圧倒的な映像美、音、言葉で、神秘の泉と古代マヤ族の記憶を手繰り寄せる体感型ドキュメンタリー『セノーテ』小田香監督インタビュー
ハンガリーの巨匠、タル・ベーラ監督が設立したボスニアの映画学校で学び、卒業制作の前作『鉱 ARAGANE』(15)で高い評価を得た小田香監督の最新ドキュメンタリー映画『セノーテ』が、9月19日(土)より新宿 K’s cinema、10月31日(土)よりシネ・ヌーヴォ、今秋出町座、元町映画館他全国順次公開される。
メキシコ、ユカタン半島北部に点在する、セノーテと呼ばれる洞窟内の泉の中、古代マヤ族の文化を継承している村の姿をそれぞれ全く違う質感で見せ、小田監督らしい音へのこだわりも随所に垣間見える。物語を紡ぐのではなく、記憶の断片を集めたような、観る人によって違う印象を覚えるであろう映像詩。泉の水面でしぶきが弾ける様子や、光が届かないような泉の深い場所で大型魚が悠々と泳いでいく姿など、小田監督だからこそ撮れるような感動を呼ぶ映像の数々を浴びるような音とともにぜひ体感してほしい。
見事第一回大島渚賞(ぴあフィルムフェスティバル主催)に輝いた本作の小田香監督にお話を伺った。
■サラエボの映画学校同期のマルタさんからの提案で知った「セノーテ」にインスピレーションが湧く。
――――今回はタル・ベーラ監督の映画学校(サラエボ)でご学友だったメキシコ出身のマルタ・エルナイス・ピダルさんが、今回プロデュサーにも名を連ねていますね。
小田:映画学校の卒業時、マルタに次は何を撮りたいかと聞かれたので、「水を撮ってみたい」と言うと、少人数での撮影ならコストもかからないし、何か手伝えることがあるかもしれないので、メキシコに来たらと誘ってくれたのです。エッセー映画『あの優しさへ』をまとめた後、改めてマルタと話をし、ビーチと共に提案してくれたのがセノーテでした。
――――マルタさんのような現地人にとって、セノーテはどのような場所なのですか?
小田:セノーテは、かつてユカタン半島北部にチクシュルーブ・クレーターという恐竜を絶滅させた隕石が落ち、巨大な跡に塵や土が積もり大地が形成されていく中で、ところどころに小さな穴がポツンポツンとでき、形成されたそうです。マルタはメキシコシティ在住ですが、セノーテはユカタン半島にあり、マヤにルーツをもつ人々が多いので、少し違う文化を持つ場所と認識していました。マルタの大学の後輩でメリダ州出身のオーグストが、ユカタン半島のメリダ州を起点とした海岸方面での撮影をコーディネートしてくれました。
――――最初、セノーテと聞いた時、小田さんの中ではどんな印象があったのですか?
小田:知らなかったので検索すると、ダイバーの人が撮った、いわゆる美しい写真が多かった。そこで、オーグストに観光地ではないセノーテ、現地の人が水浴びに行くようなセノーテを探して、写真を撮ってきてもらったところ、その写真がすごく良かったんです。ここで何かできるかもしれないというインスピレーションが湧いたので、お金を貯めてリサーチに行こうと決めました。
――――セノーテもかなり観光地化されているそうですが、ロケ地探しは大変でしたか?
