知れば知るほど楽しい装幀の世界。装幀家の第一人者、菊地信義に密着した 『つつんで、ひらいて』広瀬奈々子監督インタビュー

 中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみなど1万5千冊以上もの書籍の装幀を担当する装幀家の第一人者、菊地信義に密着した広瀬奈々子監督の最新ドキュメンタリー『つつんで、ひらいて』が2019年1月11日(土)より第七藝術劇場、シアターセブン、神戸アートビレッジセンター、1月24日(金)より出町座他で全国順次公開される。  


 監督は、第20回東京フィルメックスコンペティション部門で、デビュー作の『夜明け』に続き、2年連続のスペシャル・メンションを受賞した広瀬奈々子。本の入り口になるような作品にしたいという狙いで、やさしいイメージのタイトルと章立ての構成にしたという本作は、タイトルバックの後、製本の過程が映し出され、冒頭からワクワク感に包まれる。菊地さんの手仕事で貫かれた仕事ぶりやその哲学だけでなく、装幀の舞台裏や本にまつわる人々へのインタビューで本ができるまでの裏側を覗けるのも楽しい。本の体とも言える装幀を知ることで、本の楽しみが何倍にも膨らむドキュメンタリーだ。「本を読むように映画を観てもらいたい」という広瀬監督に、お話を伺った。 


■「器のように静かに盛るのが装幀」という言葉に感銘を受けて。 

――――名装幀家の菊地信義さんを取材しようと思った理由は? 

広瀬:当初は数ある装幀家の中から何人かを取材しようと思っていたのですが、実家の本棚にあった「装幀談義」(菊地信義著)を読み、「器のように静かに盛るのが装幀」と書かれていたのに感銘を受けました。装幀はあくまで中身を覆うものであり、器そのものが目立つことが大事ではないと。あくまで職人として裏方の姿勢を貫かれているところが素敵だと感じたのです。「自己を消して、他を生きる」とも書いておられましたが、まさにそのことを実践してきています。1万5千点もの本の装幀を手がけておられますし、大胆なデザインも非常に多い。強い個性を放つのではないけれど、菊地さんの装幀と分かるというのはなぜなのか。菊地さんの器の正体を知りたい。本が紙であることの意味を知りたい。それが大きな動機でした。  


――――熱い想いで菊地さんに取材をオファーされた時、すぐにOKは出たのですか? 

広瀬:「私は菊地さんの指先と紙が撮りたいんです」とお願いしたのですが、映像が好きではないということ、これまで1回だけテレビ取材を受けた以外は全て取材依頼を断っていると告げられ、もうダメだと思いました。1ヶ月後にもう一度話をしましょうと言っていただき、再度アポを取ってお会いすると、「いいことを思いついた」と、頭に小さいカメラを付け、僕の手元を撮ったらどうかとおっしゃって(笑)菊地さんは、テレビが求める装幀家像のようなものを撮りたいのではないということを分かって下さったのだと思います。 


――――長期に渡り取材をされたそうですが、相当たくさんの装幀が誕生する瞬間を捉えたのでは? 

広瀬:本作は3年がかりで撮影しました。一冊の本の装幀を形にするのに早くて1〜2ヶ月ぐらいかかりますので、月に一度菊地さんにお電話し、今どんな仕事をされているかをお聞きしました。作家の古井由吉さんとの関係性が深いことは知っていましたので、古井さんの本の装幀から始めようとか、菊地さんが書き下ろしたエッセイを自ら装幀するのも面白いのではないかと考えていたのですが、それだけでは終われない。「もう少し大きい仕事はないですか」とお聞きすることもありましたが、モーリス・ブランショの「文学空間」が出てきたので、これはいけると思いました。 



■菊地流装幀の美学〜本に与えた官能性、フォント 

――――後半にクローズアップされる「文学空間」の装幀作業風景では、当時ブランショと交友のあったフランスの小説家、マルグリット・デュラスをイメージし、見返しや扉ページの色をつけたエピソードをいたずらっぽく語っておられました。本の内容よりそこにフォーカスしたのかと正直驚きました(笑) 

広瀬:菊地さんの中で、官能性を大事にされておられるようで、あらゆる要素を排除しても色っぽさや艶っぽさを本自体に感じさせたいのです。それは、本を体だと思っているからではないでしょうか。よく、女性に見立て、本を擬人化されますね。  


