タゴール・ソングを知ることで、状況に対して立ち向かい、前に進む原動力になる。 『タゴール・ソングス』佐々木美佳監督インタビュー


 アジア圏で初めてノーベル賞を受賞し、作家、詩人、シンガーソングライター他にも多様な肩書きを持ち、今でもインドの詩聖とあがめられているラビンドラナート・タゴール。彼が遺した2000曲にも及びタゴール・ソングが、現代に生きる人たちにどのような影響を与えているのだろうか。タゴールが創作活動を続けたベンガル地方のバングラデシュ・ダッカ、インド・コルカタでの現地取材を重ね、今も人々と共にある歌の魅力を探ったドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』が、7月11日(土)より第七藝術劇場、7月31日(金)より出町座、今夏より元町映画館他全国順次公開される。



 監督は、本作が初監督作となる佐々木美佳。東京外国語大学在学中からラビンドラナート・タゴールをはじめとするベンガル文学やタゴール・ソングに触れ、なぜ人々は今でも身近な存在としてタゴールやその歌を愛するのかという疑問を抱いたという。


 映画は「今から百年後−私の詩の葉を心を込めて読む人、あなたは誰か?」というタゴールの詩の一節から始まる。ちょうど百年前にベンガルの地でこの詩を詠んだタゴールは、既に歴史を俯瞰し、未来を生きる人間にも呼びかけているのだ。本作では、旧タゴール邸があるシライドホ他多数の場所でロケをし、道ゆく人からタゴール・ソングの先生、タゴールの歌を現代風にアレンジして演奏している若手ミュージシャンや、タゴールを心の支えにラップで闘うミュージシャンたちにもインタビューを敢行。それぞれが、マイフェイバリット・タゴール・ソングを披露するが、各々お気に入りが違うのも、タゴール・ソングの多彩さを感じさせる。また、まだまだ貧しく、女性の人権が守られていないインド、パキスタンで過酷な環境の中、タゴールの歌、「ひとりで進め」を心の糧に、なんとか前に進もうとする若者たちの力強い姿も目に焼きつくのだ。


 5月12日(水)よりオンラインの「仮設の映画館」でバングラデシュ、インドと同時公開を果たし、6月1日の劇場公開からは勢力的にトークショーや舞台挨拶を行っている佐々木美佳監督と大澤一生プロデューサーにお話を伺った。



■インドの大偉人なのに「私たちのタゴール」と呼ぶギャップに惹かれて。

――――タゴール・ソングは、元々佐々木監督の卒論のテーマだったそうですね。

佐々木:外国人からすれば、タゴールはノーベル文学賞も受賞していますし、ガンジーと並ぶインドの二大偉人と捉えられています。ただ、ベンガル語を勉強すると、タゴールへの親しみを感じはじめ、また現地のみなさんも「私たちのタゴール」と言うのです。私はそのギャップが面白いと感じましたし、なぜそんなにタゴールやタゴール・ソングが好きなのかという疑問が生まれました。卒論を書くためにバングラデシュのダッカを訪れ、タゴール・ソングについて話を聞いたり、歌ってもらううちに、目の前に歌う人がいて、その人自身の人生のストーリーがあり、その上で歌があると、なんとなくですがタゴール・ソングのことが少し分かるような気がしたのです。それが映画のきっかけになっていきましたね。


■佐々木さんには、タゴール・ソングに対して「ただ興味がある」の先をいくこだわり、執着があった(大澤プロデューサー)

――――映像系の学校出身というわけではない中、映画を作ることへのハードルの高さはなかったですか?

佐々木:まず大澤さん(プロデューサー)にしつこく、しつこくアプローチしました。

大澤:色々な判断基準はありますが、まずは佐々木さんに「ただ興味がある」の先をいくこだわり、執着があったことが大きいですね。僕個人として、映画を作るときは、自分が発見できるものという判断基準があるのですが、最初タゴールと聞いた時、誰かわからなかった。写真を見ても中世の偉人かと思ったほどでした。タゴール・ソングを聞いてもピンとこなかったのだけど、聞いていくうちに、自分に近づけられる部分が見つかるなと思ったんです。ただの古典ではなく、ブルーハーツのようだとか、そういう風に聞けばいいんだなと発見ができた。そして重要なのは、Youtubeでアップされているように、今の若い人たちが歌っている歌だったのです。それならば、国や文化が違っても今の自分たちに引き寄せられるはずだと思い、総合的な判断として佐々木さんの初監督作をプロデュースしようと決めました。


――――インドのコルカタやバングラデシュのダッカでロケをするにあたり、Youtubeでタゴール・ソングの歌い手をかなり調べてから現地に入られたそうですが、どのようにして取材者と出会っていったのか教えてください。

佐々木:事前に調べてアポを取ったのと、現地でコンタクトを取ることができたのが半々ぐらいでしょうか。子ども達にタゴール・ソングを教え、有名な歌手でもあるレズワナさんは紹介、オノンナさんはタゴールの生家に行った時、休館日で呆然としている時に同じく休館と知らずに来ていた彼女と偶然出会ったんです。




■インドとバングラデシュ、複雑な歴史はあるが、ベンガル地方は言葉、文化的ルーツも同じで関係性も密。

――――インドとバングラデシュとを行き来しておられましたが、同じベンガル地方でも違いを感じることが多かったですか?また、実際に国が違うことでお互いを嫌悪するような空気はあったのでしょうか?

