自分の罪を自分で許してしまうのが一番怖いこと。 『許された子どもたち』内藤瑛亮監督インタビュー(後編)


『許された子どもたち』内藤瑛亮監督インタビュー後編では、撮影現場でのエピソードや、撮影時に配慮したこと、そして内藤監督が映画に受けた影響についてお話を伺った。


※「自分の子どもが加害者だったら」と考えないからこそ、この映画を届ける意味がある。 『許された子どもたち』内藤瑛亮監督インタビュー(前編)はコチラ





━━━絆星役の上村侑さんと母親、真理役の黒岩よしさんは、非常に強いインパクトを残す2人で、身体能力も高かったですが、キャスティングの経緯について教えてください。

内藤:上村くんは、出会った時はすでに背が高かったのですが、元々は小柄だったそうで、自分の急激な成長に戸惑って、学校に行けなかった時期があったそうです。一見攻撃的に見えるルックスと、非常に繊細な面を兼ね備えている子で、絆星役に当てはまる資質を持っていました。また、黒岩さんもそうですが、目力と身体性はとても重視した部分です。絆星はほとんどしゃべらないので、目の微妙な動きで感情の動きを表さなければいけない。映画は言葉数が少ない人の表情を読み取ることの面白さがあるメディアだと思うし、そうすることで、感情の多様性が表現できます。上村くんはそれが上手かったですね。「この人どう思っているんだろう」と想像させるぐらいが、映画は面白いですから。上村くんはパルクールをやっていましたし、黒岩さんはソウルオリンピックの水泳代表選手だったので、二人とも全身を使ったアクションで、すごく説得力を持たせてくれました。


━━━確かに二人とも逃げ、走るシーンが多かったですが、非常に迫力がありました。

内藤:黒岩さんは、オーディションで選んだのですが、一目見て「この人が絆星の母親だ」と決めていた気がします。スイマーをやっていたからか、ゴールに向かって脇目も振らずに、いかに早く到達するかという精神性が伝わってくるんですね。その愚直さや真っ直ぐさに惹かれました。キャスティング全体に言えることですが、演技の上手い下手ではなく、その人の存在感、面白さを優先して、今回は選びました。





■母、真理は、世界中を敵に回しても、私が息子を守るという意思が根っこにある。

━━━真理は息子を加害者とは絶対に認めず、ひたすら守るために尽力する母親ですが、黒岩さんが演じるにあたり、どのような準備や指導をしたのですか?

内藤:リハーサルでは参考になりそうな事例を読んでもらい、その後ディスカッションをして、その時の母親の心理を想像してもらいました。メディアで加害者家族の言動が取り上げられる時は、「こんなひどいことをしていた」と断罪口調ですが、黒岩さんとのディスカッションでは、ある種一度肯定的に受け止めるようなことも行いながら、その心理を考えていきました。かつて絆星がいじめられていたのが大きなトラウマとしてあるので、世界中を敵に回しても、私が守るという意思が根っこにあることを共通認識として持ちました。黒岩さん自身はあまり迷わずに演じていたと思います。


■何があっても絆星を肯定し、全てを受け止めようとする存在、桃子。

━━━絆星は少年審判で無罪に相当する不処分になっても、ネットで名前や住所がバラされ、学校からも転校を強制され、自らの罪を省みる精神的な余裕もない中、転校先での同級生、桃子との出会いが物語の色合いを大きく変えていきます。自身も同級生からいじめられていた桃子は、孤立していた絆星に臆することなく声をかける姿は聖母のようにも見えました。

内藤:後半は、絆星にとって母親を選ぶか、桃子を選ぶかという選択肢を突きつけられます。桃子の存在は、古谷実さんの漫画、たとえば「ヒミズ」に登場するヒロインに似ていて、主人公が犯した事件の関係者ではないけれど、主人公を肯定し、認めようとします。桃子自身もいじめの被害者で、それはいじめられていた自分の過去でもあります。加えて、自分が殺してしまった樹を反映させる存在、否定したいけれど、本当は肯定したいような存在です。母親は殺人など犯すはずがない、いい子の絆星しか受け止めようとしないけれど、桃子だけは絆星の全てを受け止めようとしています。殺したとしても、贖罪の道を歩むなら受け入れると。ただし、彼女が都合のいい「聖母」になることは否定するよう描きました。


━━━人は変わることができるとすれば、信頼できる他者の存在と言えるかもしれません。一方桃子のいじめ被害に遭う原因は、学校の先生との関係が噂されたというセクハラ問題がはらんでいます。

内藤:性犯罪や性被害の場合、被害者女性の非を問われるケースが非常に多いと思うのです。いじめている同級生たちは自分たちを正当化し、いじめとは思っていません。正しい処罰を与えているという構造です。その姿を目撃することで、絆星は自分の罪に向き合わざるをない。自分が見たくないものを目の当たりにする一方、絆星自身も桃子に惹かれている。そういう後半の物語の核となる存在です。