小田:荒野にポツンとあるような野生のセノーテも含めると何千とありますが、実際にアクセスできるのは、ハシゴがかかっていたり、現地の人によって管理されている場所です。不気味だなと思う場所もたくさんあり、そこには入らないようにしていました。最初はメモを取っていたのですが、途中からはそれができないぐらいの数を廻っています。40〜50箇所で撮影し、30箇所ぐらいは映画に入っていますね。
――――リサーチでは、すごく小さな村でホームステイをされたそうですね。
小田:電気はあり、携帯の電波はかろうじて立っていましたが、トイレは水洗ではなくシャワーもないので、お湯を沸かして体を洗っていました。言語はマヤ語とスペイン語を少々で、私は英語しか話せないので、言語で全く意思疎通のできない約10日間でしたね。彼らは焼畑で農業をしているので、その現場に連れて行ってもらったり、一緒にセノーテで泳いだりもしました。話はできないけれど、一緒に食べ、一緒にその場にいる感じ。ただ、子どもたちは警戒心がなく、アジア人が珍しいので、私のところに来てカメラで好きなものを撮ったりして、一緒に遊んでいましたね。
■方向性が掴めないまま参加した山形道場、完成までに他人の意見を聞くのは初の試みだった。
――――6月にオンライン開催されたニューヨークの映画祭「ジャパンカッツ」のトークセッションでは、山形ドキュメンタリー映画祭の山形道場に参加し、想田和弘監督からアドバイスをもらったことが、次のステップに進む原動力になったと話されていましたが。
小田:道場では、2回目のリサーチまでをまとめた1時間程のラフバージョンを観てもらいました。『鉱 ARAGANE』の時も担当教授のタル・ベーラにすらあまり聞かなかったぐらい、今まで途中で他人に見せたり、意見を求めなかったので、自分にとっては初めての試みでしたね。想田さんとは映画制作の方法論が似通っている訳ではないけれど、おっしゃることは筋が通っているし、軸がブレないので分かりやすい。いい先生だと思います。
――――その時は、まだ何か迷いがあったのですか?
小田:迷うどころか、方向性を全く決められていない状況で、翌日3度目のリサーチで現地に飛ぶことになっていたんです。想田監督からは、わかりやすいナラティブを作るのかどうか、『鉱 ARAGANE』のように深く潜って出てくるのか、セノーテの表面と地上のものにするか、そのあたりの構造をはっきりさせたほうがいいのではないかというご意見をいただきました。すごくシンプルなことだけど撮影していると忘れてしまう。基本に戻った気分でした。
■8ミリカメラで撮影した地上部分に散りばめられているものは?
――――地上部分の描写でも、生者と死者が共にいるような感覚を強く受けますね。
小田:死者の日になると墓地に家族がやってきて、死者の頭蓋骨や骨を洗骨し、墓に戻すという弔いの行事があるんです。死が疎ましいものというイメージはなく、棺桶の中にミーラ状態になっている死体もありますし、死が生者と近い感じはあります。
――――地上部分はナレーションやインタビューを一切省く一方、ブラスバンドや、伝承歌のような音楽が様々な映像やポートレイトと重なり、非常に印象的です。これはどこで歌われているものなのですか?
小田:ある村で、村人から「この村には地球の中心がある」と言われ、俄然興味が湧いて、連れて行ってもらうと、石の十字架がある教会があり、その石の十字架が発見された場所がまさに、地球の中心と呼ばれているところだそうです。その地域の五穀豊穣を願う小さな行事で歌われていたお祈りのための歌を、映画では使っています。
――――土地の人々の風情や、土地の記憶など、言語化できないものがぎゅっと詰まっている作品ですね。ポートレイトの数々が次々登場するあたりは、アニエス・ヴァルダの『ダゲール街の人々』を彷彿とさせました。
小田:ポートレイトを撮ろうとすると、なぜか働いている姿になってしまいますね。「何をされているんですか?」という声かけから始まり、漁師だから海に出ているとか、主婦だからトルティーヤを作っているとか。
――――ポートレイトや村での撮影は8ミリカメラを使用しており、懐かしさを覚える映像が非常に魅力的です。以前からよく使っていたのですか?