佐々木:やはり違いますね。ヒンドゥー教の人がマジョリティなのと、イスラム教の人がマジョリティなのとでは、雰囲気が違いますし、宗教で食文化や物の考え方も変わります。元は同じ国で同じ言葉をしゃべっている土地なのに、今はインドとバングラデシュとに分かれてしまった。だから見た目は同じでも、すごく違いがあり、そこにいい意味での魅力を感じています。インドとバングラデシュは国の大きさも豊かさも違いますし、複雑な歴史もありますが、ベンガル地方に関しては、言葉が同じで文化もルーツも同じという意識があるので、関係性は密だと思います。


――――バングラデシュは貧しい、労働搾取をされているなどのイメージを日本の私たちは持っていますが、本作では未開発な中のエネルギッシュさが画面か伝わってきますね。

佐々木:日本でバングラデシュについて伝わっていることといえば、児童労働や労働問題の劣悪さが主ですが、私は文化的な魅力を伝えたいと思っていました。駅でもストリート・チルドレンを撮りましたが、何か撮らなければという思いが強かったですね。


――――佐々木監督はご自身がベンガル語を話せるので、通訳なしで、直接現地の人と会話できることが、より取材相手の内面を引き出すことに繋がったのでは?

佐々木:今回の題材、タゴール・ソングはベンガル人が大事に思っている文化ですから、私がベンガル語で直接伝えることで、それを知りたいという姿勢がより明確に相手に伝わったのではないかと思います。元々、ベンガル人は人との距離が近く、私がベンガル語を話すと他人行儀ではなく、友達か家族のような感じで色々話をしてくれるので、楽しみながら取材をしたのが映画にも出ているのかなと思います。


――――現地ロケは4回行かれたそうですが、回数を重ねるごとに、取材相手との関係性を築いたのでしょうか?

佐々木:1年間に4回、それぞれ1ヶ月ぐらい滞在しました。映画でもよく登場している大学生のオノンナさんや、タゴール・ソングの教師、オミテーショさんのところにはよく通いましたし、高校生のナイーム君のところへは毎回会いに行き、今回はこの話をしようと決めたり、この場面を撮ろうと一緒に話し合っていましたね。




■取材を通してタゴール・ソングを咀嚼し、一緒に列車のシーンを作り上げたナイーム君。

――――ナイーム君も佐々木監督との撮影を通じて、成長をしていったのでしょうね。

佐々木:日本人が共同代表をしているNGO団体エクマットラは、ストリート・チルドレンを保護して生活を支え、教育も行なっています。そこで歌が好きな青年がいるという話を聞き、会ったのがナイーム君でした。それまでタゴール・ソングにすごく傾倒していた訳ではなかったと思いますが、この撮影を通じてナイーム君はタゴール・ソングをたくさん練習し、「赤土の道」を何度も歌ってくれました。彼自身も歌詞を咀嚼する中で、自分の過去の記憶や辿って来た道を見つけたから、取材でも色々な言葉を語ってくれたと思います。最初部屋で歌を聞いた時は、チューニングにズレがあったりもしましたが、最後、列車の上でのシーンでは本当に堂々と歌ってくれました。ナイーム君自身が列車に乗って街に出てきたこともありますし、彼自身が列車の上で歌ってみたいという気持ちが強かったので、私たち撮影チームと合意の上で、カメラマンとナイーム君とで作り上げたシーンでしたね。


――――オノンナさんは、個人の自由を妨げられ、結婚することを求められる親に対し、自由を求めて行動を起こそうとします。まだ、彼女のような境遇の人はベンガル地方では多いのですか?

佐々木:インドもバングラデシュも古い価値観は日本以上に残っていますし、反発しようとすればするほど娘の方が傷ついてしまう。親子の意見の相違に関する描写はボリウッド映画でもよく登場します。今回、日本パートはオノンナさんが「世界を見てみたい」と発言していたので、こちらから来日を打診しました。彼女の希望を実現させた形ですね。


■「ベスト・オブ・タゴール・ソング」。未収録の中には一生かけても分からない歌がある。

――――タゴール・ソングスは、小さい子どもが口ずさめるものから、プロの歌手でも歌いこなすのが難しいものまで、本当にバリエーションが豊かですね。

佐々木:タゴール・ソングスは2000曲ぐらいあり、心のことから、自然や神、祈りなど、本当に歌の内容が多岐に渡っています。映画に出てくるのは20曲ぐらいですが、素人でも歌えるのはやはりポピュラーな曲で、結果的に「ベスト・オブ・タゴール・ソング」になったかもしれません。ただ、インタビューで「一生をかけてもわからない」と言われていたように、映画には出てこないけれど難しい歌がたくさんあり、それは自分が歌って、咀嚼して、人生経験を重ねるうちにわかる歌なのだろうなと、なんとなく感じました。




■タゴールが存在を世界に知らしめた深遠なバウル。

――――映画ではバウルと呼ばれる吟遊詩人が民族楽器を弾きながら素晴らしい歌を披露しますが、バウルについて、教えていただけますか?

