不可能を可能にする主人公、アゴスティーノに自分を重ねて 『山〈モンテ〉』アミール・ナデリ監督インタビュー


イラン映画の巨匠、アミール・ナデリ監督が、全編イタリアロケを敢行し、呪われた土地で家族と生き続けるため、山と対峙する男を描いたヒューマンドラマ『山〈モンテ〉』。敬愛する巨匠、黒澤明監督の撮影手法を踏襲し、イタリアの文化を取り入れながら、主人公、アゴスティーノ一が、非常に困難な状況に置かれながらも、生き残るために山を削る姿は、一見無謀に見えるが、映画史に名を残すぐらい力強い。 3月16日(土)よりシネ・ヌーヴォ、出町座、3月23日(土)より元町映画館での公開を前に、アミール・ナデリ監督が来阪し、インタビューに応えてくれた。





 ■黒澤明×カラヴァッジォ。日本の精神とイタリアの文化、山がミックスした作品に。 

――――サイレント映画のようでもあり、非常に哲学的な内容も含まれている、重厚な作品でした。予告編では「黒澤明の精神から生まれた映画」との監督の言葉が入っていましたが、少し詳しく教えていただけますか。 

ナデリ:この作品は黒澤明監督へのオマージュを込め、10年ぐらい構想や制作に時間をかけました。撮影方法(カメラの使い方)、音の入れ方、カラーリング、役者の動き、それら全て黒澤監督の手法を取り入れました。 


――――舞台となったのはイタリアの山岳地帯ですが、なぜこの場所を選んだのですか? 

ナデリ:元々は日本で撮るつもりでした。実際に、プロデューサーのエリック・ニアリと一年間京都に滞在し、この作品の脚本を執筆していたのです。松竹にバックアップしていただき、西島秀俊さんに出演してもらう予定で、一生懸命撮影できる山を探して歩き回りましたが、日本の山は緑が溢れているので、私がイメージしている山を見つけることができませんでした。黒澤監督作『隠し砦の三悪人』の舞台となった蓬莱峡にも行きましたが、そこを削ったら、山崩れを起こしてしまう。私が必要としていたのは、削っても崩れない、岩のような山でした。加えて、私は日本が好きで、この20年ほど日本映画について教えることもあれば、様々な映画祭で日本映画を紹介しているので、私の心情的に日本の山を撮影のため崩すということはしたくないという気持ちが芽生えたのです。繊細な日本でそんな破壊的なことはできないと自覚しました。 


――――日本で山を探していたとは知りませんでした。その後イタリアに渡ったと? 

ナデリ:そうです。その時、西島さんもイタリアに連れていこうとしたのですが、それは無理でした。私はイタリアのことは良く知っていましたが、イタリアのアーティスや彼ら作品を見て感じることがとても重要でした。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、カラヴァッジオをはじめとするイタリアの文化を1年かけて学び、カラヴァッジオのバロック画が、全てのシーンのイメージにつながりました。またミケランジェロの彫刻をもとに、主人公アゴスティーノのキャラクターが生まれました。ただし、この作品は長く日本で構想していたため、撮影場所はイタリアですが、撮影や表現の手法は日本式を取り入れています。「サイレント映画のよう」とおっしゃってくださいましたが、イタリア映画であれば最初から喋りまくりですからね。ですから、イタリアで撮った日本映画的映画です。 


――――スタイルは日本映画を踏襲していますが、中世イタリアならではの問題が描かれていますね。 

ナデリ:イタリアで中世を描くのに宗教観は非常に重要な要素です。映画でもカトリック信者としての思いが詰まっています。それは日本で撮影することを想定していた脚本に付け加えた部分です。



 ■障害を象徴する「山」と対峙する男の物語は、現代では成立しなかった。 

――――ある意味、山が主人公の映画とも言えますが、なぜ「山」を物語の中心に据えたのですか? ナデリ:宇宙が誕生したときから、人間は常に超えなければならない障害がありました。山というのはとにかく大きいですし、とても象徴的なものです。今は皆生きる上で、様々な障害にぶち当たります。山は、そんな障害を象徴するものだと思っています。 自然界の中でも、山は何千年という、ある意味私たちの時間軸を超えた時代を感じていますし、宇宙の記憶を全て山が抱えているとも言えます。さらに、山は様々な国、様々な宗教を超えて、神として崇められている場所でもあります。この物語を現代に置き換えると、山を一人で壊す男なんて、全くばかげていると話にもならなかったでしょう。ただ昔の人たちは、もっと原始的な環境でしたから、人間と山とが対峙するという話は十分成立するのです。