小田:子どもたちとのワークショップで使うこともありましたし、個人的な記録を8ミリで撮影したり、ここ何年かで8ミリカメラの撮影を練習してきました。やはり、フィルム撮影の話を聞いていると、憧れていたんですよね。今回も、かなり失敗しましたが、この映画の雰囲気には合っていたと思います。
――――明るいセノーテや、真っ暗なセノーテ、不気味なセノーテなど、本当に地球の神秘を感じます。
小田:真っ暗なところは先に何があるのか正直分からないのですが、後ろからセノーテ専門のバディの人が私を押しながら、案内してくださるので、こちらは片手にiPhone、片手にライトを持ちながら撮影していました。時々、大きな魚が泳いでいたのですが、まさに魚に導かれているようでしたね。人間を恐れずに、ちゃんとそこにいる。少し不思議な感じもしました。
■撮影しているというミッションがあったからこそやりきれた、緊張感のある水中撮影。
――――ちなみに水中撮影は初めてですか?水圧など、様々な制限がある中での撮影でしたが、相当体力を使ったのでは?
小田:体力は確かに消耗しました。ただ、怖い気持ちの方が大きかったので、ずっと緊張して臨んでいました。その怖さたるや、『鉱 ARAGANE』の比じゃなかったですね。水中だと自分がパニックになってしまったら、終わりです。もちろんプロのバディの方と一緒に潜っているのですが、やはり怖かった。それでもやりきれたのは撮影しているというミッションがあったからだと思います。自分がその場にきちんといて、見たものに反応することを基本に撮影すること、パニックにならないようにということを肝に命じていました。
■映像と音で、見ているものを分解してきたが、今回は定義しない言葉を探して、テキストに挑戦。
――――今回は初めてテキストに挑戦ということで、セノーテ部分では一部にナレーションや、マヤ演劇のセリフ、インタビューの声が挿入されていますが、その狙いは?
小田:『鉱 ARAGANE』で、映像と音で自分は何ができるかが何となく掴めた。『セノーテ』でも音とイメージで作ることはできたでしょうが、自分の能力は分かるので、出来上がりが想像できてしまうんです。言葉は生活の中で大事なものだという意識がある一方、言葉はどうしても定義をしてしまうので、常々使うのは難しいと思っていました。映像と音で、見ているものを分解していくのが、自分の提示したいことですから、言葉で定義してしまうと一つの方向に導く映画になってしまいます。定義しない言葉をずっと探していたので、早めにそれに挑戦すべく臨んだのが、今回の『セノーテ』でしたね。
――――挿入されているマヤ演劇は、実際にご覧になったのですか?
小田:私がホームステイをした村では毎年村人が演者のマヤ演劇をやるのですが、その年、演劇自体は開催されなかったんです。でも偶然インタビューをさせていただいた方がマヤ演劇の俳優で、彼がインタビュー中、いきなり歌ってくれたのです。私は意味が分からなかったけれど、プロデューサーのマルタは「いいことを言っている」と訳してくれたので、後日改めて歌を録音させていただきました。
――――ナレーションの声も内容も多彩で、映画トータルで見ると、まさに映像詩のような作品になっています。
小田:話の内容、声質はバリエーションが出るように意識しました。洞窟なので、人がいないセノーテだと鳥や虫の声が聞こえるし、地上に開かれている形のセノーテだと、人の声も入ってきて、反響するような音がするのですが、それらをスタッフのオーグストにフィールドレコーディングしてもらい、それを自分で全部聞いて、付け加えています。
■編集作業をしながら、結局はその土地の記憶や人の声、仕事というテーマに立ち返ることを再認識
――――小田さんはご自身の編集作業を「ブリコラージュ」と呼んでおられますが、その意味と、その作業をする中で見えてきたことを教えてください。
小田:人類学者、レヴィ=ストロースの本から知った言葉ですが、ブリコラージュ自体は「日曜大工」つまり、あるもので賄って何かを作るという意味ですが、自分が編集で行なっていることも、まさにその作業です。撮影で集めた素材がある中で何が作れるかを、試行錯誤し、最初はぼんやりしていたものが、徐々にはっきりと見えてきます。その作業をしながら、ずっと同じことをやっているという感覚を覚えました。どんなテーマであっても、結局は同じところに帰ってくる。その土地の記憶や人の声、仕事というテーマに立ち返るということを再認識しましたし、それが自分のテーマなのだと思います。
――――実際にセノーテに潜ったり、マヤにルーツを持つ人が暮らす村に滞在して感じたことは?
