シネ・ヌーヴォ渾身の日本映画大回顧展「没後50年 映画監督 内田吐夢」7/25より開催

 毎年夏の恒例になっているシネ・ヌーヴォ(大阪:九条)の日本映画大回顧展。今回は7月25日(土)から8月28日(金)まで、今年で没後50年を迎える戦前戦後にかけて活躍した日本映画の巨匠・内田吐夢監督のサイレント時代の作品から遺作まで、全25本を一挙上映する。


 サイレント作品からは劇映画第1回監督作品『虚栄は地獄』、95年にプラネット映画資料図書館により発見された貴重な初期作品『少年美談 清き心』、スポーツ映画『漕艇王』、千島列島国後島・古釜布でロケをし、当時15歳の原節子出演作でもある『生命の冠』が上映される。さらに小津安二郎原作の傑作『限りなき前進』の短縮バージョンや戦前の代表作『土』もラインナップ。



 戦後の作品では、中国抑留から帰還した内田吐夢が、溝口健二、小津安二郎、伊藤大輔、清水宏ら錚々たる面々の協力を得て作り上げた13年ぶりとなる復帰第一作『血槍富士』(写真上)、グランドホテル方式で描く野心作『たそがれ酒場』、そして冷酷非情で虚無の剣客・机龍之助の流転を描く中里介山不滅の名作を映画化した『大菩薩峠』シリーズを一挙上映する。在日朝鮮人にも言及した問題作『どたんば』、当時タブーだったアイヌ民族問題に迫る一大叙事詩『森と湖のまつり』、二つの孤独な魂が寄り添い純愛へと昇華する近松門左衛門の名作「冥途の飛脚」を映画化した傑作『浪花の恋の物語』もラインナップ。




 そして東映時代劇の頂点であると共に日本映画史に輝く「宮本武蔵 五部作」もオールナイトで一挙上映する(写真は『宮本武蔵 般若坂の決斗』)。日本映画不朽の名作『飢餓海峡』、そして遺作ながらたたみかけるスピード感で闘う男たちの気迫が満ち満ちた傑作『真剣勝負』も見逃せない。


なお大回顧展期間中、内田吐夢監督命日にあたる8月7日(金)は全ての方が1000円で鑑賞できるほか、トークショーも数多く予定されている。

●8/8(土)春日太一さん(映画史家研究家)トークショー15:35『宮本武蔵 二刀流開眼』上映後 

●8/8(土)宮本武蔵5部作一挙上映オールナイト22:20スタート 第一部上映前に春日太一さんトークあり

●8/17(月)梶山弘子さん(『真剣勝負』スクリプター)トークショー15:30『真剣勝負』上映後

●8/19(水)上野昂志さん(映画評論家)トークショー16:00『人生劇場』上映後



[内田吐夢監督 プロフィール]

1898年(明治31年)4月26日、岡山市生まれ。本名は常次郎。中学を中退し、横浜のピアノ製作所に勤務するうち、遊び仲間から「港のトム」の渾名で呼ばれ、後に吐夢を名乗るようになる。20年、横浜に創立された大正活映でトーマス・栗原監督の助手や何本かの映画に出演。22年、牧野教育映画に移り、『噫小西巡査』を衣笠貞之助と共同監督し監督デビュー。しかし、その後、旅役者の一座に混じるなど各地を放浪、社会の底辺で生きる人たちへの共感を持つ。26年、日活京都大将軍撮影所に入社。翌年、『競争三日間』で本格的に監督デビュー、喜劇〈トム・コメディ〉を中心に撮る。29年、傾向映画の先駆的作品『生ける人形』、31年には初の時代劇で大河内傳次郎主演の大胆な風刺映画『仇討選手』で注目される。33年、新興キネマから日活多摩川撮影所に移り、『限りなき前進』(37)、『土』(39)など現代劇の傑作で地位を確立、一作ごとに賞賛される。41年、会社の方針と合わず日活を去り、自らのリアリズムにも行き詰まり、終戦間際の45年、満州に渡り満州映画協会に在籍。敗戦後の8月20日、満映理事長だった甘粕正彦の自決現場に立ち会う。その後も帰国出来ず、共産主義革命が進行する中国に残留。53年、戦後8年も経ってやっと帰国。東映に入社し、55年映画人たちがこぞって協力し、『血槍富士』で見事なカムバック。以降、『大菩薩峠』シリーズ、『宮本武蔵』シリーズなど時代劇大作を発表する一方で、『暴れん坊街道』(57)、『浪花の恋の物語』(59)など“古典芸能四部作”や、アイヌの問題を扱った『森と湖のまつり』(58)や、在日朝鮮人問題をベースにした『どたんば』(57)など、骨太で問題意識に満ちた作品も次々と発表。現代社会の弱者を鋭く照射するとともに、「心理的クライマックス」と「視覚的クライマックス」を論理的に進め、同時に爆発させる映画作りは他の追随を許さない。65年には部落問題を底流に描いた水上勉原作のサスペンス超大作『飢餓海峡』を発表、吐夢芸術の集大成となった。71年、『宮本武蔵』の続編で伊藤大輔の脚本を得た『真剣勝負』のロケ中に倒れ入院。いったんは再起し撮影を続行、病室で編集し完成するも公開を待たずして8月7日死去。満72歳。数奇な運命に争いながらも、最後まで映画作りに情熱を注いだ日本映画の巨匠だった。『飢餓海峡』などの脚本家鈴木尚之の『私設 内田吐夢伝』によると、8月12日の葬儀に山田五十鈴から「アア イダイナルエイガノチチノシ カナシミコノウエナシ」の弔電が寄せられたという。2020年、没後50年を迎える。