――――本を体と見立てておられるとのことでしたが、菊地さんの装幀は文字、しかも明朝体にこだわり、その配置やフォントの大きさ、紙の手触りなどで非常に個性的でバリエーション豊かなデザインを実現しています。 

広瀬:菊地さんは写植の時代に一番多くの仕事をしておられたので、写植文字をデータ化して使っておられます。パソコンの中にあるフォントにはあまり気に入っているフォントはないようで、お好きな写植文字をデータ化してもらい、よく使っておられます。菊地さんの弟子で装幀家の水戸部さんは、写植時代とDTP以降の切り替わりの時期が装幀で使われているフォントや(文字間の)詰め方を見ると良く分かるのだそうです。菊地さんは、パソコンでの作業になったことで、文字の詰め方に若干の差があると指摘しておられます。やはり印刷技術と共にデザインも変わるものなので、そういうものを知っていくと、とても面白いですね。 


――――機械が動く音もそうですが、菊地さんが手作業で装幀のデザインを考える時の紙の音や、カバーの紙を折る音、ページをめくる音など、この映画で音の果たす役割は非常に大きいと感じました。紙の質感もそうですが、本というのは五感に訴えるものなのだなとつくづく思います。 

広瀬:音は撮ることによって意識させられました。知らず知らずのうちにそういう音を拾っていて、編集の段階になって改めて気づかされました。こんなに紙の音がしていたんだな、と。今はパソコンやスマホでいくらでも文字を読めますが、紙の本ではなければ得られないことが大きいですし、そこに改めて気づいてもらえるドキュメンタリーになればと思っています。 


■撮影は菊地流演出との闘い!? 

――――菊地さんはとてもチャーミングな面をお持ちの方ですが、菊地さんの提案で訪れた場所や、撮影したシーンは? 

広瀬:ほとんどです(笑)。菊地さんに動かされていました。もちろん抗った部分もありましたが、私が「こういうシーンを撮りたいんです」と提案しても、「ちょっとそれはどうかな…」と返されてしまうことが多くて。毎回口説き落とすのに骨が折れるのですが、菊地さんが撮ってほしいというシーンも撮るためにカメラを向けながら、一方で「この流れにあまり乗せられてしまうとマズイぞ」とブレーキも効かせ、撮影をしていた感じでしたね。 


――――やはり一般的なドキュメンタリーの被写体とは一味も二味も違いますね。 

広瀬:圧倒的に演出家ですし、きちんと自覚的に映っていらっしゃいます。ご自宅に撮影でお伺いした時も、蓄音機とレコードを出してくださり、撮られていることを意識しておられます。焼き物もしかりですし、そういうものが菊地さんの装幀の美学に全てつながってきます。すごく格好良くレコードを聞いておられますから。 


――――一方、実際の作業は非常に地味かつ緻密なものですが、ずっと撮影をしてみての感想は? 

広瀬:見ていて飽きないですし、カメラで意識化されて撮ることで見えてくる世界があります。菊地さんのお仕事をただぼうっと見ていても、菊地さんが手の中で発見する「なるほど!」「ここですか!」が何なのか分からない。でも、それを映像に収めることにより、私自身も何度も見返して「そうか!」と思う時もある。本当にマクロな世界に小さな宇宙が広がっていて、知れば知るほど楽しかったです。



■装幀は二次産業でしかないことに苦悩する菊地さんの弟子、水戸部功さんと、それを楽しむ菊地さん。 

――――菊地さんに師事し、今売れっ子の装幀家、水戸部功さんにも取材をされています。「自分のスタイル、デザインの流れを弟子に殺させる」と言われているとも語っておられ、ここでも菊地さんの演出家的側面を感じますね。 

広瀬:菊地さんの神奈川文化賞受賞の撮影時に、「鞄持ちです」と菊地さんが連れてこられたのが水戸部さんで、美男子だなと思っていたら、実は装幀家のお弟子さんで、ご自身も装幀家でした(笑) 水戸部さんが苦悩されているのは、装幀は二次産業でしかないということ。自らクリエイトするものではないということに、もどかしさや苦しさを感じておられます。こういうものを作りたいと思っても、テキストがなければできない。でも菊地さんはそれ自体を非常に楽しんでいらっしゃる。 


