「ひたすら阿部さんの声を聞きたいと思って作りました」陸前高田災害FMパーソナリティにカメラを向けた『空に聞く』小森はるか監督インタビュー


 東日本大震災の後、約3年半にわたり「陸前高田災害FM」のパーソナリティを務めた阿部裕美さん。まさに地域に密着した情報や、地域の人々の声を届け続けてきた阿部さんと、復興する町の様子を静かに映し出す『空に聞く』が11月21日(土)よりポレポレ東中野、12月11日(金)より出町座、12月12日(土)よりシネ・ヌーヴォ、今冬元町映画館他全国順次公開される。


 監督は、長編デビュー作『息の跡』で陸前高田にてたね屋を営む佐藤さんと変わりゆく町を映し出した映像作家、小森はるか。陸前高田に移り住み、『息の跡』の撮影と並行し、阿部裕美さんや彼女の取材を随時撮影をしていた小森監督が、パーソナリティを引退し、夫婦で営む小料理屋「味彩」を再開した阿部さんに再び取材を敢行。新しい生活、新しい町の中で過去と未来への思いを紡ぎ出していく。地元の住人の方が仮設住宅からお茶の間トークを繰り広げるような、心温まるシーンもあり、ラジオの可能性にも目を見開かされる。何よりも、穏やかにその日の天気や1日の町で起こった出来事を語りかける阿部さんの声が、優しく胸に響くのだ。

本作の小森はるか監督に、お話を伺った。




■小田香監督『セノーテ』はまさに弔いの物語。

――――シネ・ヌーヴォで上映の『セノーテ』で小森監督が登壇し、小田香監督とトークショーをされたそうですが、どのような感想を持たれましたか?

小森:小田さんは、昔セノーテの泉に生贄として沈められた女性たちのことを、映画を作る中で考えていらして、そのことについてトークの中で質問したりしたのですが、陸前高田ではまだご遺体が見つかっていないご遺族の方がいらっしゃり、海に流されていったのではないかと思っていらっしゃる方も多いと思います。セノーテの中を潜る小田さんのカメラが、誰かを探している目線に見え、その皆さんのことを映画を見ながら思い出していました。今生きているご遺族の方たちが亡くなられた後、それこそ百年、千年単位先の未来に、海に潜って犠牲になった方を探すような人がいらっしゃれば、どんなに救われるだろうか。小田さんは遠い昔の死者を探しに行ったのだなと思うと、まさに弔いの物語だし、すごい仕事をされたのだなと思って感動したことをトークでお話しましたね。


――――小森さんは東日本大震災でボランティア活動をしたことがきっかけで、今は東北に住み、映像作家として活動されていますね。

小森:最初は、現在も一緒に活動している瀬尾夏美さんと二人でボランティアをしながら東北の様々な地域を回っていました。映像を使って自分が何かをできると当時は思っていなかったのですが、ボランティア先で出会った方にカメラを持っているなら代わりに撮ってほしいと頼まれたことがあったんです。そこからはカメラで記録をするために東北に行くという方向に変わっていきました。


――――その時はどんな撮影を依頼されたのですか?

小森:避難所にいた高齢者の方で、ご自身の実家がある村も壊滅したと聞いているが、行く足もなければ行ってもその惨状を見るのは辛くてできるかわからないのでと、撮影をお願いされました。その時、自分が撮りたくて撮るのではなく、誰かがいつか観たくなるかもしらないという前提で撮影するなら、被災した場所にカメラを向けられるかもしれないと思ったんです。自分は誰かに渡す時のために今記録するということをやりたい。結局は自分の作品となるにしても、自ら何か表現をしたいというものよりはむしろ遠いものだったからこそ、撮り始めることができたかもしれません。今もその気持ちが活動の軸になっています。


――――実際に東京から陸前高田に転居されていますね。

小森:陸前高田に通っている時は、行くたびにお家を訪ねたり、知り合いになった方がいたものの、それ以外に人と出会う機会がなく、ただ何もなくなってしまった風景の方が強い印象としてありました。そこに暮らしていた方はどこにいるのだろうか、どのように生活をされているのだろうかと気になっていました。瀬尾さんが、東北に通い始めた初期の頃から陸前高田に暮らしたいと言っていたこともあり、わたし自身もだんだん特別な場所に思えてきていました。震災から1年が経った頃に、思い切って二人で引っ越しました。最初はアルバイトをし、生活をしながら色々な人に出会っていったので、外の人が見る陸前高田と、生活することで見える陸前高田は全然違うのだと思いましたね。当時はほとんどの方が仮設住宅に住んでおられたので、震災前にどこに誰の家があったということを聞かせていただきました。



■阿部さんの話からは、色々な人の思いを感じる。

――――陸前高田災害FMや本作の主人公、阿部裕美さんの番組との出会いは?

