わな猟は「自然界、生態系の中に入り、動物と向き合っている感覚を得ることができる」『僕は猟師になった』千松信也さんインタビュー
ワイヤーを使って直径12cmのわなを作り、けもの道に仕掛け、イノシシや鹿などの野生動物を生け捕りにするわな猟。街と山の境界に住み、4ヶ月ほどの猟期に山に入り、わな猟を続ける京都在住の千松信也さんに密着したNHKのドキュメンタリー番組「ノーナレ けもの道 京都いのちの森」が大反響を呼び、300日の追加撮影や再編集、池松壮亮のナレーションを加え、わな猟の世界に誘う映画版『僕は猟師になった』(監督:川原愛子)が誕生した。
京大在学中に狩猟免許を取り、くくりわな猟、無双網猟を学んだ千松さんは、20年近く猟師生活を行なっている。動物と向き合う営みを続ける千松さんと、その解体作業を手伝う幼い子どもたちを含めた家族の姿も映し出される。街の生活に自然の恵みを取り入れ、バランスを取りながら生きる姿は、命をいただいていることに無自覚な私たちに様々なことを呼び覚ましてくれるだろう。伝統的なくくりわな猟の地道な作業や、動物の痕跡を探す営みに、人間と動物が同じ目線で知恵を競いあっている姿が見える。
現在は運送会社で働きながら、猟を行なっている本作の千松信也さんに、お話を伺った。
■京都大学の自由さと、吉田寮で色々な価値観の人と出会ったことが今の人生に繋がる。
――――京都大学在学中は吉田寮に下宿をされていたそうですが、在学中に猟師免許を取ったそうですね。
千松:他の大学に行き、やりたい勉強をしていたのなら、猟師免許を取るなんて思いつきもしなかったでしょう。京大に行ったからこそ思い至ったのかもしれません。京大は良くも悪くも自由で、学校に行かなくてもうまくすれば単位がもらえるし、全国から変わった学生が集まる総合大学です。 その中でお金のない人間の集まるところが吉田寮で、4年で普通に大学を卒業する人のほうが珍しいくらいみんな留年や休学をしながら好きなように暮らしていました。吉田寮に入ることで、色々な人と出会い、語り合い、寝食を共にするのがすごく楽しかったです。大学に入る前は、動物と暮らしたい、人間は信用できないと思うぐらい人間嫌いでしたが、吉田寮で人間も意外と面白いなと思うようになりました。様々な社会問題に関わっている人もたくさんいたので、釜ヶ崎の集まりに参加して野宿している方々とも交流できました。この時間を使って色々と自分のやりたいことを考えたいという思いから、大学を4年間休学しました。その間にやったことの一つが狩猟だったのです。
――――狩猟は誰から教わったんですか?
千松:休学中に海外で働いた後、京都に戻ってアルバイトをはじめました。そこの社員で狩猟をやっている人に教えてもらったんです。子ども時代から狩猟や猟師に興味はあったものの、山奥で行われているものと思っていたし、現実味がありませんでした。また、鉄砲を使う狩猟には少し抵抗があったのですが、その方がやっていたのは昔ながらのわな猟だったんです。もう日本でわな猟をやっている人はいないと思っていたし、本を探してもない中、運命的な出会いでした。ただその時も「猟師になるぞ!」と意気込んで始めたのではなく、好奇心からでしたが、いざやってみるとすごく面白い。大学入学後は釜ヶ崎や、アイヌや沖縄の方と交流するサークル活動をしていたので、どちらかといえば人間との関わりが多かったのですが、山に行くようになり、動物のことを調べ出すと、子どもの頃からこういうことが好きだったなと思い出してきました。森に入ると、ひたすら鹿やイノシシの痕跡を探し、夢中で獲物を追い求めている感じが心地よくて、どんどんはまって行きました。
――――動物の肉を、飼育するのではなく、野生動物を狩猟することで自ら調達するのも初めての体験ですよね。
千松:実家が農家なので米や野菜を作っていましたし、親父が釣り好きなので魚を釣ってくるのですが、肉に関してはお店で買ってくるしかなかった。動物が好きと言いながら、その動物の肉を食べるのはお金を出すだけで、育てたり、殺したりするのは全て他の人にやってもらっていることへの気持ち悪さがあったんです。初めてのわな猟で鹿を獲った時は、吉田寮のみんなに解体を手伝ってもらい、振る舞いました。20〜30キロの鹿肉が一晩でなくなった。これまで自分が肉を提供される側だったのが、分け与える側になったとき、自分は動物と向き合い、肉にする側にまわったのだなと実感しました。初めて命を奪う時は「殺していいのか」と自問自答しましたが、皆が美味しいと食べてくれる姿を見て、狩猟を始めてよかったと素直に思えた。それで、この方向に進むことに決めたのです。
■自然界、生態系の中に入り、動物と向き合っている感覚を得ることができるのがわな猟の魅力。
――――わな猟の魅力とは?
