私たちの世代で当たり前の悩みを、他の世代に知ってもらいたい。 『アワ・ボディ』ハン・ガラム監督、主演チェ・ヒソさんインタビュー
第14回大阪アジアン映画祭コンペティション部門出品作として日本初上映された韓国映画『アワ・ボディ』。ハン・ガラム監督の韓国国立映画アカデミー卒業制作作品であり、初長編作品の本作は、チェ・ヒソ(『金子文子と朴烈』)を主演に迎え、親の期待に押しつぶされそうな31歳の主人公チャヨンが、ジョギングをする若きヒョンジュと出会い、心も体も変化していく姿を描いたヒューマンドラマだ。アルバイトの30代独身女性に向けられる家族や周りからの視線、会社での待遇などをリアルに描く一方、黙々とジョギングをしながら自分と向き合うチャヨンの姿をじっくりと映し出す。はっきりと自己主張をする金子文子とは真逆の、自分の思いを胸に押し込めてしまうチャヨンを演じたチェ・ヒソの演技や、度々登場するジョギングシーンにも注目したい。同映画祭でスペシャル・メンションを受賞したハン・ガラム監督と主演のチェ・ヒソさんに、映画祭での上映後、お話を伺った。
――――チェ・ヒソさんは、昨日、第13回大阪アジアン映画祭オープニング作品で、現在大ヒット公開中の『金子文子と朴烈』舞台挨拶を東京、名古屋、京都で行われたそうですが、まず、そのご感想を聞かせていただけますか?
ヒソさん:名古屋では40席の劇場に82人がご来場になり、観客席の周りをぐるりと囲んで、座布団に座るようにすわって観ていただいていて、本当に感激しました。東京でも京都でもたくさんの方に観ていただき、感激しています。
■チャレンジングな役作り。夜はジョギング、昼は監督と脚本に向き合う。
――――ヒソさん演じるチャヨンがヒョンジュとの出会いから一念発起し、少しずつ走れるようになっていく姿は、私自身も市民ランナーなので、色々な思いが重なりました。ヒソさんは、元々ジョギングをされていたのですか?
ヒソさん:ほぼゼロからの出発ですね。ただ、私は元々運動が好きなのでまだ良かったです。そうでなければ本当にしんどかったと思います。監督からビギナーのためのジョギング法を教えてもらったのですが、それは1分歩いて、1分走るのを20分間続けてみるというもの。次は1分歩いて、1分半走るという風に徐々に走る時間を増やしていき、最終的には30分続けて走れるようになりました。キャスティングされてからは、ジョギングする体を作ることから始め、夜は走り、昼は脚本を見て監督と相談したり、話し合いをしながら役作りをしていきました。
――――最初、ヒョンジュが軽々と駆け抜けていく階段は、2人が出会う重要な場所であり、後にチャヨンが1人でヒョンジュのように軽々と駆け上がる場所でもあります。かなり急で長い階段ですが、ヒソさんが実際に駆け上がれるようになったのですか?
ヒソさん:実はヒョンジュを演じたアン・ジヘさんは元々体操選手です。今は役者ですが、それでも毎日、朝晩の運動を欠かさない方なので、私もアン・ジヘさんを見ながら、あのように体が作られるのかと思いましたし、刺激にもなりました。ただ、ジョギングを初めて1ヶ月ぐらい経ってから、監督と話し合ったことは、チャヨンというキャラクターの心理描写が難しいので、体づくりだけでなく、一緒に読み合わせしながら練習しましょうと。今回は、チャヨンというキャラクターを作り上げていく過程が結構チャレンジングでしたね。
――――チャヨンは家族や社会の中で置かれている状況も含め、30代の女性ならではの悩みを抱えているように見えますが、どのように人物造詣していったのですか?
ガラム監督:チャヨンは私やヒソさんと同年代なので、彼女の心理描写には共感するところがたくさんあり、ヒソさんと話し合う時も話が弾みました。シナリオ上のチャヨンよりも、チャヨンを実際に演じるヒソさんに近づけなければいけないので、最初のカットからヒソさんに近い人物づくりができていたような気がします。
――――金子文子でハツラツとしたアナキストを演じたヒソさんが、地味で無表情なチャヨンを違和感なく演じておられるのに驚きました。
ヒソさん:チャヨンがかけている、目が小さく見える分厚いメガネも効果的だったと思います。私自身当時は目が悪かったので分厚いメガネを持っていたのですが、ずっと試験勉強をしている人なら、コンタクトを入れず、分厚いメガネをかけるのではないかと監督と話し合い、役作りとしてそのメガネを取り入れました。今は手術で視力が良くなったのでその演出は難しいですが、当時だからできた演出ですね。
■『アワ・ボディ』というタイトルが示す多様な人々の描写。
――――チャヨンの母や妹をはじめ、チャヨンの周りにいる様々な女性も描き込まれていますが、重点をおいたことは?
