観ていただくお客様に、一緒に想像し、考えてもらう映画づくりを心がけて。 『島にて』大宮浩一監督、田中圭監督インタビュー


 平成最後の1年間、山形県の離島・飛島(とびしま)に暮らす人びとにキャメラを向けたドキュメンタリー映画『島にて』が、6月19日(金)より京都シネマ、6月20日(土)より第七藝術劇場、今夏より元町映画館他全国順次公開される。

 監督は、『夜間もやってる保育園』の大宮浩一と、同作で監督補を務めた田中圭。かつて日本海側の海の交通の要所として繁栄した飛島で、今も漁業や農業を営む島民や、島で最後の学生となった少年、飛島に移住し、そこで若い仲間たちと新たな仕事を創造している人など、様々な思いで飛島に暮らす人たちを、四季の風景を織り交ぜながら描いている。コロナ禍で従来の価値観が揺さぶられ、どこで、どんな生き方をするか、各々が真剣に考える今、厳しくても豊かな自然の中に身を置くことは、一つの選択肢になるのではないか。ゆったりとした時間が流れる島時間のリズムを感じながら、さまざまなことを思いめぐらせたくなる、今こそぜひ観ていただきたい作品だ。

 5月16日(土)より、オンラインの「仮設の映画館」で好評公開中、映画館の再開後すぐに首都圏で劇場公開も始まった本作の大宮浩一監督、田中圭監督にお話を伺った。


■テーマを持たなければ映画を作れない状況に、もどかしさを感じていた。(大宮)

――――今回のテーマを「島」にした理由は?

大宮:個人的には、テーマを持たなければ映画を作れない状況に、もどかしさを感じていました。前作は夜間保育園、それ以前はお年寄りの介護施設の映画を作ってきたところの延長の部分もありますが、かと言ってそれだけでもない。今回、私の体調も含めて、飛島に通い切れるかという不安があった中、若い田中監督に声をかけたのですが、田中監督自身も撮りながら、飛島や自分を見つけつつあると感じていたのではないでしょうか。


――――山形県の離島、飛島が舞台になっていますね。

大宮:私は高校3年間を山形で過ごしたので、飛島という存在は昔から知っていました。当時飛島で教員をしていた高校の同級生と話をしているうちに、今は生徒が一人になり、卒業すると学校が休校になるという話を聞き、飛島のことが気になり出しました。還暦を前に、人生の節目であり、平成が終わって新しい時間が始まる中で、育ててもらった山形県内で映画を撮りたいという意識も芽生えていた頃だったので、それらが積み重なり、平成30年4月以降に「やっぱり行けばよかった」と後悔しないためにも、まずは行ってみようと。それが飛島で撮影するきっかけでしたね。学校での一年を時間軸として撮り続けたいということと、もう一つは、若い方が設立、活動されている合同会社とびしまも、撮影前から存在を知り、コンタクトを取っていましたので、その二つを追うことは決まっていましたが、それ以外は現地で撮影する田中監督に任せ、田中監督やカメラマンがそこで出会った人たちが映画に登場しています。


――――首都圏ご出身の田中監督は、今回飛島に行かれたのが初めてだったそうですが、まずその時の印象を教えてください。

田中:事前に調べてはいましたが、インターネットで見た島の印象と、実際に現地で感じた印象は、私の中では違っていました。最初は観光地のようなイメージを持っていたのですが、定期船が着く場所から離れていくと、昔ながらの漁港の建物が並び、非常に絵になるところだなと思いました。


――――飛島の人口が140人と少ない中で、人と出会うこと自体が難しいのではないかと思いますが、映画に登場されている皆さんとはどのようなきっかけで知り合い、関係性を深めていったのですか?

