「虐待を受けた者が、大人になって虐待する側になる“負の連鎖”を“救いの連鎖”に向けたい。」『ひとくず』上西雄大監督インタビュー
親による児童虐待の犠牲になった子どものニュースが後を絶たない今、子ども時代に虐待を受けた者が、虐待する側にまわる負の連鎖に着目し、孤独な魂が寄り添い、家族になるまでの日々を人間味たっぷりに描く骨太のヒューマンドラマが誕生した。劇団10ANTSを主宰し、俳優、脚本家と多方面で活躍している上西雄大が監督・脚本・編集・プロデューサー・主演を担当した映画『ひとくず』が、新型コロナウィルスによる上映延期を経ていよいよ10月16日(金)よりテアトル梅田、京都みなみ会館他、全国順次公開される。
生まれてからずっと育児放棄や壮絶な虐待を受ける日々が続く少女、鞠と、虐待を受けた過去を持つ、今は空き巣稼業の中年男、金田(カネマサ)が出会うところから始まる物語は、昭和と平成の二つの時代をまたぎ、男に依存し、育児放棄をしたり、虐待を黙認する母の姿も生々しく描かれる。その一方で、虐待される側でもあった大人たちが鞠のために疑似家族のような暮らしを始めるシーンでは、ぎこちなさの中にもユーモアを滲ませ、古き良き時代の人情劇を彷彿とさせる。金田役の上西雄大、鞠役の小南希良梨をはじめ、男に依存しなければ生きていけない母親役の古川藍、徳竹未夏が、まさに熱量の高い演技で魅せる。本作の上西雄大監督にお話を伺った。
■人間は、虐待に対する怒りや、魂が救われていく歓びというものに対して、同じところで心が動くと実感。
――――まずは、ロンドン国際映画祭での、グランプリと主演男優賞の受賞おめでとうございます。海外での反響はいかがでしたか?
上西:僕がミラノで上映に参加した時は、外国の方も日本の方と同じところで泣き笑いするし、日本の文化を理解していなくても、人間というのは虐待に対する怒りや、魂が救われていく歓びというものに対して、同じところで心が動くのだなと実感しました。
――――『ひとくず』の英題を『KANEMASA』にした背景は?
上西:『ひとくず』を直訳すると『SCLAP HUMAN』になるのですが、それでは“浮浪者”という意味になってしまうそうで、それでは伝わらない。人間を描こうと思ったので、人の名前の方が分かりやすいと思い、KANEMASA(カネマサ)にしました。でも、海外映画祭で賞を受賞したとき、発音が良すぎて「カニマサ!」と呼ばれた時は、食べ物屋さんみたいでちょっとタイトル間違えたかなと思いました(笑)
――――ファーストシーンで、この作品が虐待を真摯に描いていると感じました。児童虐待をテーマにした本作を着想したきっかけは?
上西:17年秋、発達障害の方を主人公にした映画の取材をするため、精神科医で児童相談所にてご尽力されている楠部知子先生にお話を伺った時に、本当にそんなことがあるのかと思うような児童虐待の実態を語って下さいました。体にアイロンの火傷の跡がある子どもが、一人や二人ではなく、実はたくさんいる。しかも、わざわざ子どもに火傷を負わせるために、アイロンを温めるのです。人間のやることじゃない熾烈な虐待が密室の中で起こり、実の母親がいてもそれを止めることができない。下手をすれば実の母親が虐待をしているのです。
――――まさに、映画で主人公の鞠が置かれた状況ですね。
上西:その場に火傷を負っている子どもがいたなら、僕が行って何がなんでも助け出してあげたいという気持ちになりました。でも、法律では他人が勝手に助けることはできないのです。楠部先生がおっしゃったのは、子どもが虐待を受けていると自ら訴えて、はじめて外側の力が動くことができるのだと。アメリカでは警察官の判断で、虐待をしている親から子どもを引き離すことができるのですが、日本は子どもが言わなければ動かない。子どもは虐待を受けていても親を思う気持ちが強いですから、親はそこにつけ込んで「あなたが訴えたら、私たちは警察に逮捕され、離れ離れになるよ」と子どもを黙らせてしまうのです。児童相談所の方や警察が駆けつけても、子どもが何も言わず、仕方なく家を後にすると、また扉が閉まった直後から家の中では虐待が起こる。そういうことが日常としてあるのだと楠部先生はおっしゃっていました。