━━━桃子を演じた名倉雪乃さんは、本当に堂々とした演技で、最後まで惹きつけられました。

内藤:名倉さんは演技経験もなく、今後するつもりもないと思います。彼女はワークショップの時から映画のようなロリータファッションで参加していて、彼女にはこのファッションが自分のアイデンティティになっていたのです。名倉さん自身も学校生活にはネガティブな経験が多かったようで、桃子役にはすっと入っていけたそうです。最初は引っ込み思案で、なかなか意見が言えなかったのが、撮影の後半に自分の意見をしっかりと言えるようになり、桃子を演じたことで、少し自分が強くなれたような気がしたと言ってくれたのは、うれしかったですね。





■世間のバッシングは、加害者をより強力なモンスターに仕立て上げてしまう。

━━━映画の中で描かれる一度暴走したら止められない集団心理は、ネットでの誹謗中傷や、コロナ禍の自粛警察という圧力、言葉の暴力とまさに地続きです。

内藤:映画でもSNS上の罵声や喝采が画面を覆うシーンは、川崎の事件の時に起こったSNS上での加害者家族個人情報流出がもとになっています。歪んだ正義心を振りかざし、やっている側は気持ちがいいから続けてしまう。ワークショップで行なったいじめのロールプレイングでも浮かび上がりましたが、過剰に罰してしまうのです。加害者に十分な罰が与えられていないから、我々が代わりに制裁を下すという考え方なのですが、母親役の黒岩さんと話をすると、後半一家へのバッシングが厳しくなってくると、もはや被害者のことなど頭に浮かばなくなってくると。自分たちに突きつけられる攻撃から子どもを守らなければという思いが先行してしまい、被害者に対する意識や贖罪が外に追いやられていく。バッシングする側は罪の意識を突きつけているつもりでも、被害者の救済につながらない。そして、加害者を贖罪からむしろ遠ざけてしまう。僕は加害者をより強力なモンスターに仕立て上げてしまうのではないかと思うのです。


■被害者家族にバッシングを向ける心理とは?

━━━被害者家族は、息子、樹を殺されながらも、少年審判で絆星が不処分になり、犯人を特定することも、罪を償わせることもできない無念さを抱えています。ようやく謝罪に訪れた絆星に、樹の母親が絆星に告げた「自分の罪と向き合いなさい」という言葉が全ての少年犯罪加害者に向けられている言葉のように思えました。

内藤:実際のとある事例では、謝罪に訪れた加害者を家に上げる気にはならなかったそうなのですが、ただ来て帰るだけというのも被害者家族としては許しがたい。結果的に家に入ってもらったけれど、だからといって許したとは思われたくないという、非常に揺れ動く感情があったそうなのです。何をしたら許せるのか。損害賠償を求めるのは、被害者のことを思い出して欲しいという気持ちからであっても、世間からは金儲けと勘違いされ、逆にバッシングを受けてしまう。被害者家族も世間から揶揄される対象になりかねないのです。心理学で公正世界仮説という認知バイアスがあるのですが、それは良い人には良いことが起こり、悪い人には悪いことがおきるので、世界は平等であると考えるもので、それを信じるがあまり、不条理な事故や事件が起こると、「被害者に落ち度があったから、起こるべくして起こった」と、被害者を非難することで、自分たちが安心感を得るのです。今回、被害者家族の描写は少なめですが、前半はバッシングにより樹の母親の心が壊れてしまったように描いています。揺れ動きながらも、後半、絆星と対峙したとき。彼女の中で彼に何かを伝えなければという思いがあったのです。


■「嫌だったら断っていいよ」。撮影現場では子どもたちに逃げ道を作り、最大限に配慮。

━━━今回、いじめが題材の作品で、初演技や初映画出演の子どもも多い現場だったそうですが、撮影全般的に気を配ったことや、心がけたことは?

内藤:リハーサルや撮影にはカウンセラーの方にも来ていただき、ご指導やご意見をいただきました。後は子どもたちにも「嫌なことは断っていいんだよ」と伝えていました。監督には言いにくかったら、スタッフや親、カウンセラーの方にでも伝えてねと。♯Me Tooやパワハラが叫ばれるようになりましたが、映画の現場はある程度監督のパワハラを許容してしまう空気がある。むしろ、乱暴なぐらいの方が、「映画監督っぽい」と思われる悪しき風潮があります。僕も商業映画をやり始めた時、「監督なんだから、もっと怒れ」とか「むかついたら、殴れ」などと怒られたことがあり、なんて乱暴な世界なんだと思って、逆に「怒りたくないし、殴りたくないです」と言わなければいけない。本当に前時代的な空間だなと思ったものです。一方、こちらが配慮をしていても、役者が頑張ろうと無理をしてしまい、怪我をするということも経験していますから、特に素人の子どもたちが多い現場だったので、そこは注意深く、できるだけ意識をして撮影に臨みました。子どもたちには「嫌だったらやらなくていいよ」と逃げ道を作ることが大事ですね。


■ワークショップや撮影現場で見えてきた「演じること」のネガティブな一面。

━━━現場でのケアや声かけは本当に大事ですね。一方、ワークショップや映画で演じることは、知らない自分が引き出されたり、相手の気持ちに気づくことができたなど、かなりプラスの効果があったのではないですか?

