「大阪の歴史を映像で捉えればいい映画になるという確信があった」 『VIDEOPHOBIA』宮崎大祐監督インタビュー
モノクロームの映像で映し出される大阪は、日頃の喧騒から抜け出した不思議な雰囲気が漂う。新型コロナによる映画館臨時休館直前に開催された今年の大阪アジアン映画祭で完売の人気を見せ、増殖する恐怖に心を支配されそうな宮崎大祐監督(『大和(カリフォルニア)』『TOURISM』)最新作『VIDEOPHOBIA』が。10月24日(土)~K's cinema、11月7日(土)〜第七藝術劇場、今冬〜京都みなみ会館、元町映画館他全国順次公開される。
全編大阪ロケの本作では主人公・愛(廣田朋菜)の実家として鶴橋のコリアンタウンが登場する他、十三界隈や水都大阪の魅力を感じるロケーションも多数登場。愛がクラブで出会った男(忍成修吾)と一夜を過ごした後、情事の動画がネット上にアップされたことから、運命の歯車が狂い始める。現代社会の闇を突きつける一方、様々な仮面をつけて生きる愛が他人事とは思えなくなる。監視されて生きる現在社会に救いはあるのか。恐怖に支配される現在に一石を投じるサイバー・スリラーだ。
本作の宮崎大祐監督にお話を伺った。
■完全に何かを信じることができない中、どうやって生きていくのかにもつながる。
―――『大和(カリフォルニア)』『TOURISM』と直近の過去作は、同じ女性が主人公でも彼女たちをある意味解放しているようなカタルシスがあったのですが、本作は真逆の印象を受けました。それだけ社会が閉塞的になっていることを反映しているのですか?
宮崎:今まではこうなるといいなという希望的観測を反映した映画を作ってきましたが、ここ2〜3年の世の中の変化を見るにつけ、そんなに楽観的ではいけないのではないかと感じ、今回は現実的な分析からスタートしました。だから「逃げようがない」とのご指摘もあるのですが、こちらはむしろこれしか希望がないのではないかというプラスの終わり方をイメージして作りました。逃れようのない層もあるのですが、そうではない層を浮かび上がらせたかったのです。コロナの今、完全に何かを信じることができなくなっていますが、そんな中でもどうやって生きていけばいいのかということにつながると思っています。
―――初めて大阪で撮影した作品ですが、ロケ地はどのように選んだのですか?
宮崎:鶴橋や西成など、観光地から少し外れたようなところに被写体としての魅力を感じました。その昔は大島渚監督が撮っていた場所でもありますが、最近は大阪の作家たちもあまり目を向けないような場所で、しかもいつ無くなるかわからない。だから、今のうちに撮っておきたかったのです。低予算映画なのでロケ地とキャスティングで勝負するために、よく登場するけれど客観的に捉えると新鮮な場所や、誰も知らないような場所などを徹底的に探しました。
■ロケ地大阪の魅力「究極的に言えば、大阪はどこでもロケ地になる」
―――特に際立っていたのは川の描写です。大阪は水都とも呼ばれますが、そこは意識的に取り入れたのですか?
宮崎:大阪の水辺は魅力的なのに、映画で効果的に使われている印象がないんです。梅田の空中庭園から大阪を見渡した時、こんなに川があるのかと感動したので今回は水都を意識して撮ろうと思いました。大阪を歩いていると川や掘だらけですから、直感でいいなと思う場所を撮っていました。だから撮影中は自分自身も冒険している気分でしたし、僕の驚きが観ている観客の皆さんにも伝わればと思います。
―――以前、「大阪がこんなフォトジェニックだなんて」とおっしゃっていましたが、日頃撮影している神奈川、東京との違いは?
