『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』マルタ・エルナイス・ピダル監督、スカイプトークで主人公母娘との出会い、ボスニア舞台の映画制作秘話を明かす@次世代映画ショーケース2019
ベルリン国際映画祭フォーラム部門で世界初上映後、なら国際映画祭で日本初公開されたマルタ・エルナイス・ピダル監督の長編デビュー作『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』が、シネ・ヌーヴォで開催中の「次世代映画ショーケース2019」で上映された。
自閉症(字幕では発達障害)の幼い娘を持つシングルマザーのカオスな日々を、ビビッドな色合いと、多彩なカメラワーク、そして印象的な音使いでイキイキと映し出したヒューマンドラマ。途中からロードムービーに転じていく物語は、ボスニアの街中だけでなく、田舎の素朴な風景や、旧ユーゴスラビア時代の影も浮かび上がる。 メキシコ出身のマルタ監督とタル・ベーラの映画学校(ボスニア)で共に学び、マルタ監督の短編映画で撮影監督を務めたという小田香監督(『鉱 ARAGANE』)が上映後に登壇し、マルタ監督とのスカイプトークが実現。小田監督がボスニアで撮影した映画では、マルタ監督が現地のプロデューサーを務め、同期の中でも縁が深いという二人と観客が一体となったQ&Aの模様をご紹介したい。
―――作品のアイデアはどこからきたのですか?
マルタ:ボスニアに住み、タル・ベーラの学校で映画の勉強をしていた時に、主演女優のアイーダに出会いました。彼女は、実際に学校で働いている事務員で、私はアイーダの性格にすごく惹かれたのです。整理整頓ができない、予定が立てられない性格でちょっとめちゃくちゃなところがありますが、出会った時、子供がいるとは知りませんでした。後に、ハヴァというお嬢さんがいることを知り、母と娘の物語を作ろうと思いました。ハヴァが自閉症であることを知ったのはその後の話で、自閉症のことを知る前に構想していた話と、それが判明した後の話をミックスして物語を構成しました。なぜ自分のフィクションの部分と現実を混ぜようとしたかといえば、ドキュメンタリーとのミックスで自分の映画を作ることが一番大きいチャレンジだと思ったからです。
―――実際にアイーダ母娘とどのように映画づくりをしたのですか?
マルタ:ハヴァの自閉症が判明したときから、毎晩一緒に夕食を取っていましたが、その時に1日何が起こったかを私が聞き、アイーダに話してもらいました。スーパーでよくわからないおばさんに怒鳴られたとか、小さい物語をたくさん聞かせてもらったのです。スクリプトは彼女たちの実話ベースにしていますが、撮影は13日間で完全に脚本を基にしたものでした。
―――映画では音が時にはカオスのような映像を誘ったり、幼いハヴァの声が音楽のようにこだましたり、音作りが非常に印象的でした。どのような狙いがあったのですか?
マルタ:この映画で、音はとても重要でした。現場で撮った音ももちろん大切でしたが、自閉症の人たちが、どういう風に音が聞こえているかが重要で、そういう音作りにも力を入れました。彼らは私がしゃべっている声と、例えば暖房の音がうまくボリューム調節できないのです。だからコミュニケーションに問題が生じます。人の声だけを認識することが難しいのです。映画では、自閉症の人が実際にどういう風に聞こえているかを再現しようと試みました。そういう風に音を作る一方で、(映像の)イメージも作っています。焦点の浅い映像も取り入れながら、カオスの日常を表現しようとしました。ハヴァがそういうふうに世界を感じているのと同じようにナダもカオティックなので、彼女の日常もそうなのではないかと思いました。
―――小田香監督とマルタ監督はタル・ベーラの学校で学んだ仲間ですが、お互いをどう評価していますか?
マルタ:小田さんからはたくさんのことを学びました。彼女は自分のスタイルを信じて自由に撮っているフィルムメーカーですし、多くの人が大きな予算を組んで待っている中、彼女は小さいカメラを抱えて撮影に行くというやり方を貫きました。この作品も低予算で大変でしたが、小田さんのやり方を思い出し、大きな予算がなくてもできると勇気付けられました。『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』の前に、『エンプティネスト』という作品を一緒に撮り、当時は大きなカメラで撮ったのですが、どれだけ忍耐強く働き、予測不可なことが起こっても対応して、現場の空間に耳を済ませていたのにも尊敬しました。現実に耳を傾ける準備ができていたから、ハヴァが自閉症だとわかっても対応できました。
小田:なぜ私が彼女と働くのが好きかといえば、とてもオープンな人だからです。彼女もアイーダのようにカオティックですが、常に自分をオープンにし、人の話を聞いて学ぶ姿勢があり、尊敬しています。学校に有名な監督がいらしても、皆がたじろぐところをマルタは懐に飛び込むようにどんどん質問できるのです。
―――映画の中で赤を象徴的に使っていた理由は?
マルタ:最初は意識せずに赤を使っていましたが、アイダの赤毛は彼女の特徴を表すものですし、旧ユーゴでたくさん製造されていた車(通称ユーゴカー)が赤だったのも大きかったです。共産主義も赤で表すこともできますし、ハヴァのコートも赤でした。ここまで赤が揃ったので、スーツケースはあえて赤を選びました。
―――政治的な出来事、戦争のことなどが挟まれていましたが、自閉症の親子の話を語る背景としても、やはり欠かせないと感じたのですか?
マルタ:サラエボに定住していない人間として、戦争のことを映画で扱うのはとても複雑なことです。もちろん私は外国人という立場ですが、フィルムメーカーですから、そういうことを忘れて映画を作ることはできません。彼女たち二人の日常生活とボスニアで起こっていることをどういう風に映画にしたらいいか、ずっと考えていました。ボスニアの人たちは戦争だけの映画や政治だけの映画は、見るのも撮られるのも疲れ切っているのです。ただ、(戦争の)雰囲気はそこにあるものとして存在しますから、バックグラウンドとして入れています。一つ目はツアーガイドが、第一次世界大戦が始まった橋のところで説明する場面(今はツーリズム化されている)、二つ目はドライブ中に防空壕で塗り絵を塗ったエピソードをハヴァに語って聞かせる場面、三つ目は彼女の両親が戦争で亡くなっていたという事実です。それはとても大事なことで、カオティックライフは全てがハヴァの自閉症から来ているのではなく、昔からの歴史、両親が戦争でなくなったことをずっと持ち運んでいかなければいけないことにも遠因があります。映画の中ではそんなにカオティックな場面はないかもしれませんが、両親が戦争で亡くなったことが明かされる中で、ハヴァの自閉症に向き合える強さが備わっていると感じてもらえればうれしいです。
―――自閉症の幼い娘、ハヴァに対し、母のナダは決して怒鳴ったり、手をあげることがなかった。ハヴァの行動を見守る包容力を強く感じました。これはモデルのアイーダがそういう人物なのか、もしくはボスニアの人が子どもに寛容なのか、それともマルタ監督の意志が反映されているのですか?
マルタ:アイーダの性格による部分が大きいですが、映画の中ではもう少し日常より忍耐強く描かれているかもしれません。ナダの認識としては、ハヴァがしていることに対して、彼女に全く罪はない。だから怒るのは間違っていると。怒っても行動が治ることはない。怒りより、愛情のある態度で接した方がハヴァの反応が良い。だから怒りで返す必要性がないのです。もう一つ、ナダ・カディッチというキャラクターは両親がなく一人で育ち、やっと家族ができて孤独ではなくなった人です。だから、家族に冷たくあたることは、私が作る人物像的にもありえませんでした。
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