『はちどり』やり場のない感情を抱えて生きる「少女時代」がよみがえる
中2のウニは、高校生の姉、受験生の兄がいる5人家族の末っ子。両親は餅屋を営み、忙しい時には家族総出でお店の仕込みを手伝う。姉は塾をサボってはボーイフレンドと遊んでばかり。兄はいつも偉そうで、何かと言えばウニを殴るけれど、ウニは歯向かえずにいる。父は、ソウル大学を目指し、将来いい会社に就職することが幸せと信じて疑わず、塾をサボろうものならものすごい剣幕で怒りまくる。子育てとお店の仕事に忙殺される母は、思春期のウニを構う暇もなく、ウニのためにチヂミを焼いて仕事に出かける。
公団住宅のような住まいで、朝食や夕食は必ず家族5人で食卓を囲み、一見ごく一般的な家庭で育っているウニ。ボーイフレンドもいるし、塾に一緒に通う親友もいて、孤独ではないはずなのに、何か彼女の心に波風を立てるようなことが起こっていく。学校でも家でも、いい大学に行くことを目標にさせられるが、本当にそれが幸せな人生につながるの?今が楽しければいいと思っても、本当に自分のことをわかってくれる人はどれだけいるの?誰しも10代に抱いていたであろう漠然とした不安と、それを吐き出したくても言えないもどかしさ。韓国のキム・ボラ監督の初長編作『はちどり』は、自分勝手な言動で相手を傷つけることもあれば、親友と思っていた相手に裏切られもする少女時代特有の体験を、見事な観察力と、そして時にはヒリヒリするような爆発力で描いている。
韓国映画の近代史に当てはめてみると、『1987、ある闘いの真実』では韓国民主化闘争が描かれ、『国家が破産する日』では1997年の通貨危機が描かれている。1994年が舞台の本作はその間の民主化へと大きく政権が舵を切り、過去の権威主義に別れを告げようとしている時代の物語だ。ウニの家族内の描写を見ても、まだまだ父親や兄といった男性の権力が強いことが伺える。だが、そんなウニに「誰かに殴られたら、立ち向かうのよ。約束して」と告げる存在がいた。それが、彼女が通っていた塾の新しい女性教師、ヨンジだ。
中学生のウニと大学生のヨンジ。周りから変わり者と言われたヨンジは、温かい烏龍茶を入れて、行き場のないウニを受け入れてくれる存在。何か支えになるようなことや人に出会えることで、やり場のない感情を抱えていきる少女時代をなんとか乗り越えられるのではないか。二人が重ねる時間の中で交わす会話は、幾つになっても思い悩む自分についてのことや、先の見えない世の中で生きる指針になるような言葉が溢れ出していた。ウニを演じる新星、パク・ジフが優しい光の中映しだされ、ずっと見ていたくなるような輝きを放てば、『ひと夏のファンタジア』のキム・セビョクが、芯があり、ウニの気持ちに寄り添う、自由の象徴のような女性をクールに演じ、特別な存在感をみせる。
日常のエピソードを瑞々しく、そして丁寧に重ねていく描写は、小学生女子のひと夏を描いたユン・ガウン監督『わたしたち』(15)の”その後”のような趣きがある。実際に、『わたしたち』で転校生のボラを演じたソル・ヘインが、本作ではウニに愛情に近い強い思いを抱く後輩女子役で登場。憧れの先輩、ウニとの距離を縮める様子や、ウニのボーイフレンドに嫉妬のような感情を見せる様子など、好きな人を独占したいと願う気持ちの高まりと見切りを見事に表現している。
本作は大阪アジアン映画祭2020の特集企画《祝・韓国映画101周年:社会史の光と陰を記憶する》の中の作品として、3月に日本初上映され、本来ならキム・ボラ監督も来場予定だった。特集企画の中には、2014年に起きたセウォル号沈没事故の被害者家族を描いた『君の誕生日』(今夏公開予定)もあったが、本作も1994年に起きた、ソウルのソンス大橋崩落事故が描かれている。それはウニの人生や、それからの生き方に大きく刻み込まれるだけでなく、新型コロナウィルスで日々多くの人が命を落としていく今、突然命を奪われた人たちへの鎮魂の思いが胸に迫るに違いない。残念ながら、当初予定されていたキム・ボラ監督の来日は叶わなかったが、ヨンジの言葉「世界は不思議で美しい」に、監督がこの映画で伝えたいメッセージが込められている気がした。
<作品紹介>
『はちどり』"House of Hummingbird"
(2018 韓国 138分)
監督・脚本:キム・ボラ
出演:パク・ジフ、キム・セビョク、チョン・インギ、イ・スンヨン、キル・ヘヨン、ソル・ヘイン他
6月20日(土)〜ユーロスペース、7月4日(土)〜第七藝術劇場、今夏、京都みなみ会館、元町映画館他全国順次公開
※ベルリン国際映画祭2019ジェネレーション14plusインターナショナル部門グランプリ
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