山本奈衣瑠主演、切実さとユーモアがせめぎあう映画愛が詰まったロードムービー『走れない人の走り方』で長編デビューの蘇鈺淳監督インタビュー


 『豚とふたりのコインランドリー』(PFFアワード2021審査員特別賞)で知られる蘇鈺淳監督の初長編映画『走れない人の走り方』が第19回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)インディ・フォーラム部門作品として上映され、4月26日よりテアトル新宿、5月18日より横浜シネマリン、5月24日よりシネマート心斎橋他全国順次公開される。

 ロードムービーを撮りたいのにうまくいかない新人監督の引きこもごもを、様々な仕掛けやシチュエーションを交えて描くリアルさと、映画のマジックに惹き込まれる本作。苦悩する監督役に出演作が相次ぐ山本奈衣瑠、プロデューサー役に早織(『辻占恋慕』)が扮する他、東京藝術大学大学院の指導教員、諏訪敦彦監督も出演している。修了制作の本作が劇場公開される蘇鈺淳監督に、お話を伺った。



■母のアドバイスで映画作りを学ぶ大学へ

―――蘇監督は台湾ご出身ですが、映画監督を志したきっかけは?

蘇監督:高校時代、近所の映画館でよく映画を観ていましたが、当時はマスコミ専攻を希望していたのです。でも母から、大学の専攻通りの就職はみんなしないのだから、自分の好きなことを勉強したらいいじゃないかと言われて。それで、映画作りを学ぶ大学に進学しました。実は写真を撮るのが好きだったので、撮影監督をやりたかったのですが、大学2年時にクラスから4つの企画を選んで映画を撮るという授業で、わたしのプレゼンした企画が通ってしまい、そこで初めて監督をやりました。


―――ちなみに、どんな作品だったのですか?

蘇監督:美容室を舞台にしたジャンルもので、コメディとホラーをミックスした感じです。ある男の人が髪を切りたいと美容室に訪れ、イメージ通りのパーマにならなかったので逆上して美容師を刺してしまう…という『純』(2014年)を16ミリフィルムで撮影しました。初の監督体験が楽しかったですし、技術部門(撮影、録音)の知識を学ぶ2年で短編を監督したので、3年で進路変更するのが難しくなり、そこからはもう1本短編を監督し、そのまま今に至っています。


―――いつの間にか流れに乗って監督になっていたという感じですね。そのまま台湾で就職したのですか?

蘇監督:大学4年の頃から日本語を勉強しはじめ、卒業してからは、アルバイトをしながらフリーランスとしてインタビュー映像の監督や編集をしていました。




■台北金馬奨で諏訪敦彦監督『2/デュオ』に衝撃、東京藝術大学大学院受験を決意

―――卒業前から日本留学を見据えたのは、何がきっかけだったのですか?

蘇監督:2017年の台北金馬奨で諏訪敦彦監督の特集で『2/デュオ』(96)を観たんです。元々観る予定ではなかったけれど、100元(400円)でチケットを譲ってもらえたのが今から思えば本当にラッキーでした。実際に鑑賞すると本当に素晴らしくて、諏訪監督のQ&Aでこの作品を即興で撮ったと聞いたときは、驚きでいっぱいでした。そこから諏訪さんのことをウィキペディアで調べると、東京藝術大学大学院で教鞭をとっておられるとわかり、わたしも東京藝大に行きたい!と思ったのです。


―――映画祭での諏訪監督作品との出会いとQ&Aの監督の言葉が蘇さんの未来を大きく変えたのですね。

蘇監督:最初は夢見たいな話だと諦めていましたが、東京藝大大学院のプロデューサー領域に受かった先輩から留学生が結構いることを教えてもらい、頑張ればできると希望が生まれました。監督領域は応募時に監督した2作品を提出する必要があります。わたしは2回受験しており、1回目は大学時代に作った作品を提出しましたが、最後の3次試験で落ちてしまった。一度提出した作品と同じものは次の受験で出せないので、改めて2本の作品を撮りました。その中の一本がPFFで入選した『豚とふたりのコインランドリー』(21)です。


―――諦めずに再チャレンジした結果、実際に諏訪監督から教えてもらっての感想は?

