『タゴール・ソングス』時を超えて語りかける言葉や歌が、生きる道標となる
1913年、非ヨーロッパ語圏で初めてノーベル文学賞を受賞したインドを代表する詩人であり、2000にも及ぶ「タゴール・ソング」を作り上げ、インド国歌「ジャナ・カナ・マナ」、バングラデシュ国歌「我が黄金のベンガル」でも知られるラビンドラナート・タゴール。恥ずかしながら、私はタゴールのことを知らなかったが、マレーシアのヤスミン・アフマド監督作『細い目』で主人公のジェイソンが時には母に、時には愛する少女、オーキットに語りかける詩がタゴールのものであったことを知り、ぜひタゴールのことを知りたいと思うようになったのだ。
インドのコルカタと、バングラデシュのダッカ。いずれも両国を代表する大都会であり、かつては複雑な過去を持つ。人が溢れかえる街並みは、活気が溢れ、そして貧富の差を感じずにはいられない。そんな両都市だが、壁面には「タゴール生誕120周年」のポスターや、壁画まであり、露天の古本屋に声をかければタゴールの本がすぐ出てくる。路上で歌う若者たち、親子連れやカップル、色々な人にタゴールのお気に入りの歌を聞いてみると、皆、それぞれ違う歌を挙げ、すぐに歌ってくれるのだ。「ベンガルの家に生まれるとタゴール・ソングを教わる」と、もう幼い頃からタゴール・ソングと共に生きるのがこれらベンガル地方の人たちなのだと実感させられる。
タゴール・ソングの先生たちにもインタビューし、伝統楽器を使って繊細かつ美しい歌が披露されるが、それよりも脳裏に焼きつくのは、ダッカの駅構内に地方から水を売りにやってきた子どもたちや、幼くして両親を亡くし、エクマットラという支援施設で暮らす青年の言葉だ。エクマットラでタゴールの歌に出会ったという彼が、バングラデシュの村の美しさを込めた「赤土の歌」は、青年のお気に入りの歌であり、今では彼が子どもたちを勇気付けるために歌っている歌。中も、電車の外にも人が張り付く超満員列車の屋根に登り、そこでも意気揚々と歌う姿は爽快かつ、よくぞこの撮影ができたなと感嘆してしまうほど。今は海外旅行なんて考えられないご時世になってしまったが、この映画を観ている時は、どこか遠い異国の地に心地よく誘われていく。タゴールが長年地主として暮らしながら、創作活動に励んだシライドホの地は、豊かな農地が広がり、広大な河川が流れる。骨董コレクターの老人が、「タゴールの理想は“自然”に基づいている」と語るが、まさにそのことを映画自身が体現するかのように、夕陽の映像が差し込まれ、映画のリズムを奏でているのだ。
この映画にとって、そして本作が初監督作となる佐々木美佳監督にとっても重要な存在となるのが、インド・コルカタの女子大生、オノンナさん。両親の言うことが全てというベンガル地方の価値観に疑問を覚え、自分もタゴールが「ひとりで進め」で歌いあげるように、自分の道は自分で切り開いていきたいと願っている。映画ではタゴールの足取りをたどる日本での滞在も描かれ、佐々木監督と同世代のオノンナさんの情熱や探究心、そしてその悩みが垣間見えるのだ。オノンナさんをはじめ、多くの孤独や怒りを抱えながら立ち向かおうとする人たちの支えとなっているタゴール・ソング「ひとりで進め」はこの映画の大きな柱でもある。
タゴールのことをこと細かく説明はしていないが、映画を観た後で調べるヒントを与える一方、現代インド、バングラデシュの社会問題も鋭く捉えているところに、佐々木監督のドキュメンタリー映画に対する姿勢を感じる。100年先に生きる人に充てて詩を詠むタゴール。その言葉は、まさに100年後、コロナとの闘いの先が見えず、不安な気持ちを抱える今の私たちへ届く、素晴らしいメッセージだ。残念ながら映画館の臨時休館に伴い、オンラインの仮設の映画館での公開となった本作だが、佐々木監督はそれを逆に生かし、インド、バングラデシュと3国同時配信を実現させている。映画の作りを見てもそうだが、日本語のタイトルや説明は一切なく、作る時点で世界を意識し、インド・バングラデシュの両国へこの映画を届けたいという気持ちが、日本のドキュメンタリーであまり例をみない一歩先をゆくことを実現させているなと、すごく頼もしい気持ちになった。仮設の映画館公開初日に鑑賞し、本当に癒されたし、タゴールの言葉が自分の人生と一番いいタイミングで交わったなと痛感した。そして、この広大な景色とそこに沈む夕陽、異国の活気溢れる風景、感動的な歌を聞かせる歌い手たちを、次はぜひ大スクリーンで観たいと思う。
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