「古い映画の常識を壊すことに挑戦できた」『TOURISM』宮崎大祐監督インタビュー
神奈川県大和市から、シンガポールに観光旅行へやってきたニーナとスーのキラキラ女子旅映画かと思いきや、スーとはぐれ、スマホも紛失してしまったニーナが異国でひとりぼっちになり、予測不可な展開が待ち受ける。これぞ、真の「旅する映画」とも言える宮崎大祐監督(『大和(カリフォルニア)』)最新作、『TOURISM』が8月30日(金)よりUPLINK吉祥寺、9月7日(土)よりシネ・ヌーヴォ、出町座、9月14日(土)より元町映画館他全国順次公開される。
前作、『大和(カリフォルニア)』に続き、本作では衣装も担当している遠藤新菜がニーナを、遠藤と私生活でも仲良しというSUMIREがスーを演じ、二人でシンガポールを散策する様子は、どこを切り取っても本当に絵になる。さらに、大和市でニーナ、スーとルームシェアをしているケンジには柳喬之が扮し、今どきの青年像を好演。前半部分で様々な気づきを与えてくれるのだ。シンガポールの観光名所から、どんどん路地裏、庶民が住むシンガポールの内面に滑り込んでいくニーナと共に、私たちも知られざるシンガポールの一面に触れることができる。こだわりの音楽は、途中のダンスシーンも含め、無国籍感に溢れ、思わぬ場所でのライブシーンも登場する。シンガポールで登場する様々なフードも含め、いつまでも見ていたくなるような心地よいツーリズム映画だ。 キャンペーンで来阪した宮崎監督に、大和市パートの作り込みや、シンガポールを中心とした海外とつながることが映画制作に与える影響についてお話を伺った。
―――本作は、シンガポール国際映画祭からの打診が制作のきっかけになったそうですね。
宮崎:『5TO9』(15)、『大和(カリフォルニア)』(16)を上映していただき、シンガポール国際映画祭の方と意気投合する中で、2017年に映画祭のフェスティバルディレクターから、美術館と共同で展示をするので、現代美術の展示をしてほしいと頼まれました。最初は、インスタレーション用の映像として、日本で短編を撮ってほしいという話でしたが、僕の方からシンガポールで撮りたいと交渉し、了承してもらいました。僕の中では長編を撮るつもりだったので、短編と言いながらも長編を撮っていましたね。
■前半でキャラクターを説明し、この人物だったらカメラで追っているだけでも面白いと印象づける。
―――この物語はまず大和市パートから始まりますが、各キャラクターのセリフも含め、かなり作り込んで、シンガポールパートにつなげている印象を受けました。
宮崎:NHKの深夜に、ローマなどの都市を、ただステディーカムを回しながら歩いているだけの番組があります。街ゆく人がカメラに話しかけるのですが、僕はその番組が大好きで、永久に見ていられる。後半はそういう展開にするためには、前半である程度キャラクターを説明し、この人物だったらただカメラで追っているだけでも面白いと印象付ける必要がありました。インタビューもありますし、前半は3人の説明に時間を割いています。その結果、後半ニーナとスーがウロウロしているのを追っているだけで、観客のみなさんも旅をしているような気分になれるという演出プランですね。全て役者任せで撮っているのではないかとよく言われますし、ある意味こちらの狙い通りなのですが、前半の演出面をご指摘いただいたのは、今日が初めてです(笑)
―――ニーナとスーの二人がルームシェアをしているという設定でも物語は成立したと思うのですが、ケンジの存在が様々な気づきを与えてくれます。ケンジを入れた狙いについて教えてください。
宮崎:僕の作品には、生物として存在意義が弱まっている男たちがどういう意味を作るかというのが裏テーマにあります。『大和(カリフォルニア)』では主人公の兄がそれにあたります。日本には男性権力的な表現がすごく多いですが、僕はそれが嫌いです。日本社会の中で弱体化した男性にも何かしら意味を見出し、少し先の日本の男性像を希望もふくめ表現してみました。
■周りに迷惑をかけ、申し訳なく思いながらも、前を向いて生きていく。
―――ケンジはいつも本を読んでいますが、知識はあるけれど、実際にその地に足を運んで確かめようとしない。今の日本の若者たちの傾向のように思うのですが。
宮崎:数年前に流行った草食系男子のニヒリズム、つまり全て自分の体験の中だけであらゆることを処理し、分かったつもりでいるのはすごく寂しいことだなと思うのです。ケンジは、何かしらポジティブな方向でそこを押し広げるイメージで登場させています。ただ、ケンジが「お互いに害を与えない社会を作りたい」と言いますが、これは危険な考えですよね。この映画は周りに迷惑をかけまくりながらも生きていくというのがテーマなので、ケンジの言葉とは逆に、迷惑をかけて申し訳なく思いながら、前を向いて生きていくようにしたかったのです。