蘇監督:2017年、台湾で諏訪監督の『2/デュオ』を観て感動していたわたしが、まさか数年後にその監督が自分の作品に出演してくださり、飲み会でも隣で話を聞けるのが本当に夢みたいですね。コロナ前に日本で半年語学学校に通い、2020年、1回目の受験に落ちましたが、編集領域の研究生(単位はもらえないが講義や実習制作に参加できる)として東京藝大大学院に通っていたので、受かってからを含めると3年間通ったことになります。実際、2年間だと短いと感じる人も多く、3年通えたのは良かったです。



■長編1本目は、どの年代の誰でも楽しめる作品を目指して

―――芸大で卒業制作を撮る場合は機材が揃っているし、違う領域の同級生と力を合わせて撮れるのがメリットですね。濱口竜介監督も、東京藝大大学院の修了制作『PASSION』(08)がその才能を世に知られるきっかけとなりました。注目されるきっかけになるこの修了制作で何を題材にするのか。いろいろ考えたと思いますが、ご自身の境遇を反映した映画監督が主人公になっていますね。

蘇監督:長編1本目がうまくいかないと次回作以降撮るのが難しいと聞きますので、誰でも楽しめる作品を作りたいと思っていました。どちらかといえば商業映画寄りというか、わたしの家族が観ても楽しめるような作品をという気持ちが心の隅にありました。今までの作品は、家族から感想をもらったことがないので(笑)どの年代の誰でも楽しめる作品を目指しましたね。


―――脚本は同級生の上原哲也さんと石井夏実さんが担当されていますが、蘇さんはどのような形で携わっていったのですか?

蘇監督:ロードムービーを撮りたかったのですが、先生方への企画プレゼンで、様々な制限があるため実現するのは難しいとわかったんです。上原さんや石井さんと打ち合わせを重ねてもなかなかまとまらない中、それならロードムービーを撮りたいけれど撮れない新人監督の話にしたらどうかと。次のプレゼンの前日に浮かんだこの案がいつの間にか本当になっていました。そこからわたしがト書き(シーンの順番)を書き、初稿は上原さんが書いてくれました。第2稿は石井さんという風に、ふたりの間を往復する形で改稿してもらい、打ち合わせはわたしも入った3人で行いました。撮影は12日間で、1日8時間を超えないという制限が設けられていたので、その範囲で撮ることを考え、当初はもう少し長い尺の脚本でしたが、削っていったのが今の形です。



■日本の映画館の静かさにビックリ!

―――冒頭、映画館のシーンから始まるのが面白いですね。台湾の観客はもっとしゃべったり食べたりするのにと、日台の映画鑑賞文化の違いがわかります。

蘇監督:わたしも逆に日本の映画館に行ったときは本当に静かなのでビックリしました。ポップコーンを食べるときも、カリカリ音をさせるのではなく口の中で溶かしこんで飲み込むみたいな(笑)エンドクレジットも最後まで観ているし、それが終わるまで劇場も照明を点けないし、素晴らしいですね。


―――台湾の映画館ではエンドクレジットで照明が点くのですか?

蘇監督:映画祭では最後まで照明を点けませんが、一般の映画館では点きます。台湾の映画館は上映と上映の間の入れ替え時間が短いので、映画館側としては早くお客さんに退出してもらいたいのです。映画館でアルバイト経験があるので、3分しか掃除の時間がないときは早くお客さんに出てもらいたいと思っていたし、お客さんが全員出たら映写の人に伝えて、エンドクレジット途中でもカットしてもらうんですよ。


