『十年』若手監督陣が描く、香港の切実な未来

ようやく観ることができた。香港で公開された時は、最初は小規模の上映ながら、口コミでどんどん広がり、満席の客席では涙する人が多かったという話題作。それもそのはずだ。2014年若者を中心に「真の普通選挙」を求めた雨傘革命は、一国二制度が揺らぎつつある香港の現実と、民主主義を守ることが切実な状況を世界に知らしめることになった。2015年に10年後の香港を5人の若手監督が描く本作が作られ、大阪アジアン映画祭2016で日本初上映もされている。香港映画も新世代が台頭し、リム・カーウァイ監督プロデュースの「香港インディペンデント映画祭2017」でもインディペンデントの映画人が数多く紹介された。エンターテイメントのイメージが強い香港映画の中でも、確実に新世代が育ってきている。そんな彼らが撮った10年後は、なんと切実なことか。イギリス、中国と強国に支配され続けてきた香港人が、その中でも自らのアイデンティティを必死で守ろうとする姿。いや、守らなければ消滅してしまう危険性があるところまで、10年後の香港では中国本国に準ずることを要求される(と描かれている)。まんざら大げさではないだけに、そこにはある種の覚悟が滲むのだ。


集会場で来場者を銃で脅す準備をする男性たちを描いた『エキストラ』(クォック・ジョン監督)。まさにディストピアと化した香港で、生活のあらゆる断片を標本にする男女を描いた『冬のセミ』(ウォン・フェイバン監督)。


重い雰囲気で短編集が進んでいくのかと思いきや、ユニークな設定が目を引く短編、『方言』(ジェヴォンス・アウ監督)に目が留まった。標準語の試験に合格しなければ、ターミナルで客を乗せることができないペナルティを課されるという設定のタクシー。主人公は広東語しか話せず、不適格シールが貼られている。一度乗った客が、標準語が話せないと分かるや別のタクシーに乗り換えたり、ナビも標準語仕様で言うことを聞かなかったり、広東語がマイナー言語に化そうとしている社会を皮肉っている。客の方も、広東語しか話せない人の苦労が垣間見え、言語面から独立性を奪われる日常を的確に表現。本当に切実な問題を上手く描いている。


香港独立を求めて、イギリスの領事館前で起こった焼身自殺に端を発した騒動を、有識者へのインタビューを挟みながら描いた社会派作品、『焼身自殺者』(キウイ・チョウ監督)。香港独立派のリーダー格の若者と思われた焼身自殺者。その正体が最後に明かされる。文革も天安門事件も体験したという老婆が残した言葉は「何を言われようと、めげずに闘え」。未来の香港人に贈る、とてもとても強いメッセージ。先人としての最後の役目を果たすという生き方もあるのだ。


そして、香港最後の養鶏場が政府からの圧力で閉鎖されることになることから始まる物語『地元産の卵』(ン・ガーリョン監督)。小さな市場を営む店主を演じるのは、ヴィンセント・チュイ監督『狭き門から入れ』(08)でも主役を演じたリウ・カイチー。良くない言葉リストを手に市場に乗り込む、本国の警察風の制服を着た少年団に「地元産」卵というポップを写メされ、地元産という言葉の何が悪いのかと怒り心頭する店主。少年団の中にいた自分の息子には、「どんなときにも人の言いなりになるな。まず考えろ」と必死で生きる道を説く。同じような被害に遭ったのは町の本屋。だが、息子が店主にリストを渡し、禁書扱いとなりそうな本は別の場所へ避難させていた。でも、一番大事なのはそんな状態に慣れてはいけないということ。そして、その責任は店主の世代、つまり先人の責任でもあるということ。この部分は、今の私にもグサリと刺さる。日本がどんどん危ない方向に行こうとしているのは、バブル世代の私たちが自由を当然のように享受しすぎたから。まだ間に合う、そう信じるからこそ、この『十年』を作っているのだろうし、そしてこのような十年後にならないようにするのが、今の世代の責任なのだ。


ちなみに、今年の釜山国際映画祭で、是枝監督がコーディネーターとなり、本作を基に、日本、台湾、タイで『十年』日本版を制作することが発表された。日本の若手監督たちは、どんな10年後を描こうとするのだろうか。来年の釜山国際映画祭でワールドプレミアを目指すという日本版も楽しみにしていたい。

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