――――それはよく分かります。菊地さんは「装幀は器」という真逆の考え方ですから。 

広瀬:僕が何も苦しむ必要はない。テキストがやってくるのだから、それに対して器を作るだけだという考え方ですから。でも、菊地さんの生き方そのものがテキストを呼んでいる気がしますね。毎日全身黒ずくめの服を着ることとか、毎日同じ車両に乗り、同じ時間に来て、必ず同じ喫茶店で2杯のコーヒーを飲むこととか。そういうスタイルであったり、骨董品を集めるという生き方が、テキストとの巡り合わせを作っているのではないかと、ある時水戸部さんが呟いていて、それはすごく分かるような気がしました。芸術家というより、サラリーマンのような仕事ぶりですから。ただ、そういう水戸部さんはとても菊地さんを尊敬し、事務所も自宅も菊地さんの近くに構えていらっしゃるほどです。 


――――映画では自作を批評される際にピリピリと緊張感が走り、デザイン面の嗜好も真逆なので、水戸部さんにとって尊敬はしているものの、脅威をも感じる存在なのかと思っていました。 

広瀬:月に一度、水戸部さんは自分の仕事を菊地さんに批評してもらうのですが、映画の中では笑っておられた菊地さんも、普段はニコリともせず、かなり厳しいことを言われるそうです。一方で、菊地さんはマーケットのことをかなり意識する装幀家でもありますね。 


■マーケットを意識した装幀に必要なポイントと、紙の本の未来。 

――――それは様々なベストセラーの装幀を手がけているという実績が証明していますね。 

広瀬:非常に凝った希少価値の高い作品も手掛ける一方で、「サラダ記念日」「蒼い時」などのベストセラーも手がけておられますし、平台に乗せた時の見え方をすごく意識しておられます。若い頃に、八重洲ブックセンターの中二階からずっと平台を眺め、お客様がどういうところを見て、本を手に取るかをずっと見ていたそうです。装幀は「なんだろう」と目を引くところがまずはポイントで、手に取ってもらうところまで仕掛けなければならない。「何かいい本だ」と思ってもらうことが重要なのだそうです。  


――――グラシン紙がお好きなのも、手に取ってもらうことを意識されてのことでしょうか? 

広瀬:間(あわい)がお好きなんですね。半透明なものは、その裏側に何があるのかが見えにくいという仕掛けの一つであり、だからこそ手に取りたくなります。中身(本文)と外側(カバー)の間にあるものを見つめよう、見つめさせようという意思なのだと思います。


――――本当に紙好きにはたまらないエンドクレジットで、紙の質感とフォントの妙に感動しきりでした。劇中では製造中止になる紙を使った装幀が行われているシーンも登場し、本として紙が残るのも、本の役割だと実感しました。 

広瀬:エンドクレジットは様々な紙を使っていますが、水戸部さんに10種類ぐらい選んでもらうようにお願いしたら、20種類も持ってきてくださって。結局、全部使って撮影しました。活版だった時代は風合いのある柔らかい紙がたくさんあったのですが、オフセット印刷になると、ローラーを通すため硬い紙に変わり、どんどん紙の風合いがなくなっていったそうです。印刷技術の進歩があれば、その分失っていくものもあると実感します。  


――――紙の本とデジタルは共存していますが、ビジネスとして成り立たないと、ジリ貧になっていき、実際に製本業者や印刷屋も厳しい状況です。 

広瀬:大手の出版社は売れる本を作りたいでしょうから、思想と関係なく売れそうな本をひたすら作る状況が多くなってきています。その中で小さな出版社がすごく頑張っていい本を作っている。結局はいい本を作ることが一番の命綱で、それは映画にも通じることだと思います。 



■1万5千冊の装幀を手がけても「全然達成感がない」という言葉の真意は? 

――――菊地さんのお話は、時にとても哲学めいていたり、えっと驚くような言葉が多かったです。特に1万5千冊の装幀を手がけても「全然達成感がない」というのは意外でした。 

広瀬:装幀という仕事に達成感を求めるべきではないということなのかもしれません。映画は作るのにも時間がかかりますし、達成感が生まれると思いますが、菊地さんは少なくとも年間に400冊、一番仕事が殺到していた時には年間900冊の装幀を手がけておられたそうで、達成感がないというのは逆に頷けます。そういう意味でも、菊地さんの名前をある時期、出版業界にきちんと残せた訳です。なにせ絶対に菊地さんが装幀した本が平台に何冊もあったのですから。菊地さんはサラリと「ただの時代の要請だよ」とおっしゃるのですが、自覚的にやっていらっしゃいますよね。作品集を見ていると、時代ごとに、ここでこういう装幀をしようと計算しているようにも見えます。80年代の文芸作品では絵を多く使っておられますし、90年代になると毛色が変わり本当にシンプルなものになってきました。銀座の事務所は10月に畳まれて、これからは鎌倉の自宅でやりたい仕事だけをやるそうです。 


