圧倒的な美しさに潜む欲望と死の匂い。小川洋子原作に挑んだ『ホテル・アイリス』奥原浩志監督インタビュー



 全編台湾、金門島ロケで小川洋子の官能小説を映画化した奥原浩志監督(『黒四角』)の7年ぶりとなる最新作『ホテル・アイリス』が、第16回大阪アジアン映画祭で世界初上映された。

 寂れた海沿いのリゾート地で、日本人の母親が経営するホテル・アイリスを手伝うマリは、ある日階上で響き渡る女の悲鳴を聞く。暴力を振るった後無言で去って行く男に惹かれていくマリは、毎日友達マリーへ自分の思いを記していく。マリは男と逢瀬の末、男が住む小島へ誘われる。家で二人きりになった時、男はマリにあることを指示するのだった。

 歴史が染み込んだホテル・アイリスとノスタルジックな街並みの中、何が現実で何が幻想なのか、何が現在で何が過去なのかわからない独特の世界が描かれる本作。息をのむほど美しい映像で、人間の欲望と心の闇を容赦なく切り取る。マリを演じた台湾の新人、ルシアが永瀬正敏と激しいシーンにも挑み、謎めいた雰囲気で終始観る者を魅了する。菜葉菜、寛一郎ら日本の実力派キャストに加え、台湾からはリー・カンション(李康生)やマー・ジーシアン(馬志翔)も参加。豪華キャストが小川洋子の世界観を見事に体現した。奥原浩志監督が合わせ鏡や橋などさまざまなモチーフを潜ませながら、人間の隠された欲望と死の匂いを映し出した上質なミステリーだ。

 本作の奥原浩志監督にお話を伺った。




■金門島で出会った運命のホテル

―――本作の構想をし始めたのはいつ頃ですか?

奥原:最初に別のプロデューサーから、官能もの、原作ものという2つの条件が入っていれば自由に撮ってもいいという話をいただき、好きなことをやらせてもらえるならとすぐ頭に浮かんだ原作が『ホテル・アイリス』でした。当時は低予算で、プロデューサーも日本人だったので、日本で撮影することが前提だったのですが、少し不思議な世界観を映画にできればと思っていたのです。結局企画が成立せず、脚本を書いていたけれどお蔵入りになってしまいました。


―――一旦お蔵入りになってしまった『ホテル・アイリス』を再び撮ろうと思ったきっかけは?

奥原:頭の片隅にこの作品のことがあったので、中国福建省のアモイへ用事で出向いたついでに、台湾の金門島へ船で向かいました。実際に今でも営業している、ホテル・アイリスのロケ地になったホテルに泊まったとき、ここで『ホテル・アイリス』が撮れると思ったのです。


―――金門島といえば、映画『軍中楽園』で台湾の対中最前線として闘う兵士たちも描かれましたが、劇中ではそんな金門島の路地裏なども映し出されますね。

奥原:1979年まで最前線だったので、当時は相当砲弾で破壊されつくしているはずで、今はそれが補修されています。近くには国民党の司令部があった建物もあったようですし、大陸側に近い場所にあるホテル・アイリスになった建物は、当時のまま残っていると聞きました。やはり過去に多くの方が亡くなられた場所なので、撮影前はお祓いをして臨みました。



■原作者小川洋子に学んだ、原作と向き合うことの大切さ

―――潮が引くと海辺から、向かい側の小島にすっと一本の通り道ができるのが非常に印象的です。よくこんなロケーションがあったなと感心しました。

奥原:実はあの小島をどう扱ったらいいものか、考えあぐねていたのです。ただ数回、原作者の小川さんとメールでやりとりをさせていただいたとき、小川さんが『ホテル・アイリス』を書いた動機もお聞きしたのです。小川さん曰く、フランスのモン・サン=ミシェルに行かれたときにふと浮かんで書いたとお返事をくださったのです。それで、映画化するならあの小島を使わなくてはと思い、脚本に加えていきました。


―――一旦書いていた脚本を、小島を取り入れたバージョンに書き換えたわけですね。

奥原:実はその前に、脚本を読んでいただいた小川さんから、これでは(作品を)渡せないと、再考を促されたことがあったのです。小川さんが挙げてくださった理由を読みながら、原作への向き合い方が足りなかったことに気づけた。そこからは原作としっかり向き合うことができたので、小川さんにはすごく感謝しています。


―――とにかく美しい映画ですが、この美意識はどこで培われたものですか?