宮崎:大阪は街の中に色々な時代が入り混じっていると感じます。東京は新しいビルを次々と建て替え、歴史の背景が見えなくなってしまっていますが、大阪は50年前や100年前が想像できる。梅田は再開発が進んでいますが、それ以外の地域は道祖神やお寺、神社を見るにつけ過去の記憶を感じるので、大阪の歴史を映像で捉えればいい映画になるという確信がありました。みなさん、道頓堀のあたりや同じような場所でロケをするけれど、究極的に言えば、大阪はどこでもロケ地になる。大阪での撮影を経て、最近ロケ地に対する嗅覚が研ぎ澄まされていますよ。
■鶴橋を舞台に2つの国のルーツを持つこと、その現実を見せる。
―――主人公、愛は鶴橋のコリアンタウン出身で、映画に重要な意味を与えていますね。
宮崎:『大和(カリフォルニア)』の時も韓英恵さんが演じたサクラは韓国人とのダブルでしたし、2つの国のルーツを持つということについて一生考え続けると思うのです。僕自身もアメリカや関西、東京など様々な場所を転々としているのでアイデンティティを問い続けている部分もありますし、この映画のテーマにも合うと感じました。日本人として生活をしているのに、(投票など日本国籍が問われるようになると)韓国人と区別される。そこに常々違和感を覚えていたので、鶴橋を舞台にその現実を見せることができれば、よりご覧になった皆さんに考えていただけるのではないか。そんな気持ちもありました。
―――愛は、韓国語の本名がありながら日本語名で生活せざるをえず、また動画のネット流出問題から、別人になることを決めた時も自分の名前を変えざるを得なくなります。本作は「顔」の映画であると同時に、「名前」を変えざるをえない状況も炙り出しています。
宮崎:人間が生まれた時から名前を与えられ、その名前によってあだ名をつけられバカにされることもあれば、結婚してファミリーネームを捨てざるをえない制度がいまだに存在したり、逆に押し付けられたりする。名前の不思議さについても思うところはありますね。
―――メインビジュアルも愛がタバコを吸っていますが、愛が部屋の窓を開けてタバコを吸うシーンは非常に印象に残りますし、計算されたショットだと感心しました。
宮崎:あの絵が撮れたら勝ちだなと思っていました。それだけの格好良さがありますよね。僕自身は自主映画にありがちなので、タバコを吸うシーンはあまり好きではなく初稿にはなかったのですが、廣田さんがタバコを吸う姿を見ていると面白いと感じたので、今回は珍しく入れました。後半、芦那すみれさんが演じる悠と愛の関連性をあえて言及していませんが、タバコを吸うシーンを入れると、あざとさがなく面白いかなと。もう一つ言えば、鏡というのもテーマなので、愛がしていることを、後で悠が同じ構図だけれど、鏡写しのようにしてやっているシーンも結構あります。
―――愛を演じた廣田朋菜さんは今までも数多くの作品に出演されていますが、今回は圧倒的に強いイメージを残します。
宮崎:今まで廣田さんが出演した作品も数多く見せていただきましたが、監督から指示を受けていないような“それっぽい顔”をしていて、あまり印象に残らないんです。実際にお会いすると非常に印象深い方なのに、それこそ映画の魔ですよね。普段見ている廣田さんの魅力を、さらに映画的に改良したいという思いで今回挑みましたし、それぐらい今回は強い演出を試みています。
■顔のアップで映画のメインを構成。「廣田さんなら、何も言わずとも観客を飽きさせない」
―――そもそも廣田さんを主役にキャスティングした理由は?
宮崎:最初から顔のアップで映画のメインの部分を構成することを決めていたんです。ただ綺麗な人のアップを見続けるのもCMみたいで飽きるだろうし、普通の人も難しい。演技が上手くても長時間見続けるのはもたない。70分という時間の中で、少し独特のニュアンスのある顔が見るたびに印象が変わる。そこが勝負どころだと感じていました。以前僕が手伝った作品で、廣田さんの顔のアップを多用した短編があり、ここまでアップでできるなら、その時やりきれなかったことを僕の長編でチャレンジしてみたい。廣田さんの顔なら、何も言わずとも観客を飽きさせないと思ったのです。
―――先日、ゴダールの『女と男のいる舗道』を観たのですが、モノクロでアンナ・カリーナが白バックにアップになるシーンが、本作の愛のアップのシーンと重なりました。
宮崎:ゴダールはサイレントの名作『裁かるるジャンヌ』や古典映画へのオマージュとしてそのような撮り方をしているのですが、そのゴダールへのオマージュとして今回取り組んだところもあります。ゴダールが撮ったアンナ・カリーナに匹敵するぐらい、廣田さんはいい顔をしていると思っています。廣田さんへの演出はもちろんつけるのですが、キャメラマンの渡辺寿岳さんともよく話し合い、カメラの位置を微調整して、物を言わずとも物語が伝わる顔を3人で作っていった感じです。
―――いつも俳優を演出する前に、宮崎監督はまずじっくりと観察するとおっしゃっていましたが、今回も丁寧に観察したのですか?