―――台湾の映画館はそんなに入れ替え時間が短いんですね。映画ではそこからメタ構造を複数取り入れているのが本作の魅力の一つです。

蘇監督:メタ構造は結構好きですね。映画の話を撮るのも好きで、制作部の女性が主人公の短編も撮ったことがあります。



■短編に出演の山本奈衣瑠、修了制作作品は当て書き

―――悩める映画監督を熱演している山本奈衣瑠さんのキャスティングについて教えてください。

蘇監督:卒業制作の前に撮った短編『鏡』(2022年)で、メインキャストの佐々木詩音さんは決まっており、もう一人のメインキャストを探していたとき、先輩から推薦されたプロフィールをいくつか見る中で、山本奈衣瑠さんを見つけ、ぜひ出ていただきたいとオファーのメールを送ったんです。最初はマネージャーさん、プロデューサー、そしてわたしの3人で会うこととなり、先に私がオーディションされました(笑)。そこで大丈夫と判断していただいたので、次は奈衣瑠さんと4人でお会いし、短編に出ていただけることになりました。ほとんどセリフのない役でしたが、本読み段階で数少ないセリフを読んでいただいたときの雰囲気がすごく良かったので、修了制作作品にも是非出ていただきたいと思いました。だから企画段階から声をかけさせていただいたし、主人公の桐子は奈衣瑠さんを想定して当て書きしました。


―――山本さんの反応はいかがでしたか?

蘇監督:どんな役かを聞かれたので映画監督とお伝えすると、「わたしでできるの?」とちょっと戸惑っておられましたが、映画監督にも色々なタイプがありますからと。桐子は、なかなかうまくいかないタイプの方ですからね。


―――うまくいかない29歳の映画監督、小島桐子を叱咤激励するプロデューサーを演じるのが早織です。

蘇監督: 1つ上の先輩、張鈺監督の修了制作『破片(かけら)』(22)に助監督として入り、同作品の主演だった早織さんと知り合いました。現場で仲良くさせていただけたので、その後早織さんからお茶を誘われたのがきっかけで、一緒に台湾料理を食べに行ったりと友達になったのです。ちょうど本作の脚本を練っている最中だったので、ぜひ出ていただきたいと直接オファーしました。


―――桐子とプロデューサーのやりとりも本作の見どころの一つですが、これだけしっかりしたプロデューサーがいると、ある意味安心では?

蘇監督:早織さんにプロデューサー役だと伝えると、「結構、プロデューサーっぽいって友達に言われる」と。きちんとした印象を与える方だし、信頼できる方なので周りからもそのように評価されるのでしょうね。


―――監督の桐子は、「監督が役者を不安にさせないで」、「やりたいことがブレている」などプロデューサーだけでなくスタッフからも様々な指摘を受けますが、これは実体験からきているのですか?

蘇監督:自分ではわからなかったけど脚本の上原さんや石井さんは、結構わたしをモデルにしているようで、わたしがみんなに言われることを観察していたみたいです。



■他人から言われた「走れない人の走り方」がピンと来た

―――おふたりの観察力が活きていますね。本当に生々しくも、そのうまくいかないところが多くの人に響きます。わたしは『走れない人の走り方』というタイトルに心を奪われたのですが、このタイトルは蘇さんが考えたのですか?

蘇監督:元々は『ロードムービー』というタイトルでしたが、完パケの前日に変えました。わたし自身が走るのが苦手で、「走れない人の走り方」だと言われたことがあり、タイトルをスタッフと考えているときにこの言葉がピンと来て、使わせてもらいました。これも自分ではどういう走り方をしているか見えないけれど、他人から見ればそうなんだと。


―――ロードムービーを撮りたい映画監督ということで、ロードムービーを撮りに行くシーンもありましたが、実際にはどの辺りで撮影したのですか?

蘇監督:千葉県の銚子の近くまで行きました。車が入れる海岸ということで探すと行き着いたんです。あとは三浦海岸の城ヶ島ですね。車がスタックしたというのも、実際に台湾時代に夜ロケハンをしていて、海の方に入って行ったら戻れなくなってしまって、近くにいた方に助けてもらったことがありました。


―――もともと蘇さんご自身が撮りたかったものでもあったと思いますが、撮影はいかがでしたか?