【没後50年 映画監督 内田吐夢】

開催日程:2020年7月25日(土)〜8月28日(金)

会場:シネ・ヌーヴォ(大阪・九条)

料金:一般1500円、学生・シニア1100円、会員1000円

当日5回券6000円、シニア5回券、会員5回券4500円

前売1回券1200円、前売5回券5000円


没後50年 映画監督内田吐夢

[内田吐夢監督 プロフィール] 1898年(明治31年)4月26日、岡山市生まれ。本名は常次郎。中学を中退し、横浜のピアノ製作所に勤務するうち、遊び仲間から「港のトム」の渾名で呼ばれ、後に吐夢を名乗るようになる。20年、横浜に創立された大正活映でトーマス・栗原監督の助手や何本かの映画に出演。22年、牧野教育映画に移り、『噫小西巡査』を衣笠貞之助と共同監督し監督デビュー。しかし、その後、旅役者の一座に混じるなど各地を放浪、社会の底辺で生きる人たちへの共感を持つ。26年、日活京都大将軍撮影所に入社。翌年、『競争三日間』で本格的に監督デビュー、喜劇〈トム・コメディ〉を中心に撮る。29年、傾向映画の先駆的作品『生ける人形』、31年には初の時代劇で大河内傳次郎主演の大胆な風刺映画『仇討選手』で注目される。35年、新興キネマから日活多摩川撮影所に移り、『限りなき前進』(37)、『土』(39)など現代劇の傑作で地位を確立、一作ごとに賞賛される。しかし40年、会社の方針と合わず日活を去り、自らのリアリズムにも行き詰まり、終戦間際の45年、満州に渡り満州映画協会に在籍。敗戦後の8月20日、満映理事長だった甘粕正彦の自決現場に立ち会う。その後も帰国出来ず、共産主義革命が進行する中国に残留。53年、戦後8年も経ってやっと帰国。東映に入社し、55年映画人たちがこぞって協力した『血槍富士』で見事なカムバック。以降、『大菩薩峠』シリーズ、『宮本武蔵』シリーズなど時代劇大作を発表する一方で、『暴れん坊街道』(57)、『浪花の恋の物語』(59)など“古典芸能四部作”や、アイヌの問題を扱った『森と湖のまつり』(58)や、在日朝鮮人問題をベースにした『どたんば』(57)など、骨太で問題意識に満ちた作品も次々と発表。現代社会の弱者を鋭く照射するとともに、「心理的クライマックス」と「視覚的クライマックス」を論理的に進め、同時に爆発させる映画作りは他の追随を許さない。65年には部落問題を底流に描いた水上勉原作のサスペンス超大作『飢餓海峡』を発表、吐夢芸術の集大成となった。70年、『宮本武蔵』の続編で伊藤大輔の脚本を得た『真剣勝負』のロケ中に倒れ入院。いったんは再起し撮影を続行、病室で編集し完成するも公開を待たずして同年8月7日死去。満72歳。数奇な運命に争いながらも、最後まで映画作りに情熱を注いだ日

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