■宮崎アニメの影響を受けた食事シーンと「フムス」。
―――確かに知らず知らずのうちに迷惑をかけながら、人は生きているのだと思います。実は『TOURISM』は旅映画でもあり、食の映画でもあると思うのですが、冒頭にニーナが中東料理のフムスを食卓に出したことで、3人の会話が活気づきました。
宮崎:アメリカにいる本当にビッグサイズのユダヤ人の友人が、いつもフムスばかり食べているんです。一見カロリーが低くてヘルシーそうな食べ物ですが、過剰に食べると結局は太ってしまうという人間の矛盾を表象していて、その頃からいつかフムスを登場させたいと思っていました。植物は人間に摘まれているわけで、食べることの連鎖からも暴力の連鎖ははじまっていると思います。僕は人間の食べ物がどういうルートを経て、食卓に並んだのかを考えるのが好きで、普段の自分の脳内ルートを映画で再現してみた部分はありますね。あと、宮崎駿さんのアニメが好きで、キャラクターが歩いたり、食事をしているシーンは、僕の映画に多大な影響を与えていると思います。
―――ケンジも、トマトとキュウリをそのままかじっていて、3人3様なのが面白かったです。
宮崎:撮影当時はショーケンさん(萩原健一)がご存命で、ドラマ「傷だらけの天使」のオープニングの雰囲気を出したのですが、結果的にはオマージュみたいになってしまいました。このシーンはリアリティがないと批判されることもあるのですが、この映画は「そうだよね(笑)」と流せるような演出の作品ですから。カリカリと「世の中はクソだ」と言わんばかりの露悪映画が流行りですが、僕はそんなものは日常で見ているから、映画では見たくない。せっかく二時間見てもらうならば肯定的な作品を撮りたいと思いますね。
■SUMIREさんの偶然の仕草から誕生したシーンとは?
―――スーが自分のことを話している時に、指で両耳をふさぐ仕草と共に戦闘機が飛んで行く音が聞こえました。これも米軍基地がある大和市ならではの描写ですね。
宮崎:この撮影をしたのは横浜なので、実際にはそんなにうるさくなかったのですが、SUMIREさんが、自分の演技が不安になったのか、耳をふさぐ仕草をしたんです。そこに飛行機の映像をモンタージュすると、音に耳をふさぐという流れができ、編集でつないだ時は、ただならぬ映画的興奮がありました。本当は遠藤さんが語っているシーンの隅に格納庫があったので、大和の米軍基地の要素は今回はそれぐらいにしておこうと思ったのですが、SUMIREさんの仕草を見て、「よし、偵察機を入れよう」と。
■歌のシーンは「言語に縛られるのではなく、全てがバラバラになっていく感じにしたかった」
―――シンガポールパートでは踊りのところもアジアっぽい雰囲気の曲が流れ、屋上でのセッションも印象的でした。音楽は半年ぐらい時間をかけて準備されたそうですね。
宮崎:音楽は最後のシーンで演奏するバンド、AREに全部作っていただきました。音楽の打ち合わせは一番綿密にやったかもしれませんね。彼らは『大和(カリフォルニア)』がシンガポール国際映画祭で上映された時に、ボブ・ディランのコスプレをして、映画を観に来てくれ、自分たちのアナログ盤を渡してくれたのです。その時はすぐに聴けなかったのですが、のちにデジタル音源をもらって聴いてみるとカッコよく、才能を感じたので、撮影の数日前に打ち合わせし、こちらが欲しい音楽を伝えました。いつもは編集をしてから音楽をつけるのですが、今回ははじめて音楽に合わせて編集を変えた部分もありました。 彼らは華僑なので、屋上のシーンで中国語の歌詞で歌おうとしていたのですが、「何語かわからない歌詞にしてほしい」と注文しました。言語に縛られるのではなく、言語を超えた超越的な感じにしたかったので、歌のシーンは呟くようなウィスパーボイスの音楽にしています。役者より、ミュージシャンを演出していたかもしれません。
■僕の体感するシンガポールを撮る。手で食べるのも初体験。
―――シンガポールは華僑が多いイメージでしたが、インド人コミュニティもあるんですね。ニーナがスマホを失くして彷徨う中で、インド人マーケットや宗教施設も登場します。
宮崎:ニーナが彷徨った場所は、シンガポールでは若干緊張感のある地域で、暴動が起きた地域でもあるので、結構社会的不満が渦巻いている場所です。インド人街、イスラム街も、シンガポール側は撮ることに消極的だったのですが、嘘のシンガポールを撮っても意味がないですから、僕の体感するシンガポールを撮りました。晩御飯をご馳走してくれたシンガポール人一家は、制作部の夫婦のご家族に集まっていただき、彼らの自宅で撮らせてもらいました。インドの影響があるイスラム教なのか、初めて手で食べるという体験もしました。
―――今回、遠藤さんが日頃から仲が良いということでSUMIREさんをキャスティングしたそうですが、二人が揃っての撮影はいかがでしたか?
