キネマ旬報シアターで上野樹里×沢田研二の『幸福(しあわせ)のスイッチ』、片岡礼子主演『あした、授業参観いくから。』の安田真奈監督作品連続上映!
キネマ旬報シアターで2月に沢田研二主演最新作『土を喰らう十二ヵ月』が上映されるのに合わせ、沢田研二が第16回日本映画批評家大賞で主演男優賞を受賞した『幸福(しあわせ)のスイッチ』、同作の安田真奈監督が片岡礼子を主演に迎え、23分の短編ながら大阪での4回に及ぶアンコール上映を皮切りに異例の単独上映が広がった『あした、授業参観いくから。』が上映される。
『幸福(しあわせ)のスイッチ』と『あした、授業参観いくから。』(トーク付き)の上映を前に、安田監督がキネマ旬報シアター上映にあたってコメントを寄せた。
「キネマ旬報といえば、8mm映画を撮っていた学生時代からの憧れの映画誌です。『幸福(しあわせ)のスイッチ』『36.8℃ サンジュウロクドハチブ』『オーライ』などで掲載いただき、そのたびに大変喜んでおりました。このたび、たった23分の実験的短編映画『あした、授業参観いくから。』が、各地映画館での上映を経てキネマ旬報シアターにたどりつき、とても感慨深いです。主演の片岡礼子さんは『ハッシュ!』でキネマ旬報ベスト・テンの主演女優賞を受賞されているので、そうした面でもご縁を感じる劇場です。また、劇場デビュー作『幸福(しあわせ)のスイッチ』も上映いただけるとのことで、非常に感激しております。撮影は2006年ですが、上野樹里さんと沢田研二さんの演技が素晴らしく、色褪せない親子物語です。
是非多くの方に、両作品をスクリーンでお楽しみいただきたいと思っております。」
また、1日限定上映の『あした、授業参観いくから。』は、上映後に安田監督のトーク&サイン会が開催される。安田監督は、
「授業参観にまつわる全く同じ会話を5人の生徒の家庭で繰り返す、実験的な短編です。会話は同じでも、親子模様は本当に様々。劇中のみならず、現実世界の様々な親子模様について、想いを馳せていただけたら嬉しいです。またこの作品では、『同じ会話でも、キャラクター設定やト書きが変わると、演技も映像も演出も変わる』という、映画ならではの面白みを味わっていただけます。今後は、演技・脚本ワークショップとあわせた上映も実施できれば…と考えております。」
と見どころを語っている。
初公開から17 年ぶりに『幸福(しあわせ)のスイッチ』が劇場上映されるのに合わせ、安田監督がオリジナル脚本の長編デビュー作で沢田研二出演に至った背景や、撮影秘話、本作ロケを機に和歌山県田辺市で生まれたインディペンデント映画の西の登竜門「田辺・弁慶映画祭」について語ってくれた。
―――『幸福(しあわせ)のスイッチ』の製作経緯を教えてください。
安田:実はこの作品、「映画化は無理」とよく言われました。私は、1993年にメーカー勤務を始めてから、「こんなにサラリーマンのオジサマたちは頑張っているのに、ご家族は働く父親の姿を知らない。父親が疲れて帰ると、子どもは「オヤジみたいなサラリーマンになりたくない」と思ったり、母親は「私も私で大変なのよ」と苛立ったり…。父親の働く姿を子どもが見て、生き方や絆を考える物語が撮りたい。」と考えるようになったのです。
2002年秋に会社を辞め、テレビドラマの監督・脚本の仕事をしながら、この映画の脚本を書いたのですが、「電器屋の親子モノなんて地味すぎるし、新人監督のオリジナル脚本では集客できない」と映画化を断られ続けました。断られれば断られるほど、「私が諦めたら邦画界に電器屋映画は生まれない」と意地になり(笑)、電器屋とその周辺の取材を重ね、3年間、改稿を続けました。
電器屋が舞台という映画はありましたが、工事が終わったらゴハンや野菜をもらう、客に頼まれたら犬小屋まで作ってあげる…というような、今どきビックリの田舎の電器屋事情をつぶさに描いた作品はなかったので。
やがて「地味だけど、いい映画になりそう」と東北新社の伴野智プロデューサー(現在は株式会社アジアンドキュメンタリーズ代表取締役社長)が拾ってくださり、東北新社・東京テアトル・関西テレビの製作で、2006年映画化に至りました。
―――デビュー作で沢田さんをキャスティングするのは、相当ハードルが高かったのでは?
