精神医療に人生を捧げた医師とその妻が歩んだ「これまで」と「これから」にカメラを向けて。 『精神0』想田和弘監督インタビュー(前編)

 

 これまでタブー視されてきた精神科医療とその患者に密着し、大反響を呼んだ『精神』(08)から約10年。精神医療に人生を捧げてきた山本昌知先生の引退までの日々に密着した、想田和弘監督の観察映画第9弾『精神0』が、2020年5月2日(土)よりオンライン上の〔仮設の映画館〕(シアター・イメージフォーラム、第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館他)にて一斉配信される。(休館中の映画館が再開した場合は、従来予定の映画館にて公開)

 この生きづらい世の中で、どうやって自分と向き合い生きていくのか、家族どどう向き合って生きていくのか、地域医療のあり方など、人生における大事なことが詰まった本作。山本先生と共に、長年病と闘ってきた患者たちが、次々に先生のもとを訪れては、その不安な心境や、今後へのアドバイスを求めるが、山本先生は「耐えた量は病気をした人にはおよばん。人間のすごさを感じさせてもらった」と患者へ尊敬の念すら抱く様子が映し出される。共生をテーマに生きてきたという山本先生の生き方や患者への接し方は、コロナ禍でギスギスしてしまいがちな私たちに大きな気づきを与えてくれるのだ。

 またクローズアップすべきなのは、妻であり、長年山本先生の活動を支えてきた芳子さんの存在だ。今は認知症を患い、ケアハウスに通っている芳子さんの若き日の姿や、親友が語る芳子さんとの様々なエピソードから、子育てをしながら山本先生の仕事を支えてきた芳子さんの知られざる一面が浮かび上がる。

 現在キャンペーンのため東京滞在中の想田和弘監督に、今回はスカイプでインタビューを行った。前編では、『精神』の続編となった本作で撮りたかったことや、精神病に対する意識の変化、そして長年山本先生の仕事を支えてきた妻、芳子さんのエピソードについてご紹介したい。



■難しかった『精神』公開を一緒に乗り越えた山本先生、芳子さんとの絆。

―――まずは、前作『精神』から約10年ぶりの撮影ということで、久しぶりに山本先生や妻の芳子さんに再会された時の印象を教えてください。

想田:山本先生には『精神』の撮影だけでなく、公開時にも非常にお世話になりました。というのも、映画の公開が近づくにつれ、出演していただいた患者さんの中にすごく不安を覚えられた方もいらっしゃったのです。そんな時、山本先生が患者さんをケアしてくださいました。前作は作るだけでなく、公開するのも難しかった中、山本先生と一緒に乗り越える経験をさせていただいた。それ以来、僕自身も悩みがあると、住んでいるニューヨークから電話で相談させていただくような関係になっているのです。

加えて、現在芳子さんが通われているデイケアセンターは、妻でプロデューサーの柏木規与子の両親が運営しているので、家族同様のお付き合いをしています。だから、山本先生や芳子さんとは、実はしょっちゅうお会いしているんですよ。


■足りなかった芳子さんのシーンを捕捉する『精神』未収録シーン。

―――なるほど。映画では10年前のシャキシャキとした芳子さんの姿が挿入され、今に至るまでの時の流れを感じさせられました。

想田:僕はいつもラフカット(粗編集)ができる度にプロデューサーの柏木と一緒に観てディスカッションをし、修正を加えるというプロセスを経るのですが、最初のラフカットにはフラッシュバックが入っていませんでした。すると、柏木から「芳子さんのシーンが足りない」と指摘を受けたのです。僕もそう感じました。撮影をしたのが2018年だったので、その素材だけだと、僕らが知っている芳子さん像が描けない。そこで思いついたのが『精神』の時に撮影した素材でした。実際に『精神』では使っていないけれど、撮影させていただいたものは残っていたので、今回は芳子さんを撮影した10分ぐらいの素材の中から選んだショットを入れています。


―――本作は引退を決めた山本先生が、患者さんと診療所で対話をするシーンから始まります。病院特有の威圧感がなく、コミュニティスペースのような雰囲気なのが非常に印象的でしたが、「こらーる岡山診療所」について教えてください。

想田:山本先生はかつて精神科の病院や、精神保健センターに勤めておられましたが、早期退職し、97年、患者さんと一緒に精神科クリニック「こらーる岡山診療所(以下こらーる)」を設立されました。「こらーる」は合唱という意味で、患者さんの声に治療者が声を合わせるという意味合いを込めておられます。患者さんと一緒に作っていく場として立ち上げられた診療所ですね。

山本先生ご自身は1960年代、閉鎖病棟しかなかった精神科の鍵を開けるという運動の先駆者で、一貫して患者さん本位の医療を追求してこられました。精神科病院に入らず、地域で暮らしながら治療を続ける選択肢がなくてはいけないと考え、地域密着型の診療所として「こらーる」を立ち上げられたという経緯があります。


■『精神』の撮影時はノーマークだった山本先生、「もしかしたら凄い人なのかもしれない」

―――患者さんと一緒に立ち上げられた診療所というのは、非常に珍しいですね。

想田:こらーるは民家を改造していますから、待合室は畳で、皆、ごろ寝をしたり談笑できる、一種の出会いの場にもなっていました。普通の診療所は患者さん同士の動線が交差しないように設計されていますが、こらーるは、患者さん同士が知り合いになりやすいように作られている。僕が『精神』を撮らせていただいた時は、患者さんにフォーカスしていたので、山本先生のことは当時ノーマークだったのです。ただ、撮影しているうちに、「山本先生は、もしかしたら凄い人なのかもしれない」という気持ちが芽生え、いつか山本先生を主人公にしたドキュメンタリーを撮りたいと、柏木とも話をしていました。山本先生が引退されるというタイミングで、今撮らなければ!とカメラを回して『精神0』ができました。


―――前回は患者さんに撮影させてもらうことが、まず一苦労だったとお聞きしましたが、今回はその状況は少しでも変わったのでしょうか?