千松:ライフルを使った狩猟のような華やかさやダイナミックさはなく、すごく地道な作業の積み重ねです。わなを仕掛けた後で見回りに行き、獲物がわなのギリギリ手前で避けていった痕跡を見つけたら、わなを置く位置を少しずらしたり、獲物が歩きやすい平らな場所にわざと小石を置いて、わなを仕掛けた場所を歩くように誘導してみる。また次に行った時もわなのすぐ近くを踏んでいるようなら、位置をもう2センチずらしてみる…と本当に地味な作業が続き、まさに動物との知恵比べです。わなをどれだけ隠しても残った人間の匂いを察知され、わなをほじくり返されて去られることもありますし。イノシシの食料であるクヌギのドングリを食べ尽くし、カシのドングリに行き始めていると思ったら、先回りしてそちら側のけもの道にわなをかける。すると、イノシシも通り始めたばかりなので、まだ道に不慣れでうっかりとわなにかかることもあったり。
――――動物の行動を知り尽くし、まさにイノシシの気持ちになっておられますね。
千松:動物目線でお互いにやりあえますよね。猟を始める前は、人間は自然を破壊し、生態系から外れているようで嫌だったのですが、猟をしている瞬間だけは、自然界、生態系の中に入っているかのように思えます。動物に身体能力では叶わないので人間特有の知恵と道具を使わせてもらうのですが、動物と向き合っている感覚を得ることができる。そこがわな猟の魅力や楽しさだと思いますね。
■飲食店に鹿肉を卸していた時期、「僕の気持ちだけがうまくいかなくなってしまった」
――――今は「動物ときちんと向き合いたい」という考えでわな猟をされていますが、このスタイルになるまで、どんな紆余曲折があったのですか?
千松:僕が猟を始めた時期は、鹿とイノシシの数が全国的に激増し、獣害が問題化した時でした。わな猟を始めてすぐに獲物を仕留めることができたのも、獲物自体が激増していたからです。1冊目の本(「ぼくは猟師になった」)を書いた時に色々と調べていると、鹿が増えることで森林の生態系自体も乱れてしまうことが分かりました。今もそうですが民間業者が捕獲し、焼却炉で焼却処分にするなど、鹿が無駄死にのような状態になっていました。それならば、僕が鹿をもっと獲り、飲食店に提供すれば、鹿の数も減らせ、肉として提供でき、鹿肉の美味しさを知ってもらうことにもつながる。また僕の猟の経費も捻出できると思い、わな猟を初めて5年目ぐらいから3年間、知り合いの定食屋に提供していました。当時はまだ食用肉の提供に対するルールがまだ今ほど厳しくなかったので、個人でも卸すことができ、評判も良くうまくいっていたのですが、僕の気持ちだけがうまくいかなくなってしまいました。
――――獲物を得るのが、仕事のノルマのようになってしまったんですね。
千松:僕が猟を始めたのは、動物と向き合えるとか、人間以外の野生動物がやっているように、自分の食べる肉を自分で調達できる、わな猟をする中で動物と知恵比べをしながら動物の仲間入りができたような感覚を覚えたことが気持ちよかったからです。どんな肉食動物でも家族や仲間、群れのグループが必要とする以上の獲物は獲りません。僕が販売を始めてからは、見ず知らずの人が食べる肉のために、ひたすら鹿を獲り続けるわけで、自分が生きている実感を覚えていたことと逆の方向に行ってしまい、鹿を獲ることが義務であり、労働になってしまいました。普段だったらかけないような危険な場所にも、納品するために無理をしてわなをかけてしまう。そのうち山に行くのが苦痛になってしまったので、初心に立ち戻り、販売することをやめて、今のスタイルになりました。
――――今のスタイルという意味では、街と山の境界線に暮らしているのも、千松流かなと思うのですが。
千松:裏山にうまい肉の塊が歩いているのに、獲らなければ損ぐらいな感覚で始めているので、「自給自足」「エコな暮らし」というような意識高い系的暮らしをめざしているわけではありません。自分にとってより効率的な暮らしを考えています。多くの地方都市には山や森があり、そこから得られる恵みを取り入れていけば、もっと楽に、豊かに暮らせる面があるのではないかと思っています。
■我が子がわな猟に興味を持ってくれるのはうれしいが、色々経験した上で、自分のやりたいことを見つけて欲しい。
――――この映画では千松家の子育てが自然に映り込んでいますが、子育てについてはどのようなお考えをお持ちですか?
