『マチルド、翼を広げ』振り回されてもママが好き!ポエティックな母娘物語
最近は子どもが主人公の作品が多い。親に捨てられて、虐待を受けてというケースや、1月25日公開のフランス映画『ジュリアン』のように、離婚した両親の元、共同親権を求める父親の執拗な追求から母親を守ろうと奮闘する少年の物語もある。いずれも今まで守られる存在だった子どもが、自分の力で奮闘しようとする姿を描いており、その語り口はトーンこそ監督の個性が出るものの、割とリアルに描写されている。
『マチルド、翼を広げ』は、学校に母親が呼び出され、主人公マチルドと先生の三者面談のシーンから始まる。生徒同士の揉め事でもないのに、学校に親が呼び出されるなんて、マチルドがよほど個性的な子どもなのかと思いきや、先生とのやりとりから、母親の方が話がかみ合わず、横道に逸れてしまうことが分かる。逆に言えば、先生には意味不明でも、マチルドには母親のこだわりや、伝えたいことが分かるのだ。「ママのことを一番理解できるのは私」と自負しているかのように。
矢継ぎ早に、母親のトリッキーな行動(試着したウェディングドレス姿でショッピングセンターを一回りして、夜に家へ帰宅)が映し出されるが、トリッキーさが絵的に映えて、その違和感がクスッと笑えもすれば、突き抜け感に心踊ったりもする。ウェディングショップで結婚相手のことを聞かれ、「結婚相手はいないけど、結婚するわ。人生と」 こんなことを言える人ってなかなかいない。
とはいえ、家で帰らぬ母親を待つマチルドにすれば、孤独な時間を共にしてくれるのは画面越しの離婚した父親だけ。マチュー・アマルリックが空想力豊かな娘、マチルドを包み込むような父親を演じ、画面越しだけなのかと残念になるほど。マチルドが見た夢の中にもチラリと登場したフクロウが、ともすれば孤独な少女の物語の司令塔のような役割を果たす。母親からのプレゼントとしてマチルドに送られたフクロウこそ、マチルドにしか聞こえない声を持つお喋りフクロウだった。感受性の高いマチルドが、授業で目にしたガイコツ像(フランスのガイコツは皆「オスカル」という名らしい)のことを話すと、「死者には敬意を払うべき」とマチルドが埋葬したいという気持ちの後押しをする。マチルドと長老のような落ち着いた判断力と知恵を持つフクロウとの、「ママを救いたい、楽しませたい」という気持ちが、作品の根底を流れているのがいい。
自身の体験を元に映画化したというノエミ・ルヴォウスキー(『カミーユ、恋はふたたび』監督、主演)が演じる母親は、どこかチャーミングさが滲む。娘のことが大好きな一方、他人の目を気にせず衝動的な行動をとってしまったり、時には娘を悲しませると分かっていても、家に帰れない女性の葛藤を見事に演じている。ママのためにとマチルドが奮闘しても、それを受け止める心の余裕もない母親。別れを決断をするまでの時間をどんな気持ちで過ごしたのかと、母親の気持ちにも心を寄せたくなる。
母娘の日々が終わりを告げる時、父親はそんな二人をやさしく受け止める。離婚をしても、相手のことを遠くから見守り、思いやれる。これぞ大人の関係だ。
時が経ち、母娘が再開する場面では、大人になったマチルド役で、アナイス・ドゥムースティエ (『彼は秘密の女ともだち』、『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』声の出演)が登場。言葉はなくてもダンスで通じ合う素晴らしいシーンも用意されている。
フクロウという心強いバディを持ち、ガイコツに心を寄せるマチルド。ママを助けたい、幸せにしたいと願うマチルドの奮闘ぶりを色鮮やかに、そして時にはとてもポエティックに描いたフランス映画らしい母娘物語。想像力の翼が広がり、羽ばたくような浮遊感が心地よかった。
<作品情報>
『マチルド、翼を広げ』”Demain et tous les autres jours”(2017年 フランス 95分)
監督:ノエミ・ルヴォウスキー 脚本:ノエミ・ルヴォウスキー、フロランス・セイヴォス
出演:リュス・ロドリゲス、ノエミ・ルヴォウスキー、マチュー・アマルリック、アナイス・ドゥムースティエ
2月1日(金)よりシネ・リーブル梅田、2月9日(土)より京都シネマ、今春元町映画館他全国順次公開
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