■「人間は関係性でできている」「執着しない」を今後の創作人生の支えに。 

――――菊地さんに長期密着し、今後の自身の創作人生に影響を与えそうな言葉やエピソードはありましたか? 

広瀬:一番印象的なのは「受注仕事における創造性は何ですか?」という質問に対する答えです。受注仕事でありながら、なぜそれだけの高いモチベーションを保つことができるのかを知りたかったのですが、「受注仕事であれ、なんであれ、人間は関係性でできている」とおっしゃった言葉がすごく響きました。オリジナルであろうがなかろうが、人間はどういうものを見たか、どういう人に育てられたか、どういう人に会ったかという人との関係性からでしか生まれない。そうだよなと思います。オリジナリティってなんだろうとすごく考えていた時期で、水戸部さんが悩まれていることとシンパシーを感じていたので、その答えがこの言葉に集約されている気がしました。  

 もう一つ、自分がこうしなければいけないということにこだわる必要はないということも菊地さんから学んだことです。それ自体が唯一無比の関係性からできているのだから、自己実現に執着することだけが作品の強度になるわけではないと。執着することが作品の強度になるわけではないと。驚いたのが、ブランショの「終わりなき対話」で、非常にグラシン紙にこだわり、PP加工をして強度を高めたり、ダブルカバーにしたりと色々試したものの、結局はうまくいかず、割とあっさりとその案を変更して別の候補の紙にされたんです。それを見て、「そういうことが、モノを作ることだ」と実感しました。自己実現ではなく、別の選択肢を選んだことで、ご自身でも「未完成の完成」と言われていた通り、完全な形ではないのかもしれないけれど、それが作品のオリジナリティになっていると思いました。  


――――最後に『つつんで、ひらいて』というタイトルについて教えてください。 

広瀬:ある方から「文字をつつむ」というタイトルを提案され、想定という言葉を使わずに本を連想させるのはいいと思ったのですが、つつんで終わってしまうのは勿体無い気がしました。菊地さんの動作を見ていると、何度も繰り返し反復しているように見えますし、読者に開かれるところまでをタイトルに込めています。 



<作品情報> 

『つつんで、ひらいて』(2019年 日本 94分) 

監督・撮影・編集:広瀬奈々子 

出演:菊地信義、水戸部功、古井由吉他 

2019年1月11日(土)~第七藝術劇場、シアターセブン、神戸アートビレッジセンター、 1月24日(金)〜出町座他全国順次公開 

公式サイト⇒https://www.magichour.co.jp/tsutsunde/ 

© 2019『つつんで、ひらいて』製作委員会 


⚫︎1/ 11(土)● ‪神戸アートビレッジセンー13:05 の回上映前‬、広瀬奈々子監督舞台挨拶 ‪

●第七藝術劇場13:30の回上映後‬、広瀬奈々子監督舞台挨拶  

⚫︎シアターセブン 1/11〜15日毎日19:20の回上映後、 『関西の個性派の本屋さんが語る「わたしの好きな装幀の本」』 

★‪1/11(土)19:20‬の回 石川あき子さん(Calo Bookshop & Cafe) 

★‪1/12(日)19:20‬の回 磯上竜也さん(toi books) 

★‪1/13‬(月祝)‪19:20‬の回 三浦崇志さん(ジュンク堂書店) 

★‪1/14(火)19:20‬の回 吉村祥さん(FOLK old book store) 

★‪1/15(水)19:20‬の回 竹重みゆきさん(シカク) 

⚫︎ ‪1/18(土) ‬ ‪シアターセブン12:00の回上映後‬ ‪菊地信義さん&広瀬奈々子監督&福島聡さん(ジュンク堂難波店店長)トークショー‬  ‪

⚫︎1/19(日)‬ ‪出町座先行上映14:10 の回上映後、‬ ‪菊地信義さん&広瀬奈々子監督トークショー‬