千松:撮影時は小さかったですが、今は中1と小4になり、とにかくたくさん食べるようになったので、どれだけ食べても大丈夫なぐらいの食料(肉)を自分が提供できるのは、すごくうれしいです。狩猟は職業ではないし、子どもたちに継がせるものでは全くないのですが、僕がやっているのを見て、二人とも「やりたい!やりたい!」と興味を持ってくれるのはありがたいですね。行ける範囲で連れて行ったり、獲った後の解体を手伝ってもらっていますね。
――――解体作業は、最初怖がったりしたのですか?
千松:小さい時は僕が子どもを背負いながら解体していたので、物心つく前から見ている状態なんです。山に入って獲物を仕留めるのはまだ実感がわかないと思いますが、解体は常に両親がやっているので、子どもたちにとっては家のお手伝い感覚です。皮が上手に剥けるようになったと言われれば喜んでいますね。解体は夜やることが多いのですが、今は学校の宿題があるので、宿題ができたら皮を剥いてもいいよと声をかけています。
――――今は危険だからと、子どもにナイフや包丁を持たせない保護者も多いですが、生きる力という点でも、親と一緒に小さい頃から作業をするのはいいですね。
千松:映画では僕と狩猟という観点で撮影していただいたので、一緒に猟に関わっている部分が出ていますが、一方で僕は子どもの教育で猟のことばかりをやらせたいという気持ちは全然ないです。他の子どもたちがやっているようなことも全てやらせてあげないと、総合的な判断ができなくなる。任天堂スイッチや、iPadもすごく触っていますし、その中で我が家はこんな一面もあるよという感じですね。色々経験した上で、自分のやりたいことを見つけて欲しい。むしろ猟ではなく、違うこと、違う獲物、できれば海の魚を獲ってきてもらえると、食卓が豊かになりますね(笑)
■人間が好き勝手に自然を改変してきたしっぺ返しが野生動物の生態にも影響している。
――――20年近く森に入っておられると、地球環境の変化やそれが動物たちに与える悪影響を肌で感じておられるのではないですか?
千松:近年は大雨、洪水、台風の類がひどいですが、その影響は山の中でも顕著で、山中の木が倒れまくっているんです。これまで何十年もイノシシが通っていたけもの道が全部崩れてしまったとか、木が倒れすぎてどうにもならないこともあります。気象の変化や環境の変化だけでなく、人間が森を今まで好き放題に使ってきたことが原因でもあります。京都だと杉やヒノキの木を山奥に植えまくり、外国の木材が輸入されると売れなくなって、ほったらかしにされている。また、人間は炭や薪を使うので、クヌギやコナラの木を里山で優先的に残して育ててきたけれど、それらの木はドングリがたくさんできるからイノシシを寄せてしまうことにもなりました。今は炭や薪を使わないので、どんどん巨木になり、木食い虫に適した状態になってナラ枯れ病が流行り、弱った木が台風で倒れて、電線や人家に被害を及ぼす。人間が好き勝手に自然を改変してきたしっぺ返しが来ています。人間が森を破壊したことにより数が激減した動物もいますが、逆にそれをうまく乗り越えた鹿やイノシシは増えています。結局野生動物は、どこに食べ物があるかを探し、住居を変えつつ生き延びる存在です。僕も森や環境の変化、気候変動は、「そういうもの」として受け入れながら、このタイミングならどこで獲りやすいかを考えながら、毎年過ごしていますね。
■自分の中では実験だったテレビロケ。イノシシは警戒し、道自体を歩かなくなった。
――――TV版のノーナレから映画化するにあたり300日の追加取材ということで、けもの道でもカメラと行動する時間が多かったと思いますが、取材を受けてみての感想は?
