紛争のさなかにあったパレスチナを再訪する老ジャーナリストが問うことは?『傍観者あるいは偶然のテロリスト』後藤和夫監督インタビュー
2018年に大塚にできた小さな映画館「シネマハウス大塚」の設立メンバーで館長を務める後藤和夫が自身の経験を元に製作した監督・主演映画『傍観者あるいは偶然のテロリスト』。3月に開催された東京ドキュメンタリー映画祭 in Osaka で見事大阪観客賞を受賞した同作が、シネマハウス大塚の設立3周年を記念し、4月17日よりトークゲストを招いて連続上映される。
20年前、第2次インティファーダという民衆蜂起の嵐の中、イスラエルによる破壊と殺戮の現場を駆けまわった紛争の記憶と、現在のパレスチナを歩く男の記憶が交錯するドキュメンタリー色の強い作品。後藤はかつて取材した人たちを訪ね、この20年間の話を聞き始める。700キロにも及ぶ分離壁がイスラエルとパレスチナを分断する不気味な光景。一見賑わいをみせる街では、長く続く抑圧がもはや目には見えない。イスラエル軍に石を投げて抵抗していた子どもたち。戦車の前で立ちはだかる支援者。ひたすら惨状をカメラに向かって伝え続けた日々。過去と現在をさまよう主人公は自分に、そして観客に問い続ける「傍観者のままでいいのか」と。
本作の後藤和夫監督に、シネマハウス大塚設立に至る道のりも含め、お話を伺った。
■原点になった全共闘時代と大島渚監督との出会い
1952年生まれ、東京育ちの後藤は、1960年末から70年代の激動の時代に多感な青春期を過ごす。当時は日本も含め、世界中で多くの若者が体制に対してNOを突きつけ、既成の価値に対して若者が反乱する時代だった。この全共闘時代のことを後藤はこう表現している。
「最近、全共闘時代を振り返る傾向が映画界にも社会全体にもあります。色々な失敗を犯しながらも、あの時代の若者たちが持っていたピュアな正義感や社会に対する不満を、どう行動に表すのか。現在、Black lives matterや「#MeToo」運動など世界中で様々な動きが起きていますが、そのはしりの動きだとも言えます」
映画に目を向ければ、大衆娯楽の花形であり、松竹、東宝、大映、日活、東映の大手5社が作るもので、都会では一つの市に最低一つの映画館ができるような状況だったが、60年代はテレビが台頭し、映画産業が陰りをみせ、映画会社に所属していた監督たちが、映画会社を飛び出して映画を作る。会社の映画から映画作家の映画への転換期を迎えていた。もう一つの技術的な革命は、中産階級の家庭に普及し始めた8ミリカメラだ。1967年、進学校の都立竹早高校に入学した後藤は、学校や社会に対する不満、そして一番は自分たちが何をしていいかわからないことへの不満や、親に敷かれたレールからはみ出したい気持ちから、仲間たちと集い、お金を集めてフィルムを買い、親から借りた8ミリカメラで映画作りを始める。
「それまで高校の部活で表現といえば、文章を書くとか、演劇、音楽ぐらいで、映画サークルなどありませんでした。8ミリが出てきたことで、映画を作ることが新しく表現欲求を満たしてくれたのです。とはいえ撮りたいものが何もなかったので結局撮ったのは自分たちでした」
当時後藤は、16ミリで撮影した『おかしさに彩られた悲しみのバラード』が第1回東京フィルムフェスティバルグランプリ、ATG賞を同時受賞し、天才少年現る!と映画少年たちに希望を与えた麻布高校の原正孝(原將人)と高校生映画祭を開催。そこに大島渚監督と大島監督の脚本で知られる田村孟さんが来場されたことが、のちに大島作品で主演するきっかけとなる。
「大島監督は、時代を疾走している最先端の監督であり、来場いただいただけで感動しました。我々の作品に感動したと、“零からの出発”と題したエッセーを書いてくださったんです。高校生が映画を撮り始めているのはすごくいい動きだ。ただ彼らはカメラとフィルムを手にした時、ポケットの中には何もない。ゼロなんだ。だから彼らは自分たちにカメラを向ける。そこに時代の中に生きている彼らが映る。大変新しいし、正直なことだと」