小田:このプロジェクトに限ったことではありませんが、まず差異にぶつかる。文化の差異、そして今回は水中の世界ですからその部分の差異もありますよね。でも時間が経つと同じところが見えてくるのです。気の遣い方やお礼の仕方とか、同じだなというところを発見する。そのうちにまた差異を発見するという繰り返しが撮影中ずっと続くんです。だから差異もあれば、同じところもあるという当たり前のことに改めて気付く感じですね。
――――本作で第一回大島渚賞を見事受賞され、坂本龍一さんからも熱いコメントが寄せられていましたね。
小田:今回は大人数の場だったのであまりお話できませんでしたが、実は、ニューヨークのジョナス・メカスの映画館で『鉱 ARAGANE』を上映してもらっていた時に、坂本さんが観に来てくださっていたので、少しご挨拶させていただきました。『鉱 ARAGANE』は小さな上映なので、かなりアンテナを張っていないと上映情報をキャッチできないのに、坂本さんは本当に映画がお好きなのだなと感じました。今まで山形ドキュメンタリー映画祭やなら国際映画祭に出品していましたがPFFとはご縁がなく、大島渚賞も、最初PFF側が提示した候補者リストの中には入っていなかったんです。坂本さんが『セノーテ』を候補にあげて下さったおかげで、このような大きな賞をいただけ、本当に感謝しています。
――――小田さんの作品は見たことのない景色を観客に提示してくれますが、一方、自身の身体能力に挑戦しているようにも見えます。
小田:極限の状態に置かれた自分が、何を撮るのかに興味がありますね。次は宇宙で撮りたいと公言していますが、それも「極限状態」だと思いますから。
――――今後、一人の人間にフォーカスしたドキュメンタリーを作る予定はありますか?
小田:今まで、この人に密着して撮りたいと思う人には出会ったことがないんです。でもそういう人に出会いたいという願望はあります。次に出会うのが場所ではなく、個人の人であれば、その人と私との関係性を映し出す映画になると思います。デビュー作『ノイズが言うには』は自分と家族の関係を描いたセルフドキュメンタリーで、主に母を映しているので、ぜひ観てもらいたいですね。気持ちが先行した作品ではありますが、映画を作ることで(自分のカミングアウトが)家族の中でタブーではなくなりました。タル・ベーラからは「全然詩的ではないけれど、心を打たれた」と評価をいただき、この作品でファクトリー(映画学校)に合格したので、全てのスタートになった作品です。
■タル・ベーラから学んだ「映画人は映画のために映画を作るのではなく、人々のために映画を作るのだ」
――――タル・ベーラ監督は、本作にも絶賛のコメントを寄せておられますが、小田さんがベーラ監督から一番学んだと思うことは?
小田:「いろんな人間がいていいんだ」ということに尽きます。チャーミングで、優しく、ものすごく残酷な面もあります。本当にそう思うから行動するという表裏のない人で、こんな人間がいるんだとベーラ自身に感銘を受けるし、その存在こそが奇跡です。「映画人は映画のために映画を作るのではなく、人々のために映画を作るのだ」と常々語っていました。自分はまだ映画で世界を変えられるとまでは思わないけれど、人に寄り添えるとか、一瞬でも慰めになったり、違う世界に行けるようなものであればいいなと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『セノーテ』“TS’ONOT”
(2019年 メキシコ・日本 75分)
監督・撮影・編集:小田香
声の出演:アラセリ・デル・ロサリオ・チュリム・トゥム、フォアン・デ・ラ・ロサ・ミンバイ
9月19日(土)より新宿 K’s cinema、10月31日(土)よりシネ・ヌーヴォ、今秋出町座、元町映画館他全国順次公開
公式サイト→http://aragane-film.info/cenote/
※一部劇場で『ノイズが言うには』『あの優しさへ』『鉱 ARAGANE』や短編集を一挙公開する「小田香特集2020」を同時開催
(c)Oda Kaori
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