 ――――どんなに生きるのに困難な場所でも、先祖代々の土地にこだわる人の物語とも言えますね。 ナデリ:土地に住民が紐づくという構造のアイデアは日本人から来ています。日本で構想したことを、イタリアに持ち込んだ形です。


 ■不可能を可能にする主人公、アゴスティーノは自分。作品ごとに、主人公や監督としての自分へのハードルを上げていく。 

――――逆にナデリ監督自身は故郷を離れて、アメリカで活動されていますが、故郷で暮らし続ける人へどんな思いがあるのですか? 

ナデリ:正直に言えば、この作品のアゴスティーノは自分のことなんです。映画監督として、様々な壁を、どのように超えていくかを常に考えています。私の人生においてのモットーは「不可能を可能にする」。全ての芸術家は一生をかけて、一つのテーマを追いかけると思うのですが、これが自分のテーマだと言えます。それは決して簡単なことではありませんし、決して自由にできることではありません。この30年間、作品ごとに主人公が向き合う壁がタフなものになってきていますが、この作品は一番そのハードルが高かったと思います。私自身も、監督としてのハードルを上げています。実際に、3000メートル級のアルプスの山に登り、歩き回り、そこで生活しながら撮影するのはとても大変でした。



 ■黒澤監督へのオマージュ、3台の異なるカメラで撮影。 

――――見るからに人が住んでいなさそうな岩盤むき出しの山ですが、撮影は相当大変だったのでは? 

ナデリ:京都で脚本を書いているときは、「アゴスティーノ、山を崩す」というシーンは夢があって、心地よいのですが、いざ実際に現場でやるとなると、とても重要なシーンではあるけれど、本当に一筋縄ではいかなかった。というのも、日本と同様に、イタリアでもなかなか山を見つけられなかったのです。イタリアの山は、全て一族の所有物なので、近づけなかったのです。ですから、アルプスまで行って、ようやくこの山を見つけました。50人ほどの小さな村だったので、村長に撮影許可をもらったのですが、実際にはイタリアだけでなく、オーストリア、スイスと3カ国にまたがっている山だったのです。現地では黒澤監督へのオマージュとして3台の異なるカメラを使用し、75人のスタッフで4ヶ月間滞在して撮影しました。ヘリコプターで木材や全てを持ち込み、アゴスティーノの小屋を作りましたし、役者たちも役の格好で、その小屋で4ヶ月間生活しました。時間の経過も自然な形で表現したかったので、服もどんどん汚れてボロボロになっていったのは、リアルな現象だったのです。そんな過酷な現場で、皆、どういう形で映画が終わるのかを知りたがっていました。というのも、脚本の最後に「アゴスティーノが山を崩す」と一言書かれているだけでしたから。 


――――山を崩すなんて、現実的には不可能と思えますが、監督のモットーが当てはまる結果となりました。どのように撮影したのですか? 

ナデリ:『CUT』と『山〈モンテ〉』、そしてこれから作る西島さんが出演の作品で三部作にしようと考えていますが、毎回主人公のハードルをもっと、もっと上げていきたい。今回、アゴスティーノが山を崩すシーンでは、村人の許可を得るのは無理だと思っていたので、何も伝えていなかったのです。映画に対する愛と、人類に対するリスペクトとどちらを選ぶのかという、とても困難な選択でした。実は滞在中、毎晩私は山と会話していました。山に住んでいると山の生命を感じるのです。時には「あなたのことは好きだけど、崩さないで」と言う声も聞きました(笑)ある週末、村人たちが総出で宗教行事のため隣村に移動し、4日間誰もいなくなる時がありました。今だ!と思い、400個のダイナマイトを山に設置して、爆発させたところを、撮影したのがラストのシーンです。