蘇監督:まず助監督と桐子とカメラマンが3人でロケハンしながら青い車の中でしゃべっているシーンを撮り、移動してラストシーンと、3人で走っていくシーンをフィルムで撮り、その後に車が海岸でスタックするシーンを撮るという予定を1日で組んでいたんです。でもスタックのシーンは夕陽の中だった設定が夜になってしまったし、16ミリフィルムのシーンも意図していなかったけれど、夕陽の中での撮影になってしまった。でもそれが結果的には良かったと言っていただけました。本当に大変でしたが(笑)



■スタッフのやりたかった特撮シーンも取り入れて

―――その大変さも映像に写り込んでいる気がします。また驚いたのが諏訪監督の登場シーン。監督役を演じていますが、撮影現場では怪獣の中に自らがスーツアクターとして入っていて。

蘇監督:この映画を撮ることが決まり、スタッフのメンバーで飲んでいると、予算や学校から決められた制限のことを考えずに脚本のことを書いてみたらとアドバイスされたので、みんながやりたいことはないか聞いてみたんです。撮影の齊藤夏寛さんが特撮をやりたいと言ってくれたので、そのシーンを作りました。そのときの言葉は、劇中で諏訪監督がしゃべるセリフにもなっています。


―――本当にみんなのアイデアが作品に注入されていますね。OAFF予告編でも怪獣造形界のレジェンド、村瀬継蔵さんが総監督を務めた『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』(2024年夏、全国劇場公開)の怪獣シーンと本作の同シーンが連続して登場。卒業制作で特撮を入れるとは凄い!と思っていました。

蘇監督:ゴジラのような怪獣を作ったのは大学院同期で特撮に詳しい棚田健太郎さんで、自分の自主制作用に作った怪獣の着ぐるみを貸してくれたんです。


第19回大阪アジアン映画祭1回目上映後の記念撮影。左より髭野純さん(配給)、石井夏実さん(脚本)、蘇鈺淳監督、上原哲也さん(脚本)、齊藤夏寛さん(撮影)


■黒沢清からの講評は「(映画づくりは)そこからの方が大変だぞ。でも、そこで終わるんだ」

―――藝大パワーが総結集ですね。その点では諏訪監督の活躍も見逃せません。

蘇監督:元々諏訪さんは、映画館のシーンで「うるさいよ!」と喋っているお客さんに文句を言う映画監督役だけだったのですが、特撮を撮っている監督役も必要になったんです。登場人物が多い作品だし、予算も少ないし、どうしようかと考えたときに脚本を書いている二人が思いついたのが、諏訪さんにどちらの監督役もやってもらうことでした。諏訪さんに怪獣の着ぐるみを着てもらうことなんて想像もできなかったけれど、結果的には良かったですね。諏訪さんも結構楽しそうでした。ちなみにわたしはほとんど演出していないんですよ。現場に着いたら、諏訪さんが自ら周りを指揮していて(笑)


―――スタッフとしてその現場にいた桐子にとって、監督自らがスーツアクターになることが大きな気づきをもたらしていきます。

蘇監督:ラストシーンは最初から決めていて、そこから逆算して作っていきました。映画がクランクインするまでの話ですが、修了制作作品の講評をいただくとき、黒沢清さんからは「(映画づくりは)そこからの方が大変だぞ。でも、そこで終わるんだ」と言われましたね。


―――黒沢監督の実感がこもり、かつそこで本作を終わらせることを選んだ蘇さんへのエールですね。横浜シネマリンで撮影し、映画館愛を感じる堂々の長編デビュー作で、ぜひ日本全国のミニシアターを巡っていただきたいです。今日はありがとうございました。

(江口由美) Photo by OAFF



<作品情報>

『走れない人の走り方』(2023年 日本 83分)

監督:蘇鈺淳 脚本:上原哲也、石井夏実 撮影:齊藤夏寛

出演:山本奈衣瑠、早織、磯田龍生、服部竜三郎、BEBE

4月26日よりテアトル新宿、5月18日より横浜シネマリン、5月24日よりシネマート心斎橋他全国順次公開

 ©東京藝術大学大学院映像研究科