■虐待を受けた者が、大人になって虐待する側になる「負の連鎖」を「救いの連鎖」に。
――――楠部知子先生が話されたという現在の児童虐待や、その背景は、非常にショッキングであり、どうやって救いの手を差し伸べられるのかという思いに駆られますね。
上西:本当は発達障害の話を聞くはずが、虐待の話が頭から離れず、帰ってからも眠ることができない。もし、虐待を受けている子どもを端的に救える人がいるとすれば、どういう人だろうかと想像したのです。社会のルールを考えず、自分の価値観で動ける人間ではないか。でも、そういう人間が人のために何かしようと思うだろうか。その時思い出したのが、楠部先生が言われていた「負の連鎖」という言葉でした。子どもの頃、虐待を受けた者が、大人になって虐待をする側になるという連鎖です。でも逆に虐待を受けているからこそ、虐待される心の痛みや辛さが分かる人間もいるのではないか。そういう人間同士が出会うことで負の連鎖が、救いの連鎖に向くことがあるはずだという救われる願いを込めて、創造したのがこの物語なのです。僕は普段脚本の仕事をさせていただいていますが、2時間ものだと構想を入れて仕上げるのに、速くても2週間ぐらいかかります。でも『ひとくず』の脚本は夜中から昼過ぎぐらいまで一晩で書きあげました。自分の中にある虐待への思いや感情をひたすら書くことで、ようやく眠りにつくことができたのです。
――――セリフも全て一晩で書いたのですか?
上西:いつも作品を作る場合は、まずプロット(物語の筋書き)を組み上げ、そこから脚本を書いていくのですが、『ひとくず』は頭の中でずっとプロットを組み立てていき、眠れずに話が最後まで組みあがってしまったので、ひたすら打ち込んでいきました。会話は、僕がそれぞれの登場人物になってエチュード(即興劇)のように作っていくのですが、実際は3時間ぐらいの尺の物語を書いていました。その時の僕は書きながら泣いていましたし、書くことで救いを求めていたのでしょうね。
■「虐待に関心を持つことが一番の抑止」映画を作って多くの方に観てもらうことが、抑止に役立てば。
――――一晩で書いた脚本をすぐに映画化したのは、それだけ虐待をなくすために何かしたいという思いが強かったのですか?
上西:楠部先生も、「虐待に関心を持つことが一番の抑止」とおっしゃっていましたが、虐待に関心を持つことで、街で見かけた虐待の疑いがある子どもに「大丈夫?」と声をかけられるかもしれない。周りに見られていることを意識させれば、虐待する親への抑止にもなると聞いたので、この映画を作って、多くの方に観てもらうことができれば、僕らが役者として人の役に立てるのではないか。そういう思いでこの映画を作りました。
――――木下ほうかさん、田中要次さんら実力派俳優も出演していますが、その経緯は?
上西:僕たちだけでは映画の力が弱いと思ったので、俳優仲間の工藤俊作さんに木下ほうかさんや、田中要次さんへの出演依頼を相談したところ、お二人を紹介してくださいました。ある日、脚本を読んでくださった木下ほうかさんから僕に、直接電話をいただいたのです。「本当に話をしたいのなら今から出て来れますか」と声をかけていただき、夜中に僕の映画への思いをお伝えすると、「わかった、やるよ」と握手のため手を差し出してくださったのです。その時は、もう泣きました。インディペンデント映画ですが、田中要次さんも脚本を読んで、賛同して出演してくださいましたし、工藤俊作さんも刑事役で出演していただき、ただ単に役者の芝居を見せる作品ではなく、本当に色々な思いを込めて作りました。
■俳優の表情や動きでひたすら観客を引っ張る作品を目指す。
――――虐待に対する救いを描く他、どんな思いが込められているのですか?
