【吉開菜央監督、初長編『Shari』インタビュー】斜里の人たちや生き物たちの音と“心の相撲” を取るのを楽しんで!
カンヌ国際映画祭監督週間正式招待作品『Grand Bouquet』をはじめとする中編・短編計6作品を集めた特集上映「吉開菜央特集:Dancing Films」が今年東京を皮切りに京阪神でのロードショーを終え、唯一無二の映像体験に魅了された人も多かったことだろう。写真家、石川直樹さんのプロジェクト拠点になっている北海道の知床・斜里町で、吉開監督と石川さんがタッグを組み作り上げた初長編『Shari』が、10月23日(土)よりユーロスペース、アップリンク吉祥寺、10月29日(金)よりアップリンク京都、10月30日(土)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。
流氷で知られる斜里町が40年ぶりの少雪に見舞われた2020年1月に撮影を敢行。野生の動物と共に生きる斜里の人たちの言葉に耳をかたむけ、熱の塊のような赤いやつは斜里の町を、何かを探し求めるように彷徨う。「シャリシャリ」という囁き声や鈴の音と共に、幻想的な夜の風景に身を委ねたくもなる。斜里とそこに生きる全てのものへの愛に満ち溢れながら、その目線は地球規模に広がっている。驚きと発見がいっぱい、映像と音を肌で感じたい63分だ。
とよなかアーツプロジェクト・シアター企画「吉開菜央 特集上映 Dancing Films」初日、トークゲストとして来阪した吉開菜央監督に、お話を伺った。
■映画は言葉から逃れられない
―――本作を撮るきっかけは写真家の石川直樹さんからのお声がけだったそうですね。
吉開:石川さんはもともと知床で『写真ゼロ番池知床』というプロジェクトを立ち上げ、年に一度、ゲストを迎えて現地で撮ってもらった写真や制作した作品を展示する展覧会を開催しておられます。その4年目に私を呼んでくださったのですが、私は日頃映像を撮っているので、それなら映画を撮りませんかと声をかけてくださいました。
―――「Dancing films」のパンフレットで石川さんは、吉開さんの映像は写真と親和性があると書いておられました。
吉開:石川さんは写真だけではなく、よく本も書かれています。写真は言葉になる前の感情で、本には言葉になることを書いているとすれば、石川さんにとって映像はその中間「感覚と言葉の間にあるもの」だと、以前おっしゃっていました。
私も最初はダンスを映像化したくて撮り始めましたが、映画を撮り続けるうちに、映画は言葉から逃れられないことに気づきました。人は映像やカットのつなぎから何かを読み取り解釈する生き物ですから、私も言葉を使いはじめましたし、写真と言葉の間にあるものを感じていました。その部分は石川さんとシンクロしていたのかもしれませんね。
■対話をできない動物と暮らし、一筋縄ではいかない問題と向き合い続ける斜里の人たち
―――本作は2020年1月に斜里でロケをしていますが、それまでに現地を訪れ、斜里のみなさんに大歓迎されて、色々案内してもらったそうですね。
吉開:自然センターの近くに、クマが生息し、ときどき現れるウトロの森があるのですが、その遊歩道を歩かせてもらったとき、ガイドしてくれた人が、以前森で昼寝をしているときにふと目覚めるとそこにクマがいて、ヤバイと思うのと同時に、本当にそこにクマがいるという実感が湧いたと話してくれました。クマがいる森とクマがいない森は、歩くときの感覚が全然違うし、クマがいる森を歩くときのほうが圧倒的に好きだと。人間は動物たちに脅威を感じて絶滅させてきたけれど、怖くてもそういう動物がいる場所のほうが惹かれるという気持ちはわからなくもないなと思ったんです。
またエゾシカファームでは、害獣駆除目的で一時的にエゾシカを捕獲して飼育し、必要な数だけ屠殺して地元のスーパーやジビエ料理を出すレストランに卸しています。エゾシカの頭数コントロールをできているかはわからないけれど、頭数が増えすぎて畑が荒らされ、悔しい思いをしている人間がいるのも確かだし、そもそも森が砂漠化しているのも事実だから、ただ殺すのではなく、地元の地産品にしていこうと思っているというお話もしていただきました。言葉を交わせない動物と一緒に暮らし、一筋縄では解決しない問題にずっと向き合っている人や、その状況をどのように受け止め、どのようにして悲観的にならずに長く考え続けるかというスタンスの人が生きている土地なのだという印象ですね。
■斜里から感じた”エネルギーが燃えているイメージ”と“赤いやつ”
―――なるほど、斜里で生きる人たちが日々そこで生きる動物たち、そして自然に向き合っていることがわかりますね。映画では人間でも動物でもない赤いやつが登場しますが、最初の構想からあったものですか?