千松:テレビの取材は何度か受けたことはありますが、短期取材ばかりだったので、2つの猟期をまたいで、できれば毎日ぐらいの勢いで密着されたのは初めてでした。僕以外の人間がけもの道にたくさん入ると、露骨にイノシシの動き方が変わり、すごく警戒して僕の猟場に来なかった!頭の中では分かっていたけれど、十何年もやっていると自分の匂い対策もいい加減になり、これぐらいでも獲れるとズボラになってきた面がありましたが、改めて2〜3人もの人間を連れていくと、イノシシが道自体を歩かなくなる。僕も勉強になりました。さらにここなら獲れると思ったら、「センサーカメラで正面から撮りたいんですけど」と監督に言われ、映像は撮れても、獲物が取れなくなるという板挟みにもなりました。イノシシはカメラにすごく敏感で、撮影をはじめると、カメラを一瞥してからダッシュで逃げて行く映像をたくさん見せてもらい、何か人間には聞こえないものに感づくものだなと思いました。
――――映画版では池松壮亮さんのナレーションが加わっています。対談もされたそうですが、ナレーションの印象や、対談の感想を教えてください。
千松:ナレーションのないノーナレが面白いと思って引き受けたので、映画化するにあたりナレーションは要らないのではないかと思ったこともありました。池松君に会った時も、「ノーナレで作った作品のナレーションをしろと言われたら、やりにくいよね」という話をしましたね。ただ、ナレーションの内容自体がすごく考えられていて、必要最低限な言葉を池松君の落ち着いたトーンで語ってもらえたことで、逆にノーナレでやりたかった内容が入りやすくなっていると感じました。予備知識がない人が見たら「あれ?」と思うようなところをきちんと補ってくれる、いいナレーションが入っていました。池松君は「自分が(ナレーションで)関わったのは数時間だけなので、この映画についてどうこう言えるほど関わっていないけれど、それを見ていた山の中の森の1本の木みたいな感覚で、僕はそこに存在しました」と語っていました。また、自分のこれまでの暮らしや、コロナ禍で自分の俳優としての仕事を見つめ直す上で、自分が関わるべきタイミングで関われた作品と言われて、うれしかったですね。
■個体ごとの性格を感じ取って射止める情緒的な部分を楽しんで、これからも続けていく。
――――最後に、猟師になることで命と向き合うことを日々続ける中、改めて思うことをお聞かせください。
千松:わな猟なので動物たちの痕跡を見て、毎日見回りをし、追いかけっこのようなことをしていると、だんだんイノシシたちそれぞれの性格が分かってくるんです。「こいつ鈍臭いな」とか、鹿やイノシシを獲る上での習性だけではなく、個体ごとの性格があるわけです。個体ごとの微妙な違いが、山に残された微妙な痕跡から感じとることができると、獲れた時に喜びがあるだけでなく、どこか「獲れちゃったか」と思う部分もある。だから、今シーズン4頭獲れたというより、アイツとアイツとアイツとアイツを獲ったという感覚です。僕が目指している動物の仲間入りとは真逆の、すごく情緒的な部分かもしれません。狼なら何も考えず殺すでしょうが、僕は葛藤を抱えながら仕留めるわけで、このままずっとそんな感じで続けていくと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『僕は猟師になった』(2020年 日本 99分)
監督:川原愛子
ナレーション:池松壮亮
出演:千松信也 他
8月28日(金)から出町座、9月11日(金)からアップリンク京都、9月12日(土)から第七藝術劇場、元町映画館他全国順次公開
公式サイト⇒www.magichour.co.jp/ryoushi
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