上西:虐待はダメだという教育映画も必要ですが、それでは特定の人にしか観ていただけない。僕らの願いとしては、近所で泣いている子どもに声をかけるとか、より多くの人に関心を寄せていただきたいので、作品として力のあるものを作ろうと思いました。子どもの頃に観て、いつまでも心の中に残る映画。僕の場合は『遥かなる山の呼び声』(80)や『幸福の黄色いハンカチ』(77)など、俳優が人間の情愛を丁寧に演じ、その笑っている顔や泣いている顔がずっと胸に残っているのですが、『ひとくず』も人間の気持ちが見えるような作品、昔の日本映画のように、奇をてらった演出は一切入れず、むしろ俳優の表情や動きでひたすら観客を引っ張る作品を目指しました。そう心がけて作り上げた『ひとくず』はきちんと観客の皆さんに渡せる作品になったと思います。
――――書きあげて泣いてしまうような体験は今回が初めてなのですか?
上西:これが初めてです。僕は演劇やドラマ、映画の脚本いずれも人間を描いているのですが、『ひとくず』に出てくる人間は本当にクズばかりで、辛かったです。カネマサは自分が演じる気持ちで書いたのですが、映画が完成し、何度も観ているうちに、だんだん僕とカネマサの距離ができ、上西雄大としてカネマサを見ると、こんなに可哀そうな奴はいないとつくづく思います。カネマサは暴言を吐いて人を傷つけますが、彼は教養もなく生きてきたので、それを悟られることが恥ずかしい。暴言を吐いて自己防衛をする弱い人間なのです。決してヒーローではなく、彼もまた虐待の最大の犠牲者です。
■虐待する母、現在の虐待の方が命の危険を感じるレベルに。
――――昭和と現在の二つの時代の虐待の背景を映し出しているのも本作の特徴ですが、昭和時代は何にインスピレーションを得て描いたのですか?
上西:僕の父親が、すぐに母親に手をあげてしまう人で、いつも僕が父親を止めに入り、家の中に地獄の匂いがしたのです。僕が感じた当時の匂いを、カネマサの子どもの頃の描写に反映させましたし、徳武さんにも説明して演じてもらいました。
――――鞠の母、凛と、カネマサ(金田)の母、佳代という二人の母親の背景について、教えてください。
上西:大きなくくりでは“虐待している母親”ですが、二人は全く違います。どちらも男に依存していますが、昭和時代のカネマサの母親の方が、いつも自分の中に言い訳を作っている。だから、子ども時代のカネマサが男に乱暴され、大怪我をしても「アイスクリームを食べて、忘れなければ」と息子にアイスを手渡します。それが余計に愚かしくて哀しい。そんな母親像を徳武さんには演じてもらいました。現代になるとシチュエーションが変化し、凛のような若い母親は男に依存し、恐怖で押さえつけられ、男に媚びている。そこが二つの時代の違いです。言い訳を用意しているカネマサの母親は愚かだけれど、鞠にアイロンの火傷の跡を残してしまうような凜の方が罪深い。現在の虐待の方が命の危険を感じるレベルで、母親の中にある良心のストッパーがなくなってしまっている気がします。
――――現在の描写の方が多いにも関わらず、どこか昭和の匂いや人情味が漂うのは、上西監督流ですか?