田中:最初に飛島に行ったのが4月の始業式の日で、ちょうどその時に3地区が集まってのお祭りがあったので、みなさんそこに集まっておられたのです。そこで、撮影隊の挨拶がわりに、そのお祭りを廻り、祭りのことを教えてもらった人や、移動の最中に出会った人に話しかけたりして、取材する方の目星を付けていきました。定期船が着く勝浦地区はよくテレビの取材が入るので、皆さんカメラ慣れしていらっしゃり、漁の撮影なども進んで声をかけてくださり、撮影はしやすかったです。ただ、勝浦から一番遠い法木地区の方達は、撮られるのを嫌がる方も多かったですね。



■撮影のない日は釣りや山菜採り。魚をさばくのも初めての体験だった(田中)

――――1年間、どれぐらいのペースで飛島へ通っていたのですか?

田中:最初は月に一度、1週間行くつもりだったのですが、冬になると海が荒れ、定期船がストップして帰れない可能性があるので、2月後半から3月後半までの1ヶ月間はずっと飛島に滞在していました。


――――平成最後の一年のかなりの時間を飛島で滞在し、撮影されていたんですね。田中監督ご自身、日常生活と島での生活が並走する中、どのようなことを感じていたのですか?

田中:島の生活は、今まで自分がやってこなかったことばかりで、多くの発見がありました。飛島でおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたお盆やお正月の話を、介護施設にいる祖母によく話していたので、「島で聞いた話を、伝える」ということを繰り返した一年でしたね。


――――今まで自分がやってこなかったことというのは、具体的にどんなことですか?

田中:島の方に色々なことを教えてもらいました。撮影のない日は釣りに行ったり、山菜を採って、食べたり、色々な魚をもらっては料理をしたりもしました。日頃スーパーで、すでにさばいてパックになっている魚しか買わないので、魚をさばくことも含めて、初めての体験を色々とさせていただきました。


■1年をかけての撮影では、質問する代わりに、日常の映像の中で幅広くイメージしてもらうことを心がけて。(大宮)

――――合同会社とびしまは、山口出身の創立者をはじめ、様々な動機の人が、島に集まってきていますね。そこに至る経緯を知りたいという気にもなりました。

大宮:今回、田中監督にお願いしたのは、よくありがちな「どうして?」とか「なぜ?」というインタビューを止めることでした。気になることは色々あると思いますが、あえて聞かずに、僕たちが考え、想像することを積み重ねて映画を作ることにより、観ていただくお客様に、一緒に想像してもらいたい。僕らが答えを直接聞き、お客様が映画からそれを知って、安心してもらいたくないという思いでした。

例えばお年寄りの方が「病院もねえ」と不便そうな口ぶりをしますが、だったらなぜ島を出て安全な場所に行かないのかということを、僕らは質問する代わりに、どうしてここにいるのかを言葉ではなく、日常の映像の中でお見せしたかった。そこから幅広く色々なことをイメージしてもらうことを、今回は目指しました。1年をかけて撮影するので、あせらなくてもいいということは、ぐどいぐらい何度も田中監督に伝えていましたね。



■島でたった1人の生徒を撮影して感じた「地域が子どもを育てる、豊かな環境」(田中)

――――中3の新くんが先生たちと過ごす学校生活は、生徒1人に先生が3人という、非常に特別な環境でしたが、一年に密着しての感想は?

田中:生徒が1人というのは、自分と比較する相手もおらず、友達も作りづらい環境ではないかと勝手に想像していたのですが、実際に新くんを見ていると、島の人たち皆から孫のように可愛がられていましたし、教頭先生と休み時間に焼き芋を作ったり、若い先生とは本当に友達のように接していて、周りの人がしっかり支えていました。新くん自身も責任感があり、本当にしっかりしていました。両親は漁師になってほしいという希望があることを知りつつ、皆の前で大きな夢を語るのですが、私が中学生の頃ならできなかったことが新くんはできている。一方、映画には未収録ですが、タコ漁の漁師さんの船に乗せてもらって、タコ釣りもしていて、漁師さんとの関係も素敵なんです。地域が子どもを育てる、豊かな環境だと思います。


――――合同会社とびしまのスタッフには、民俗学を研究している方もいらっしゃいますが、この映画自身も民俗学的知見に満ちている気がしましたし、島の時間が、この映画の中にも流れていましたね。