小森:陸前高田のことを調べようとすると必ず陸前高田災害FM Twitterのツイートが上位に上がってくるし、こちらが陸前高田のことを書けば必ずリツイートしてくれ、とにかく地元の情報をフォローしているんです。きっと思いの強い方がいらっしゃるだろうなとラジオを聞く前から思っていました。実際に陸前高田災害FMのプレハブにあるスタジオを訪ねていくと、阿部さんや他のスタッフの方がいらっしゃり、阿部さんを紹介していただいたのです。初対面からその魅力が伝わりました。阿部さんの話からは、色々な人の思いを感じるのです。なかなか人が言葉にしづらいことを、阿部さん自身の言葉で語れる方だと、話している阿部さんが本当に印象的で、出会えて良かったと思いました。


――――初対面でも深く印象付けられるものがあったんですね。しばらくは映画にするためというよりは、記録として撮り続けていたのですか?

小森:災害FMの活動を撮らせていただきたいとお願いし、阿部さんが調整してくださり、実際に取材のシーンも撮らせていただきました。被災地の報道は毎日のように流れてきてはいるのですが、被災したということではない陸前高田の昔の話であったり、誰かの個人の思い出のような、本当は必要なのに話したり聞いたりする機会が失われている。それが阿部さんのラジオによって、町の人たちに届いていたような気がします。本当に些細なことを共有し合うということが、その当時はなかなか生活の中でもしづらかったのではないかと思いますね。


――――被災体験を経て、日常の営みや、そこに住む人たちの話が流れてくると、何気ない日常の大事さを感じますね。阿部さんが番組の準備をする様子も映し出されています。

小森:天気予報も原稿があるわけではなく阿部さんご自身で調べています。かと思えば祭りの生放送では10時間ぐらい続けて放送しているんです。音しか流れていない時もあるけれど、誰かがラジオを付けた時、音だけでも祭りの雰囲気を味わってもらえればということで、全部生放送なんです。そんな放送の仕方があるのかと驚きました。




■道がなくなるのは、もう一度何か大きなものを失うということ。

――――復興によって失われる道での最後の祭を生放送されているシーンには、道に刻まれた歴史を感じずにはいられませんでした。

小森:復興によって失うものがあるとは思っていなかったのですが、実際にはあったんです。かさ上げ工事も心情的に辛いものになることに最初気づいていなかった。でもなんでもないように思える道が、みなさんの記憶の拠り所だったんだなとか、お祭りを震災前と同様にやり続けることができた道だったんだなとか。その道がなくなるということは、もう一度何か大きなものを失うということだったので、どう受け止めていいのかと自分の中でも分からなかったし、陸前高田のみなさんもすごく戸惑われていたのではないかと思います。


――――かさ上げ工事によってだんだんと町の風景が変わっていく様子も定点観測のように映し出されます。

小森:12メートルのかさ上げ工事をしているのですが、結構高いんですよ。震災前の町が地中に埋まるという感覚で、その規模感が人間の同じ場所にいるという身体的感覚や記憶を引き剥がしてしまう。同じ町にいても、違う町にいるような感覚になってしまうと思いました。



■災害FMラジオがあった時のことを形にしたい。

――――阿部さんは2015年にラジオの仕事を終えますが、今回その阿部さんの映画を作ろうと思ったきっかけは?

小森:阿部さんがラジオ番組を終えた時に、自分の中ではまだ全然撮りきれていなかったんです。私が本腰を入れてやれていなかったという後悔を残したまま時間が経ってしまったのですが、阿部さんが震災前に営んでいた小料理屋「味彩」を再開した時に、今の阿部さんにFMをやっていらっしゃった頃のことを聞きたいと思いました。既にFMを辞めてから3年ぐらい経過していたので結構前のことになってしまったけれど、町も生活も変わった中で当時のことを阿部さんがどのように語ってくれるのか。また、町も阿部さんの生活も新しくなっていった時、この先もしかしたらラジオのあった時間を忘れてしまうのではないかという気持ちも同時にあり、お話を聞かせてもらうことで、あの時のことを何か形にしたいと思うようになりました。実際には、今の阿部さんにインタビューすることで映画制作が始まった形です。


――――阿部さんのお墓参りや流されて何もなくなってしまった実家跡を訪れるシーンもありますが、新しく撮ったのですか?