吉開:自分の作品で出てくることが多いのは赤で、全身赤塗りにしてパフォーマンスをしたのもその前年でしたし、赤がマイブームだったときでした。加えて、知床で冬に撮影するなら雪がたくさん積もっているので、赤が目立つはずだというシンプルな発想でした。
もう一つ、夏に斜里へ行ったとき、みんなが「自分を映画に巻き込んでくれ」と言ってくれ、いろいろなところへ連れて行ってくれた。その熱量から、寒い土地ほど自分の中のエネルギーを燃やさなければ生きていけないんだなと強く感じたし、私も鹿肉を食べて夜眠れなくなり、生き物の熱を感じたので、燃えているイメージが自然と出てきましたね。
―――ふわふわとした獣のような赤いやつは、「赤いやつを作ろうワークショップ」で斜里の人と一緒に作ったんですね。こんな大きなものが手作りできるんだと驚きました。
吉開:映画でも登場するメーメーベーカリーの小和田さんは編み物が趣味で、赤いやつをぜひ編み物で一緒に作りたいとお願いして、それなら町民のみなさんにも声がけしてワークショップをやることになっていました。1日で作り上げるつもりだったので、短時間で大きな面積を編めるやり方を探していたところ、腕を編み針がわりにして、極太の毛糸で編む腕編みという方法を見つけたんです。極太なのでどんどん面積分編めるし、きれいな網目の着ぐるみスーツではなく、ちょっとゴリゴリっとして雑なところがいい味わいになるなと。
■45mmレンズ一本で臨んだ写真家、石川直樹の映画撮影
―――写真的なシーンや、引きで地平線や水平線に沈む太陽をじっと捉えるシーンが印象的でしたが、今回撮影を担当した石川さんの撮影について教えてください。
吉開:もともと予算が限られ、長編にするつもりはなかったので、現地入りするのも最小人数の予定でモニターとか大げさな機材は準備しなかったんです。ちょうどSIGMAさんとご縁があり、同社のfpというかなりコンパクトなカメラで撮影しました。ほぼこのカメラで撮影し、劇場公開した映画はあまりないと思います。
選択肢を極力減らすという意味だと思うのですが、石川さんのフィルムでの写真の撮り方は、撮影時に毎回持参するのは50mmのレンズ一本だけなんです。今回機材費にお金をかけられないこともあり、石川さんのいつもの撮影スタイルで、45mm一本でやりましょうかとなんとなく決まっていましたね(45mmF2.8DGDN、単焦点レンズ一本で撮影)。
モニターがなかったし、私も赤いやつの中に入っていたので確認ができない。だから「石川さんがOKだったらOKです!」とか、私が撮りたいものについて事前にお伝えしていましたが、実際にカメラを回しはじめたら画に関しては石川さんにお任せする形でした。石川さんが独自にいいなと思うものを撮ってくださった素材が、たくさんあります。
ご自宅に訪問するときも、助監督の渡辺直樹さんや音楽家の松本一哉さんと私が家主の方とおしゃべりをしている間に、家主の個性や人柄がわかるものや、なんでこれがこんなところにある?という目を引くもの、家の雰囲気がわかるものを写真的に10〜20秒程度で何カットも撮ってくださいとお願いしました。日頃動くものに惹かれて撮り、そこに音をつけていたので、今回は写真的な静的な動画も多くて、いつもとは違う感触がありました。それも面白かったですね。
―――一般的なドキュメンタリーなら人が話している姿を映しますが、家の中のショットの積み重ねのような映像に家主と吉開さんたちのしゃべり声が重なっていました。
吉開:最初、みなさんにカメラを向けても身構えられてしまったように感じたんです。ドキュメンタリーを撮ったことがなかったし、被写体の方と長期間に渡って関係性を作り上げ、カメラを向けても身構えずにいられるような作り方は今回の場合、無理だった。お茶をしながら、ちょっとしゃべっているぐらいのテンションの声がいいなと思っていたので、本当にお茶をしながらレコーダーだけ置かせてもらい、しゃべっている顔を写すのは諦めました。
■自然の音と即興的演奏を行う音楽家、松本一哉が感じた斜里を曲に込めて
―――音の豊かさと観客に触ってくるような感覚は吉開作品の大きな特徴ですが、本作ではより多彩な表現がされていますね。鈴の音が何かの合図のようで耳に残りましたし、ドラの音は、ドクドクと波打つ赤いやつや、しいては地球の心臓の音のようにも聞こえました。松本一哉さんによる音楽も非常に作品の躍動感を高めていましたね。