その後、ATG(アートシアターギルド)で1000万円予算の映画を撮る準備を始めた大島監督から、後藤たちに声がかかる。映画を作っている若者世代を主人公に『映画で遺書を残した男』という作品を作りたいがいいストーリーはないかと、後藤の高校映画仲間で作った8ミリ制作集団グループボジポジと、原正孝に宿題が課され、最終的に原のプロットが採用されたのだという。一方、グループポジポジの6人は出演を依頼され、『東京戦争戦後秘話』で後藤が主演を果たす。その後、グループのメンバーはそれぞれの道を歩むものの、映画の道に進んだ者はいなかった。
■シネマハウス大塚誕生
全国から大森一樹をはじめとする自主映画が活発に動くようになってきた70年代前半、『ハードボイルドハネムーン HARDBOILED_HONEYMOON』(74)を監督するだけでなく、『手盗人』(75)、山口小夜子と共演の『杳子』(77)に出演した後藤は80年代、テレビの世界に入る。情報系、旅番組などのディレクター、プロデューサーを務めた後、報道ステーションのプロデューサーを10年間務めた。60歳を超えた頃の高校の新年会で映画館をやりたいなと、誰ともなく言い出した。同級生メンバーにドキュメンタリージャパンの橋本佳子もいて、彼女に背中を押されたことをきっかけに、1年の準備期間を経て、2018年4月にシネマハウス大塚をグランドオープン。後藤は館長を務め、『東京戦争戦後秘話』出演者を含む同級生に映画監督の塚田万理奈を加えたメンバーで現在運営している。
「1968年、僕たちは国家権力の横暴さに対して戦った世代の空気を吸っていたわけですが、今は映画館も少なくなり、表現自体が萎縮してしまっている。公的機関で良心的なシンポジウムを使用とても無言の圧力をかけてきたり、ドキュメンタリー映画を上映しようとすると脅迫電話がかかってきたり、この社会情勢がやばいのではないか。せめて当時闘った魂が自分たちに少しでも残っているなら、自由な表現の場所を提供したい。映画制作本数は格段に増えているのだから若い人たちに表現の場所を遺したいし、そういう場所を大切にしたいという思いがあります」
シネマハウス大塚はレンタルスペースとして運営するほか、年に数回は独自の企画を開催している。『東京戦争戦後秘話』をはじめとする大島渚監督特集では息子でドキュメンタリー作家の大島新さん(『なぜ君は総理大臣になれないのか』)のトークショーを開催。また森達也監督特集ではテレビ時代に作った番組を1週間連続公開し、毎日トークに登壇いただいたことも。同館スーパーバイザーの橋本佳子がプロデュースした『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』『標的の島 風(かじ)かたか』を含めた三上智恵監督全作品特集も行なっている。
■ドキュメンタリーの垣根を越える『傍観者あるいは偶然のテロリスト』
2014年にテレビの仕事を辞め、テレビ時代にできなかった個人の表現を模索しながら、いつかは映画を撮りたいという思いを抱き、シナリオやプロットを書いていたという後藤。90年代後半からフリーランスで活動していた時期、世界の様々な紛争地を取材していた。その中の一つが2000年に初めて訪れたパレスチナだ。第2次インティファーダ以降のパレスチナへの14回にも及ぶ取材素材のことは常に頭の片隅にあった。一方後藤は、中東を舞台にした国際サスペンスアクションのシナリオを書いていた。その名も『偶然のテロリスト』。ある日本の若いジャーナリストがパレスチナで自爆テロを起こし、国際的な事件に発展するところから始まる社会派作品だ。莫大な予算がかかり映画化は難しいと思いながらも現地にロケハンに行き、シナリオに対する感触を確かめたいという気持ちが芽生えていた。また20年前のパレスチナからどのように変化しているのかをこの目で見たいという思いで、かつてのようにカメラマンを同行させ、昔訪れた場所を再訪する自分を撮影することを決めていたのだという。
映画の中では、フィクションのシナリオを見せる演出や、後藤のかつての取材する姿と重なるようなドキュメンタリーとしての一面を見せる一方、後藤が「演じている」シーンもある。特に印象的なのは、後半、ドラムソロが盛り上げる中、後藤が誰も歩いていない迷路のような街を何かを探しているかのようにさまよっているシーンだ。