想田:相当変わりましたね。『精神』の時は、10人に撮影させてくださいと声をかけたら、8〜9人に断られる状況でした。病気のことを家族や職場に隠している患者さんも多く、社会的にもタブー視され、すごくスティグマが強いと感じたのですが、今回は半分ぐらい、撮影をOKしてくれました。こらーるは2016年に閉所し、こらーるの場所を引き継いで開設され、山本先生が非常勤勤務されていた「大和診療所」で『精神0』を撮らせていただきましたが、やはり山本先生の診療を受けておられる皆さんは『精神』のことをご存知なので、その影響もあったかもしれません。


―――『精神』を撮られてから10年間でそれだけ変化があったというのは、より多くの人が精神を病んでしまい、病院に通う状況になっていることも影響している気がします。

想田:企業でも休職する方には精神的不調を理由とする方が多いですし、精神科や心療内科に通わなければいけない人が増えています。だから精神科に通っていることをタブーにしておけるような状況ではなくなってきている感じはありますね。


■「よく見る、よく聞く」観察映画ならではのカメラワーク。

―――今回特に、患者さんや山本先生の顔をアップで映し出すシーンが多い印象を受けましたが、その狙いは?

想田:「観察映画」の「観察」というのは、「よく見る、よく聞く」ということです。撮影中には、目の前で何が起きているのかを、よく目をこらして見るし、耳を澄ませています。実際、撮っていると色々な気づきがあります。たとえば、山本先生と患者さんの最後の診察を撮らせてもらっていると、患者さんの微妙な表情の変化に気づきます。僕が気づき、感じたことを観客と共有するためには、映像に翻訳する作業が必要で、患者さんの表情の微細な変化を観客の皆さんに伝えたいと思ったら、どうしてもクローズアップが必要になります。引いた絵では伝わらないんです。その時々に必要な画角やカメラワークを素直に実行しているわけです。



■ひたすらカメラを回した、自宅での山本先生と芳子さんの日常。

―――なるほど、その意味では、山本先生のお宅に想田監督が招かれるシーンでは、芳子さんと二人の家庭での様子がよく分かるような家の雰囲気を捉えながらも、置かれている写真や、俳句などが夫婦の歩みを示しているようでした。先生のお宅にもよく招かれていたのですか?

想田:いえ、初めてです。撮らせていただきながら、やはり何度もお邪魔するのは山本先生や芳子さんのご負担になるので、今回が最初で最後のチャンスだなと思いました。山本先生がお茶を入れるのにも大変な苦労をされているのを観ていると、色々と手伝ってしまいたくなったのも事実ですが、そこで僕が手を出してしまうとお二人が日頃どんな生活をしているかを撮れなくなってしまうので、ひたすら冷酷非情にカメラを回していました(笑)僕たちが岡山に帰るたびに山本先生と芳子さんとはご飯をご一緒しているので、「お寿司を取りたいんじゃ」と先生がおっしゃったとき、いつもの会食をしようという気持ちだったんだなと、すぐに分かりましたね。


―――後半、芳子さんの長年の親友を山本先生と二人で訪れますが、そこでお友達から芳子さんの過去の苦労や、知られざる一面が明かされます。芳子さんはただ頷いているだけでしたが、山本先生の影でどれだけサポートされてきたかが分かりました。

想田:僕が山本先生に「大体撮れたので、撮影は終わりかなと思っています」とお話した時、先生から「芳子さんの友達のところに行くので、良かったらカメラを回さないか」と誘っていただき、同行して撮影した場面です。僕としてはあの場面が撮れて本当に良かったです。非常に重要な場面です。僕らの知らない芳子さんを伺い知ることができました。



■『精神』の時にフォーカスできなかった芳子さんの功労。山本先生自らの提案で撮影が実現。

―――山本先生ご自身も、この素材だけで映画になってしまったら、芳子さんの真の姿やその苦労を伝えられていないという思いがあったのかもしれませんね。

想田:本当は山本先生と同じぐらい芳子さんも患者さんのサポートに力を注がれたのだと思うのです。だって、山本先生が自宅に連れてきた患者さんの世話をするというのは、普通のソーシャルワーカーよりも大変ですよね。子育てをしながら、芳子さんはそれをずっと続けてこられた。山本先生は偉大な仕事をされてきましたが、少なくともその半分は芳子さんが担ってこられたのだと思います。『精神』の時も、薄々そのことに気付いていながら、きちんとフォーカスできなかった。今回はまさにギリギリセーフです。先生のご提案で芳子さんのお友達のお宅にお邪魔し、ようやく芳子さんのご苦労や貢献が分かりました。


―――期せずして夫婦のラブストーリーになったとのことですが、他人には見えない夫婦ならではの苦労が見えたことに共感しました。

想田:男性が優位な社会の中で、僕も知らず知らずのうちに、その構図に取り込まれてしまっていたのだと思います。山本先生にばかり注目して、芳子さんに全然カメラが向かなかったことには、すごく反省させられました。一緒に映画を作っているのに脚光を浴びることのない柏木からは「うちと同じじゃない?」と言われましたが、自分の生き方も反省させられましたね。(後編に続く)