安田:和歌山が舞台の物語なので、関西弁ネイティブのキャストを探していました。沢田さんは京都育ち(鳥取生まれ)です。
製作関係者がダメ元で脚本をお渡したところ出演を快諾してくださり、本当に驚きました。新人監督の劇場デビュー作で単館系作品なのに、雲の上のスターが出てくださるとは…、と。もちろん出演作は何本も拝見しており、強い憧れもありました。
それまでの沢田さんの映画出演は、山田洋次監督をはじめとして、長谷川和彦監督、深作欣二監督、若松孝二監督、森田芳光監督、鈴木清順監督、塚本晋也監督、市川準監督、三池崇史監督など、第一線で活躍されている方ばかり。映画では、女性監督は私だけかもしれません。多分…??ですが。
―――やはり、脚本が良かったということでしょうか?
安田:映画業界の方々にも驚かれて、「どうやって出ていただいたの?」としばしば尋ねられるので、沢田さんご自身も、なぜ出演したのかとよく聞かれていたのでしょうね。「第16回日本映画批評家大賞」で「主演男優賞」を受賞された際に、受賞挨拶で「脚本が良かったので出た」と壇上でコメントしてくださり、感激で涙が出ました。公式パンフレットに、渡部保子様が主演男優賞の受賞解説として、「沢田研二の人情深い演技がスクリーンの中で開花した。」「本当に見事に、綿入れ半纏を着た田舎町の電器店のオッサンを、演じきっていた。」と書かれていました。まさにその通りの、あたたかみのある素晴らしい演技をしてくださいました。私も特別女性監督賞をいただき、とても良い想い出となりました。
―――ロケ地でも大歓迎だったとか?
安田:ロケ地の和歌山県田辺市は、「我が町にジュリーが来る!」と皆さん大喜びでした。和歌山の地元紙・紀伊民報が「上野樹里・沢田研二が出演決定」と一面で報じたほどの盛り上がりでした。上野樹里さんは、『スウィングガールズ』などで人気上昇の頃で、大ブレイクドラマ「のだめカンタービレ」撮影前。「ジュリ&ジュリー親子だ!」と、田辺市の方々とワクワクしていました。ちなみに「のだめカンタービレ」は、「幸福(しあわせ)のスイッチ」劇場公開の2006年10月と同じ頃に放映開始でした。
―――電器屋さんが舞台の物語ですが、見事に作り込まれていましたね。
安田:田辺市上秋津の空き倉庫を、沢田さん演じる稲田誠一郎が営む小さな電器屋「イナデン」として作り込み、2006年2月から撮影開始。美術・装飾スタッフが、地元の電器屋さんに様々なアイテムをお借りするなどして、リアリティあふれる店舗に仕上げてくださいました。ロケの延べ日数は確か25日ですが、沢田さんにお越しいただいたのは5日間のみです。出演シーンは多いですが、数軒のお宅を10軒ほどに見たてて撮影するなど、コンパクトなスケジュールで撮らせていただきました。
撮影時期は、2月から3月にかけての梅がほころぶ季節でしたが、沢田さん撮影の5日間に、雨で梅が散ってしまい、山の上の方まで梅林のロケ地を探し直しにいきました。撮影中のスケジュール変更やロケ地変更は普通気ぜわしいものですが、沢田さんの良いシーンがたくさん撮れた後だったので、充実感があり、和やかに探せました。満開の梅林で、上野樹里さんが自転車で走りぬけるシーンを撮影できました。
―――沢田さんの撮影エピソードをお聞かせください。
安田:沢田さんの撮影初日は、憧れのジュリーが来るという期待と、スターの撮影という緊張感で、スタッフ一同ソワソワドキドキしていましたが、現れた沢田さんは、皆が拍子抜けするほど気さくで、親しみやすい雰囲気。私は生意気にも、「怜と目線を合わせずお願いします」「ちょっとトーンを落としてお願いします」などと何度かテイクを重ねさせていただきました。それでも沢田さんは嫌な顔ひとつせず、「ハイ」「ハイ」と応えてくださり、新人監督だからと軽んじることは一切なく、演出を尊重してくださいました。私を含め、誰に対しても気さくな態度で、スタッフ・キャスト全員、改めて大ファンになりました。
沢田さんのお人柄に、新人監督の私は大いに助けられました。思えば沢田さんは、多くの監督と様々なテイストの映画を作られ、また歌手として、舞台俳優として、時にはコントの演者としても数々の経験を重ねておられます。それゆえ、「色んなタイプの監督にあわせられる」「どの現場にも、どの役柄にも馴染める」のかもしれません。本当に有り難いご姿勢です。