小森:あのシーンはFMの取材をしていた頃、休みの日の阿部さんがどう過ごしているのかを知りたくて、何日か取材をさせてもらった時に泊まらせてもらい、休みの日に同行させてもらいました。以前から色々撮らせていただいていたので、やっと小森さんが形にするんだなと新しい撮影の時には思われていたかもしれませんね。


――――3年ぶりに新しい生活を始めた阿部さんと再会された時の印象は?

小森:阿部さんとは連絡を取ったり、よくお会いしていたので私自身との関係性が遠のいていたわけではありませんが、ラジオの話を聞くのは久しぶりなので、当時私がカメラを回している時に聞けなかったことを改めて聞かせてもらえたのはうれしかったです。同時に新しい町ができてきた中で、阿部さんが「ラジオをやっていた時が夢のようで、今、味彩にいるのが現実なんです」とおっしゃったのを聞くと、私の中ではラジオをやっている阿部さんが現実で、味彩に戻った阿部さんが夢のようだったので、真逆なんだという驚きがありました。


――――阿部さんが唯一怒りを見せたのが黙祷放送のエピソードです。

小森:月命日の黙祷放送を「生でやらない理由はない」と。阿部さんはラジオの放送として黙祷放送をやっているわけではなく、本当に祈るために、しかも一人ではなくみんなで亡くなった人を思うんだという時間であり、阿部さんの芯の強さやぶれなさが感じられる場面だと思います。



■コロナ禍で気づく、人に会えない時の「声が聞きたい」という感覚。

――――「震災後、人の声が恋しかったんだよね」と阿部さんがおっしゃっていましたが、コロナ禍の今も誰にも会えない時に“声の力”を改めて感じますね。

小森:ラジオは何かの情報を伝えているものだけれど、その内容以上に色々な人の声が聞こえていることの安心感があって、陸前高田災害FMも、そういうものとしてのラジオだった気がしますね。だからこそ、色々な表情の声が流れていたなと感じます。コロナ禍で私も普段よりラジオを聞くようになりました。人に会わなくなると話す機会も声を聞く機会も減るのでラジオを聞いていると安心するんです。人に会えない時の「声が聞きたい」という感覚が少しわかった気がします。


――――山車や連凧など、陸前高田のみなさんが空にいる今は亡き家族や地域の方に向かって常に気持ちを共にしようとされている思いが、映画の端々から伝わってきました。

小森:陸前高田では1700人以上の方が亡くなられたのですが、連凧は亡くなられた方の数だけ揚げられています。阿部さんはご両親を亡くされていますが、「本当にたくさんの方が亡くなられ、その中に自分の両親もいるという寂しさは、肉親を亡くしたというのとはきっと違うと思うんだよね」とおっしゃっていたことがあります。その亡くなられたたくさんの人たちに対して何ができるのかという中でやって来られたラジオであったり、お祭りの復活であったりするのだなと。陸前高田のみなさんが同じ気持ちでいらっしゃるのだと思いました。



■その人のどういうところを見たいか、知りたいかによって作品が変わる。

――――東日本大震災から10年経とうとしていますが、陸前高田のみなさんの思いが静かに感じられる映画ですね。小森さんの作風なのでしょうか。

小森:それを伝えられたのならうれしいです。前作の『息の跡』は震災後にたね屋を再建された佐藤さんが、かさ上げのために店を移転する前までに繋いできた時間を撮り、それを残した映画なので本作より物語としても伝わりやすかったと思います。自分の作風はまだ掴めていませんが、被写体によるのかもしれません。佐藤さんは英語で手記を綴って朗読し、ある意味自分で物語を作っていく人でもあったと思いますし、そういう風にみえたらいいなと思って作りましたが、阿部さんに関しては、ひたすら阿部さんの声を聞きたいと思って作った映画です。だから、その人のどういうところを見たいか、知りたいかによって作品が変わっていく気がしますね。

(江口由美)


<作品情報>

『空に聞く』(2018年 日本 73分)

監督・脚本・編集:小森はるか

出演:阿部裕美他

11月21日(土)よりポレポレ東中野、12月11日(金)より出町座、12月12日(土)よりシネ・ヌーヴォ、今冬元町映画館他全国順次公開

※出町座、シネ・ヌーヴォは『息の跡』同時上映

公式サイト⇒http://www.soranikiku.com/

(c)KOMORI HARUKA