『夕霧花園』トム・リン監督が戦争の闇に挑む歴史ロマン
新型コロナウイルスの影響を受けながらもリアルで開催した2020年の第15回大阪アジアン映画祭(OAFF2020)。記念すべき回のオープニングを華々しく飾ったのが、『星空』(OAFF2012)日本初上映時に同映画祭へ参加、以降国際審査委員も務め、同映画祭の常連となった台湾のトム・リン監督作『夕霧花園』だった。前作、『百日告別』では愛する人を失った者同士が出会い、再生していく姿を丹念に描いたトム・リン監督が、ブッカー賞ノミネートのマレーシア作家、タン・トゥアンエンの小説「The Garden of Evening Mists」を映画化。マレーシアとの国際製作に挑み、スケールの大きな大河ロマンを編み上げた。上映前のビデオメッセージで日本公開が決定したことを明かし、私も心待ちにしていたが、ようやくの公開となる。
先の戦争やそこで亡くなった人たちに思いを寄せる夏、マレーシアの地で何があったのかに触れるという点でも非常に意義のある作品だが、戦争で心も体も大きな傷を負い、そして大事な妹を日本軍によって奪われてしまった主人公、ユンリンの葛藤と中村への深いところでつながる想いに、単なるロマンスという枠には収まらないこの作品の奥深さを感じる。ある意味悲劇だが、その一方で、人生をかけて暴走する国家に抗った人間の物語ともいえよう。
80年代のマレーシア。ユンリンは連邦裁判所事を目指していたが、若き日に愛した謎めいた日本人庭師、中村が、いわくつきの財宝にまつわるスパイと睨まれていることを知り、彼の潔白を証明するため、証拠を探しにかつての中村の足跡をたどる…。
中村の足取りをたどるユンリンを演じるのは、映画監督としても見事な功績を残しているシルヴィア・チャン。すでに60歳となったユンリンがたどる足跡は、次第にマレーシア誕生前の50年代マラヤ連邦時代の街の様子を映し出していく。第二次世界大戦下、日本の占領を経て、再びイギリスの占領下にあったマラヤだが、過激な活動を行うゲリラが民間人を襲う不穏な時代でもあった。戦後処理が行われていたマラヤで、男性たちに混じってキャリアを積んでいたユンリン。黙々と働く彼女の視線の先にあるのは、日本軍の強制収用所に入れられた大勢の現地人たちと共に犠牲になってしまった妹、ユンホンの写真。日本の庭園を愛していた妹のために、ユンリンは庭づくりを習おうと、僻地に一人で住んでいるという日本人の庭師、中村を訪ねるのだった。
この作品の重要なモチーフは、日本庭園だ。亜熱帯特有の緑深き山の中にポツンとある日本家屋。そこで作業員に庭園づくりの指示を出しているのが、阿部寛演じる中村で、ただの土が広がる土地に巨大な石を運び込み、配置していくが重機などない時代、それがどれだけ重労働であることか。それを指揮する姿は、心持ち「ドラゴン桜」の桜木先生の姿にも重なる。台湾作品でも知られるマレーシア出身のリー・シンジエが演じる若き日のユーリンは、怒りのマグマを胸に秘めたような人物。訪ねていくと、いきなり中村に自分の庭づくりを手伝って覚えろと、今でいうOJTをさせられる。ミステリアスという人物像でありながら、阿部寛が演じると人間味があり、その風貌から画面が華やぐ。
庭師だけでなく、彫り師でもある中村と、ユンリンが共に過ごす時間のなかで、ユンリンは妹が好きだった日本的なものに触れ、多くを語らない中村といることにある種の居心地の良さを覚える。ついに自身が戦時中に体験したことを打ち明けるが、それに対する答えは、中村も自分のことを明かすとはならず、その代わりに、ユンリンの体に庭以外のもう一つの創作物を残していく。静寂の中、二人が過ごした時間の濃密さをとてもエレガンスに、そして時には情熱をもって描き、トム・リン監督の新しい挑戦は彼を新たな地点に到達させたと言えるだろう。
かつて占領する側だった中村と、占領される側だったユンリン。戦後10年経つかどうかという時期に、その葛藤をぶちまけ、相手を信じようと思えたことは、その後キャリアを積んでいくユンリンの心の支えになっていたに違いない。秘密をずっと抱え、孤独に生きてきた中村が自分のことを語るシーンはない。だからこそ、私たちはマレーシアの山奥で戦中から戦後まで一人で庭を作り続ける男のことを考える。そしてその謎が解けるとき、彼が誰を信じ、何を守ろうとしたかがわかるのだ。きっと同じような話が、アジアのあちらこちらで眠っているはずだ。弱き者たちの戦争の傷跡を果敢に描いたからこそ、そこにある絶対的な愛が胸に迫った。
(江口由美)
<作品紹介>
『夕霧花園』”THE GARDEN OF EVENING MISTS”
(2020年 マレーシア 120分)
監督:トム・リン
出演:リー・シンジエ、阿部寛、シルヴィア・チャン、ジョン・ハナー
8月13日(金)〜シネ・リーブル梅田、9月17日(金)〜京都シネマ、今秋元町映画館ほか全国順次公開
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