『山中傳奇』豊かな山中描写と元祖ゴーストストーリーをたっぷりと

アクション映画を芸術の域に高め、アン・リー、ウォン・カーウァイ、ホウ・シャオセンら名匠の武侠劇にも大いに影響を与えたという武俠映画の開拓者、キン・フー監督。溝口健二監督『近松物語』、内田吐夢監督『恋や恋なすな恋』など、往年の名作を4Kデジタル修復し、クラッシック部門でワールドプレミア上映しているヴェネチア国際映画祭が、2016年に同部門でワールドプレミア上映したのが、キン・フー監督の『山中傳奇(さんちゅうでんき)』4K デジタル修復・完全全長版だ。


3時間12分、今なら年に数本はある長尺という感覚だが、79年に香港で公開された本作は2時間版として公開され、日本でも映画祭などで2時間版が上映されるのみであったという。本来の姿を映し出される機会がない、なんとも不遇な作品だった。それから40年近く経ち、ついに全貌が明かされる。本作が本来もつ映画のうねりが感じられるのだ。


『山中傳奇』は、宗時代の話本「西山一窟鬼」を原作に、オリジナルの要素を加えた武俠ファンタジー劇。オープニングから、山の美しい風景が悠然と映し出され、みやびな音楽と共に物語の世界に吸い込まれていく。若い学僧、雲青が、戦乱で死んだ者たちを鎮魂するため写経を頼まれ、集中できる静かな場所を求めているうちに、山奥の城壁にある廃屋へ案内されるところから始まる物語は、なんとも怪しげな人たちが次から次へと登場。キン・フー作品の看板女優だったシュー・フォンが、宴席で雲青を誘惑し、とある意図で結婚へ持ち込む美しい女を貫禄いっぱいに演じれば、今や監督としてもその手腕をいかんなく発揮しているシルヴィア・チャンが、雲青と惹かれあう居酒屋の娘を初々しく演じている。その後、中華圏の女優はゴーストストーリーでの主演が女優の道へのステップになっていく時代もあったが、まさにシルヴィア・チャンはその先駆者的存在だったのだろう。


登場人物の正体が少しずつ明かされながらも、自然豊かな山の中で繰り広げられる物語には、悠々とした時間が流れている。後半こそは、ゴーストたちによる争いが繰り広げられるが、その武器も小太鼓や小さなシンバル、笛など、リズムものでとても斬新。オチはとてもシンプルなのだが、そこにいきつくまでの過程がユーモアを交えて描かれ、悠久の時の流れの中で起きるからこそ、自分の感覚がその世界観に馴染む。頭を空っぽにして、古典的でもあれば、斬新さもある元祖ゴーストストーリーに浸ってほしい。