年ぐらい前から落ち着いてきた感じですね。



■巖さんの人生を示すタイトル『拳と祈り』

―――自分の世界という意味も含め、『拳と祈り』というタイトルは巖さんの人生そのものですね。

笠井:巖さんは獄中で教誨師の方にお会いし、洗礼も受けられていますが、今は聖書を読んだり、お祈りをするという獄中の姿勢がベースにある中で、自分が神になったとおっしゃっています。わたしが今回「祈り」をタイトルに入れたのは、物理的に祈るということだけではなく、『拳と祈り』が対になっています。巖さんが現役ボクサーの時代は、ボクシングが拳闘と呼ばれていたので、大事な要素であるボクシングを入れるためにタイトルにも「拳」(読み:けん)を入れました。巖さんはリングでフィジカルな闘いをされてきましたが、獄中の時代を経るにつれて、だんだん心の内面の闘いに移行していったと思うのです。その内面の闘いを表現する言葉は何がいいかを考えた末、これは「祈り」ではないかと。巖さんの心の中の闘いは、静寂の中にある気がしたのです。

 巖さんご自身も物静かな方で、ご自宅でも定位置に座り、静かに物思いにふけっているのですが、その静けさを纏いながら心では闘っている姿を見ていると、「祈り」という言葉が一番しっくりきました。つまり、巖さんの人生を言語化したら『拳と祈り』になったのです。


―――本作を拝見し、巖さんの人生にとってボクシングがとても大きなものであることがよくわかりました。

笠井:秀子さんはよく「巖はボクシングしか知らないから」とおっしゃいますが、巖さんは30歳で逮捕される前に打ち込んできたのがボクシングなんです。2014年にご自宅へ帰ってきた巖さんを見ながら、どうすればわたしは巖さんのことをもっと理解できるだろうかと思ったとき、わたし自身がボクサー時代の巖さんにきちんと目を向けて知ることが大事だと思いました。知ったことにより、今の巖さんが理解できるかもしれないと。


■弱音を吐かない姉、秀子さんの生き方

―――巖さんの人生と共に描かれる秀子さんの人生にも惹きつけられました。ひとりでやりたいことをやる!という気概を感じました。

笠井:戦前生まれ世代の女性は、生活のために結婚するのが当たり前だったそうですが、秀子さんは絶対にそんなことは嫌だということで、自分で手に職をつけ、働く女性の草分けとして生きてこられました。わたしもすごく尊敬していますし、人生の師匠です。秀子さんはいつもお会いすると、「あなたなら、できるわよ」とわたしの映画づくりを励ましてくださるんですよ。


―――秀子さんが弱音を吐かれることはありましたか?

笠井:心の中で不安に思うことはないわけではないと思いますが、それを絶対に言葉や態度で出さない方です。秀子さんは、「くよくよしたり、弱音を吐いたとて、それで状況が良くなり、巌が無罪になるのか。」とおっしゃいます。考えても意味のないことを考えて言葉にするのではなく、具体的に今自分ができることを考える。秀子さんはそこが一貫しています。


―――「巖の薬は自由だ。精神科なんか行かない」という秀子さんの言葉が、ズシリと響きました。

笠井:1ミリも迷いがないですよね。主治医と呼ばれる先生も、世界的に例を見ない、慢性的になった拘禁反応の方を治療できる方法はないし、それを診ることのできる医者もいないとおっしゃっていて、しいて言えば、姉の秀子さんと日常生活を送るのが一番なのだそうです。だから、秀子さんの言葉は理にかなっているんですね。



■等身大の姉弟の人生をトータルで知ってほしい

―――この作品は袴田事件のことを知らない人が観ても、その経緯や袴田さんや秀子さんの歩んできた人生がわかるように、インタビューやアーカイヴを交えた重層的な作品になっていますが、編集に際してどのような方針で臨まれたのですか?