 ■編集時、『CUT』の主人公のように、黒澤明監督のお墓に向き合い、力をもらう。 

――――400個のダイナマイトですか!失礼ながら、山がみるみるうちに潰れる様子はCGかと思っていました。 

ナデリ:とんでもない!CGなんて一切使っていません!本当に爆発させたのです。撮影の翌日、イタリア、オーストリア、スイスの三ヶ国から起訴されました。プロデューサーのエリックと相談し、すぐに東京に向かおうと。夜逃げのようにして、撮影素材を全て西荻窪に運び込み、半年間そこで編集、ポストプロダクションを行ったのです。イタリアで撮影した映画ですが、編集は日本ということですね。毎週末、鎌倉にある黒澤明監督のお墓に行き、話しかけていました。『CUT』でも西島さん演じる主人公が、黒澤監督のお墓に語りかけるシーンがありましたが、同じように、私も黒澤監督に「映画をどうしても完成させたいのだけど、どうか助けてください」と。映画を完成させる勇気とエネルギーをいただきました。映画の完成後、ワールドプレミア上映をしたヴェネチア国際映画祭で監督・ばんざい!賞を受賞し、そのおかげで3ヶ国が起訴を取り下げ、賛同していただきました。罪悪感を感じていましたが、爆発させた山は今、観光地になっています。ただ、現地に行くには4日間ぐらいかかりますが。 制作、アイデアが全て日本で始まり、撮影後全てのことを日本で行なった映画を日本にもって帰ってくることができ、公開されることをとても嬉しく思います。



■怒りが収まった時、次のアイデアや可能性が見えたら、次の夢に進むことができる。

――――アゴスティーノは取り憑かれた様に山肌を削り続けます。ナデリ監督は今までも何かに取り憑かれたように行動する主人公を数多く描いていますが、根底にある怒りが監督の中のテーマと重なるのですか? 

ナデリ:まずは怒りから始まり、自分への問いかけの答えを探す作業が見いだせると思います。人生を歩む上で希望や思い通りにいかない時に、諦めてしまえばそこで終わってしまいますが、そこで新しいアイデアを考え、自分を閉ざそうとする壁を打ち破ると、次のゴールに進み、大きな希望に辿りつくことができる。怒りが収まった時に次のアイデアや可能性が見えたら、次の夢に進むことができるのです。この映画でも最後はアゴスティーノが精神的な若さを取り戻します。それは私からアゴスティーノへのプレゼントでもあるのです。  



■大事なのは信じること。信じたことをやり抜くのは日本人の精神を象徴している。 

――――自然の力は偉大で、人間など打ち勝つことができないという通説をこの映画は覆していますが、このラストを通じて表現したかったことは? 

ナデリ:自然に打ち勝つというよりも、「自然に打ち勝つ」と信じることが大事です。人間の感情として、悲しい、嬉しい、信じる、欲しい、諦める、信念を持つというものがあります。口には出さないが、信じたことをやりぬくというのは、日本人の精神を象徴しています。テーマは世界共通なものですが、主人公のキャラクターは日本人的ですし、黒澤監督の『7人の侍』でも、何度も闘い、多くの犠牲は出るものの、最後は希望の光が射します。その展開も、非常に日本的なのです。 



■後半40分は自然音だけ。自然界のシンフォニーと、村に古くから伝わる唄を取り入れて。 

――――自然の音や、唯一の音楽としてタンバリンを鳴らしながらニーナが歌うシーンも印象的ですが、本作のサウンドデザインについて教えてください。 

ナデリ:音の編集の仕方や、音がどのようなムードを作るかは、私が映画を作る中でとても重要です。撮影のため山暮らしを初めて感じたことは、昼間は静かなのですが、夜になると山の声が聞こえてきます。それは幽霊のようでもあるのですが、ゴーゴーという音がこだまし、私はそんな山と毎晩会話をしていたのです。ですから、映画のラスト40分間は人間の声を廃し、自然の音だけにしました。音楽も自分で行いましたから、自然界のシンフォニーのように仕上げています。ニーナが歌っている歌は、とても古くから歌い継がれてきた地元の唄です。しかもこの村に古くから伝わる音楽で、家族から家族へと伝わったものです。イタリアも日本と同様に古い歴史のある国ですから、描くにあたってはとても慎重に地域の文化を学び、細かい部分にも反映させています。特にニーナが歌っている夢想シーンは、暗い色調の本作の中で、とても重要です。これを日本に置き換えたらどういうシーンになっていただろうか。日本で撮影したら全然違う映画になっていただろうと思います。三部作の三作目はどのようになるかは想像できませんが、必ず日本で撮影しますし、西島さんにぜひ出演してほしいと思っています。 



■役者と生活や食を共にしながら、自分の感覚を役者の中に植え付ける。 

――――アゴスティーノ役のアンドレ・サルトレッティさんは、精神的にも、肉体的にも厳しい役でしたが、どのような演出をしたのですか? 