吉開: ファーストカットで使っているのが夏、斜里岳に登った時に撮った映像なのですが、撮っている間中、登山者のクマ鈴がずっと鳴っていて、それがすごくきれいな音だったので、そのイメージがありましたね。松本さんは自身でも、氷の張った湖の上にドラを持ち込み、氷に穴を開けて水中マイクを入れ、氷が溶けてビキビキという音を立てるのを聞きながら演奏したり、自然に鳴る即興的な音を取り入れながら、それに合わせて即興的演奏をしている方です。今回、録音スタッフとしてずっと撮影に帯同してくださいました。氷の上で演奏するぐらいだから、流氷の音もすごく興味があったそうで、今回は流氷の上に乗って演奏した音や流氷の音も入っています。こちらから多く注文したわけではなく、一緒に斜里に行って起こった出来事や撮影風景、私が興味を持っていることを一緒に見て、体験しているうちに、松本さんが斜里で感じたことを音楽にして何曲か送ってくださり、そこから私がいいなと思うものを選ばせていただいて映像に使うという形でした。
■子どもたちが参加!キャスティングと相撲シーン秘話
―――今回は子どもたちの声もリズミカルに重なっていましたね。学校でのシーンでたくさんの子どもたちが登場しますが、一人の女の子が雪と戯れるシーンは、幻想的ですらありました。どのようにキャスティングや指導をしたのですか?
吉開:割と重要な役どころで、子どもがたくさん参加してもらえるような体を動かすワークショップを開催し、そこからいい子がいればスカウトしようと思っていたのです。40人ぐらいが参加してくれましたが、子どもたちが弾けすぎるものだから、それどころではなくなってしまった(笑)実はその2日前に赤いやつを作るワークショップをし、そこですごく集中力があったのが、ゆずなちゃんでした。体動かしワークショップでクタクタになった後、映画に出てもらうなら集中力のありそうなゆずなちゃんがいいのではとスタッフ全員で意見が一致し、その日は仲良くなるために布団を並べて寝ました。表立ってテンションが高いという感じではないけれど、内に秘めた情熱のある子だったので、「もっと全力で、ハァハァ言うまで雪を巻き上げて!」と何度かテイクを重ねても頑張ってくれました。
―――他の大勢の子どもたちは、相撲大会で一気に登場します。相撲のシーンは一番映像も動きがあり、乱入者が登場してからはホラー感がありましたね。
吉開:相撲のシーンは最初、プロットがわりの紙芝居を作った時点から入れていました。子どもだけでなく大人も一緒に、斜里の人たちがみんなで相撲大会をしているシーンを入れようとしていたんです。それとなく赤いやつが入っていき、皆がそれを受け入れるというシナリオでしたが、冷静に考えたら演出的にも無理があるなと(笑)それなら相撲をする場所の後ろに舞台があり、そこは幕で隠れているし、最後に幕前で子どもたちが集合写真を撮るとき、みんな前のカメラ側を向くので、幕の後ろから奇襲して子どもたちを驚かせることができるじゃないか!カメラも手持ちと引きの2カメラ体制でした。
■作りながら、異常気象や不測の事態を受け入れることがテーマになる
―――映画全体を通して、自然に恵まれた斜里だからこそ、温暖化の影響を日々感じていることが伝わってきました。吉開さんは、地元の子どもに短い文章を朗読させる中で、「雪がなければ生きていけない」と言い間違えたことにすかさず気づいていましたね。
吉開:撮影に入る時、空港まで役場の方が迎えにきてくれたのですが、網走から斜里までの車中で、ずっと今年は雪が少ないという話をされていたし、ロケハンしていた時もがみんな挨拶がわりに「今年は雪が少ないですね」と話すのです。ごく一般的な方が口を揃えて「変」と訝しがっているので、本当に変なんだなと気づかされました。私にとっては初めての斜里の冬でしたが、イメージしていたよりも雪が少なかったし、全面の雪の中での撮影がままならない状況をどのように映画に取り込むかを考えなければいけない立場でした。だったらむしろ積極的にこの問題に向き合わなければいけないと言われている気がしたんです。赤いやつのせいか!という気になったし、赤いやつは熱の化身のようなものでしたが、その解釈をより付け足していくこともできる。この不測の事態を避けるのではなく受け入れることが、だんだんテーマになってくる。それは作りながら感じたことですね。
―――なるほど、ほかにも作りながら感じたことは?