笠井:まず、この作品は巖さんが主人公の映画にしようと思いました。秀子さんはすごく大事な存在ですが、秀子さんの映画になってしまわないように、バランスに配慮しました。彼女はすごく魅力的で、いい言葉を語ってくださるのですが、控えめな巖さんの声をまずお伝えすることを心がけ、巖さん自身の言葉をできるだけ盛り込むようにしました。

 同時に、お二人とも戦争時代にひもじい思いをされ、そこからなんとか生活を成り立たせようと、それぞれの道で真面目にコツコツと生きてきた人たちです。事件に巻き込まれた冤罪の被害者とか、死刑囚ということより、等身大のお二人の人生をトータルで知っていただきたいという思いがあり、その部分を重視して描きました。


―――映画では、笠井さんが優しく巖さんに話しかけ、会話するシーンも何度か登場します。巖さんが笠井さんに心を許しておられるんだろうなと感じる一方、どういう声かけをすればいいのか難しかったのではないかと思ったのですが。

笠井:話だけ聞いていると、何気なくて楽しそうに見えるのですが、実は次にどんな質問をしようかと、猛スピードで考えながら会話をしているので、失敗は許されないという緊張感がありました。巖さんの世界のことをもっと話していただくために、わたしがどのように受け取り、言葉を返せばいいのか。特に、最初の方はどんな反応が返ってくるかわからなかったので、すごく気を配った部分ではありました。そのうち、巖さんからもっとしゃべっても良さそうな雰囲気を出してこられたときは、巖さんが伝えたいことを言ってもらい、わたしは教えていただくのだと思い、それがどんなお話であっても、自然に「教えてもらって、ありがとうございました」という言葉を巖さんにお伝えすることになりましたね。



■日本の死刑は「隠されている刑罰」 

―――巖さんの言葉の端々から、死刑制度に対する憤りが伺えましたが、笠井さんご自身は死刑についてどのようにお考えですか?

笠井:袴田事件に関して言えば、死刑というのは絶対に間違いが許されない刑罰ですし、実行される可能性があったわけです。そういう意味でも刑罰としての死刑のあり方は、本当はもっと情報があり、それに基づいて議論されなければいけない。今はそれが全くされていない状況ですし、死刑の存廃についても両方の意見が対立していますが、検討材料となる情報がなさすぎます。わたしは何度も獄中の袴田さんを取材しようとしました。どのような暮らしをして、どのような処遇を受けているのかを、いろいろと手を尽くして調べようとしましたが、とても限界がありました。日本の死刑は隠されている刑罰だと思うのです。

「殺人犯には死刑を」という考えの人もいれば、命を奪うことに反対という人もいる中、存廃の判断をしようにも情報がなければ、歩み寄る術もない。今回のように冤罪であることが明らかになったことを機会にみなさんに考えていただきたいし、巖さんは生き証人です。生きて獄中から戻り、死刑囚のまま社会で暮らした初めての人ですし、「もっとも死刑囚として長く収監されていた方」ということでギネスブックに載るぐらいですから。巖さんの全てを見ていただき、死刑に関して、人間の命を奪うものとして、賛成であろうが反対であろうが話をできればいいのではと思っています。


―――ありがとうございました。巖さんの無罪は確定しましたが、これから先も巖さんや秀子さんを記録し続けていかれますか?

笠井:そもそもの出発が、映画を作って完成させることではなかったですから、許される限り、続けていきたいですね。秀子さんとの出会いとお付き合いがあり、その後に巖さんが戻ってこられて、わたし個人の大事な人間関係の中に巖さん、秀子さんがいらっしゃるのです。だから無罪となり、この作品が公開されたとしても、これからのお付き合いは変わりません。わたしが時々お二人の顔を見るためにご自宅にお邪魔をして、その傍らにはいつもビデオカメラがあるという今まで通りのスタイルはずっと続くと思います。お二人を近くで見ていると、報道ではわからない日常生活から滲み出る人としての魅力を感じますし、わたしの感じていることが映像に映っているので、観た方もそのことを追体験していただけるのではないでしょうか。

(江口由美)


<作品情報>

『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』(2024年 日本 159分)

監督・撮影・編集:笠井千晶

出演:袴田巖、袴田秀子

2024年10月25日(金)より京都シネマ、10月26日(土)より第七藝術劇場、11月8日(金)より洲本オリオン、11月9日(土)元町映画館他全国順次公開

公式サイト⇒ https://hakamada-film.com/

©Rain field Production