ナデリ:日本でも、イタリアでも非常に多くの俳優が私と一緒に仕事をしたいと言ってくれます。とても挑戦的な役が多いからでしょう。アンドレ・サルトレッティさんにも撮影前に不安なことはないかと聞きましたが、すでに役に臨む準備ができているから大丈夫だと言ってくれました。私は細かい演出は一切しません。一緒に山で生活し、歩き回り、食事を共にしているうちに、私の中で描いていたアゴスティーノというキャラクターの内面が、アンドレさんの頭にインプットされていくのです。まさしく、私の感覚を、アンドレさんに植え付ける感じですね。単に「イタリアで山を崩す」と言われれば、クレージーだと思うでしょうが、決して軽々しい気持ちで言っているのではなく、私と仕事をすることで何かを求めようとしているのです。西島さんもそうですが、「様々な監督と作品を作ってきた中で、自分が何かを乗り越えるために作品を作ることをわかった上で、ナデリ監督の現場に臨んでいる」と語ってくれました。そういう気持ちが大切です。 


――――ニーナ役のクラウディア・ポテンツァさんも、亡き娘のお墓のある場所を離れないと固い決意で呪われたと言われるこの土地に居続けることを選びます。 

ナデリ:この映画では女性がとても大切な役割を果たしています。娘を亡くしたニーナは怒りを抱えながらも、この土地から離れないと宣言します。ニーナがその決断をしたからこそ、アゴスティーノもこの土地で生きるためになんとかしなければならなかった。逃げ出すのではなく、向き合うという精神をニーナが植え付けたのです。アゴスティーノが主役のように見えますが、そうではありません。ニーナが教会に隔離されてから、戻ってきて、アゴスティーノがハンマーで山を砕く支えとなります。このシーンはとても重要なシーンですし、クラウディア・ポテンツァさんはこの役で映画賞も受賞しました。 


■これからのフィルムメーカーには、「日本の名匠の映画を見て、学んで欲しい」観客には、「この映画を見て、必ず人生が変わるはず」 

――――最後にこれからのフィルムメーカー、そして観客へのメッセージをお願いします。 

ナデリ:私は映画学校で教えることもあるのですが、いつも生徒に言っているのは、日本の黄金時代は世界的に見ても、素晴らしい映画がたくさんありました。小津安二郎監督、清水宏監督、溝口健二監督、木下恵介監督、市川崑監督、小林正樹監督と非常に素晴らしい監督がたくさんいました。私は世界の様々な場所に行きましたが、どの国の人たちも日本の映画を見て、映画制作を学んでいます。そんな素晴らしい映画遺産がここにあるのに、学生たちはそれを見ようとはせず、西洋の映画ばかりに目を向けています。もっと日本の昔の作品に目を向け、映画を見たり、本を読んだりしてほしい。宝物はまさに、ここにあるのですから。特に黒澤監督は映画撮影全てにおけるマスターですし、溝口監督は映画の中で女性を描かせれば一番です。小津監督は家族、人間、子どものとても繊細なヒューマンドラマを作り上げる巨匠ですし、新しい世代のフィルムメーカーには自分や自分の国の過去を知り、そこで学んでほしい。 観客には、簡単に見ることができる映画ではありませんが、アゴスティーノのように、根性や、我慢強さをもって、最後まで諦めない姿を注意深く最後まで見ていただければ、きっと希望を見出すことができるはずです。映画館に入る前と、映画を見て映画館を出る時では人生ががらりと変わって見えるし、きっと何かを掴めます。この映画を見て、必ず人生が変わるはずです。  

(江口由美)


<作品情報> 

『山〈モンテ〉』(英題:MOUNTAIN 原題:MONTE)

 2016年 イタリア=アメリカ=フランス 107分  

監督・脚本・編集・音響:アミール・ナデリ  

出演:アンドレ・サルトレッティ、クラウディア・ポテンツァ、ザッカーリア・ザンゲッリーニ、セバスティアン・エイサス他 

2019年3月16日(土)~シネ・ヌーヴォ、出町座、3月23日(土)~元町映画館他全国順次公開 

※3月16日シネ・ヌ-ヴォにて監督舞台挨拶、出町座にて監督と林海象監督のト-クショ-、3月23日元町映画館にて監督舞台挨拶 公式サイト→http://monte-movie.com/ 

 配給:ニコニコフィルム