吉開:最初、斜里に行った時に赤信号とか赤いものをとにかく撮っているうちに、撮影中でストレスフルな状態なので、胃がキリキリして、ずっと交感神経が働いている感じで眠れなくなったんです。交感神経と副交感神経のバランスを考えるようになると、今度は東京に戻ってから夜、新宿方面を見た景色が本当に赤々としていて、まさに眠らない街だった。現代は、エネルギーは燃やせば燃やすほど、成長すればするほど良いという方向に行きすぎているからこそ、赤く灯りすぎている私たちにも繋がってくるように思えました。斜里で赤いやつを作り、ほかにも赤いものを探しているうちに、だんだんイメージの連鎖が世界規模になってきたんです。
■いたるところに、いろんなレイヤーでいる「私」
―――今までの作品の中で、一番ナレーションの存在感がありますね。
吉開:最初はナレーションをつけていなかったのですが、絵と音だけで「私=監督=赤いやつ」と見せているつもりでも、伝わっていなかった。それならば潔く、言葉で言おうと。私が編集し、ナレーションをつけ、インタビューをしながら「へえ〜」と相槌を打っている。私=赤いやつがいろんなところに、いろんなレイヤーから、いろんな角度から来ているということを言ってしまった方がおもしろいのではないかと思い、どんどん増やしました。
―――それもポエジーであったり、言葉遊びのようなリズムがあり、どこか哲学的でもある。ジャンル分けするなら「吉開」といいたくなる唯一無二な作品の、新たな魅力です。
吉開:最初に斜里のみなさんに送ったものには、紙芝居にナレーションつけていたし、ファーストカットの文章は作っていたんです。今までナレーションや詩を作ったことはなくて、どういうものにすればいいのかと思ったとき、紙芝居で作った文章を絵本のように作っていけばいいんだ。それならすっと自分の身体に馴染むなと。それで作り始めると楽しくなっちゃって、あれやこれやと暴走し始めたりもしましたね。
■斜里の人の声、口調、土地の自身の声を入れ、自然と長編に
―――言葉作りが楽しくなって暴走したとのことですが、映画も元々は長編を想定していなかったんですよね?どの時点から長編になる手応えを感じたのですか?
吉開:撮影している段階から、これは最初予定していた15分には絶対に収まらないと思っていました。長編を作りたいという欲望もありましたが、無理に伸ばすのではなく、ちょうどよい尺を探っていこうというところから編集をし始めたのです。インタビューをもっと短くして、本当に抽象的なイメージが連なったアート作品みたいなものになるのも今回は違うなと。やはり斜里の人がこの年にどう考えて、どんな声で、どんな口調でしゃべっていたのかを入れたいと思うと、自然と63分になりました。
―――ありがとうございました。最後に、初長編『Shari』を公開するにあたり、その思いをお聞かせください。
吉開:まずは劇場で観てほしいですね。私が今回この映画にとって撮影できてありがたかったなと思うのが斜里の人々なんです。人間だけでコントロールできないものと直に接している人たちの身体から出てきた声を少しずつではあるけれど、映画の中に入れて、伝えることができる。それだけでなく、斜里の人々を通してその土地自身の声、例えば「シャリシャリ」と人間の声で擬人化しているのもそうですし、鈴の音も聞こえるし、流氷の声や火の声、心臓の声、そしていろいろな生き物の声も入っています。そういう音たちが映画館の暗闇の中で、スピーカーの振動から(観客に)直に触れてきますから、そういう生き物たちと劇場の中で、心の相撲をとるのを楽しみにしてください。
また、今回気候変動などの切実な問題も取り上げていますが、大量の予算があるからとたくさんのスタッフ、機材を抱え、致し方ないことですが、大量のゴミを出してしまうような映画作り方からはやはり逃れられないのかと思っていたのです。これから先どういう映画を作ろうかと考えたとき、『Shari』を作ったことでこういう道もがあるのかと希望が持てました。いろいろな楽しみ方ができるので、これから映画を作りたい人も、作品自体を楽しみたい人も、まだ見ぬ新しい映画を観たいという人も、興味を持って映画館に観に来ていただけるとうれしいです。
(江口由美)
『Shari』(2021年 日本 63分)
監督・出演:吉開菜央
撮影:石川直樹
助監督:渡辺直樹
音楽:松本一哉
音響:北田雅也
アニメーション:幸洋子
出演:斜里町の人々、海、山、氷、赤いやつ
配給・宣伝:ミラクルヴォイス
公式サイト⇒ https://shari-movie.com/
©2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa
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