『ぶあいそうな手紙』目は見えなくても心は見える


 いい映画というのは、そこに本当に豊かなものが含まれている。ただ物語を追うだけでなく、その会話の端々、散歩で見る光景、主人公の行動を観察しているだけでも、いろいろな発見があり、調べようと思うことが続々と出てくる。南米、ウルグアイにほど近いブラジルのポルトアレグレから届いた人生を変える出会いの物語は、今はなかなか難しい人と人との出会いや触れ合いの素晴らしさに、改めて感じ入るどこかほっこりとする秀作だ。



 78歳の主人公、エルネストのほとんど視力を失った目線を実感するような、ぼんやりとした映像でスタートする本作。息子から住み慣れた自宅の売却、引越しを迫られているけれど、自らの愛読書や、現役時代に撮ったたくさんの写真、思い出の詰まった自らの分身のような自宅以外で暮らすことは、エルネストにとって一人暮らしを放棄し、完全介護の老人ホーム行きを意味するに等しい。時々ヘルパーに片付けてもらう以外は一人暮らしで、ウルグアイ出身ならではのマテ茶(『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』でも元ウルグアイ大統領のムヒカ氏がマテ茶を飲むシーンが印象深い)を飲み、いつも新聞を取ってくれる隣家の老人ハビエルと互いの老いを笑いに変えながら、チェスをして楽しむ。壁つたいになら、馴染みのカフェにも行ける。劇的なことは何も起こらない、でも穏やかな日常は、思わぬことから動いていく。



 犬の散歩のアルバイトをしていた若い娘ビアと家の入り口で偶然出会い、思わぬハプニングからビアと打ち解けたエルネストは、ある手紙の代読をビアに頼む。親友の死を告げる、親友の妻からの手紙。ハビエルがからかったことから、この女性がエルネストとかつて何かあったことは察しがつく。一方、ビアに手紙の代筆を頼んだエルネストは、ビアからよそよそしすぎると指摘を受け、自分の言葉を紡ぎ出していくのだった。



 一見、明るく生き生きとした女性に見えるビアにも暗い影が見える。エルネストが置いていたお金をこっそりと盗んだり、気になった本「休戦(La tregua)」を勝手に持ち出したり。目が見えないエルネストは、そんなビアの心の内を読んでいるかのように、それらを見て見ぬ振りをする。疑うのではなく、そこに彼女の置かれた立場を読み取る姿は、目に見えない心を見ているからなのだろう。


 手紙の代読、代筆と並行して、ビアと一緒に外出したエルネストは、街角の叙情詩テロに人生初参加し、ラップ調に自らの心情を詩として歌い上げる若者たちに混じり、「休戦」の一節を読み、観衆から大喝采を浴びる。詩といえば、先日ドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』で街の人々が、口々に自らのお気に入りタゴール・ソングやタゴールの詩を歌って聞かせてくれたことが印象的だったが、南米のこの地でも、人々は街角で詩を歌い上げるのかとすごく新鮮だし、感動した。ちなみに本作では、ウォン・カーウァイ監督『ブエノスアイレス』やペドロ・アルモドバル監督『トーク・トゥ・ハー』で引用されている「ククルクク・パロマ」で知られるカエターノ ヴェローゾの軽やかな一曲「ドレス一枚と愛ひとつ」が使われ、また新たな魅力を感じることができる。


 人生の終わりは、本当に終わるまで何が起こるかわからないとつくづく思う。新しい出会いを受け入れた時、新しい未来への扉が開かれる。そこに手紙がどんな役割を果たすのかは映画を見てのお楽しみだ。今や音声入力を使えば、目が見えにくくても自分でメールできる時代になったが、人に頼んで代読してもらう、代筆してもらうことで、自分では書かないようなことが書けたり、勇気を出して伝えられることもあるのだろうか。そんなことも思いながら、今は行けないけれど、魅力を感じる地球の裏側に思いを馳せた。





『ぶあいそうな手紙』”Aos Olhos de Ernesto”

(2019年 ブラジル 123分)

監督:アナ・ルイーザ・アゼヴェード

出演:ホルヘ・ボラーニ、ガブリエラ・ポエステル、ホルヘ・デリア、ジュリオ・アンドラーヂ

7月18日(土)〜シネスイッチ銀座、7月31日(金)〜シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸 他全国順次公開