上西:昔見た日本映画のように、丁寧に人の情感を観客に渡せる映画にしたかったのです。一般的に回想シーンが多い脚本は良くないと言われますが、今回は昭和と現代を同時進行させることで、少年時代のカネマサと鞠の境遇が重なるように見せています。今の子どもの方が物にも恵まれ、幸せなのかもしれませんが、虐待を受けているケースでは、今の方が危険な状況です。
――――今、急に児童虐待が増えたのではなく、昔からなくならず、家族の中で弱い立場の子どもが虐待の対象だったことを改めて実感します。
上西:まさに負の連鎖で、虐待を受けた人は、自分の子どもへの愛情の与え方を分からず、自分が受けたことを繰り返してしまう。きっとそんな自分を責めていると思います。責めても、やはりそこに至ってしまうのは、哀しいとしか言いようがない。カネマサは小さい頃から母親を恨み、その仕打ちを忘れていません。だからカネマサは最初、育児放棄をしている凛に攻撃的な態度を取るのですが、凛の背中の傷に気付き、自分の気持ちをぶつけ、逆に凜からも本当の気持ちを受け取った時、初めて負の連鎖を断ち切り、あの3人は家族になれた…はずだったのです。
■桃井かおりも絶賛!鞠役の小南希良梨の撮影秘話。
――――オーディションで選ばれた鞠役の小南希良梨さんについて教えてください。
上西:希良梨さんはオーディションの時から、一番お芝居が良かったです。劇中で、児童相談所と学校の先生が鞠の家を訪れるシーンがあるのですが、あそこは先生たちをはじめ、しゃべっている大人たちは一切撮らず、ひたすら鞠と凛の親子を映しています。あのシーンでは、助けようとする大人たちが現れても、鞠自身が救ってもらうことを諦めているように見える。最初は先生に救いを求めていたはずですが、逆に凛の彼氏を刺激し、自分への虐待がエスカレートすることを恐れている。そんな気持ちを表現しました。実際には、あのように鞠親子に第三者がアプローチすることはとても大事なのです。
――――演じるのは精神的にも大変な役ですが、その熱演で小南希良梨さんは第2回熱海国際映画祭では最優秀俳優賞を受賞しています。
上西:表現力や理解力もあり、第2回熱海国際映画祭では審査員を務めた桃井かおりさんに「私のような女優になってほしい」とコメントをいただきましたし、僕も桃井さんのような大女優になれると思います。お芝居が本当に好きな子ですし、小さくてもお芝居にすごくストイックに向き合っていて、本物と呼ばれる俳優はこういう人なんだなと実感しました。
■カネマサ、鞠、凛の疑似家族が微笑ましく映る焼肉屋のシーン。
――――辛い局面が続く中、カネマサ、鞠、凛の疑似家族が、家族らしく見えるきっかけになった焼肉屋のくだりは、笑いと涙がこみあげる名シーンです。
上西:僕は焼肉屋を経営しているのですが、家族で食べる焼肉が一番温かいひと時だと思うのです。その温かさに触れたら、カネマサは自分でも知らぬうちに涙を流すだろうなと思って書いたシーンです。実は本番前に、希良梨さんにはこちらを見ないように指示して、裏で僕が泣いてから撮影を始めたので、希良梨さんは本当に初めてカネマサの涙を見て、リアルに反応し、演技をしていました。
――――泥棒稼業でなんとか生きているカネマサと、過去の事情を知るベテラン刑事の人情味溢れるやりとりから、彼のある意味理解者であることが分かります。
上西:昭和の映画にはそういう人情派の刑事が出てきますよね。僕は映画でそういう刑事を見ると、救われるような気分になるし、映画を作るときも、そういう刑事を出演させたいし、僕も演じたいんです。『ひとくず』で刑事を演じた空田浩志さんは、劇団テンアンツ設立当時からずっと一緒にやってきた相棒で、昭和の刑事を演じるとすごいですよ。「ツイてない男なんだよ…」というセリフ一つとっても、痺れます。昭和の時代は、学校の先生もお弁当を持っていけなかった生徒を見て、自分の弁当と交換してくれたり、困った子どものことを思いやっていた。そんな、子どもたちを見守る大人が今より多かったのではないでしょうか。
――――最後に『ひとくず』が劇場公開されるにあたり、今の思いをお聞かせください。
上西:今、虐待の環境の中にいる人が、この映画を観る機会を得て、観ることで虐待が減るきっかけになれば、本当に幸せです。何ができるかわからないし、どう思ってもらえるかも難しいですが、とにかく虐待はなくなってほしい。残酷な大人が子どもに向かうことだけは、なんとか避けてほしい。僕らは、子どもが屈託なく笑っている姿を見たいですから。
(江口由美)
<作品情報>
『ひとくず』(2019年 日本 117分)
監督・脚本・編集・プロデューサー:上西雄大
出演:上西雄大 小南希良梨 古川藍 徳竹未夏 城明男 税所篤彦 川合敏之 椿鮒子 空田浩志 中里ひろみ 谷しげる 星川桂 美咲 西川莉子 中谷昌代 上村ゆきえ
工藤俊作 堀田眞三 飯島大介 田中要次 木下ほうか
10月16日(金)よりテアトル梅田、京都みなみ会館他全国順次公開
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