宮崎:今回はホテルまでの送迎も僕がやりましたから(笑)。廣田さんに関しては喋るときに首が揺れる癖があるので、それを矯正したり、瞬きの頻度も調整しました。映画で瞬きをすると、そこに意味が生まれてしまうので、とても大事な作業です。歩き方もまっすぐ歩くのではなく、軌道を膨らませて歩くと映画っぽくなる。廣田さんには「膨らませて」とよく指示していましたね。逆に綺麗すぎるときに崩すこともありました。例えば走り姿が綺麗すぎたので、もっと崩して走ってと。撮ってみないとどう映るかはわからないのですが、とにかくそれが正しいと信じてやるしかない。そういう気持ちでやりました。
■圧倒的なカリスマを演じたサヘル・ローズと器の大きい忍成修吾。
―――一夜の情事の動画がネット上に流出し、追い詰められた愛が被害者の会に駆け込むシーンで、被害者の会会長役をサヘル・ローズさんが演じ、強烈な存在感がありました。
宮崎:サヘルさんは以前から僕の映画を気に入ってくれ、(新作を撮るときには)声をかけてほしいと言ってくださっていたんです。この映画の中には、人間的ではないキャラクターとして愛を誘惑する橋本と、被害者の会会長を登場させています。会長には圧倒的なカリスマ性のある人をと思ったとき、真っ先に浮かんだのがサヘルさんでした。サヘルさんは日頃悲しむような役や被害者役が多かったそうで、今回は逆に本人は本気でいいことをしていると思っているけれど、少し狂気的でむしろ病巣になっているような役を演じていただきました。映画の俳優ワークショップのシーンでは「あなたが特殊であることを表現しろ」と言い、被害者の会では「あなたは特別ではなく、みんなも同じように被害を受けている」とみんなのうちの一人だと言われる。その両方を言われた愛がさらに追い詰められ、最終手段へと向かっていくわけです。
―――ちょっと得体の知れない橋本を演じた忍成修吾さんは、深田晃司監督の『本気のしるし』でも主人公の過去に絡むキーパーソンを演じていますが、いずれも出番は少なめながら強い印象を残しますね。
宮崎:忍成さんは器の大きい俳優です。「こんなセリフ言えますか?」と持っていくと、「全然やれますよ」と。今までの経験からどうしてとか、言いにくいとか言われそうなセリフもすんなりと受け入れてくれるので、訳を聞いてみると「監督に言われたらやるしかない」と淡々としておられる。ニワトリの首の動きをイメージした動作で愛を誘う言葉を言ってもらうようにお願いしたときも、周りがおかしいと反対する中でも忍成さんは一人「できます」とすぐやってくれました。愛に名前を聞かれても「名前がない」と返すのも、普通なら観客が置いていかれそうですが、忍成さんが言うとそれなりに説得力がある。本当に稀有な俳優ですね。
―――後半に向けて、音楽も相まって映画から受ける不安感が増大していきますが、BAKUさんによるベース音の効いた音楽がどんどん大きくなる心臓の音のようにも聞こえました。
宮崎:僕は低音の効いた音楽が好きでよく聞いているのですが、自分の映画ではそこまで低音が中心の音楽をつけたことがなかったので、今回は808という一番低音の出るシンセサイザーの音を大々的に使って、映画館の壁や自分の上着の裾が揺れるような、そして心音にも近い音で迫りたいと思いました。低音を多用したベースミュージックというテクノのジャンルがあるので、BAKUさんにはその方向で作ってくださいとお願いしました。エンディング曲には作品のヒントが色々と散りばめられていて、解釈の幅が広がるようになっています。昔、テクノ音楽を使った『π(パイ)』(ダーレン・アロノフスキー監督)が好きだったので、現代版の『π(パイ)』のサントラを想像しながら作りましたね。
■産業構造が崩壊している映画業界。今変えなければ、本当に滅びてしまう。
―――最後に、コロナ禍に入り、映画業界ではパワハラの顕在化や製作者や配給などに支援が行き届かないなど、様々な問題が噴出しましたが、宮崎監督の思うところをお聞かせください。
宮崎:パワハラについては、僕の知っている範囲では恒常的に行われていることで、現場レベルでも若い頃から陰湿な体育会系のノリがまかり通っていたので、当然若いスタッフたちは辞めていくし、それでも続けているごく少数の人だけが今の映画業界を支えていると思うのです。現場以外の映画館や宣伝などの職種に関しても前時代的な演劇出身者や口だけ左翼な方々によるスタッフの酷使が恒常的に行われています。それは日本の映画界の産業構造が一向にアップデートされないことが原因で、きちんと雇用契約書を作ってスタッフと雇用契約を交わし、労働基準法を遵守している職場すら稀なのが実情でしょう。日本の映画業界はいまだに口約束がまかり通り、インターンという支払い義務がない都合のいい制度が永久に続いています。