宮崎:二人とも目力が強く、何を撮っても絵になります。普段二人の周りを自然にウロウロしながら、じっくりと観察して、魅力的な瞬間やアングルをメモしたり、覚えたりして、脳内データベースを作成し、現場で指示を出しています。基本的に物語がなくても、魅力的なショットが続くと映画になると思っているので、今回はそれを実践しています。
■今まで映画の常識にがんじがらめになっていたが、あらゆるカットで逆を行くことに挑戦。
―――自分流ヌーヴェルヴァーグに挑戦したとおっしゃっていたことに繋がるのでしょうか?
宮崎:ヌーヴェルヴァーグとは「新潮」で、僕の中では古い映画の常識を壊すというイメージがあるので、そこには挑戦できたと思います。今までは映画の常識にがんじがらめになっている部分があったので、今回は逆をいきました。演技でも、すごく悲しいシーンなら、「楽しい感じでやってみてください」と指示することがあるのですが、今回は自分自身で逆の演出にトライし、あらゆるカットで、普通はこうしてはいけないということをやっています。聞いた話ですが、スピルバーグが橋のシーンを撮る時に、過去の名画の橋のシーンを片っ端から見て、そうではない演出、カット割りを選ぶそうです。今回はそれを僕なりに、僕の脳内で各カットやっていました。カットごとには相当変なことをやっているけれど、魅力的な役者が物語を支えてくれたので見ることができる。そういうことを狙っていました。
―――大阪アジアン映画祭で世界初上映をしたバージョンより、フィルム映画を観ているような、すこし懐かしい雰囲気が出ていて、別世界観が際立っていました。どのようにグレーディング(色調整)作業をされたのですか?
宮崎:ペドロ・コスタ作品も手がけたゴンサロ・フェレイラさんが担当してくれたのですが、最初に何枚も色のバージョンを送ってくれ、最終的には日本映画じゃないようなトーンに決まり、まさにアジア映画になったと思います。今まで僕は編集作業の中で整音の時間が一番長かったのですが、今回色を変えることで、これだけイメージが変わることを知り、グレーディングの重要性を知る、いいきっかけになりました。
■風通しのいい場所で、似た価値観を持っている人たちと楽しく映画づくりをしたい。
―――宮崎監督の映画制作を見ていると、海外映画祭でのつながりが新しい可能性を広げているようですね。
宮崎:日本の小さな映画の周りで映画制作をしていても、生活は最低限ですし、なかなか出口がみつからず、モチベーション的にも難しくなります。そこで少し視野を広げてアジアの方々と映画を作ったり、日本であまり評価を得られなくても、日本以外の地域の方に自分の作品を見てもらうことにより、また別の評価が得られます。無理してあまり共感できない同業者たちと、鬱々としたアングラな作業を続けるよりは、風通しのいい場所で、似たような価値観を持っている人たちと楽しく映画づくりをしたい。やはり、自分がポジティブに生きられなければ、ポジティブな映画は作れませんから、海外の人と映画制作をするようになって、だいぶん気が楽になりました。
■シンガポールのアジアンフィルムアーカイブで、日本の若手フィルムメーカーのデジタル作品を精力的に収蔵。
―――最後に、昨日の映画チア部主催のトークイベントで、シンガポールがアジア映画界のハブを目指し、日本の若手、中堅監督の作品をアーカイブ化しているとおっしゃっていましたが、詳しく教えていただけますか。
宮崎:アジアンフィルムアーカイブ(AFF)はシンガポール政府主導のフィルム素材をデジタル化してアーカイブする事業で、シンガポール映画をはじめ、東南アジアのラヴ・ディアスやアピチャッポン・ウィーラセタクンの映画も収蔵しています。今は東アジアにも手を広げ、日本のフィルムセンターがまだフィルム映画中心の収蔵なので、日本の若手のフィルムメーカーの作品を、デジタルが劣化する前になるべく収蔵する意向だそうです。日本の現代映画は政治的に映画祭に食い込んでいけないなど海外で認知されない事情があるのですが、シンガポールの担当者はスポットライトを当てるべきだと分かっており、作品を収蔵中です。僕の学生時代に撮った3分の短編もそのアーカイブに入っていますし、脚本や美術を送ってくれという依頼もありました。シンガポールでは今年アーカイブ付きの映画館がオープンし、12月にはそこでグレーディング作業後の『TOURISM』を上映するという話もあります。
<作品情報>
『TOURISM』(2018年 シンガポール・日本 77分)
監督・脚本:宮崎大祐
出演:遠藤新菜、SUMIRE、柳喬之
2019年8月30日(金)〜UPLINK吉祥寺、9月7日(土)~シネ・ヌーヴォ、出町座、9月14日(土)~元町映画館他全国順次公開
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