大宮:編集は、皆さんにご覧いただく最終形を意識しました。個人的には、今まで作った作品の中で一番好きな作品になりましたね。不親切ですし、田中監督は神奈川出身なので、方言が分からないという言葉の壁もあったと思います。今おっしゃった島時間も、すごく意識して取り入れた部分です。映画の中で、かつては遠洋漁業をしていた漁師が「港、港に女がいる」と語っておられましたが、漁村の聞き書きにはどれも書いてある話で、それこそ島時間を感じるエピソードです。意識せずにやってきた島の時間がある中で、今、私たちがコロナの最中で感じるように、急激に世の中が変わってしまった。ただ、そういうことを奥さんの前でニコニコ語れる島時間や、漁師さんの過ごしてきた時間を30歳前後の田中監督やカメラマンがどのような気持ちで聞くのかなと思っていました。そういう反応を確かめたりすることも、一番好きな作品の要素になっていますね。



■島にいると逃げ場所がある(大宮)

――――大人になったら島を出ろと言われて育った人が、様々なきっかけで島に戻り、活動している姿は、高齢化が著しい飛島での希望にも映りました。

大宮:親から「漁師だけにはなるな」と言われたり、「島には帰ってくるな」と言われる時代を過ごした人たちを映す一方、平成最後の年に卒業した新くんは、どんな言葉をかけられながら島を出ていくのか。島を成立させている人々が変わってきている中で、平成最後の年の飛島を、3日間というのではなく、1年かけて通ったという控えめな自負を持ちながら、この作品を完成させました。田中監督は新くんの環境が豊かだと言っていましたが、僕が思ったのは、島なら逃げ場所がある。海にも行けるし、ちょっと山に行けば一人になれる。子どもなりの辛さは、都会の子どもと同様のものを抱えていると思いますが、島にいると逃げ場所があるという意味で、新くんはいい環境だと僕は思いましたね。


――――島にいると逃げ場所があるというのは、子どもにとっても、大人にとっても重要ですね。今は、逃げ場所がないがために、様々な弊害が起こっています。

大宮:大人で言えば、働き方改革によって、自分では決められなくなってしまった。さらに今回のコロナ禍で、それこそ一切、何一つ決められなくなってしまいました。逃げるというのは決してマイナスではなく、逃げなければ、戻ってこられない。合同会社とびしまの人たちも、自分の力で帰ってきた人たちだからこそ、通りすがりの僕ら撮影隊に、自分の思いを真摯に語ってくれたのだと思います。


■飛島にいた時間があったから、コロナ禍での生活も苦ではなかった(田中)

これからコロナや色々な問題とどう寄り添っていくのかを、改めて今考えさせられている(大宮)

――――作品の完成時にご覧になったのと、コロナ禍の今、観るのとでは作品の感じ方が全く違ってくると思いますが、実際にどのような変化がありましたか?

田中:飛島にいた時間があったから、コロナ禍で買い物にも行けないとか、一般的に不自由だと感じる生活も私にとって全然苦でなかったです。6月1日に営業再開した劇場で観た時、私の中では、多分コロナ禍でもさほど変わらない営みが続いているであろう飛島を確認しに行った気がしました。

大宮:地域で子どもを育てるというのはどこか綺麗事に聞こえますが、一人しか子どもがいないなら、そんな意識を持たずとも、じいさん、ばあさんたちが自然と声をかけますよ。それが普通のことなのに、少子化や高齢化というスペシャルワードで語ってしまうことで、閉塞感と決めつけるのには首をかしげます。今のコロナ禍は大問題です。ただ長い歴史の中で見れば、希望的観測ですが一瞬のことであってほしい。ウィズコロナという安っぽい言葉ではなく、これからコロナや色々な問題とどう寄り添っていくのかを、改めて今考えさせられていると感じました。

(江口由美)



<作品情報>

『島にて』(2019年 日本 99分)

監督:大宮浩一、田中圭

2020年5月16日(土)~仮設の映画館にて絶賛公開中

6月19日(金)〜京都シネマ、6月20日(土)〜第七藝術劇場、今夏〜元町映画館他全国順次公開

(C) 『島にて』製作委員会