「エルサレムの旧市街は、三大宗教(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教)の聖地で、本当に迷路のような場所。ここを私が彷徨うシーンはドラムと映像の闘いにしたいと、娘が経営している西荻窪の居酒屋の常連でドラマーの奥村純に3分のドラムソロを録音してもらいました。私自身もテイクを15回ぐらい重ねましたが、ドラマーの彼も3回別のスタジオで録音するぐらいこだわってくれ、僕の大好きなシーンです。あのシーンが入ったことで、テレビドキュメンタリーの垣根を超えることができました。後藤和夫の傍観者でしかいられない悔恨の念。つまり20年前あれだけパレスチナに通いながら、「報道ステーション」という場所で、世界の中心からニュースを報じるような傲慢な場所に居座り、傍観していたじゃないか。何をいまさらと言われてもしょうがなかった部分もあるし、忘れていたわけじゃなく、パレスチナの状況を伝えたい想いはあるから許してほしいという思いもあり、複雑な心境を表していますね」
後藤は、心酔する映画『その男ゾルバ』(64)のアンソニー・クイン演じるギリシアの男、ゾルバとアラン・ベイツ演じるバジルが踊るラストシーンに触発された、引きの画でオリーブの樹の畑の中、手をあげて体を揺らす。時には『パリ、テキサス』(84)のハリー・ディーン・スタントン気分で荒野を歩くこともある。だが、そこはカッコよくではなく、情けないハリー・ディーン・スタントン気分でいきたいと要望を出し、音楽家の実弟、後藤信夫が作ってくれたのがハーモニカとギターで、「何してんねん、おまえ」という楽曲だった。飄々とした味わいの音楽が、ともすれば重くなりがちな重量級のドキュフィクション映画に心にしみるロードムービーの味わいを加えているのにも注目してほしい。
■20年後のパレスチナの壁に、世界を覆っている目に見えない分断という壁を重ねて
インタビューの最後に、20年後に訪れたパレスチナの印象を聞いてみた。
「20年前と同じジャンパーを着て、同じカバンを持って、昔訪れた場所を訪ねました。チラシに『あの日見た闘争の炎はどこに』と書いたのですが、私が20年前に見たのは、壮絶で悲惨な現場でしたが、闘争の炎を目の当たりにしたのです。それはどこにくすぶっているのか、それとも完全制覇されたのかと。今回、10日間滞在しましたが、闘争の空気すら感じなかったし、一見穏やかな日々を過ごしているように見えました。でも私は見事に制圧されてしまったのだと思った。その象徴が8メートルの高さに及ぶコンクリートの防御壁です。イスラエルとパレスチナを分離しているだけでなく、パレスチナ自治区の中を分割するように壁がある。壁が象徴する分断による抑圧の力が闘争の芽を押さえ込んでいるのです。その光景を見て、これは今の世界と同じではないかと。パレスチナの現実ではあるけれど、世界を覆っている目に見えない分断という壁なのです。アメリカだけでなく、日本もそうではないか。編集しながらある普遍的な問題を提起できればと思っていました」
(江口由美)
<作品情報>
『傍観者あるいは偶然のテロリスト』 2020年作品 118分
製作 後藤和夫 & Cool Hand Production
監督・主演 後藤和夫
シネマハウス大塚第1回作品
シネマハウス大塚三周年特選企画『傍観者あるいは偶然のテロリスト』連続上映は
4月17日から25日まで。12:00 14:30 18:00の3回上映(19,20,21日は18時の回は休映)
16:45からのトークゲストは以下の通り
4月17日(土)井上淳一(脚本家・映画監督)
4月18日(日)ダニーネフセタイ(木工職人・平和活動家)
4月19日(月)NGO・JVCスタッフ(パレスチナ担当)
4月20日(火)佐野亨(ライター・編集者)
4月21日(水)高橋真樹(ノンフィクションライター)
4月22日(木)四方田犬彦(映画誌・比較文学研究家)
4月23日(金)森達也(作家・映画監督)
4月24日(土)高橋和夫(国際政治学者)
4月25日(日)足立正生(映画監督)
https://nipponpopkyo.wixsite.com/palestine
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