さらに貧しいものがさらに貧しいものからお金をむしり取る事態も発生しています。例えばSPOTTED PRODUCTIONSのように若い映像作家の「劇場公開したい」という夢を叶えるように見せながら、実際には作家の自己資金で映画を製作させ、作家側が命がけで集客しない限り収益がほとんど入らないような搾取を平然と行っている企業もある。そのような業界のその場しのぎの体質により、意見の言えない若い作家たちが代わる代わるお金と人生をむしり取られるのをずっと見てきました。
自分で映画を作りながら、映画を配給、宣伝するという活動をここ数年やり続ける中、僕のようなインディペンデント映画監督が今後どのように制作と生活を両立させ生きていけるのかということを、地に足のついたレベルで言わなければいけないとコロナ禍の体験を通じて改めて実感しました。『大和(カリフォルニア)』を公開し始めた頃から劇場の大変な状況にも気づき、折に触れて劇場の方とも話をしてはいたのです。なにせどうにかしなければ映画業界が先細りしてしまう一方ですから。
―――若い人材を育てるためには、安心して働ける環境づくりが急務です。
宮崎:映画人たちが普通に働ける環境を作るためには、映画館の入場料を再考するべきかもしれないし、オンライン上映の可能性もさらに視野に入れる。公的支援が現実的に受けられるのか。コロナで明らかになったように、公的支援にも発生する選別や権力をどう考えるのか。公的支援を受けられない場合も、例えば資本システムが似ているとされるアメリカでは、小さい映画を将来大企業で働ける人材を育む場と捉えており、大企業が出資しているのですが、そのようなことを模索していかなければ、このままでは我々も映画業界も立ち行かないのです。
僕のように今のところメジャーで映画を撮っているわけではない、しがらみのない人間だからこそ声を上げられるし、やはりみなさんに考えてほしいと思うのです。今は人間として当たり前のことを訴えても、主張の仕方によってはすぐに変人奇人のように扱われる冷笑の時代です。だから打ち出し方をしっかりと考えて、映画人の環境を良くすることを継続的に訴えていかなければなりません。今こそ、映画館でアート映画をかけることの意義や必然性を考えるときでしょう。どうしても「ミニシアターを潰すな」あるいは「フランスと比べて日本は」という抽象的な話になってしまいますが、もっと現状を精査しながら具体的に取り組むことを話し合い、日本の映画界を最低限の労働環境に持っていければいいなと思っています。
―――映画関係者の集まる東京で「おかしい」と声を上げ続けることの難しさ、無言の圧のようなものを感じます。
宮崎:例えば今回のアップリンクの件で言えば、パワハラと一言でいうとありがちな印象になってしまうものの、どれだけ軽く見積もっても誰かの人権を侵害していたのなら変わるしかないと思います。僕は今回アップリンクで上映予定だった諸々を取り下げる決断をしましたが、配給会社もない中、初監督作が劇場でかかるのであれば絶対に取り下げることはできなかったでしょう。だから悩みながらもアップリンクで上映している若手作家の決断は当然だと思うし、むしろ心苦しい思いをさせているアップリンク側はそういう状況に取引先を追いやったことをどうにかして償うべきでしょう。僕自身リベラル寄りだと思っているのですが、日頃はよりリベラルな発言や動きをされている方たちが今回、自分ごととなると知らぬ存ぜぬ考えときますになってしまったのは本当に残念です。ただ僕が声を上げることで煙たがる人もいる一方、おかしいから一緒に声を上げていこうと集まってくれる監督もいらっしゃるので、これからも声を上げ続けたい。今変えなければ、本当に映画界が滅びてしまいますから。
<作品情報>
『VIDEOPHOBIA』(2019年 日本 88分)
監督・脚本:宮崎大祐 出演:廣田朋菜、忍成修吾、芦那すみれ、サヘル・ローズ、梅田誠弘
2020年10月24日(土)~K's cinema、11月7日(土)〜第七藝術劇場、今冬〜京都みなみ会館、元町映画館他全国順次公開
公式サイト⇒http://videophobia2020.com/
©「VIDEOPHOBIA」製作委員会
※11月14日(土)よりシネ・ヌーヴォ、11月20日(金)より京都みなみ会館にて宮崎大祐特集上映開催決定!
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