内藤:プラスだけではなく、ネガティブな面があるのも事実です。ワークショップでも休憩時間、加害者役の子が被害者役の子に話す言い方が、少しキツイなと感じたのです。多分、役が抜け切らなくて、役の延長で言ってしまった感じがするので、大人で集まって話し合い、そこで我々が介入すべきなのかと。最終的には、演出上の措置として、休憩時間も加害者役、被害者役とそれぞれに分かれて、距離を取るようにしたり、役とプライベートを切り分けることが大事だと話したりもしました。でも、ふと思ったのが、こういう演じることがからいじめが起こるのかもしれないと。友達内でいじり役、いじられ役を演じ、最初は冗談でやっていたキャラだったのに、いつの間にか役が固定してしまい、エスカレートしてしまう。いじる側からすれば、元々遊びで始まったことだから、悪いことをしている意識はないでしょうが、本当はいじられている側の子が深く傷ついているはずです。演じることのポジティブな面とネガティブな面の両方を体験した現場でしたね。


━━━疾走感があり、青春の爆発を予感させる音楽が、いじめが題材の映画という重々しさを払拭するパワーを放っていました。

内藤:僕は社会派といっても、映画的な活劇や娯楽性が欲しいので、子どもたちの暴力性でもあり、ある種遊んでいるようでもある雰囲気を音楽でも表していこうと、有田尚史さんにミスマッチな感じのノリのいい曲を入れてもらいました。カラオケで絆星親子が歌う曲も、90年代、真理の世代が歌っていたような、例えば岡本真夜「Tommorow」風の一緒に歌える前向きな曲を目指して作りましたね。




■友達がいなかった高校時代、孤独感を和らげ、僕の荒んだ心を救ってくれたのが映画だった。

━━━緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出禁止が叫ばれた中、映画館が臨時休館し、映画って何なのかを突きつけられた日々でしたが、内藤監督にとって映画とは?

内藤:僕は高校時代、全然友達がいなくて、映画の中の登場人物のように、みんな死ねばいいと思うぐらい、暗い欲望を抱えていました。その時僕にとって逃げ場所になったのが、映画館だったのです。映画は異なる価値観を与えてくれ、そこで学んだことは大きいです。好きな映画に出会った時、「この映画を好きな人がきっとどこかにいる」と思えると、不思議と心が優しくなれて、孤独感が和らいで、僕の荒んだ心を救ってくれていました。不要不急の時に映画なんてと思われるかもしれませんが、映画を見ることで救われる心、救われる人がいるんだということを知っていただきたいですね。今回、僕はミニシアター・エイド基金に作品を出品させていただいていますし、募金もさせていただき、3億を超えるという善意のご支援をいただけたのはいいことですが、本来は政府が支援すべきです。ドイツのモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と断言しましたが、まさしくそうだと思います。


━━━ありがとうございました。最後にタイトル『許された子どもたち』に込めた思いについて、教えてください。

内藤:クリント・イーストウッドの『許されざる者』から考えました。英語タイトルは“Unforgiven”ですが、本作の英語タイトルは”Forgiven children”。翻訳の方からは反対されましたが、どうしてもそれっぽくしたかった。彼らは法的に許された存在ですが、怖いのは自分が自分を許してしまうことです。山形マット死事件の犯人たちは、最初は罪を認めていたものの否認に転じてしまった。今はそれぞれ家庭を持った生活を送っており、賠償金を払っている人は誰もいないのです。彼らが罪の意識を完全に捨て、自分の罪を自分で許してしまっているのが一番怖い。僕自身にも誰かを傷つけてしまったときに、勝手に自らを許してしまおうとする心理があるなと思って、気をつけなきゃいけないし、絆星の場合はどうなのか。許すとはどういうことなのか。そんな問いも込めています。

(江口由美)



<作品情報>

『許された子どもたち』

(2020年 日本 131分)

監督・プロューサー・脚本・編集:内藤瑛亮  共同脚本:山形哲生

出演:上村侑、黒岩よし、名倉雪乃、阿部匠晟、地曵豪、門田麻衣子、三原哲郎他

6月1日(月)〜ユーロスペース、テアトル梅田、6月12日(金)〜出町座、6月20日(土)〜元町映画館他全国順次公開

(C) 2020「許された子どもたち」製作委員会




※出町座で6/12(金)〜6/25(木)、『許された子どもたち』公開記念!内藤監督2本立て特番『先生を流産させる会』&『牛乳王子』開催