『台北暮色』今を生きる若者たちの目線で描く、色とりどりの台北

約30年の時を経て、2017年に日本初公開されたエドワード・ヤンの『台北ストーリー』(85)。80年代に急成長を遂げていく台北の勢いや、そこで働くヒロインたちの迷いを吹っ切って働く姿を焼き付けると同時に、都会で生きる様々な境遇の人々にも光を当て、夜の街の景色が彩りを添えた。


この『台北暮色』(原題 MISSING JOHNNY)は、『台北ストーリー』で主人公を演じたエドワード・ヤンの盟友であり、台湾を代表する巨匠ホウ・シャオシェンの元でもキャリアを積んだホアン・シー監督の長編デビュー作。台北で生きる3人の若者が交差する物語は、台北で生きる若者たちの今を飾ることなく映し出す。わざとらしいセリフもない。でも映画らしい仕掛けがあり、風景の切り取り方が抜群に上手い。背景である街も含めての映画であることを意識し、他の監督が見せないような視点で見せてくれる。きっと、あと30年ぐらいして、平成の次の時代が終わりを告げる時にこの映画を見ると、「2010年代(平成の頃)の台北と若者たちの姿を見事に映し出している」と思えるような作品なのだろうな。映画を見ながら、ふとそんなことを考えていた。



フォン(クー・ユールン)が乗る赤いSUZUKIの車がエンストするところから始まる物語。『台北ストーリー』のFUJIFILMのように街の大きな電光看板が映し出されることはないが、車を降りて電話をするフォンの後ろを電光の安っぽい出っ張り看板がチカチカとまたたき、目が留まる。仕方なく友人宅を目指して電車に乗るフォン、家路を急ぐ一人暮らしのシュー(リマ・ジタン)、シューと同じアパートで母と暮らす少年リー(ホアン・ユエン)。偶然同じ電車に乗った3人の織りなす物語は、緩やかにお互いが交差しながら、それぞれの日常を詩情豊かに映し出していく。


シュー宛に「ジョニー?」と様々な人から届く間違い電話。だからといって、このジョニーを探す物語に突入するわけではない。リマ・ジタンが演じるヒロイン、シューは、色鮮やかなインコを飼っている。離れて住む彼氏には嫌われているインコだが、シューにとってはかけがえのない友。最近公開されたフランス映画『マチルド、翼を広げ』ではヒロインの心の友がフクロウだったが、ポエジーな物語で鳥たちが度々ヒロインを励ます存在になっているのは面白い。日本は猫一辺倒だもんな。

シューはヨガインストラクターだけでなく、ゲストハウスでも働いている。リム・カーワイがバルカン半島で撮った『どこでもない、ここしかない』もゲストハウスで働く若い夫婦が主人公だったが、大都市にゲストハウスがある風景というのも、今まで描かれることがなかった台北の一面だ。


車で生活しているフォンを演じているクー・ルーユンは、エドワード・ヤンの『カップルズ』が初主演となった俳優で、ホアン・ユー監督とエドワード・ヤンを繋ぐような存在。窓ガラスの修理で苦戦していたところを住人のシューに助けられ、顔見知りとなる。シューが一瞬だがランニングをするシーンが挿入されていたのは、この後、フォンとシューが2人で高架橋まで駆けていくという躍動感あるシーンに結実する。実際にそういう場所を走ったことがあるので、夜の高架橋沿いの道を走る時のしんどさと疾走感と、そこからでしか見えない美しい夜景が目の前に広がるのは感動的だ。特別ではない走る日常も、映画で撮ると、これだけ素晴らしいシーンになるんだな。


一方、たった1人で何日も自転車で川べりを彷徨う少年、リーは、亡くした何かを探しているかのよう。水たまりをぐるぐるまわり、水面が渦巻く様子は、彼の心模様のようにも映る。息子の帰りを待つ母との二人暮らしは重たい空気が流れるが、そんなリーは、台北の道路沿いでペンキ塗りをしている時、そこにいたフォンに「飛んでいる鳥は止まっているの?」と聞く。脚のない鳥の話をする『欲望の翼』のヨディが頭をよぎり、思わず目が見開いた。


フォンがシューと共に訪れた友人宅の夕ご飯風景も、普通の家族の晩御飯を覗き込んでいるようだし、シューと泊まりで会いに来た彼氏とのやりとりも生々しい。誰かの人生が決定的に変わることはなくても、少しずつ過去や、彼らが抱えている痛みが浮き上がり、ほんの少しの変化やハプニングに一喜一憂する彼らをものともせず、巨大都市台北の電車が交差しながら走り続け、膨大な量の車が走る幾重ものハイウェイを夕日が照らす。止まらない街の中で、日々を積み重ねる若者たち。なんでもない日常が、ほんの少し愛おしく感じられる群像劇。日本公開版でラストに流れるNulbarichの「Silent Wonderland」がとても新鮮に響くことだろう。