奥原:あまりそういうことを考えたことはありませんが、やはり映画はスタッフと作るものだし、映像でみせていくわけですから、撮影監督の力を借り、現場のスタッフや役者との話の中で、具体的にイメージを伝えています。



■台湾の新人、ルシアと作り上げた主人公マリ

―――主人公、マリ/マリーを演じたルシアさんは、俳優としては新人ですが、透明感がありかつ、中に芽生えた欲望を美しく表現していました。

奥原:最初からマリ役は台湾の俳優を起用するつもりでした。準備期間から台湾側のプロダクションに僕が行って作業しており、オーディションで出会ったのがルシアさんでした。この話は最初から最後までルシアさんが主人公として登場するので、こちらも最初は不安がなかったといえば嘘になりますが、初めての映画の撮影をよく頑張ってくれたと思います。日本語のセリフも多いですが、もともとアニメ好きで、簡単なコミュニケーション程度の日本語も習得していましたから。今回の世界初上映を前に、台湾ですごく緊張していたそうです。


―――菜葉菜さんが演じたマリの母親は、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出す登場人物たちの中で、唯一リアリティのあるキャラクターですね。

奥原:菜葉菜さんとの撮影は楽しかったですね。可愛らしい方で、少し嫌な感じを出す母親役をどう演じようかと悩んでいたので、「コスプレ大会にしましょうか」と(笑)。


―――確かに母親はいつも花柄でタンゴが踊れそうな、ちょっとヒラヒラしたドレスを着ていましたね。一方マリは、服装は地味だけれど、髪型の変化が印象的でした。

奥原:そこは演出の一つとして意図的にやっていました。髪をくくった時と、ほどいた時でマリの気持ちに差をつける。ある意味ルールのようにすることで、初めて演技をするルシアさんが気持ちを作り込むきっかけになればと思ったんです。



■永瀬正敏の存在の大きさ

―――マリが惹かれていくロシア文学翻訳者の男を演じた永瀬正敏さんは、台湾でも『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』で人気を不動のものにし、台湾の作品にも数多く出演されています。現場ではいかがでしたか?

奥原:永瀬さんは僕ら世代からすればもうアイドルですから、そういう方がわざわざ来てくださって本当にうれしかったです。日頃ここまでのスターの方となかなか仕事をする機会がないので、今回は色々と勉強させていただきました。マリの父役は『KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜』の監督を務めたマー・ジーシアンさんですが、永瀬さんが主演なら出てくれるだろうとオファーをしたら「永瀬さんが出るなら断れないよ」と。リー・カーションさんも含めて、海辺でのシーンもありますが、現場は楽しかったですよ。


―――官能的なシーンが見せ場の一つでもありますが、演じる上でプレッシャーがあったのではないですか?

奥原:ルシアさんは精神的にも追い込まれていたと思いますが、やはり永瀬さんがベテランなので、カメラが捉えられる位置にうまく体を動かしてあげたり、そういう技術がすごかったですね。



■旧知の仲のプロデューサー、チェン・ホンイー(『台北セブンラブ』)、カメラマンのユー・ジンピン(『少年の君』)と挑んだ国際制作

―――ストリングスのキリッとした音が緊迫感を高め、燃え上がる心情や死の匂いを浮かび上がらせていますが、本作の世界観をさらに印象付けている音楽について教えてください。

奥原:本作は作曲家アルヴォ・ペルトの音楽に影響を受けており、脚本を書いてる時などいつも聞いてました。その中に「鏡の中の鏡」という題名の曲もあるのですが、まさに本作の元ネタですね。また、編集の時に一度既存の音楽を当てて雰囲気を見るのですが、メシアンなどフランス現代音楽系の作曲家と、バロック調のバッハを編集時に当て、どちらにするか悩んでいたのです。音楽を担当してくれたスワベック・コバレフスキさんと相談し、最終的にはバッハに決めました。スワベックさんの強い意向で、ピアノのパートだけは音響ハウスで録音したり、ビオラの方はNHK交響楽団所属なのですが、バイオリンの方とマンションの一室で録音したり、色々なところで録音しました。その録音素材を持ってミックス作業のために台北に飛び、彼と一緒に音楽を作る作業自体が楽しかったです。


―――今回初めての台湾との合作で、全編台湾ロケ、台湾スタッフとの作業も多かったと思いますが、今までとの違いや気づきはありましたか?

奥原:台湾側のプロデューサーで映画監督のチェン・ホンイー(陳宏一)さんとカメラマンのユー・ジンピン(余静萍)さんは昔からの知り合いで、金門島で撮影しようと決めてから二人に会いにいくと、予算的にも無謀だと思われたようで「本当に撮るの?」とすごく言われました。とはいえ、10年ほど前、チェンさんが日本で映画を撮った時に僕が手伝ったのが縁で、その後も彼が日本でCM撮影をする時に呼ばれて行っていたので、今回は手伝ってもらう立場になったという感じですね。ユー・ジンピンさんはもともとスチールのカメラマンだったのですが、今は売れっ子の撮影監督です。この作品に入る前にデレク・ツァン(曾國祥)監督の『少年の君』を撮影していたので、規模が全く違う作品に挑んでもらったわけですが、人柄も素晴らしく、尊敬しています。


―――撮影が素晴らしいと思っていましたが、なるほど納得しました。今日はありがとうございました。

奥原:劇場公開は少し先になりますが、楽しみに待っていてください。


(江口由美)


<作品情報>

『ホテル・アイリス』Hotel Iris [艾莉絲旅館] 

(2021年 日本・台湾 100分)

監督・脚本:奥原浩志

出演:永瀬正敏、ルシア(陸夏)、菜葉菜、寛一郎、リー・カンション(李康生)

配給:リアリーライクフィルムズ

(c) 長谷工作室