もちろん演技はカンペキで、「田舎の電器屋イナデンの、頑固だけど気の良いオヤジ」そのものでした。客に好かれる誠実さもあり、長年店を仕切ってきた貫禄もあり、ツヤのある声でちょっとした色気もあり…。怒鳴るシーン、修理をするシーン、勢いよく語るシーン、どの沢田さんも魅力的でしたね。芦屋小雁さんたちと談笑するシーンは、「イナデンのオヤジと馴染みのお客さん」の和やかムードが即座に生まれました。特に好きなのは、夜、天神崎の海沿いにとめた車での父娘シーンです。会話内容はほぼ仕事のことだけですが、親子の心がほんの少し近づくあたたかさを、絶妙な匙加減で演じてくださいました。沢田さんも樹里さんも、「愛情はあるけど不器用な親子」感がとてもリアルでした。
―――本作の公開が田辺・弁慶映画祭につながったそうですね。
安田:2006年10月、「弁慶映画祭」と銘打って、『幸福(しあわせ)のスイッチ』が田辺市の紀南文化会館で先行上映されました。テアトル新宿の公開初日にも、田辺市の皆さんは、ラッピングのマイクロバスにのりあわせて遠路応援にきてくださいました。弁慶一行の扮装でほら貝を吹いたり、地元の名産品を劇場で販売してくださったりしました。その後、「映画にかかわることの楽しさを知り、何とかこの楽しさを残したい」と考えられて、翌2007年から「田辺・弁慶映画祭」を始められました。新人コンペ部門を備え、映画検定保持者が審査参加するなどの取り組みが奏功し、全国から映画ファンが集って夜明けまで映画談義をするコアな映画祭に育ちました。今や新人監督を多数輩出しています。
―――映画の撮影が映画祭の立ち上げにつながるというのは、地域に映画文化を根付かせる大きな火付け役になりましたね。
安田:『幸福(しあわせ)のスイッチ』の製作を助けてくださった、田辺の皆さんのおかげです。私はよく「映画は終わらないお祭り」と言っています。何度も上映でき、そのたびに喜びを分かち合えたり、新たな出会いが生まれたりしますので。弁慶映画祭関係者の方々は、「監督があんなん言うから、お祭りが終われへんわぁ」と笑いながらおっしゃいます。この映画が田辺の皆さんにとって「終わらないお祭り」になったのは、沢田さんの好印象も大きく作用していると思います。まさかの「スーパースター沢田研二」が、自分たちの故郷で「イナデンの親父」になりきり、さらには誰に対しても気さくで丁寧だった。おかげで撮影が良き想い出となり、その後の映画祭にまでつながった。ご当地映画として最高の流れです。
田辺・弁慶映画祭の第10回では、『幸福(しあわせ)のスイッチ』を特別招待上映していただき、看板や小道具の展示コーナーも設けてくださいました。その後も、拙作『36.8℃ サンジュウロクドハチブ』(堀田真由主演)、『TUNAガール』(小芝風花主演)を招待上映いただくなど、交流が続いてます。お伺いするたびに、田辺の皆さんは「沢田さんと樹里ちゃんのやりとりがすごく良かった」「ジュリーが『売りモンにならなぁらよォ!』とか、田辺の言葉をしゃべってくれて嬉しかった」などと、『幸福(しあわせ)のスイッチ』の想い出を笑顔で語られます。
沢田さんは、同時期にキネマ旬報シアターで上映される最新主演作『土を喰らう十二ヵ月』をはじめ、歌手として、俳優として、長年精力的に活動されていて、頭が下がります。今後ますますのご活躍を、心よりお祈りしております。
(c)2006「幸福のスイッチ」製作委員会
『あした、授業参観いくから。』
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『幸福(しあわせ)のスイッチ』
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安田真奈公式サイト https://yasudamana.com/jp/
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