ガラム監督:『アワ・ボディ』というタイトルの通り、個人ではなく、多様な人々を描写しています。チャヨンが持っている葛藤も、彼女ひとりだけでは発生しません。他人の目線や、他人との関係から発生するものです。母親のチャヨンを見る目が前半と後半で変わってくることにも重点を置きました。映画の始めの部分と終わりの部分で、チャヨンを取り巻く環境や彼女に向けられる目線が変化していく。その変化を強調したかったです。結婚もして正社員で働いているチャヨンの同級生ミンジも登場しますが、それは単にチャヨンの対比的存在として描いているのではなく、それぞれ置かれた場所で最善を尽くして生きているのだけど、どこかぽっかりと穴が空いてしまうことがあるのだということを描きたかったのです。また、ヒョンジュの変化を目撃するのがチャヨンなら、チャヨンがジョギングをはじめて変わっていく姿を目撃する存在として彼女のティーンエイジャーの妹を登場させています。
■チャヨンが信じ、感じることを、ジョギングをしながら直接感じる撮影過程。
――――チャヨンがヒョンジュと出会うことで次第に心も体も変化をしていく過程は、演じているヒソさん自身も走るという行為を通して感じる肉体的、精神的変化と重なっていたのでは?
ヒソさん:この映画は、撮影の過程がとてもおもしろく、重要なパーツだと思うのです。チャヨンというキャラクターを作りながら、彼女が信じ、感じることを私がジョギングをしながら直接感じたので、とても身につくことが多く、そしてとても集中できました。ジョギングを始めた当初は3キロの壁がなかなか超えられなかった。でも3キロを超えたら5キロまでは走れる。でもこの5キロの壁を越えるのが本当にしんどくて、それを越えれば7〜8キロまでは走れるのです。チャヨンもきっとジョギングをしながら同じことを感じたと思うし、壁にぶつかるぐらいしんどい距離を走っても、結局自分との闘いで、そこにゴールはないことにも気づくのです。それがジョギングの魅力でもあり、どこに答えがあるのだろうと思うのですが(笑)ただ、8キロ走れるようになって、ようやくみなさんが人生とマラソンを比べるのはこういう理由があるのかと納得しました。チャヨンを演じ終えた今も、時々走ることがあるのです。30分と決めて走っていても、残り1分になると、もっと走ろうか、いやもう終わろうかと自分自身にいつも問いかけるのです。誰に発表するわけでもなく、ただ、自分自身に問いかける。それがとても面白いですね。
――――チャヨンとヒョンジュとの関係は、友達以上の愛情の芽生えを匂わせていますね。
ガラム監督:単純な友情以上というニュアンスで描いています。チャヨンはヒョンジュと出会った時、彼女の中に生命力を感じたのです。ヒョンジュが引っ張っていくことでチャヨンの生命力が引き出されます。そんな自分の殻を破ったチャヨンを見て、ヒョンジュも刺激される相互作用が働いている気がします。彼女たち2人の関係は観る方の視点によって変わってくると思います。私たちとしては、2人の関係を確実な関係として見せないようにしたのが、映画の意図でもあります。
■「誰の目線もなく、部屋の中で私の存在だけ」であることが大事だったラストシーン。
――――そういう微妙なニュアンスの関係を演じるのは難しかったですか?ヒョンジュの存在を感じながら、チャヨンが1人高級ホテルで自分自身の体に向き合うラストシーンに全てが結実している気がしたのですが。
ヒソさん:ラストシーンは難しかったですね。感情的にあまりテイクを重ねたくなかった。監督とも随分相談しましたし、長い間、頭の中でこういう風に演じようと細かな演技上の計算もしていたのですが、最終的には現場で新しい何かを見つけるシーンになればいいと思うようになりました。感情的にも肉体的にも難しいシーンなのですが、自分自身でいられるのが、とてもリラックスできる。誰の目線もなく、誰も私のことを気にしない。この部屋の中に私1人、私の存在だけということが需要でした。とても複雑なシーンで、チャヨンの理想である、とても高級なホテルに行くということは、社会の中での彼女の願望が描かれています。ジェスチャーは性的ではありますが、それ以上の何かからの解放ではないかと思いました。だから、私も撮影をしながらチャヨンがどんな感情を覚えるのか、探してみたいと思いました。
■チャヨンが主体的な存在になった姿を見せる。
――――ガラム監督がラストシーンに込めた狙いは?