佐々木:ベンガルの人でも「バウルとは?」と聞かれても答えられないぐらい、深遠な人たちですが、一般的にはベンガルの宗教詩人などと言われています。アウトカーストの人がバウルとして生きていくケースもありますし、伝統的なスタイルとしては歌を村から村へ歌い歩く形だそうですが、今は海外で公演するようにもなっているそうです。タゴールはコルカタ生まれですが、30歳ぐらいで今のバングラデシュにあるシライドホに移り、タゴール家の領地管理の仕事をするようになります。そこで初めてベンガルの伝統的なバウルに出会い、バウルの歌う言葉の深遠さに魅せられ、バウルの旋律を彼の歌にのせることもありました。タゴールがバウルを発見したといっても過言ではない。逆にタゴールがいなければ、バウルの存在を世界に知らしめることはできなかったかもしれないくらい、タゴールとバウルは関係が深いですし、バウルが脈々と歌で伝えてきた平等や自由は、タゴールの歌の思想にも大きな影響を与えています。最近刊行された「バウルを探して〈完全版〉」(著:川内有緒、写真:中川彰)に、バウルのことは詳しく書かれていますよ。


――――なるほど、バウルとの出会いも含め、タゴールにとって、自然豊かなシライドホで過ごすことができたのは、自身の創作の大きな力になったんですね。今回、相当多くの素材がある中、編集で何か留意したことはありましたか?

佐々木:編集中は編集マンの横で、ひたすら映像翻訳者として撮影した人たちが何を言っているのかを伝えることに専念し、意思疎通する作業に集約していました。

基本的にインタビューと歌で構成されていますが、場所が変わったり、昼や夜といろいろなシーンがあります。歌も光の歌もあれば、暗闇の歌もある。タゴール・ソングの風景や感情の流れと共に、映画の素材の風景を組み合わせています。




■タゴール・ソングを知ることで、状況に対して立ち向かい、前に進む原動力になる。

――――インディーレーベル代表のクナルさんが、貧困はなくならなくても、貧困の中で生きていくためにタゴール・ソングを伝えていく責任があるとおっしゃっていました。本作のテーマ、ベンガル人とタゴール・ソングの関係の一端が垣間見えたのではないですか?

佐々木:タゴール・ソングを知ったり、歌ったりすることで、心の持ちようが変わると思います。歌があると自分を信じることができる。すると、その人の生き方が変わると思いますし、状況に対して立ち向かい、何かしら前に進む原動力になる気がします。それはナイーム君からも教えてもらったことですね。私自身もタゴール・ソングに背中を押されている部分はありました。映画を観るたびに「一人で進め」と言われると、「はい、がんばります!」という気持ちが芽生えますね。


――――やはりタゴールは、地元愛を込めて歌うからこそ、ベンガルの人たちに100年後も愛される気がしますね。

佐々木:そうですね。タゴールが地元のことを歌ってくれたから、自分たちの文化や自然を認めることができ、ベンガル人のアイデンティティになっているといっても過言ではないと思います。


――――ちなみに今まで、タゴールを題材にした映画は現地で多く作られているのでしょうか?

佐々木:サタジット・レイがタゴールのドキュメンタリー映画を作っています。また、タゴールが書いた小説を基にした映画や、タゴール・ソングが劇中歌として登場する映画も古いものから新しいものまで結構ありますね。インドやバングラデシュでも今、仮設の映画館で同時公開していますが、どう受け止めてくださるか気にはなります。いずれは現地でも上映会ができるように、動いているところです。


――――私自身も緊急事態宣言下、仮設の映画館で『タゴール・ソングス』を観て、癒されましたし、旅情を誘われました。最後に、これからご覧になる皆さんにメッセージをお願いします。

佐々木:コロナ禍で海外、それこそインドやバングラデシュにも行きにくい状況ですが、映画を通してちょっとした旅気分になっていただければうれしいです。個人の内面や生き方を考えざるを得ないタイミングの今、タゴールの詩に触れることで、人生のヒントが見つかるかもしれませんので、ぜひ観に来ていただければと思います。

(江口由美)



<作品情報>

『タゴール・ソングス』(2019年 日本 105分)

監督:佐々木美佳

All songs by ラビンドラナート・タゴール

出演:オミテーシュ・ショルカール、プリタ・チャタルジー、オノンナ・ボッタチャルジー、ナイーム・イスラム・ノヨン他

2020年5月16日(土)より仮設の映画館にて絶賛公開中

7月11日(土)より第七藝術劇場、7月31日(金)より出町座、今夏より元町映画館他全国順次公開

※第七藝術劇場、7/11(土) 13:20 の回上映後、佐々木美佳監督とシタール奏者石濱匡雄さんによるトークショーあり。

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