ガラム監督:ラストをどのように終わらせるのか、すごく悩みました。それを考えている時、ある人にシナリオを見せると、「これからチャヨンはどうなるのだろうね」とすごく気を揉んでいらっしゃったのです。そして「チャヨンは自分の体をコントロールできるようになった。その先はどうするの?」と。その質問の答えを考えている瞬間に、チャヨンの自慰のシーンを見せることで、彼女がこれから性的解放だけではなく、社会の中でどうやって生きていくのか、これから人生をどのように生きていくのか、そういう何かを見つけられるのではないかという考えが浮かびました。ラストシーンではチャヨンが主体的な存在になっている。その姿を見せるのが一番の私の狙いです。撮影監督にはチャヨンの体が宇宙そのものに見えるように撮ってほしいと注文したので、悩ませたシーンでもあります。
■韓国は子ども時代から順位づけをされ、常に比較される社会。
――――上映後の舞台挨拶でヒソさんは、脚本を読んだ時、「30代の韓国の女性なら誰でも共感できる部分がある」とおっしゃっていましたが、具体的にはどんな点ですか?
ヒソさん:まず就職の問題があります。そして、チャヨンがアルバイトを始めた時、同級生で正社員のミンジが日当をくれるのですが、いつも一緒に育った子たちが今はどんな姿で生きているかを意識するような社会なのです。チャヨンの母はとても厳しいですから、そんな母にも認められたいし、社会でも認められたいけれど、彼女は公務員試験に落ち続けて、結局アルバイトでしか働けない。しかも同じアルバイト仲間は妹のように若くて可愛らしい人たちばかり。その中で30代のチャヨンが生き残らなればならない。こういうことは大体今の20〜30代の韓国の女性が一度は感じたことがあるはずです。韓国の社会は比較をすることがとても多いです。あの人は結婚したのに、この人は結婚していないとか、あの人はこれを持っているのに、この人は持っていないとか。私は小学校時代を日本で暮らした後、韓国で中学校に通い、途中でアメリカに渡ったのですが、3カ国で暮らしてみて一番感じたのは、なぜ韓国では私を他の誰かと比べるのだろうかと。また、すぐに順番を作るのです。誰が1番だとか、2番だとか、3番だとか、日本ではそんな順番をつけられることはなかったけれど、韓国では勉強だけではなく、遊ぶ時でも順位をつけられてしまう。それはとても大きな社会的問題だと思います。私は順位づけをされるのは全然楽しくないですが、そこにいる子どもたちは順位をつけられるのに慣れてしまっている。それに違和感を覚えたのは、韓国以外の国で住んだ経験があるからです。そういう原体験が社会に出た後も、皆の中に残っているのではないでしょうか。
■若い人たちがスポーツや体づくりに励むのには複雑な理由がある。
――――ヒソさんが脚本に対して同世代が共感する理由を話してくださいましたが、ガラム監督がこの作品で描きたかったことは?
ガラム監督:この作品は韓国国立映画アカデミーの卒業課題だったので、他では作れない映画が作れると思いました。私はチャヨンと同年代なので、その世代の人たちがどんなことに悩み、そして解決していくのかを映画にしたかったのです。私たちの世代では当たり前の悩みであっても、他の世代の人には分かりませんから、知ってもらいたい。走ることが主題なので、みなさん明るい映画だと勘違いされるのですが、若い人たちがスポーツや体づくりに励むのには複雑な理由があるということを、描きたかったのです。
(Yumi Eguchi 江口由美)
<作品情報>
『アワ・ボディ』”Our Body”
2018年/韓国/95分
監督・脚本:ハン・ガラム
出演:チェ・ヒソ、アン・ジヘ
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